「夢幻軌道」
第4話








 ソアラ・オードイルは面倒見の良い男だった。
 血盟城から折り返し赤鳩便で《お迎えに参ります》という旨の返事が来ると、少しでも再会(?)の時間を早めようと、自ら申し出てグウェンダル達をカロリアまで送ってくれる事になった。聖都の指導者達も随分と便宜を図ってくれたようで、不便な思いをしないようにと、大陸横断が可能な長旅用馬車を用意してくれた上、料理人や護衛、侍女や執事といった人々まで付き添わせてくれた。おかげで、一行は結構賑やかな集団となったのである。

 失礼がないよう、聖都の中でも特に躾が行き届き、魔族に対して友好的な面子を揃えたという一行は確かに、人間とは思えないほど親しみを帯びた態度を示してくれた。ただ、オードイルとは違って直接魔族と触れ合った者は殆ど無いらしく、向こうは向こうで《噂には聞いていたけれど、本当に魔族って人間と同じようなのね》と囁きかわしていることがある。

 そんな中、人々はグウェンダルやツェツィーリエに対しては《高貴な魔族》に対する適度な緊張感を示していたが、ヴォルフラムに対しては異なる認識を持っていた。

 それは人々のせいというよりは、多分にヴォルフラムの方に問題があるだろう。純血魔族であることに過度な自負を持つヴォルフラムは、どこかでオードイル達に騙されているのではないかという疑念も払拭できないようで、人々に対しても居丈だかな態度を取りがちであった。

 特に、ヴォルフラムの服に付いていた汚れを取ろうと直接触れてきた侍女を、《穢れた人間の手で触るな!》と叫んで突き飛ばした時には、その侍女がへたり込んで泣いてしまった。そのせいで、他の侍女も含めてヴォルフラムには近寄らないようになった。

『本当にこの子が、コンラートと分かり合う日が来るというのか?』

 オードイルの話してくれた未来図にはグウェンダルも胸ときめくが、確かにヴォルフラムの疑念も尤もではあるのだ。《あなた達はこう決断する》と言われても、その背景となった精神の変遷までオードイルに説明できるはずもなく、どこかで《そんなことが本当に起こり得るのか?》という想いがよぎる。

 それでもオードイルを疑わなかったのは、ひとえに彼の誠実さを汲み取っていたからである。

『この私が、人間の誠意を信じる日が来るとはな』

 《自分に敬意を持っていてくれる》と思う相手であれば、人間でもあっても受け入れられるのだと、初めて知った気がする。  
 なにより、それが一番の不思議であるかもしれない。



*  *  *  




 馬車の窓を開けると、ふわりと特徴的な香りが吹き込んでくる。

『海、か…』

 独特の潮の香りは、船舶での移動をあまりしたことのないグウェンダルにとっては新鮮な印象だ。 

 馬車は長旅の末にカロリア自治区のギルビット商業港に到着した。かつては《地の果て》開放実験によって港湾施設のみならず、海底の地形さえもが崩れていたそうだが、現在ではすっかり繁栄を取り戻して賑やかな沿海都市となっている。復興には、眞魔国も援助をしていたと言うから、大陸の中でも相当に魔族に対する親しみが強い地域のようだ。

「まあ…見て、グウェン、ヴォルフ!海よぉ…!」

 ツェツィーリエが歓声をあげて馬車の窓から指をさすと、揺れる金髪と輝くような美貌に沿道の人々から驚きの声が上がった。

「なんという美女だ!」
「さぞかし高貴な身分の方なのだろうな?」

 人々が口をそやして賞賛の声を送ると、ツェツィーリエは気さくに投げキッスを送って更なる歓声を浴びた。我が母ながら、こういう適応力は大したものだ。

『元々、母上には人間に対する憎しみの素地がない。裏返せば、無惨な戦場を知らないからこその無邪気さであるのだろうが』

 それでいくと、つくづくコンラートは不思議な男だと思う。
 血で血を洗う戦場で、友を、仲間を殺した人間の残虐さを誰よりも目の当たりにし、内地に戻ったら戻ったで、戦場での功績を盗んだり歪めたりした魔族の醜さも知っているはずなのに、どうしてコンラートはあのように誠意と忠誠心を保ち続ける事が出来のだろうか?

 ちらりと視線を送れば、頑なな表情をしたヴォルフラムの横顔が見えた。彼はオードイルとの別れに際しても礼の一つも言わず、《嘘つきめ》という態度を守り続けていた。オードイルの言葉を真実として受け止めるには、許容力が足りないのだろう。

 ガララ…
 ゴトトン…ゴトン

 整備された石畳が規則正しい振動を伝えてくる様子から見ても、街の整備は行き渡っているらしい。カロリア自治区の領主は美しき妙齢の女性であり、かつて《地の果て》開放実験の際に鍵として使われたウルヴァルト卿エリオルと結婚したばかりだと聞いている。

『エリオルもこの港にいるのか』

 流石にエリオルの口から聞けば、ヴォルフラムも観念して現実を受け止める気になるかも知れないと、グウェンダルは希望的観測を浮かべていた。



*  *  * 




「ようこそカロリアにおいでくださいました」

 領主館の前で馬車を降りた一行は、恭しくお辞儀をする若夫婦に目を見開いていた。噂には聞いていたが、随分と逞しくなったウルヴァルト卿エリオルが迎えてくれ、その隣で芯の強そうな人間の美女が微笑んでいる。エリオルは左目に眼帯をしており、《地の果て》開放実験によって無惨に目を潰されたことを忍ばせていたが、本人は特に気にした風もなく振る舞っている。

「エリオル…本当に、お前なのか?」
「グウェンダル閣下はあまりお変わり無いですね。ですが、ヴォルフラム閣下は随分と印象が変わったような…ああ、いや、皆様にとっては現在の方が未来にあたるわけですから、おや?なんと表現すれば良いのでしょうか?」

 頑ななほど真面目一本で、悪く言えば面白みの無かったエリオルだが、年月を経てどこか独特のおかしみを持つに至ったらしい。小首を捻りながら苦笑している。

「そうね、ヴォルフラム閣下は随分とお若い印象だわ。魔族って、この辺りの年代が一番印象の変わる頃なのかしらね?エリオルも初めて見たときには護ってあげなくちゃいけない、かよわい男の子という印象だったもの」
「今では頼りがいのある男になったと自負して良いのかな?」
「ご自由にどうぞ」

 余裕のある笑みで気っ風の良い返答を寄越す女性は、領主フリン・ギルビットだ。銀糸のように艶やかな髪を一つに纏め、動きやすさと優美さを両立させた服装で佇んでいる。若くして夫を喪った彼女は、形見とも言える領土と民とを護るため、当初は悪行に手を染めてでも小シマロンに徴兵された若者を取り戻そうとしていたらしいが、エリオル達との出会いで視野が広がったのか、今では世界的な規模で物事を捉えているという人物だ。

『なるほど、若いがこれはなかなかの胆力を持つ女性だろうな』

 凛と背筋を伸ばした立ち姿は美しく、一国の王や大貴族に対しても自然体で臨んでいる。

 ツェツィーリエも随分と彼女を気に入ったようで、すぐに意気投合したようにギルビットの名産品について聞いたり、美容法の話まで始めてしまう。

 その様子に馴染めなかったのはやはり、ヴォルフラムだった。

「おい、そこの女!魔王陛下に対して、なんだその馴れ馴れしい態度は!大体、こんな吹きっ晒しの場所で立ち話を始めるなど、どういう了見だ!全く…これだから人間はっ!」
「まあ、ヴォルフったら…失礼よぉ?」

 ふわふわとした様子でツェツィーリエが窘めるが、ヴォルフラムの方は悪びれた風もなく、尚もフリンに言い募る。

「早く館の中に案内しないか!」

 フリンはすぅっと眼差しを眇めると、臍下に力を込めるように両手を重ねて組み、慇懃な態度で口を開いた。…が、発せられた言葉はなかなかの辛辣さを帯びていた。

「フォンビーレフェルト卿ヴォルフラム閣下。まことに失礼致しました。私としたことがうっかりしておりましたわ。本日お越しになった閣下は、まだ幼稚な精神性と脆弱な認識力しかお持ちではないのですわね。ほほ…それでは、そのつもりでご案内致しますわ」
「な…なんだと、この無礼者!」
「真の無礼者が誰かを認識しておられない方とは、真っ当な会話などできませんわね。ツェツィーリエ陛下、グウェンダル閣下。無用な衝突を避ける為に、これから私はヴォルフラム閣下の事は綺麗に無視する事に決めましたので、お知りおき下さい」
「うむ、致し方あるまい」
「兄上…っ!?」

 不承不承頷いたグウェンダルに対して、ヴォルフラムが怒りも露わに詰め寄った。

「兄上はこのように無礼な女の言う事を聞かれるのですか!?オードイルのことといい、この女のことといい、この世界に来てからの兄上は変です!」
「やめないか、ヴォルフラム」
「そうよぉ、喧嘩しちゃ駄目よ?」

 溜息混じりに窘めるグウェンダルやツェツィーリエの態度を見て、《なるほどね》という顔をしてフリンは頷いた。エリオルはすぐに彼女の言いたい事を察知したのか、すぐに《お部屋に案内します》と伝えてそつなく各人を屋敷に誘導した。



*  *  * 




「少しよろしいですか?グウェンダル閣下」
「ああ、構わぬ」

 予定よりも早くカロリアに到着したため、1日程度、眞魔国からの船舶を待つ事になったグウェンダル達は、まずは領主館で旅の疲れを休めることになった。
 宛われた部屋で一息ついていると、エリオルが入室してきた。

「お疲れでなければ、一服如何でしょうか」
「あの程度の旅で疲れるほど柔ではないさ」

 とはいえ、旅の疲れと言うよりは、コンラートと会う事への不安や期待感で、様々な想像をすることに疲れているかも知れない。なまじ馬車の旅でする事がないぶん、色んな自体を想定して、ドキドキしたり自分を戒めたりしていたのだ。

「それでは、お言葉に甘えて…」

 とくとくと注がれた酒は旨みの深い葡萄酒で、芳醇な香りと味わいは、戦争の傷跡深い眞魔国では殆ど口に出来なくなっていた高級酒であるように思えた。しかし、《さぞかし高級な酒なのだろう?》と問うと、意外な答えが返ってきた。

 どうやら、眞魔国と人間の国家間で醸造技術の情報交換が行われた結果、美味でありながら一般家庭でも楽しめる家格のワインが安定して供給されるようになったらしい。勿論、希少性の高い年代もののワインは別格だが、酢のような安物くさい酒は殆ど流通する事はなくなったという。

「エリオル、この世界は…何もかもが変わってしまったのだな?」
「正確には、物にせよ人にせよ、正しきものが望ましい地位に就く事が可能になった…という、印象です」
「ふむ。言うようになったな。エリオル」
「ふふ…」

 くすりと笑って杯を呷(あお)る姿は、とてもヴォルフラムより何十年も年下だとは思えない風格だ。元々しっかりとした素地を持つ少年ではあったが、随分と鍛えられたように見える。

「こちらの世界のヴォルフラムも、お前のように成長しているのか?」
「勿論ですよ。元々、私など及びもつかぬ能力を持っておられる方です。正しい地所に立ち、真実を直視する事さえ出来れば圧倒的な能力を発揮される人材です」
「逆を返せば、誤った地所で歪んだ物を見ていると、あのように我が儘になると?」
「全て、閣下にはお分かりの筈ですので、私から申し上げる事は何もありません。ただ…お分かりであるのでしたら、今少し早い時期から教育的指導をして頂ければ、コンラート閣下が無用に苦しまれる事もなかったのではないかと、残念ではあります」

 なるほど、《言うようになった》ものだ。この少年が、これほどヴォルテール家当主たるグウェンダルに明確な提言をしてきたのは初めてである。

「閣下がどのようにして過去から来られたのかは推し量る術もございませんが、お戻りになられた暁には、どうか…どうか、ヴォルフラム閣下をグウェンダル閣下の手元でご指導なさいますよう」
「ヴァルトラーナからは離せ…そう言いたいのだな?」
「結果的にはそうなろうかと思われます」

 ヴァルトラーナも決して無能な男ではない。だが、視野の狭さという点で言えば、確かに有害な面が大きかった。

「私も元の世界に戻ってからの事は色々と考えている。ヴォルフラムの指導についてもな」
「それでは重ねて申し上げますが、更にもうひとつ踏み込んで、厳然たる指導をお願いしたい。先程拝見した限りでは、ヴォルフラム閣下はご家族の忠言を受け止めはしても、心肝に響いているようには到底思えませんでした」

 つまり、あくまで無難に窘めている程度であり、決して《悪い事をしては駄目だ!》と叱ってはいない。そう見抜かれているらしい。

「…痛いところを突くようになったな」
「ご家族に対して、閣下はお優し過ぎるのでしょうね」

 エリオルは表現を和らげたが、その言葉は予想以上に響いた。実際問題、コンラートを罵倒するヴォルフラムに対して、グウェンダルが明確に怒った事などあったろうか?《頑是無い奴だ》とは思っても、一度として身体を張って止めた事はない。それは、例えグウェンダル自身はコンラートを想っていたにしても、一緒になって罵倒していたのと何が変わるというのだろう?

『つくづく、何故未来の私が大胆な決断が出来たのか分からないな』

 馬車旅の間も延々とループしていた想いが、また蘇ってしまう。

「そういえば、お前のことも気に掛けておかねばならないな。浚われて実験に使われるなど…よほど屈辱的な扱いを受けたのだろう?」

 気遣わしげに眼帯を撫でると、エリオルは苦笑しながらも《是非お願いします》とは言わなかった。

「いいえ、閣下。私の事はそのままにしておいて頂きたいのです。どうか、浚われぬように館の奥底深く閉じこめるような事はなさらないでくださいね?」
「何故だ?人間に浚われて左目まで失ったというのに」
「確かに、あのままあっさりと実験道具として用いられていたならば、私は決して人間を許す事はなかったでしょう。ですが…私はあの時、人間と魔族の間に種族としての溝があるのではなく、それぞれに質の異なる者がいることを感じたのです。あのような苦境に立たされた時、フリンに救われたのですから」
「ふむ、身を挺して庇ったとは聞くが、そもそも誘拐に手を貸したのもフリン殿ではなかったのか?」
「実験の持つ本当の意味も、私のことも知らなかったからですよ。今では、悪事の片棒を担いだ事をとても悔いています。そう…人も魔族も誤ることがあるけれど、誠心を持つ者であれば分かり合う事は出来るのです。手引きをしたフォングランツ卿アーダルベルトでさえ、今では眞魔国と人間世界の宥和に一役買っておりますからね」
「あいつがな…」

 過去の時点に於いて、グウェンダルは直接にはアーダルベルトが出奔するとは知らなかったが、旅の途上でオードイルから聞いてはいた。30年近くも魔族を憎み、辺境の村落に焼き討ちを仕掛けるような非道を行っていた彼は、よりにもよって顔見知りでもあったエリオルを浚うのに手を貸したというのだ。極刑に値するような行為をとった彼を、何故エリオルは許す事が出たのだろうか。

 そこには、コンラートにも通じる価値観があるのだろうか?

「今の私は何の問題も起こらぬ世界で平穏に暮らす事よりも、例え肉体が傷ついたとしても、フリンと共に生きる道を選びたいのです」

 それは、意外な言葉だった。同時に、考えさせられる言葉でもあった。

『エリオルとコンラートは、考え方がどこか似ている。そうであれば、あの子もやはりそのまま生きる事を選ぶのだろうか?』

 グウェンダルはコンラートを抱き込むようにして、危険が無く苦しみが少ない生涯を送らせようと考えていた。だが、果たしてコンラート自身はそう望むだろうか?

『分からない。私には…分からない』

 旨い酒の酩酊感に揺られながら、グウェンダルは思考の迷宮に踏み込んでいった。



*  *  * 




 翌日、眞魔国から迎えの船舶が到着した。
 コンラートが来る事を期待していたのだが、どうしても外せぬ用務に後少しでけりが付くからと同船していなかった。その代わり、色々と事情に通じているグリエ・ヨザックが彼らを迎えてくれた。

「はぁ〜い、陛下、閣下ーっ!未来の世界は如何で〜すか〜っ!」
「取りあえず、お前は相変わらずのようだな」
「あっらぁ〜、30年くらい経っても、あたしったらぴちぴちとぷりぷりなのかしらー」
「照れるな喜色悪い。エリオルに比べると、劇的な成長は遂げていない印象だ」
「い、やーん!そういう意味?閣下のいけずぅー!」
「しなだれ掛かるなっ!」

 鮮やかなオレンジ色の頭髪をした凄腕お庭番は、確かに全く変わった風にはなかった。相変わらず盛り上がる筋肉を露出させて、侍女の服装(桃色…)に身を包んでいる。

「グリエ・ヨザック!混血の分際で兄上に無礼な態度をとるなっ!」
「あら〜、ヴォルフラム閣下ったら懐かしい態度だわ〜」

 怒りも露わなヴォルフラムに対して、ヨザックはにやにやと人の悪い笑みを浮かべているものだから、余計に油を注ぐ事になってしまう。

「兄上といい、将来の僕といい…どうかしているのだ!混血を受け入れるなど、呪いか何かにでも掛かっていたに違いない。そうでなければあり得ぬ事だ…!」

 ぎろりと悔しげに睨み付けてくるヴォルフラムは、《お前が呪ったのか》とでも言い出しそうな形相だ。

「止めないか、ヴォルフラムっ!」
「ヴォルフ、お止めなさいっ!」

 今までとは語調の異なる叱責が飛ぶが、それ以上に鋭く、衝撃的な声に人々の意識は集中した。

「止めないか、見苦しい」
「…っ!」

 凛とした声音で叱責されたヴォルフラムは、発言主を睨み付けようとした。
 …が、すぐにその瞳はこれ以上ないと言うほどに開かれる。

「ぼ…く……?」

 そう、そこにいたのは幾分精悍な面差しとなった、フォンビーレフルト卿ヴォルフラム。
 過去と未来の二人は、線対称に向き合う形で対峙していた。





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