〜先生と俺の日常生活シリーズ〜 有利side どこかしょんぼりとした足取りで帰ってくると、渋谷家の面々は有利とは対照的な賑やかさを見せていた。 正確には、慌ただしさだろうか? 美子が少し怒った顔でばたばたと荷造りをし、勝馬は口をへの字に曲げてそれを手伝っている。 「どうしたの?おやじ、お袋…」 「ああん、ゆーちゃん!悪いんだけど、二週間ほどお留守番しててくれる?」 「へ?」 何でも、勝馬は緊急かつ重要な案件を携えて半月ほどボストンに赴かねばならないらしい。しかもその間にこれまだ重要人物のご機嫌取りをする為にパーティーに出なければならないのだが、この際、どうしたって妻帯者たる彼は美子を伴わねばならないのだ。 美子は既にちまちまとした夏の計画を立てていたので、大変なご立腹具合であるらしいが、それでも仕事の為と押し切られれば最後は折れるしかない。このご時世、旦那様のお仕事が無くなっては山ほどある住宅ローンも教育費も払えないのだ。 勝利も今日からサークルの合宿とか何とかでしばらく家を空けると言っていたから、有利は一軒家の中で完全な一人暮らしになるようだ。 「どうする?ゆーちゃん、寂しかったら一緒に行くかい?」 「パスポートないもん。それに、俺は野球もあるし」 「そっか、残念だなぁ…」 怒り心頭の美子を一人で窘めるのが心許ないのか、勝馬の方こそ残念そうである。 『一人暮らしかぁ…』 そういえば、完全に一人になるなんて初めてのことだ。 自由気儘で良い…のかな? * * * ビュゥゥウウ…… ガタガタガタ…… こんな日に限って風がやけに激しい。 変に心細くなった有利は、別に見たくもないのにテレビをつけて…案の定、タイムリーに嫌なニュースを見てしまう。 一人暮らしの老人が物取り目的の男に襲われて殺されたという話題を、冷静な顔をしたニュースキャスターが淡々と報じている。 「………」 ビュウ…ビュゥウウ…… 何やら、泣きたくなってきた。 高校生にもなって、なんでこんなに独りぼっちの寂しさに凹んでいるのだろう? リリリリ…… 突然、ポケットの携帯が鳴った。 相手は…コンラートだった。 「コンラッド!?」 「ユーリ?」 あまりに勢い込んで問いただしたから変に思われたのだろうか?コンラートの声は少し訝しげだった。 「どうかしたの?」 「ん…?えと、その……」 淡く頬を上気させると、見えるわけもないのに顔を斜に向けてしまう。 《別に何でもないんだよ?》と言いたげに一人暮らしの事情を説明したら、コンラートは一拍…何か考えるように置いてからこう切り出してきた。 「ユーリ…良かったら、ご両親が帰ってこられるまで俺のマンションにくるかい?」 「え…?で、でも…良いの?」 「折角の自由を満喫したいのなら無理にとは言わないけど、二週間だろ?食事とか少し心配だし…どうかな、嫌?」 「や…嫌じゃないっ!」 ぷるるっと首を振って勢いよく言うと、まるで様子が見えていたみたいにコンラートが笑う。 「ふふ…じゃあ、ミコさんとショーマに連絡を入れておいて?俺からも連絡しておくから。息子さんを俺に下さい…てね」 「コンラッド、それ…誤解招くから」 「そう?まあ…ショーリだと本気で怒りそうだけどね」 《彼、ブラコンだから》…などと、どこまで本気が分からないようなことを言ってくすくす笑っている。 そんな声を電話越しに聞きながら、有利はわくわくと込み上げてくる期待感に胸が破裂しそうに膨らむのを感じるのだった。 コンラートside 「じゃあ…お邪魔しますっ!」 ボストンバック一つを抱えて、ちょっと緊張した顔で礼をする有利。 コンラートのマンションにはもう何度か訪れているはずなのに、しばらく暮らすとなると気分が違うのだろうか? 「ユーリ、今日から二週間はそれじゃ駄目だよ」 「え?」 きょとんと小動物のように首を傾げる愛らしい少年に、コンラートは鍵を手渡した。 オートロック解錠用の複雑な形状のものだ。 「鍵…貸してくれるの?」 「今日から二週間はここが家だからね。だから、挨拶もそれじゃ駄目」 「あ…う、うん…」 意図が通じたのか、有利ははにかむように微笑んでから…おずおずと口を開いた。 「えへへ…ただいま」 「お帰り」 まずい。 脇腹がくすぐったくなるくらい嬉しい。 自分で仕掛けておいて言うのも何だが、この殺人的に可愛い高校生と二週間暮らして、無事でいられるだろうか? コンラートは内心の動揺を顔には出さず、短時間で用意したとは思えないほど豪華な夜食と、有利の為に用意した生活用のあれこれを提示して見せた。 「え〜?コンラッド、俺がお邪魔するってだけでこんなに用意することないのに…」 「ずっと一人暮らしだったから、誰かといられるのが嬉しくてね」 「ほんと?同棲とかしたことないの?」 「意外と操が硬いんだよ」 冗談めかしつつも、ちゃっかり身綺麗なところはアピールしてしまう。 「ベッドはここでいいかな?」 「うん。あんたんちのソファって便利だよね」 コンラートのベッドの横に、映画鑑賞の際に便利なリクライニングソファを置いた。曲げると大きな背もたれができ、伸ばすとちょっとしたベッドになる優れものだ。 しかし…このベッドが食わせ物であることを知るのは、この夜のことである。 * * * 「うきゃ…っ!」 「…ユーリ?」 ころん…と、有利がまたソファベッドから落ちた。 先程から2回目である。 「騒がしてゴメン…」 水色のパジャマに身を包んだ有利は、《へちょ…》と寝ぼけ顔を歪めて頭を下げた。 とろとろと眠りかけたところを邪魔されて苦しいらしい。 「意外と傾斜がついてるのかな…」 「んー…もういいや。俺、床で寝る…」 言うが早いかころんと床に枕を転がすと、自分もそのまま転がってタオルケットを被ってしまう。 「ちょ…駄目だよユーリ。朝、身体が強張るよ?」 「いいもん…」 とろろ…と溶けかけた声でそう呟くと、有利は抱きしめた枕にすりすりと顔を埋める。 「しょうがないなぁ…」 そのままにもしておけなくて、コンラートは有利の身体をふわりと持ち上げると自分のベッドに転がした。 「うにゃ…?」 「ここで寝よう?」 幸い、コンラートのベッドは無駄に大きい(ナニかする為というわけではなく、単にデザインが気に入っただけである)、小柄な高校生が加わったくらいで安眠を妨げられることはあるまい。 「んー……」 有利はとろんとした目で何かを考えかけたようだが、さらりとした質感のシーツが心地よすぎたのか…そのまま目を閉じてすぅすぅと眠ってしまった。 「やれやれ…」 ほう…っと息をついてコンラートも横になったのだが…その内、夜半過ぎになると開けた窓から冷えた夜気が忍び込んできた。 日中は暑かったものの、夕食時に纏まった雨が降ったせいか、この季節としては肌寒いくらいの冷えた風だった。 そのせいだろうか…寝ぼけた有利の腕が、するりとコンラートに伸びてきたかと思うと、すりり…っとその身体が擦り寄ってきた。 「……っ!」 「むにゅ〜…」 あどけない声が…ちいさな息が…コンラートの胸元にたゆたう。 ドキン…と胸が拍動するのを感じつつ、コンラートはシーツの上に転がしていた腕をどうしたものかと硬直した。 「……」 そろぉ…っと有利の肩に腕を廻すと、華奢な骨格がしっかりと認知できる。 『拙い…』 手放せない。 淡い肌寒さも手伝ってか、子どもっぽい熱がやけに心地よくて…触れた頬の滑らかさも気持ち良すぎて、コンラートはそのまま小柄な身体を抱きしめてしまった。 『もう少しだけ…このまま……』 明日になれば…いや、もう日付は変わっているから今日か? ああ、今日の内に…床に敷くマットでも買ってその上に布団を敷いてあげよう。 …が、とりあえず当座、この《もう少し》は、翌朝まで継続された。 有利side 『これは一体どういう状況なんでしょう?』 翌朝目覚めた有利は、そのままの形状で硬直した。 何故…自分はコンラートに抱きしめられているのだろう? あわあわと回転する頭の内腔を整理してみると、順々に昨夜の出来事が蘇ってくる。 慣れないソファベッドから幾度も落ちて、諦めて床で寝ようとして、そして…。 『俺…コンラッドのベッドにぃい…っ!』 コンラートの方はどう思っているものやら、やけに嬉しそうな笑顔を浮かべたまますうすうと可愛らしく寝息を立てている。 意外と長い睫や、口の端が上がったような唇が淡く開いているのが…何ともかんとも。 『日中格好いいくせに、寝姿可愛いってあんた…』 反則だと思う。 思わず、整いまくった寝顔に対して変な気持ちを抱いてしまいそうだ。 『絶対、目が醒めたら頼もう!今日の夜は床に布団敷いて眠らせてくれって…!』 だから、今朝はもうちょっとだけ…コンラートが目を覚ますまではこうしていよう。 有利はコンラートが目を覚まさないように、極力自分の動きを留めているとは自覚しないまま…数十分間の甘酸っぱい一時を過ごしたのであった。 目覚めた二人はぎこちない笑みを交わしたまま、何事もなかったように朝食に向かった。 どちらも…夜の間に決めた《〜になったら》を口に出すことのないまま。
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