「今日から主役!」−6
「ユーリ…俺は、君を…愛しているんだ」
コンラートは何を言ってるんだろう?
気持ち良過ぎて体がとろとろになってしまって…ちゃんと考えることが出来ない。
きょとんとして《うきゅ?》とコンラートを見上げていたら、《くきゅうぅ…》とコンラートが呻いた。
「ゴメン…君の油断に、つけ込むみたいにキスなんかして…」
コンラートの指が有利の下唇を伝う。
《つけこむ》…何を漬け込んだのだろうか?
梅干し…とかではないだろう。
愛を漬け込んだのか?
『え…?愛って漬け込めるの?…じゃなくて、愛…アィぃい……っ!?』
脳裏には盛んに《アーイアイ♪アーイアイ♪》と曲が掛けられているが、これは間違いなく違う。
『あっ!もしかして、また俺に何かの感情を起こさせようとしてるのかな?』
おそらくそうなのだろう。
見た感じ、《秘めていた思いを堪えきれずに口にした》という風情だが…果たして、どういう反応をすればいいのだろうか?
『はっ!そうだ。悪女だよ悪女っ!!きっと、コンラッドを誑し込めってことだよっ!』
先程、コンラートが身を挺して演じてくれたばかりではないか。
この思いやり溢れる指導に報いずして、なにが主役か!
『悪女…悪女悪女…っ!!』
思い出せ。
コンラートが有利にしなだれ掛かってきた時、どんな風だったか。
悪女はどんな台詞で誘惑してくるのか…。
するりと伸ばした腕が震えていないのを確認すると、有利は《コンラートを誘惑する》という命題に飛び込んでいった。
* * *
「愛してる…ふふ、知っているよ?お前はこの主君に全てを賭けているものな」
「…っ!?」
首筋に回された指のしなやかな動きに驚く間もなく、コンラートは有利の唇からもたらされる声音に魅了されていた。
声質が良いとは思っていたが…これほど伸びやかで、蠱惑的な声が出るとは…。
『これは…第三部のクライマックスか?』
まだ脚本の決定稿が出ていないので、キャストは仮稿とシーン概要しか知らされていないのだが、有利は独自に解釈して台詞を紡いでいるらしい。
創主に乗っ取られた魔王ユーリが、忠臣コンラートを引き入れようとして誘いかけているというシーンだ。
「無理もない…お前はその能力と忠義の割に、報われぬこと甚だしいもの。それで、この幼い子どもに賭けようと思ったのだろう?」
くすくす…喉奥で転がすような声はコンラートの演じた悪女を想起させるが、それでいて全く別の魅力を醸し出している。
成熟した大人の味がないかわり、幼い身で妖艶な仕草をとって見せる様が、かえって背徳的な美を象っているのだ。
純真無垢な魔王が悪しき存在に乗っ取られたという状況として、これほど印象的な演技はないだろう。
『…て、この展開に何故持って行かれたのかというと…』
うっかり見惚れてしまったが、これはやはりアレか…。
『勘違い、されてるんだろうな…』
既に二回も騙し討ちをやっているのだから、仕方がないと言えば仕方がない。
大方、《コンラッドはきっと、俺の為に演技指導をしてくれてるんだ…!なんて親切なんだろう!!》くらいに思っているのだろう。
仕方ない…こうなったら、とことんまで付き合おう。
「ユーリ…愛しているんだ、ユーリ…!頼む…そんな力に屈しないでくれ…っ!」
「あはは…必死だぁ!《ルッテンベルクの獅子》ともあろうものがそんなに我を忘れて求めるのか?ふふ…この子に、お前が求めて得られなかった愛情をみているのか?」
「違うよ…ユーリ。聞こえているかい?」
コンラートは狂おしげに有利の頬を掌に挟み込むと、至近距離から熱の籠もった眼差しを注ぎ込む。創主ではなく、あくまでこの身体の奥に封じられている有利に向かって語りかけるように。
「君は誰の代わりでもない。俺は…ただ君が、君だからこそ必要なんだよ?」
「欲しい…ふふ。そう、欲しいよね…?それではウェラー卿コンラート、取引といこうじゃないか」
「…」
コンラートは取り合わず、ただひたすらに有利を見つめ続けている。その様子に幾らか焦れたように、有利は眉根を寄せてしまう。
「…俺を見ろ、ウェラー卿…っ!」
「ユーリ…俺の大事なユーリ。ここで俺は待っているよ?百日でも、千日でも…この命の続く限り」
「見ろ…見ろ、ウェラー卿…!今この身体を支配しているのはこの俺だ…!お前が望むならこの身体も魔力も好きなように使わせてやる。だから…手を結ぶんだウェラー卿っ!」
それは、見ようによっては創主がコンラートに愛を請うようなシーンでもあった。
禁忌の箱を全て開き、コンラートの左腕も奪いはしたものの、創主は執拗にコンラートの忠誠を求めてくる。それぞれ異なる要素が鬩ぎ合っているが為に調和できていない創主は、物理的攻撃から身を護る為に剣の達人を必要としている。
創主はなまなかな剣では傷つけることことさえ出来ないが、この時、《禁忌の箱》が開放された現場には勇者アルフォードがいる。かつては魔族を敵と見なしていた彼も、今では有利を介して味方となっており、彼の持つ聖剣に切り裂かれれば、いかな創主といえど無傷ではいられぬと踏んだのだろう。
恐るべき存在でありながら、身に降りかかる危険を察知して怯えてもいる。
そんな風情を演出しなくてはならないのだが…。
『うーん…頑張ってはいるんだけどな』
正直言うと、コンラートの態度に焦れ始めた辺りから、急に演技の勢いが減速した。
普段の有利から言えば、格段に色っぽい様子ではあるのだが、やはり経験値が不足しているのと、見本にしたのがタイプの異なるコンラートだったせいだろうか?見慣れてくると演技が一本調子で、手探りしながら演技しているという印象がある。
有利自身にもそれは分かっているのだろう。
台詞にも詰まってくると、素の顔に戻って不安げな眼差しになる。
「何故…俺に応えぬのだ」
これは完全に気の抜けた台詞になってしまった。しょんぼりした有利が演技を止めようとするから、コンラートはその唇に音を立ててキスをすると、こちらも素の顔に戻って囁きかけた。
「ユーリ、やっぱりまだ掴めない?」
「うん…何が足りないのかなぁ…?」
「まだ有利の中で、役が噛み合ってない感じかな?」
「どうしたらしっくりくるんだろーっ!」
有利はもどかしげに頭髪を掻きむしっていたが、力尽きたように溜息をついた。先程も、本人としてはかなり力を入れて演技していたせいだろう。
「はぁ…ゴメンね、コンラッド。折角あんな凄いキスと、告白までして俺を応援してくれたのにさ…」
「ええとね…。そこでひとつ言っておきたいことがあるんだけど、聞いてくれる?」
「なに?」
「さっきの告白…本気なんだけど、返事は貰えないのかな?」
「………へ?」
有利はぱちくりと目を見開いたまま、カチン…と硬直してしまった。
* * *
『本気…』
それは一体、どこからどこまでが?
有利はぐるんぐるんと回転する思考の中で、目の前で照れくさそうにしているコンラートをまじまじと見つめた。
世慣れた大人の筈なのに、どこか緊張した面持ちで…静かに返事を待っている。
この人が…本当に?…本気で?
『……ぅわっ!』
認識した途端にボン…っと脳が沸騰しそうになった。
『マジでこんな人が、俺を…好き?』
それはもう、有利だってコンラートを好きかと聞かれれば力を込めて《大好きだよ!》と言うことが出来る。何なら、こぶしを回しながら唸ったって良い。
だがしかし、幾ら鈍い有利だってこんな間合いからコンラートが告げてくる意味が、友情による好きとは違うものなのだということに気付かないわけにはいかなかった。
「ああぁぁ…あの……でも、さっき…《ツッコミは期待してない》って…」
「だから、突っ込まれるのは期待してないんだけど…」
流石に頬を染めて口元を覆うコンラートは語尾を濁したけれど、やっぱりこれは…《突っ込みたくはある》ということだろうか?
「困っちゃうかな?」
「……うん…。あの、俺…コンラッドのこと大好きなのは間違いないんだよ?今まで、こんなに《大好きっ!》って思った人なんてきっといない。初恋の子だって、こんなじゃなかったもん」
「そうか…うん、嬉しいよ」
そうは言いながらも、コンラートの眼差しには諦めの色が浮かんでくる。《大好き》とは言いながらも、どこか及び腰な有利から、《エッチできるほどじゃないんだ》との意図を汲み取ったのだろう。
「ゴメンね、もう…言わないよ」
そう言って、コンラートが上体を引いていく。
きっと、本当にもう二度とこんなことを口にする気はないのだ。もともと、それほど重きを置いて言ってくれたわけではないのかも知れない。可愛い(と、思ってくれた)後輩に、ちょっとした悪戯紛いの行為をしてきたに過ぎないのかもしれない。
その事に、思っていった以上に衝撃を受けている自分が居た。
咄嗟に伸びた腕はがしりとコンラートの袖を掴み、そのまま懐しの《ダッコちゃん人形》よろしくしがみついてしまう。
「い…言わなくなるのは、ヤダ…」
「え?」
おおう…。
何を言っているのか、この口は。
自分の中での感情の整理も出来ていないのに、大人の態度で引こうしている人を捕まえてしまうなんて、とても迷惑なことだ。
分かっているのに…口は止まらずに言葉を紡いでしまう。
「ココココココ……コンラッド、《お試し》お願いしてもイイ…っ!?」
「お試しって…」
「え、エッチ…一回やらせてっ!」
やってみて、やっぱり《ダメ、合わない》となれば余計にコンラートを傷つけてしまうかも知れない。だけど…やはり、有利としてはこう言うしかないのだ。
男として、幾ら大好きな相手とはいえど《抱かれる》という行為をそのまま容認することは出来ない。
さりとて、去ろうとするコンラートをそのまま逃がすことも出来ないなら、一か八かやってみるしかない。
「お願い、この通りっ!」
コンラートの袖から手を離し、パァン…っと高い音を立てて頭上で合わせると、《堪えきれない》という風情でコンラートがくすくす笑っていた。
『からかわれた?』
冷や汗を掻いて顔を上げた有利だったけれど、すぐにそうではないのだと気付いた。
くすくすと笑みを零しながら、コンラートは何ともやさしげな表情で微笑んでいたのだ。
「チャンスをありがとう、ユーリ…それだけでも、凄く嬉しい。男同士には抵抗があるのに、そこまで譲歩してくれたんだね?それだけ…大事に思って貰ってるって、自惚れてもいいのかな?」
「自惚れなんかじゃないよっ!俺…ホントに、凄くあんたのことは大好きなんだ…!」
「では…最後のチャンスを生かしたいな」
しゃがみ込んで同じ目線になったコンラートは、再び眼差しに蠱惑的な色を滲ませていく。あの…怖くて、それでも綺麗すぎて目をそらせない瞳だ。
「君の心と体を、俺に頂戴?」
心だけなら、今すぐぽぅんとあげたくなった。
* * *
先にお風呂に入った有利は、湯上がりの肌にバスローブを羽織ると、ぶんぶんと腕を振ったりアキレス腱を伸ばしたりして準備運動を始めた。
初めてのことなので、迂闊に初めて怪我をしてもつまらない。やはり、各関節は柔らかくしておくべきだろう。
特に、《抱かれる》ということは股関節を重点に…と考えて、ぼんやりと浮かぶ体勢にボンっと脳漿が弾けそうになる。
『いぃいいいいい…いや、素人が色々考えてもろくなコトはないから!』
そう自分に言い聞かせると、有利は延々と柔軟を続けてしまった。
おかげで、コンラートがお風呂から出てくる頃にはすっかり、《千本ノックでもどんと来い!》というところまで身体が仕上がっていた。
「よしこーいっ!ばっちこーいっ!!」
腰を下げ、パンっと手を叩きながらそう言うと、良い感じに気合いが入ってくる。
何故だかコンラートはその様子を見ながら、困ったように苦笑していた。
「ユーリ…大胆なお誘いだね」
「へぁ?」
言われて見下ろすと、そういえば…今身につけているのはユニフォームでもパジャマでもなく、前で襟を合わせるバスローブだったのである。キャッチャーよろしく腰を下げた日には、大股開いた下肢の間に淫猥な影が降りてしまう。
「ここ、こりゃ失礼っ!」
「いえいえ。美味しく頂けるように、そんなに開脚してもらって嬉しいよ?」
「うひゃっ!」
ひょいっと抱きかかえられると、反射的にバスローブの合わせ目を押さえてしまう。その様子はまるで、スカートがめくれそうで恥ずかしいお嬢さんだ。
「頂きます」
ぽすっとベッドの上に置かれた有利は、その夜…大人の階段を三段飛ばしくらいで屋上まで駆け上がったのであった。
* * *
「ふは…」
「どうだった?」
「いやもう、なんか…」
何もかもが終わったとき、意識を飛ばしていた有利はそのまま眠ってしまったらしい。
起きてみるとすっかり衣服は整えられ、目を合わせたコンラートは楽しそうに有利を伺っていた。
「及第点はとれましたか?陛下」
「陛下って呼ぶなよ……」
《名付け親のくせに》と言いかけて、照れながら言い直す。
「……恋人のくせに…とか、言ってもいいのかな?」
「光栄だよ、ユーリ」
自分から言い出したくせに、ちゅ…っと頬にキスを寄せられると相変わらず大慌てしてしまう有利であった。
「なんか…でも、不思議…」
「なにが?」
咄嗟には上手く説明出来なくて、暫くもごもごしながら良い言葉を探す。
ふと窓の外を見やれば、まだ明け初めぬものの、幾らか朝の気配を伝え始めた風景がカーテンの合間から覗き、草の香りを含んだ風がふわりと吹き込んでくる。日本より湿度が低いせいか、はたまた植物の種類が違うせいか、それは全く今までの生活の中には無かった感覚を伝えてくる。
なのに…どうして、コンラートと過ごした夜は《しっくり》くるのだろう。
『あんなに未経験なこといっぱいしちゃったのに…』
思い出せば勿論頬が染まるし、脳だって沸騰しそうになる。なのに、どうしてだか違和感だけはなかったのだ。
それはどこか、野球やお笑いを始めた頃の感覚に似ていた。
どちらも不器用な有利にとっては、最初から上手くできたことなんて無い。勘の良い選手や芸人が数時間で出来ることも、有利は一度躓くと何日も、何週間もかかることがざらにあった。それでも諦めずに済んだのは、どこかに《しっくり》くる感じがあったからだ。
今はどんなに難しくても、きっと繰り返していけばいつか上手になれる。
《冬は必ず春となる》というけれど、冬の時期だって楽しみながら、春に向かって伸びていくことが出来る。
そんな、確信がある。
『コンラッドとのエッチにも、同じこと感じちゃった…』
恥ずかしくてとても口には出来ないけれど、ベッドの脇に腰掛けたコンラートが指先を伸ばして髪を梳いてくれるから、すりり…っと愛おしげに擦り寄れば、深い笑みを湛えて頬を撫でつけてくれた。
その心地よい感覚に、有利はふぅ…っと満足げに微笑む。
『ああ…俺は、ずっとこの人と生きていきたいんだ』
まだぼんやりとした感慨に過ぎないけれど、確かにそう感じていたのだ。
この時の有利はまだ知らなかった。
恋愛というものが、実は互いの想いが結びついた後の方が、ややこしい感情に振り回されがちなのだと言うことに…。
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