「今日から主役!」−8
ドラマの撮影を終え、飛行機で映画撮影の現場に戻るコンラートは憮然とした表情を修正することが出来なかった。
『また、変な噂が流れたもんだなぁ…』
ふぅ…と、また深い溜息が漏れてしまう。
窓から見える雲海も、今は彼の心を慰めてはくれなかった。
『ユーリが誤解してないと良いけど…』
ドラマの主演女優は今売り出し中の女性だが、今回は役柄が特に《悪女》ということで、スキャンダルは致命打にならない程度の恋愛関係なら、事務所的にもプッシュしてくる節がある。今回のことだって、寧ろ積極的に捏造したのではないかと疑ってしまうくらいだ。ホテルの部屋を隣にしたところからいって疑わしい。あのせいで、単に同じエレベーターから出てきたり、ホテルのコンビニで鉢合わせしただけで《熱愛発覚!》等と報道されたのだ。
『有名税というヤツだとは、分かってるんだけどね…』
これまでのコンラートは去る者は追わずだったが、それでも言い訳くらいはしておきたい事例があった。その中の幾つかは、身に覚えのない《熱愛報道》によって付き合っていた女性が怒ってしまったのだ。
『何を言っても信じてくれないんだよなぁ…』
コンラートが女性から好意を受けやすいからと言って、どうしてコンラートの側が必ず応えるなんて思うのだろう?そんなにもコンラートは軽率で浮気性に見えるのだろうか?
『ユーリは…どうなんだろう?』
考えたら、怖くなってきた。今までは嫉妬に駆られた女性との遣り取りが《面倒》というのが先に立っていたのだが、有利とそんな遣り取りをするのも嫌だし、何より…そんな疑いを掛けるような子であったら、それが何よりも嫌だと思うのだ。
空港に降り立ったコンラートは足取りも重く、手荷物を受け取りにベルトコンベアーへと向かった。すると、そこには有利が待ちかまえていて、見覚えのある荷物を見つけて手を振ってくれた。
「ここ、ここ!あったよー、コンラッド!」
「ユーリ!」
はっとして駆けていくと、以前とちっとも変わりない有利がそこにいた。そういえば、芸能ニュースには疎い彼だから、まだあの噂を知らないのかもしれない。
そう思ってひとまず安堵したのだが、荷物を手にして一緒に歩いていくと、待ち受けていた芸能レポーターが幾人か寄ってきた。
「ウェラーさん、リタ・ジョンストンさんとの関係について一言!」
「ドラマ撮影が終わってからも、デートの約束をしていると聞いていますが…!」
げんなりとして横を見やると、そろりと伸ばされた手が一瞬だけコンラートの手を掴んだ。そしてちらりと横から送られた眼差しは、優しく微笑んでいた。
有利は…知っていて、何でもないような顔をしているのだ。
「…彼女とは、一切そのような関係はありません」
コンラートはきっぱりとレポーター達に返答を寄越すと、有利を伴って空港を出て、タクシーへと乗り込んだ。
「ユーリ…あの噂、聞いていたの?」
「うん」
けろりとした有利は何も気にしていないように見える。何だかそれはそれで、嫉妬もして貰えないのかと寂しくなりそうだ。
けれど、すぐにそうではないことに気付いた。
「…色んな噂が立つの、しょうがないって分かってる。だって、人気俳優なんだもん。本気で好きになる人もいれば、利用しようって人がいるのは分かるよ。その事で、傷つくのも落ち込むのも、それはもうしょうがないことなんだ」
「ユーリ…」
いつの間に…こんな大人の目をして思いを語るようになったのだろう?
コンラートがいない間に初めての醜聞を体験し、問いただすことも出来ないまま彼がどんな気持ちで居たのか、コンラートは初めて理解した。
嫉妬していなかったわけではない。
苦しんで、傷つくことを知った上で…それでも彼は傍にいようと思ってくれたのだ。
それを証明するように、久しぶりに帰ってきた二人の部屋にはいると、くるんと振り向いた有利はしがみつくようにして腕を回し、深く…確かめるような吐息を漏らした。
「コンラッド…俺、あんたのことが好きだよ」
「嬉しい…ユーリ」
はっきりと口に出して言われたのは、これが初めての事なのだと気付いて涙が溢れそうになる。
きっとコンラートが居ない間、有利はその言葉の意味を幾度も咀嚼しながら考えてくれたのだろう。
「今まで、ちゃんと言わなくてゴメンね…?甘えてばかりで、困らせたり不安に思わせたりしたこと、あったろ?」
「そんなことは…」
「ないんなら良いよ。でも、俺が言いたいから言わせて?俺は…ヴォルフとは何でもないし、あんたがどんな人と噂になっても、あんた自身の口から《もう終わりにしよう》って言われない限り、諦めない。だって…そんだけ、好きだもん」
「ユーリ…っ!」
感極まったコンラートは、思いの丈を込めて有利に口づけた。
今夜は長い夜になりそうだ…。
* * *
そして季節は流れ、撮影が終了する日がやってきた。
正確に言うと、ニュージーランドでの《本撮影が終わり》という意味である。有利と村田については日本に戻ってから、高校生としての生活を撮影することになっている。
それでも、キャストとスタッフが全員揃っているシーンでの最後の撮影とあって、感慨もひとしおであった。
有利のラストシーンは、映画としても本当に最後のシーンとなる。
それは血盟城のバルコニーから民に向けて、最後の演説をするシーンだ。
クライマックスからの流れを説明すると、このような感じである。
《禁忌の箱》を昇華した後、眞王の力が弱まったことで地球へと引き戻されそうになった有利と村田は、臣下や仲間達がその身体を掴んで引き留めてはくれたのだが、やはり強制的に地球へと送還されそうになる。
この時、眞魔国…いや、世界中の要素が有利に呼応して、今や《異世界からの来訪者》ではなく、この世界の一部として世界を救った有利と村田に向けて、祝福を送るのだ。
創主から解放された四つの要素が色鮮やかに力を発揮して世界を包み込み、荒々しい時空嵐を押さえて有利と村田を眞魔国に留める。
ラストシーンでは、祝典の場で有利は民に向けて感謝の意を込めて演説を行う。王の存在は民の頭上に君臨するものではなく、民と共に在るものなのだと全ての民に語りかけながら…。
陽光燦たるニュージーランドの撮影地で、輝くような王の姿が様々な角度から撮影された。ヘリコプターでの空撮、至近距離からのカメラワーク…その全てに於いて、眞魔国にやってきた当初からは考えられないような、威風堂々たる王の姿が顕されているのだ。
「はい、カット…!ユーリ、お疲れ様です…っ!」
わぁあ……っ!
パチパチパチパチ…っ!!
割れんばかりの歓声と拍手が、キャスト、スタッフ、現地から集められたエキストラの人々から沸き上がる。それはまるで、まだ映画の撮影が続いているかのような迫力であった。
多くの者が、この島国からやってきた少年がどのようにして成長してきたかを知っている。
最初は単にキャラクターの合致によって上手く行っていただけかも知れないが、次第に複雑になっていく物語の中で、如何に役柄に対する考察を深めていき、実際の映像の中に反映させてきたかを…。
最も課題とされていたクライマックスの、創主に取り憑かれたシーンについても、出来上がったテープの上映こそ行われていないものの、撮影の段階から《歴史的なシーンになるだろう》と誰もが言い交わしていた。
『良く、ここまで成長した…』
グウェンダルは両手に大きな花束を抱えて、スタッフ達と手が腫れそうなくらい握手を交わしている有利に歩み寄っていった。撮影に入った当初には最も苦言を呈していた彼に、記念の花束授与が任せられたのは少々嫌みなことだとは感じたのだが…敢えて辞退はしなかった。
「お疲れ様です、陛下」
「グウェン…!」
照れ隠しに、思わず役者として向き合おうとしたグウェンダルだったが、やはり思い返して…咳払いをすると、言い直した。
「ユーリ…本当に、素晴らしい演技だった。当初は非っ…常〜…に、懸念していたのだが、私の予想を遙かに上回る演技を、お前は実現していった」
「…っ!」
このように手放しで彼を褒めたのは初めてのことだ。馴染みのキャストやスタッフには飲みの席などで呟いてはいたものの、こうして本人を前にして言うのはかなり照れくさい。だが、そうであるからこそ口にすべきだと感じていた。
「お前はこの成功を、誰と分かち合う?《みんな》と言いたいだろうが、敢えて一人あげるとすれば誰だ」
誰の名があがるかを分かった上で問いかければ、少しもごもごと言い淀む。
「そりゃあ、ここにいるみんな…だし、特に相方の村田には本当に世話になってるんだけど…」
有利が村田に目配せすると、《良いんだよ》と言いたげに頷いている。
彼はあくまでお笑いでのパートナーであり、今回の映画に関してはやはりもう一人に譲るべきだろうと認識しているらしい。
「…うん、やっぱり…どうしても一人しか選んじゃダメなら…やっぱり、コンラッド…って言ってもいいかな?」
「ああ…そうだろう。あいつは、それだけの感謝を捧げられるべき男だ。役者としても、一人の男としても…それだけの価値がある」
グウェンダルの言葉に、コンラートが大きく目を見開いているのが分かった。
本当は《役者としても、一人の男としても》とっくの昔に認めていたのだ。それが、どこかで甘えていて《言わなくても分かる》と思っていた節がある。だが、やはり口と態度に出さなければ伝わらないこともあるのだと実感したのは、この映画の撮影を通じてだった。
いっそ嫌みなくらい兄弟関係が反映されたストーリーに、最初は《どうにかならないのか》とアニシナに苦言を呈したりもしたのだが、ろくな代換え案も浮かばなかったせいで押し通されてしまった。
そして演じていく内に、浮き彫りになっていくコンラートのやるせなさや、置かれた立場の不条理な辛さに、グウェンダルは気付かざるを得なかった。
『辛い思いをさせてきた…』
そう自覚しても、不器用なグウェンダルは相変わらずそれを表に出せずにいたのだが、この機会に思いをしっかりと伝えておきたい。
「グウェンも、コンラッドを認めてるんだね?」
「ああ、あいつも…な」
水を向けられたのは、花束を抱えたまま唇を尖らせているヴォルフラムだ。つかつかと靴音を響かせて歩み寄った先は…コンラートのもとだった。
「コンラート…お前は美味しいところばかり持っていく男だと、僕はずっと羨んでいた」
「ヴォルフ…」
「だが、嫉妬とはまた別のところで、ずっと気になっていたのも確かだ。結局…腹が立つくらいにお前は、魅力的な男だったから…」
ヴォルフラムは言っている内に、余計なことまで口にしていると自覚したのだろうか?勢い良く花束を掴むとプロレスの花束ファイトよろしく肩口に叩きつけると、脱兎の勢いで駆け去っていった。
「コンラート!これで僕がお前を認めているなんて思うのは早計だからな!お前なんか、グウェンダル兄上に比べたらまだまだなんだからなーっ!!」
そう捨て台詞を残していく姿は、まごう事なき…。
「ああ、あれがツンデレですか」
「ツンデレですねぇ」
頷きながらそう語り合うキャストやスタッフ達に《ツンデレって言うなーっ!》と叫びながら、ヴォルフラムはフェイドアウトしていった。
残されたコンラートはというと、仄かに頬を染めて花束に顔を埋めていた。あんな告白でも、兄弟関係で不遇を極めていたコンラートにとっては、えらく嬉しいことであったらしい。
* * *
「はあ…」
ホテルの自室に戻って、ソファへと腰を降ろした有利は少しがらんとして見える室内を眺めた。明日から、有利もコンラートもこのホテルを去って、各自次の仕事に向かうのだ。
コンラートはアメリカで別の映画の撮影に参加し、有利は引き続き日本で、この映画の撮影にあたる。映画が公開に近づけば一堂に会する機会も何度かあるだろうが、当分は寂しい思いをしそうだ。
「寂しくなっちゃうね…」
「うん……」
同じくソファに座っているコンラートが腕を回してくるから、そっと擦り寄るように頭を凭れさせると、もうすっかり馴染んでしまった香りが鼻腔を擽る。
『この香りとも、暫くお別れだ…』
そう思って涙を滲ませている有利に、コンラートがそっとカタログのようなものを差し出してきた。何だかとってもリッチな、首都圏の豪華マンションだ。
「この部屋、どう思う?」
「んー、良い部屋だね。間取りが広々としてて…あー…なんか、この部屋に似てるや」
日本のマンションにしては内装がポップな色調で、見本として観葉植物を配しているせいか、今暮らしているこの部屋によく似ていた。
「この部屋好き?」
「うん」
「良かった…!じゃあ、この部屋で一緒に暮らしてくれる?」
「………へ?」
きょとんとして見上げてみると、にこにこ顔のコンラートはマンションの契約書を手に持っている。
「買っちゃった」
「買っちゃったって…。え、えぇぇえええ……っ!?」
一体幾らしたのか。いや、そもそもコンラートが日本の首都圏にマンションを買って、一体どのくらいそこで過ごすというのか。
「コンラッド…も、勿体ないよ…!俺を住まわせてくれるだけってんなら、もっと安いトコで賃貸料折半とかで…」
「どうせ貯金なんかあまり使わないし、それに…俺だって結構、長くその部屋にいるつもりだよ?基本的に、生活拠点を日本に置こうと思ってるから」
「でも…今度の映画もアメリカのだって…」
「アメリカなんて、飛行機ですぐだもの。それに、あの映画は以前からの契約だし、脚本や監督も気に入ってるから出演するけど、今は日本の映画だって面白いものが幾つもあるからね。仕事は色々と日本でも出来るよ?」
「じゃあ…ずっと、一緒にいられるの?」
「少なくとも、俺はそのつもりだよ?」
コンラートがそう言って指し示した先を見ると、なんと…渋谷家に送るよう手筈していた荷物には、既にこのマンションの住所が書き込まれている。そんな準備を着々として、タイミングを見計らっていたのか。
「俺が嫌って言ったら、どうするつもりだったんだよ!」
「言わないって、信じてたから」
そんな風に、魅惑的に笑わないで欲しい。
寄せられた唇を避ける事なんて、考えられなくなるではないか。
「ん…」
甘い口づけを受けながら、有利はホテルでの最後の夜をしっぽりと愉しむことになった。
* * *
約一年後、いよいよ《今日からマ王かも!》が標準を合わせていた国際映画祭が開催された。
おぉ…っ!
正装したキャスト達がレッドカーペットに出てくると、両脇で今か今かと待ち受けていた観衆からド…っと歓声がわき、紙吹雪が辺り一面に散り広がる。
少しでも目立つように、作品に合わせたコスプレ衣装を着こんだり、集団で大きな横断幕を広げている者もいる。その中でも特に目立つのは、特徴的な軍服や真紅のマントを羽織った集団だ。何人かは結構な作りの王冠を被っている。手にした横断幕やプラカードには独特の《眞魔国文字》が描かれている。
「ユーリぃい…っ!」
「コンラートーーっ!!」
「グウェンーっ!!」
役者の名前がそのままキャラクターの名称になっていることもあって、呼びかけ方も半端なく熱狂的だ。
《今日からマ王かも!》は撮影当初から豪華なキャスティングで注目を浴びていたのだが、この映画祭に照準を合わせていたので、全貌は全く公開されていない。この映画祭にしても第一部の30分ダイジェスト版を上映するだけなのだが、情報誌や公式サイトに十数枚アップされているスチルや短い動画だけで、既に大きな反響を呼んでいる。
特に、独特の世界観が若い世代だけでなく、かつて雄大な物語世界にときめいていた中高年にも反響を広げている。特に日本に於いてはムラケンズの高齢者受けが元々良かったせいもあり、平均年齢74歳の《おたっしゃ公式ファンクラブ》が発足するほど熱烈な支援を受けている。
今日も駆けつけた代表者が意気盛んに声援を送りすぎて、入れ歯が飛ぶという珍事が起こったくらいだ。
この時も有利が躊躇なく駆け寄って入れ歯を拾い、《しっかり填めててね》と声掛けすると、お爺ちゃんは血圧が上がりすぎて失神寸前に陥り、医療班に運ばれてしまった。
血圧が安定するとピンシャンしていたので、命に別状はなさそうで何よりだ。
「ユーリ君、これ受け取ってーっ!」
「は、はい…」
コスプレをした女性達の集団に手渡されたのは、自費出版とみられる豪華な小冊子だった。ミラーコーティングされているのか、表面が色んな色にキラキラしている。表紙はコンラートと有利が仲良く寄り添っている姿のイラストだ。
丁寧にお辞儀をしてちゃんと貰うけれど、正直…中を開くのは怖い。大抵、有利があんあん言わされているエロ本だったりするからだ。しかも内容がまた、《どこかで覗き見していたのか!?》と疑ってしまうくらい現実のエピソードと重複していたりするもので、少々顔が引きつってしまう。
まあ、既にコンラートと同じマンションで暮らしている事も公表しているのだから、致し方ないところだろう。
『まだ恋人っていうのは明かしてないんだけどさ…』
有利とコンラート自身は公表しても構わないと思っていたのだが、村田が留め立てしたのだ。ゲイであることは一部の客層には非常に受けるものの、どうしても人気の幅が狭くなってしまう。また、営業的な意味以上に、やり甲斐のある仕事が回ってくる可能性を下げると言われては、流石に強くは出られなかった。
役者としての愉しみも覚えた有利だが、それ以上にまだまだお笑い芸人としてたくさんの人を笑わせたいという気持ちもある。出演できる番組が制限されてしまったり、特に昼間帯から締め出しを食らうのは嫌だった。
『何もかも欲しいなんて、我が儘はいえないもんな…』
心が通じ合っていて、実質共に暮らしていけるのならば無茶は言うまい。
いつか…芸能界も引退して、《一緒のお墓に入ろうね》という話をし始めた頃に、正式に籍に入れられれば良いなと思った。
そうこうする間に、観客達のサイン責めからも逃れて劇場にはいると、次々に映画祭の作品が上映されていく。
そして…いよいよ、《今日からマ王かも!》の真価を問われるときが来た。
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