〜先生と俺の日常生活シリーズ〜
「夏の君もぴかぴか★」
16.蚊ネタ
プゥウ〜……ン
プ…プウウウゥゥ〜……ン
この季節、どうにも憎たらしい《奴》の羽音が響く。
少量の血を持って行くくらいなことは大目に見てやろうと思うのに、こいつは痒みと共に安眠まで邪魔してくれやがるのだ。
耳元付近で《プィン…っ!》と一際大きな羽音がして、耳たぶを何かが掠めると、どうにも我慢できなくなって手を振った。
「ああ…くそ…っ!」
蚊取り線香もしているのに、何故我が物顔で襲いかかってくるのだろうか?
それも、有利ばかり狙い撃ちされている気がする。
ふと横を見れば、告白以降ベッドを別にしているコンラートが涼しい顔をして眠っている。そのすべらかで白い肌に、全く蚊に咬まれた形跡はない。
『う〜…体温が高いと咬まれやすいって本当なのかな?』
恨めしげにコンラートを見ていると、蚊には食われずとも蒸し暑い気温は不快らしく、ちいさく呻きながら寝返りを打った。
一人で寝る時には冷房を使うらしいが、有利が嫌いなのを知って我慢してくれているのだと思う。
「ん…」
腹に辛うじて掛かっていた布団を端に押しやり、パジャマの襟元を緩めて少しでも外気を得ようと藻掻いている。
「タンクトップ下に着てるなら、パジャマは脱いじゃえばいいのに」
親切心でコンラートの胸元に手をやると、宵闇に白い喉が映えてどきりとしてしまう。
『コンラッド…肌、綺麗だよな…』
西洋人とは思えないくらい肌理(きめ)の細かい肌は母親譲りなのだろうか?さらりとした質感の白い肌に目を奪われてしまう。
正確に、何を思ってそうしたのか後になっても説明は出来なかった。
ただ、吸い込まれるように…有利は殆ど無意識のうちにコンラートの胸元に指先を忍ばせると、指の腹の敏感な皮膚でその質感を確認していた。
『やっぱり、すべすべだ…』
カチ…コチ…と時を刻む壁時計の音だけが響く室内には、有利の呼吸音が早くなったことさえリアルに伝わってしまう。
そして、こんな時に限って頭に浮かんでくるのは、最近目にした映画のワンシーンだった。
『キスマークって…口紅でつくやつだけじゃないんだよね?』
主人公がヒロインの首筋に噛み付くみたいなキスをして、紅い痕をつけていた。
ちょっと興味を引かれて手首の内側を強く吸ってみたら、同じような痕がつくのだと知った…。
《お前は俺のものだ》…傲慢な主人公が、男の色気をむんむん言わせながらヒロインに迫っていたから、きっと動物みたいに所有の証として残すものなのだと思う。
『コンラッドは、俺のもの…?』
有利を好きだと言って、唇にキスをしてくれた人。
その心は、有利のものなのだろうか?
『じゃあ…身体は?』
それでなくても暑いに、身体の芯から込み上げるような熱を感じて頬が紅くなっていく。
『キス以上の行為って…こういうののことかな?』
けたたましく鳴り響く鼓動をうるさいほどに感じながら、有利はそっとコンラートの胸元…パジャマの襟合わせの辺りに唇を寄せてみた。
柔らかい粘膜でぷにゅりと触れ、ちゅ…っと音を立てて強めに吸い上げると、そこには鮮やかな紅色の花が咲く。
もっともっと咲かせたくて、ちゅ…ちゅっと吸い上げていく間に、指はもっと柔らかな場所を探そうとパジャマのボタンを一つ外していた。
「ん……」
「……っ!」
コンラートが呻きながら寝返りを打とうとするから、弾かれたように身体を起こした。
『俺…俺……っ!』
我に返ってコンラートを見やれば、その白い肌には明瞭な紅が散っていて…そのことに強い罪悪感と共に、何とも言えぬ高揚を覚えている自分がいた。
《俺のもの》であることを知らせる印を、大好きな人に付けた。
寝込みを襲うという甚だ卑怯な行為を詫びつつも、そのことは嬉しくてしょうがない。
『コンラッドも、俺につけてくれたらいいのに…』
未成年にこんなことをしたと知られれば、コンラートの社会的地位は危うくなると分かっていても、聞き分けのない欲求が有利を掻き立ててしまう。
『コンラッド…大好き、大好きだよ…』
盗み取るように唇の端に触れるだけのキスをしたら、またコンラートが寝苦しそうに寝返りを打ったので、大急ぎで自分の布団に転がった。
一瞬、目を覚ましたように思ったのだ。
『大好き…この人が、大好きだ…』
内緒だったら…絶対誰にも知られないようにしたら、もっと凄いことが出来るのだろうか?コンラートの全部を自分のものにして、コンラートにも有利を貰ってもらうことが出来るのだろうか?
『したい…よぉ…』
熱く火照る身体を持て余しながら、有利は無理矢理に瞼を閉じた。
これ以上コンラートを見詰めていたら、もっと卑怯な事をしてしまいそうだったからだ。
* * *
翌朝、目覚めたコンラートは鏡を覗き込んでからきょとんと小首を傾げた。
「……?」
襟元の肌に、微かだが紅い痕が点々とついている。
指で押すと消えてしまう淡い紅は、どうやら充血のようだった。
そういったものに見覚えがないとは言わない。
ただ…今のコンラートには付くはずのない印であった。
「こ…コンラッド!」
唐突に、上擦った声が名を呼ぶ。
振り返った先では、仄かに頬を赤らめた有利が何故だか切羽詰まった様子でこちらを見ていた。
「あの…ね。昨日…蚊が凄かったね?」
「ああ、ユーリ。駄目だよそんなに掻いては…」
蚊に食われやすい体質の有利は首筋や腕、腿を噛まれたようで盛んにばりばりと掻きむしっているが、そんなことをしては痕になってしまう。そうならないようにといつも気を付けて塗り薬を塗ってやるのだが…。
「あ、コンラッドも今日は噛まれたね?」
「え…?」
かなり挙動不審な様子で、有利はコンラートの襟元を差す。
差しておいて…コンラートの様子を伺うようにちらりと上目づかいに覗いてくるのだ。このわざとらしさで誤魔化される者がいるとすれば、それは有利当人くらいの鈍さを持った子くらいなものだろう。
「ふぅん…蚊なのかぁ…」
何やら、無性にニヤニヤ嗤いが込み上げてくる。
もしかして、もしかして…有利の中で何かが芽生え始めているのだろうか?
『いや…喜んじゃ駄目なんだけどね』
依然としてコンラートと有利が教師と生徒、社会人と未成年という関係であることは動かし難い事実なわけだから、野性的な勘で生きている有利が、唐突に性に目覚めたからと行って、そうそう便乗して美味しく頂くわけにはいかない。
『うん…そうなんだけど……でも』
嬉しいと感じてしまうことはどうにもならない。
幸せな気持ちで胸がほこほこして、口の端が上がっていくのを止められない…。
「痒くない?薬塗ろうか?」
「いや…やめておくよ」
「どうして?」
「多分…とても可愛い蚊が付けてくれたんだと思うから、可能な限り消さずに眺めていたいんだ」
「………っ!!」
その瞬間の有利の表情と来たら…なかなかのみものだった。
真っ赤になって怒ったような困ったような恥ずかしそうな…とにかく、とてつもなく可愛い顔をして《むむむむむむ…》と口を真一文字に引き絞っているのだ。
そして、口をぱくぱくして何かを言おうとしていたようだけど、結局何も言えなくて、脱兎の勢いで逃げ出した。
どうせお腹が空いて、そのうち出てこざるを得なくなるのに。
『さて…逃げなくてはいけないのはユーリなのか俺なのか…』
とうとう扉を開いて大人の世界を垣間見たらしい有利に対して、自制心を試されているのはコンラートの方だろう。
正直、ちょっと自信がなくなってきたコンラートであった。
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