鬼っ子有利バイト中
「はい!マスターっ!!」 一体何処で覚えてくるのか…びしぃっ!と軍隊式敬礼を決めた有利は白いエプロンと漆黒のドレスの裾をひらりと靡かせ、やる気満々で試食用のトレイを持った。 トレイの上に載せられているのは試食用の三種類のお菓子…ほんのひとつまみ程度のサイズに切り分けられた焼き菓子・マシュマロ・チョコレートなどだ。 有利は慣れないスカートの裾に戸惑いながらも、一生懸命声を上げてお客さんに試食を勧めた。 「あの…これ、おいしいんです!ししょくしてみてくださいっ!」 つぶらな瞳に緊張感を滲ませて…恥ずかしそうに頬を染めながら声を張る姿は、悪い大人なら《君を食べたい…★》等と世迷い言をいってしまいそうな愛らしさで、勧められたお客さんは老若男女を問わず目尻を下げて応じていた。 「まぁまぁ…なんて可愛らしいメイドさんなんでしょう!」 店の常連の老婦人など、《トレイがなければ迷わず抱きしめています》という体勢でにこにこ顔になっている。 「メイドさんも食べてみた?どれが一番美味しかったかしら?」 「あのね、全部おいしいの!特にね、この白くてほわほわのやつが、ほっぺがほわ〜んってなるくらいおいしいのっ!食べるとね、しあわせな気持ちになるんだよ?」 しゃがみ込んだ老婦人が優しい声で聞いてくれるものだから、有利は早速敬語を忘れて応対してしまった。けれど、お菓子の美味しさを力説する様子には熱が籠もっており、食べた時の幸せ感には大変リアリティがあった。 「まぁ…そうなの?」 老婦人は勧められるまま、マシュマロの欠片をひょいっと口に入れると、期待するような眼差しで有利がじぃっと見つめてくるものだから、勿論お菓子自体も美味しかったのだけど…ついつい生命力の限りを尽くしてリアクションしてしまった。 「んまぁ…っ!何て美味しいんでしょ!孫やお友達に買って帰ろうかしら!」 「あのね、あのね!おばーちゃん、このカリカリのやつも、口の中でとろってなるのもスゴくおいしいの!ともだちに買ってあげたら喜ぶよ?」 「そうねぇ…折角ですものね、私、たくさん買って帰るわ」 「わー…!良かったぁ…っ!おともだちとマゴもきっと大喜びだよ?でも、ほっぺがおちちゃうかも知れないけどね!」 「うふふ…そうかもしれないわねぇ。おっこちたら、拾ってぽんってくっつけないとね?たんさん買うから、たくさん落っこちてしまうかも」 無邪気な有利の喜びように、老婦人もついつい調子に乗ってしまい…気が付いたときには必要な量の数倍になんなんとする菓子折を購入してしまった。 会計時に聞かされた合計額に流石に《う…っ》と後悔の苦鳴をあげてしまう。 『に…二、三箱…返品しようかしら…』 と考えかけたとき…小脇から有利のつぶらな瞳が見上げてきた。 「おばーちゃん…いっぱい買ってくれてありがとうね!でも…こんなに買ったら重くてくたびれちゃうかも…。俺、おばーちゃんちまで持っていこうか?」 言いながら、早速有利は老婦人の持つ紙袋をよいしょっと持ち上げていた。 店で一番大きいサイズの紙袋はちいさな有利には荷が勝ちすぎ…《よいしょ、よいしょっ》と掛け声をかけながらよろよろと店先まで歩いていく姿がまた…鼻血を吹き上げそうなほど可愛い…。 「まぁ…良いのよ、あなたがくたびれちゃうわ!!」 結局…老婦人は店の前でタクシーを拾い、沢山の菓子折と共に大散財をして帰ったのだが…胸に残る有利の笑顔は彼女が死ぬまで朗らかに輝いていたので、それだけの価値はあったものと思われる。 * * *
「あ、ここの店ちょーカワイクない?祐二ぃ…入ってこー?」 「えー?やだよぉ…こんなトコの菓子ゼッタイ高いって!コンビニ行ってポテチとか買おうぜ?」 まだ寒い季節に気合いの入ったチューブトップ、ミニスカートにロングブーツという出で立ちの女が、鼻面に向こう傷のあるヤンキー風の男の腕を取ってはしゃいだ声を上げた。 「いいじゃん、ほら!試食とかやってんじゃん。イッパイ食って帰ろーよ!」 乱暴に開けられた扉がガララーンっと激しく鈴の音を立て、静かなパティスリーの雰囲気が急に変わってしまう。 こういった服装の客が来ることはよくあるが、ここまで態度の悪い客は初めてなものだから…店員もお客さんも一様に頬を強張らせていた。 女子店員の一人がちらちらと厨房を見るが、予約のウェディングケーキの飾り付けに余念のない店長は、店の異変に気付いていないようだ。 『有利ちゃんが変に絡まれないようにしないと…って、ぎゃーっっ!!』 そう思って有利の姿を捜した女子店員は、今まさにそのお客に向かってとたとたと歩いていく有利に悲鳴を上げそうになった。 「いらっしゃいませ。ししょくしてみてください」 メイド服姿で試食のトレイを持ってきた有利に、ぶーっと女の方が吹き出した。 「マジぃ?超ウケるんですけどー!男の子じゃーんっ!!ここって女装メイドカフェなわけ?ひ・わ・いー!」 げらげらと下品な笑い声を上げられて、有利は頚まで真っ赤に染まってしまった。 「ここはね…ち、ちがうの。ひわいなトコじゃないの…!おいしいものを売ってるとこだよ?」 目元を潤ませつつも、ヨザックの店のイメージを崩してはなるまじと、有利は懸命に笑顔を浮かべてバカップルに話しかけた。 「おいしいものぉ?何々?ここに隠してるんですかー?」 「やーっ!!」 調子に乗った男の方が有利のスカートをめくると、吃驚した有利はトレイを落としてしまい、盛大にひっくり返ったお菓子の一部が男のズボンについた。 「何してくれてんだよー。汚れちまったじゃん」 「祐二ぃ、折角だから嘗めてキレイにしてもらいなよー。ちょっと変態っぽくてゾクゾクしない?」 「ひゃー、えげつねぇ!」 「ほら、嘗めなよ坊や!お客様は神様でしょー?」 泣きそうに顔を歪ませる有利に、女の手が伸びた。 「ふ…ふぇ……」 「何やってやがるっ!!」 厨房から不穏な気配を察して飛び出してきたヨザックが、ショーケースを蹴り倒さんばかりの勢いでフロアに飛び出してきたが… 丁度その時、女に頭を掴まれて男のジーンズに顔を押しつけられそうになった有利を、ひょいっと抱き上げた人物がいた。 長身の…濃灰色の髪をきりりと一括りにした、美麗な容貌の白人男性。 均整のとれた逞しい身体を髪と同系色のスーツに包み、漆黒のロングコートを羽織った姿には、何とも強い威圧感が漂っている。 バカップルよりも頭二つ分は高いかと思われる上空から濃灰色の瞳が睥睨し、《何か言うことはないか?》…と、言外に漂わせている。 「な…何ぃ?超美形オジサン…」 女の方は状況を忘れてぽわんと頬を染めているが、敵意を直接受けている男の方はそれどころではない。 「なんだよぉ…も、文句でもあんのかよぉ?俺は服を汚されたんだぜ?」 「そうか、では…綺麗にしてやろう」 響きの良い低音で嘲笑するような言葉を紡ぎ、男は唇の端を上げると…有利をそっとフロアに戻し、男の襟首を掴んでずるずると引きずっていった。 「え…ちょ…っ!」 男は結構な体格の持ち主であり、それなりに場数も踏んでいるようなのだが…無造作に掴まれたまま易々と引きずられていく。 店を出て、少し行って右に曲がった路地裏から、奇妙な声が響いて来た…。 その間に、真っ青になった女はいつの間にか店を出ていた…。何処に行ったのかは不明だが…多分、彼氏が引きずり込まれた路地裏でないことは確かだった。 「あ…あの人、だいじょうぶかな?」 我に返った有利が駆け出すと、男は何事もなかったように店に戻ってきた。 そして無造作に菓子折を掴むとレジに置き、カードを出す。 [お会計は結構です] 異国の言葉…ドイツ語をヨザックが喋る様子に、有利は目を見開いて驚いた。 [そういうわけにはいかない] 硬い響きの言葉をこの上なく優美な発音で口にする男は、如何にも不機嫌そうに眉根を顰めると強引にカードを押しつける。 [いいえ、うちの売り子を助けてくだすったお礼ですよ] [私が行かずとも、君が助けただろう。後一秒君が厨房から出るのが早ければ、あんなお節介など焼かなかった] それは本心からの言葉であるらしく、男の眉間に刻まれた皺は更に深いものとなる。 [ですがね…うちの大切な売り子…あなたの弟君の大事なオトモダチを直接助けて下すったのはあなただ。これは間違いないことでしょう?] [弟…コンラートのか?] 男は怪訝そうな眼差しを足下に向けると、感謝の気持ちではち切れそうになっているちいさな子どもを見やった。 [……こんなちいさな子が、友人?] [ええ…この子に何かあったら、俺は弟君に殺されているところでした] 口調は丁寧だが、親指でくいっと頚を掻ききる動作はやけに野性的で、堂に入ったものだった。 [ふむ…] 男はこくりと頷くと、相変わらず眉は顰めたままであったが…腰を屈めて有利と目線をあわせた。 「君は…コンラートの友達なのかい?」 幾分柔らかい口調で、男は日本語で話しかけてくれた。 母音の明確な美しい発音は有利にとっても聞き取りやすいものだった。 「う…うん!お兄さんはコンラッドを知ってるの!?あ…あ、その前に…さっき助けてくれてありがとう…ございました!」 前転してしまいそうなほど勢い込んで礼をすると、くす…と男の口元に笑みが浮かびかける。 尤も…有利がぴょこたんと向き直ったときには既にその笑みは消えていたので、有利自身は見ることは叶わなかったのだけれど…。 「気にしなくて良い」 「そう?」 「私はグウェンダル・フォン・ヴォルテール…。コンラートの兄だ。弟と仲良くしてくれているようだね?」 「ウェラーじゃないの?」 とても長い名前だが、どこにもコンラートと同じ《ウェラー》の名前がない。有利の家はみんな《渋谷》なのに、どうして兄弟で違うのだろうか? 「父が違うのだよ。コンラートは…君に、何も話していないのかい?」 「…うん」 こく…と頷くと、有利の胸には小さな氷塊が落ちていくようだった。 『俺…そういえば、コンラッドのこと何にも知らないや』 有利にとっては目の前にコンラッドがいて、お喋りしたり笑いあったりすることが何より好きだったので、コンラッドの家族がどうだとか、今までどうやって成長してきたかなど気にしたことがなかった。 『コンラッドは…俺の家族のこと気に掛けてくれたのに…』 こんなので、本当にコンラートを好きと言えるのだろうか? しょんぼりしている有利に、グウェンダルは…とどめとなる言葉を投げかけた。 「近くにいるうちにたくさん話しておくと良い」 「近くにいるうちって……」 どきん…と、嫌な予感に胸の奥が痛いような拍動を訴える。 なんだろう…この人は、何を言おうとしているんだろう…? 「コンラートは近日中にドイツに帰るんだ。滅多に会えなくなるのは寂しいかも知れないが…電話や手紙…それに、今はメールの遣り取りも出来るからね」 慰めるようなグウェンダルの言葉が、鋭い棘のように有利の胸を抉った。 この人は…コンラートを、有利の前から連れ去ろうとしているのだ…! * さあ、遊園地の前に問題出現です!当初は長男が次男を連れて行けるわけがない…とか言っていたのですが、続きを書いている現在、ちょっとぐらついて参りました。 *
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