「おにはそとですか?」


 〜突発パラレル節分話〜



 
「コンラート課長、これどうぞ」
「これは…?」

 コンラート・ウェラー課長は女子社員から手渡された物を不思議そうに眺めた。
 それは掌に丁度載る程度の大きさで、透明なセロファンと透ける素材の和紙とでくるまれた茶巾状の包みで、中には煎った大豆と糖蜜掛けの大豆とが綺麗に収まっている。

「今週の日曜日は節分なんです。《鬼は外、福は内》といいながら豆を蒔くと、悪い事が家の外に追い出されて、良いことが家に入ってくるっていう風習なんです」

「へぇ…。でも、こんなに可愛らしくラッピングして貰った物を蒔いてしまうのは勿体ないな」

「うふふ…そうですか?でしたら、口で言いながら食べてみて下さい。多分、効果は一緒だと思いますよ?」

 某外資系商社の販促部に昨年度末から配属されているコンラートは、美麗な容貌と気さくな態度、事務処理、企画発案取り纏め等々…日本人も吃驚な心配りの細やかさで販促部のみならず、会社の中で知らぬ者はないという人気ぶりである。

『ドイツ人の課長がやってくる』

 と聞いて戦々恐々としていた社員達もものの3日程度ですっかり馴染み、日本語の達者なコンラート相手に普通と変わらぬ付き合いをしている。

 勿論、女子社員からの合コン勧誘などは引きも切らずだが、自宅でゆっくりする方が好きなコンラートは殆どの誘いを失礼にならないように断っている。

 しかし《そこがまたストイックで良い》と女子社員には評判で、金曜日のうちに《節分》とやらにかこつけて貰った豆は結局十数個にも及んだ。

「課長…こりゃあバレンタインにはもっと凄いことになりますよ?」

 笑いながら肩を叩いてきた男子社員は、羨ましそうに包みを見つめていた。


*  *  *



「節分…ねぇ?」

 節分当日…珈琲を煎れた後、ふと思い出して紙袋から豆を取り出してみたが…一口囓ったコンラートは微妙な表情になった。

 不味くはない。
 だが、美味しいとも思わない。

 もともとお菓子好きというわけでもなく、特にもそもそした触感の焼き菓子が苦手なコンラートは、口の中できな粉状態になった大豆を珈琲で押し流し、いっそう微妙な表情になった。

「こんなにあるのに捨てるのもな…」

 冒険野郎な父に連れられて世界各国を巡った経験を持つコンラートは極限の飢えを体験したことがあり、食べ物を粗末にするような事は出来ない。

 かといって、この炒り豆の群れをあげて支障のない友人は、日本にはまだいない(会社で配ったりしたら、くれた社員達に悪いだろう)。

『どうしたものかな…』

 途方に暮れてぼんやりと珈琲を飲んでいると、窓の外は俄にかき曇り…激しい落雷が鳴り響いた。
 お天気は朝方からぐずついていたのだが、本格的に空の機嫌が悪くなったらしい。

 だが、特に外に出る用事もないときにはこんな落雷日もいいものだ。
 薄暗い濃灰色の空に青白い稲光が走ると、腹の底に堪えるような迫力ある雷鳴が轟く。

「…おっ!」

 コンラートの住むマンションのすぐ近くで稲光が走り、すぐに盛大な雷鳴が唸りをあげて鳴り響き…

 ドゴロォォォオオオン……っっ!! 

 凄まじいばかりの音響と共に…ベランダに衝撃が落下してきた。

「ベランダに直接落雷があったのか…それなら、直接戸枠を握ったら感電するか?」

 恐る恐る伺うと…そこにいたのは、虎縞の腰巻きと布地のブーツだけを身に纏った、幼い男の子だった。

「…君!?」

 コンラートは感電の懸念など振り捨てて硝子戸を開けると、横たわった男の子を抱き上げた。

「ん…ぅ……ん……」
「大丈夫かい?君は一体どこから…」

 小学校低学年くらいかと思われる男の子は華奢な体格をしているが、この寒い時分にこんな恰好をしている割に寒そうな様子はない。体温は随分と暖かいようだ。ひょっとして熱でもあるのかも知れないが…。

 見たところ怪我はないようだが、頭を打っているとまずい…そう思って漆黒の頭髪を探ると、乱れた髪の間に何か硬い物を触れる。

 何か刺さっているのかと慌てて様子を見れば…それは、小さな三角形の角であった。

「…………?」

 仮装なのかとぐいぐい引っ張ってもとれる気配はなく、完全に皮膚と癒合していることが分かる。

「ん…」

 目を覚ました男の子は大粒の黒曜石のような瞳をぽんやりと開け…そして、突然びくりと震えて飛びすさった。

「……っ!!」

「どうしたんだい?」

「お…おには、そとなの?」

 怯えきった瞳でそう言う男の子の瞳は、コンラートを通り越してローテーブル上に置かれた炒り大豆を見つめていた。

「君は…鬼なのかい?」

「うん…おに…。ねぇ…そのまめ、おれにぶつけるの?」
  
「いいや、そんなことはしないよ?」

 逃げ場を求めてきょろきょろする男の子が本当に《鬼》であるかどうかなどはどうでもよかった。

 ただ、小動物のように可憐で、いたいけなこの子鬼を何とか安心させてやりたくて…コンラートは害意がないことを示すように両手を広げ、世間の人々から《蜂蜜みたいに蕩けるような》と表現されるやわらかな笑みを浮かべた。

 子鬼はじぃ…とコンラートを見つめると、コンラートの笑顔に安心したのだろうか…不意に、ふわぁ…と蕾が綻ぶような笑顔を浮かべた。

『可愛いなぁ…』

 胸の奥がぽぅ…と暖かくなるような笑みに、コンラートは相好を崩して子鬼を誘った。

「さあ…君がどこから来たのかは分からないけれど、折角俺の家に来て貰ったんだ。温かいココアでも飲まないかい?」

「《ここあ》ってなぁに?」

「知らない?茶色い飲み物だよ。お砂糖とミルクを沢山いれてあげるよ?」

「おさとう好き!」

 にこぉ…っ!と笑って、たしたしと子鬼は部屋の中に入ってきた。

*  *  *



「さ…どうぞ」 

「いいにおーい」

 うっとりと目を細めて、マグカップ一杯に注がれた暖かいココアをこくこくと飲む子鬼。

 まふまふのラグの上にぺたりと座り、すっかりくつろいだ様子で喉を鳴らしている。

 その様子はえらく可愛らしくて、コンラートは弟が小さかったこのことを思い出したりした。

 コンラートの弟は金髪碧眼の美少年で、小さい頃はそれこそ天使のように可愛らしかった。最近では反抗期なのか、顔を合わせても罵倒してくるばかりだが…。

『子どもって可愛いなぁ…。勧められているお見合い話…受けてみようかな』

 28歳のコンラートのもとには多方面からお見合い話があり、日本に来てからも降り注ぐような勢いで《写真だけでも》《会うだけでも》といった話がきていたが、仕事が軌道に乗ってきて面白くなってきたこともあり、全て断っていたのだが…こんなに可愛い子どもが生まれるなら結婚も悪くないかも知れない。

「おいしい!おにいさん、ありがとう!!」

「気に入った?お腹空いてたら、これも食べてみる?」

 ローテーブルの上に置かれた炒り豆の包みを差し出して…そう言えば子鬼は豆を怖がっていたっけと思い出す。

「豆は嫌かな?」

「ううん、たべるのはすき。むかし、にんげんにあったときに…ぶつけられたからいやなだけだよ」
   
 子鬼はちいさな手で豆を掴むと、口いっぱい頬張って咀嚼し始めた。
 その勢いは見事なもので、コンラートが処分に困っていた豆は見る間になくなっていく。

 そして…それと同時に、コンラートは奇妙なことに気が付いた。

「………君…大きくなってない?」

「うん。…あ!俺、自己紹介もしてなかったね。有利っていうんだ、よろしく!俺、腹が減るとちっさくなっちゃうんだよ。んー、ああ…今くらいがいつもの大きさかな?」

 なんと…お腹が一杯になったらしい子鬼は満足そうに腹を撫でながら鏡を覗き込み、自分の大きさを確認した。

 子鬼の外見は中学生か高校生程度の大きさまで成長し、口調もそれに合わせて闊達なものになっている。

 それにしても…幼い外見の時にはそれほど気にならなかったのだが…この衣装……若木の如くしなやかな体躯をした少年の姿で身に纏うと…男色趣味など無かったはずのコンラートを激しく動揺させてしまう。

 ほっそりとした腰から下を包む虎縞の腰布は、裾野から覗く絶対領域の白さが眩しい…。
なにより、露わになった胸を飾る桜色の突起が目に痛い。

『いやいやいやいやいや…ちょっと形が変わっているだけで、基本的には水着と一緒だから!』

 コンラートは懸命に自分を説得しようとした。

「ココアと豆、ありがとうね!満腹したら力も出てきたよー。これで自力で空に帰れる!」

「…帰る?」

「うん、本当に助かったよ…。俺さ、むかーし…この辺がまだ野っぱらだった頃に今日みたいに落ちたことあったんだけど、落ちたときに帯電分の雷を使いきってちゃっちゃくなってるわ、どんどん腹が減るわ…人間には豆ぶつけられるわで散々だったんだよ。友達が助けに来てくれるまで泣きながら逃げ回ってさ…」

「そう…か。人間は…今でも嫌い?その…俺も……」

「ううん?あんたは好きだよ!」

 まっさらな笑顔が眩いほどに輝き、コンラートの心を照らしつけた。

「他の人間だって、嫌いなわけじゃないんだよ?雲の上からいつも見てるもん。友達が出来たらいいなーって、いつも思ってたよ?」

「それでは、俺と友達にならないかい?ああ…俺も自己紹介がまだだったね。俺はコンラート・ウェラーと言うんだ」

「コンラァ…コンラッ……言いにくいな…」

「では、コンラッドと詰めて呼ぶのは?」

「コンラッ…コンラッド……」

「そう、そう呼んで貰えると嬉しいな」

 にっこりと微笑むとコンラートの琥珀色の瞳には、うつくしい銀色の光彩が跳ね回る。

 その様が面白かったのか、有利はととと…っと近寄ってコンラートの頬を包むと、じぃ…っと興味深げに覗き込んだ。

 無邪気なその仕草に笑みが深まれば、有利もまた嬉しそうに微笑んで見せた。

「うん!友達になろう!!また雷雲がでたら待っててね!」

「ああ…お菓子と甘いココアを用意して待っているよ?」

「やった!」

 有利はぽぅんと一跳ねすると、足下に現れた黒雲に乗ってふわりと宙に舞った。

「また来るねー…っ!」

 ドップラー効果を残して空に向かう有利の後ろ姿が見えなくなる頃…空は次第に明るさを増していった。有利と共に、雷雲は去ってしまったらしい。

 夢のような出来事が本当にあったことなのかと、暫くコンラートは呆然としていた。

 しかし、彼はこれから毎日のように、自分がお菓子と甘いココアを用意して待つことになるのだろうと予感していた。


 また、あのおっちょこちょいの子鬼が遊びに来てくれるようにと祈りながら…。

 
 

* 突然子鬼ゆーたんの絵を描いたので、なんとなくお話をつけてみました。そしてその後評判が良かったので、調子に乗って連載中。 *

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