〜先生と俺の日常生活シリーズ〜
「夏の君もぴかぴか★」

有利視点


10.熱中症の君に膝枕

  

 じりじりと照りつける日差しにキャッチャーマスクが火傷しそうなほど熱され、露出した肌という肌がこんがりと灼けていくのが分かる。

 本日は7月の第3月曜日、《海の日》。
 有利は海やプールではなく、辛うじて水繋がりと言える川縁で草野球をしていた。
 コンラートは午前中の内は自宅でノートパソコンを操作していたのだが、今は気分転換のためか河川敷グランドを見下ろす傾斜に座ってこちらを眺めている。
 傾斜に一本だけ生えている灌木の影にいるせいか、随分と涼しげな顔だ。

 河川敷は川から吹き付けるいつもの風が止んでしまうと、灼熱地獄と化してしまう。日々野球三昧の生活を送っている高校球児とは異なり、週末ごとの活動しかしていない草野球メンバーには強烈すぎる暑さだ。

 特に7月半ばまで社会人・学生メンバー共に大忙しであったため、本日が久方ぶりの練習日となったせいでまだ身体も馴染んでいない。

 しかし、有利がこの日を心待ちにしていたにもかかわらず集中力を欠いているのは、必ずしも暑さのためだけではなかった。
 
『コンラッド…』

 他のメンバーはともかく、有利自身は普段ならこの程度の暑さなんて気にならないくらい野球に集中しているのに、今日はどうにも駄目だった。
 昨日の出来事がぐるぐると頭の中を駆けめぐり、何を考えてもコンラートに繋がってしまう。

 ちら…と視線を送っているのに気付くと、コンラートはいつもの爽やかな笑顔を浮かべてこちらに小さく手を振る。その様子からは、昨日有利にキスをしたこと…告白をしたことに対する葛藤など微塵も感じられなかった。

 ただ…それが何も感じていないわけではなく、彼が大人だからこういった場所では気持ちをコントロールしているのだと、今は分かる。

昨日…押し殺した声で囁いた言葉は、強い熱情がもっと奥に潜んでいることを物語っていたのだから。 

『コンラッド…俺のこと好きって言ったよね?』

 それは、思わずキスをしたくなる…そして、《それ以上のこと》をしたくなるような想いであるらしい。

『俺もコンラッドと同じって言ったのに、速攻で《違う》とか言われたよな』

 有利はコンラートのことが大好きだ。
 どういう風に好きかと言われれば《すっごい好き》としか言いようがないし、コンラートが有利のことをどう思っているか詳細には語ってくれないから、確かに《同じだよ》と強弁することは難しい。

『でもさ?だからって俺の気持ちの方が軽いみたいに扱われるのって癪だよな』

 コンラートはずっと我慢してきたと言うけれど、我慢してきた時間と今の想いとの軽重なんて問えるのだろうか?

『どうしたら、コンラッドに認めて貰えるんだろう?』

 きっと…絶対、有利はコンラートに負けないくらいコンラートのことが大好きなのだと、どうしたら分かって貰えるだろう?
 
『キスとか…それ以上のことを俺がしたがったらそうだってことになるのかな?』

 コンラーとのキス…。
 冷たくて感触の良い唇がふれた、あのキス。

 思い浮かべた途端に、体温が1度ほど上昇したような気がした。

 かぁあ…っと頬が赤みを増すが、キャッチャーマスクをしているせいか誰も有利の異変には気付かない。
 有利は華奢な体格なので、打球が当たったりすることについてはわりと社会人組の面々に心配されるのだが、春先に立ち上げてからこの方、暑さには一番強いことを証明し続けていたものだから、この日はあまり配慮をされなかった。
 
 有利自身も、自分の若さと体力を過信しすぎていた向きもあるし、そもそもコンラートへの想いによって本日は悶々としていたことも影響したのだろう。

 気がつくと息が浅く早くなり、変な脂汗が出てきたかと思うと、2塁への牽制球を投げようとして立ち上がった瞬間…ばたりと倒れてしまった。


 

*   *   * 




 午前中、パソコンを開いて操作しようとはしたものの…全く作業にはならなかった。

 有利の唇の感触や吃驚したように開かれた大粒の瞳とか…それでいて、コンラートの行為に嫌悪を示したりはせず、《俺も同じだよ》と応えてくれた事への期待感が、ぐるぐると体腔内を巡っていた。

『同じな訳…ないだろう?』  

確かに、キスのような《触れあい》レベルなら嫌悪がないことに安堵はした。けれど、それ以上を求めて良いはずがない。

 コンラートは、有利を抱きたいのだ。
 
 まだ成人もしていない未成熟な身体を暴いて、自分だけのものにしたいという欲情を、涼やかな仮面の下に押し隠しているのだ。

 きっと有利には、その辺の機微がよく分かっていたいのだ。
 だから…あの素朴で純真な好意につけ込んで、有利を好きにしようなんて決して考えてはならないのだ。
 
 鬱々と考え込んでいたのは3時間程度か。
 ミスタッチが多すぎるパソコン作業に見切りをつけ、コンラートが向かった先は河川敷だった。そこで、有利が草野球をしていることは知っていた。
 
 記録的な猛暑に見舞われたこの日、影一つ無い河川敷グラントで野球に興じる人々は幾ら好きでやっていることとは言え流石にぐったりしているようだ。元気が自慢の有利ですら、本調子ではないように見える。

『日射病とか…大丈夫だろうか?』

 急に不安になってきた。
 そう言えば、先日も高校球児が熱射病で突然死していたような気がする。日々練習に明け暮れている連中ですらそのような事態に見舞われることがあるのかと驚いた覚えがある。

『ユーリ…』

 突然…有利が死んでしまったら?

 唐突な発想に背筋がぞっと冷える。
 灼熱の陽光が照りつけているはずなのに、その恐怖はどんな寒波よりも激しくコンラートの脊髄を凍てつかせた。
 
 滅多にないことなのだとは分かっている。
 けれど…誰もがそれを《自分の所には来ない》と高をくくっているが、毎日確実に唐突で理不尽な死というものは訪れるのだ。

 真夏の陽光に照らされた有利が一瞬…その強すぎる光の中に溶けて行くかのように見えて、コンラートは立ち上がった。
 練習を妨げるような理由は何もなかったのだけれど、ただ有利の存在を少しでも確かなものとして確認しようと木陰から脚を踏み出していった。

 その先で…突然、2塁に送球しようと腰を上げた有利が倒れた。

「ユーリ…っ!」

 喉から迸った絶叫は、自分でも驚くくらい切羽詰まったものだった。



*   *   *




「ご迷惑お掛けします…」
「気にしないで、ユーリ…」

 コンラートは優しく、耳朶に心地よい声音で囁きかけてくれる。

 今…有利は木陰でコンラートに膝枕をして貰うという、かなり気恥ずかしい事態に陥っていた。ただし、コンラートの膝に乗っているのは頭ではなく足である。汗を大量にかいたことで血液量が減少し、血圧が急激に低下してたためにめまいを起こしたと考えられるからだ。

 上半身は胸を大きくはだけて水をぺたぺたと塗りつけ、腋窩や首筋にはガーゼを巻いた保冷剤を宛われている。その上でぱたぱたとうちわで扇いで貰っているから、かなり気化熱を奪われて涼しくなってきた。

 意識は喪失していなかったし、口元に宛われれば噎せることなく調整したスポーツドリンクも飲めたので大丈夫だとは思うが、念のため病院にも寄っていくようにと社会人組の連中には怒られたし、

『渋谷、普段はお前の方が水分取れ取れってうるさいのにな』

 と、笑われたりもした。

 確かに、日射病や熱中症はスポーツマンにとって大きな懸案事項であるから、有利は寧ろしつこいくらいメンバーに対して適切な水分摂取を勧めていたのだ。けれど、今日に限って自分の考え事に捕らわれていたせいか、すっかり水分摂取を怠っていた。
 反省至極である。

「ごめんね…コンラッド。散歩したらすぐに論文書きに戻るつもりだったんだろ?俺…きっともう大丈夫だから、置いて帰って良いよ?」
「寂しいことを…言わないで」
 
 ぽつりと言われた言葉があまりにも切なそうで…有利は瞬間、言葉を失った。
 見あげたコンラートの顔は影になっていてはっきりとは見えなかったけど、少し泣きそうな顔をしているようにも思えた。

「ユーリが倒れた時…俺は心臓が止まるかと思ったよ。せめてユーリが元気になるまでの間だけでも、傍にいさせて貰えないか?」
「コンラッド…」
「君がどうにかなってしまうんじゃないかと思って…怖かった」

 ずくん…と、心臓が竦むような想いがした。
 コンラートの声に滲む恐怖感が伝わってきて、彼がどれだけ心配してくれたのかが…万の言葉を連ねるよりも、切実に胸へと響いてきたのである。
   
「ごめんね…」
「謝らなくて良いよ。ユーリが無事で…本当に良かった」
「じゃあ…ありがとう」
「うん…」

 コンラートはこくりと頷くと、静かに有利の唇へと自分のそれを触れさせた。
 昨日されたみたいに激しいものではなかったけれど、一瞬だけふれた唇からコンラートの想いが伝わってくるようだった。

『ああ…この人は、俺のことが好きなんだ』

 嬉しい。
 沁み入るようにそう感じる。

 体調は悪いはずなのに、細胞の隅々にまで行き渡るくらい嬉しさの波動が滲んでいって、心の中がしあわせで満たされていく。
 草野球の仲間達が見ただろうかと心配するのも忘れて、有利はじぃ…っとコンラートを見詰めた。

『俺だって…大好きだよ?』

 この人に、どうやって伝えたらいいだろう?
たくさんたくさん…胸どころかこの身体一杯に、あなたへの気持ちが詰まっていますって、どうやったら全部伝わるのだろう?

 また乾いてしまった肌を濡らすべく、水に浸したコンラートの手が胸元を滑っていく。大きくてしっかりとした骨組みの大人の手…有利よりも体温の低いその掌が、火照った肌にはとても気持ちよかった。

 この手から有利の想いが伝わればいいのにと祈りながら、瞼を閉じて心地よい感触に身を任せた。







* 日射病になるのはコンラッドにしようかとも考えていたのですが、へたれ展開な上に有利に介抱される役回りではあまりにも気の毒なので、やはり有利に倒れて貰いました。ああ〜それにしても拙いですっ!夏が終わっちゃいますよっ!せめて暑い間に完結したいです〜。 *
 


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