「今日から主役!」−4








 
「よお、隊長。魔王陛下のご機嫌取りは上手くいってるみたいじゃないか」

 グリエ・ヨザックはかつて、コンラートと共に撮影した戦争映画の名残なのか、時として《隊長》との呼びかけをしてくる。これは映画の中でも活かされているのだが、コンラートはその内容に瞳を眇めた。
 そういう顔をすると、人好きのする優しげな容貌は一瞬にして近寄りがたい雰囲気を漂わせる。本人は自覚していないが、兄のグウェンダルよりも眼差しが冷ややかになるのだ。

 それが本気で怒っている証拠なのだとヨザックは知っているが、だからといって物言いを改める気にはなれない。

「ヨザ。言葉を慎め」

 鋭利な刃物を思わせる眼差しは、まさしくウェラー卿コンラートを体現しているようだ。

「おーお、なりきっちゃってさ」
「役柄だけの問題じゃない。これは、俺個人の怒りでもある」

 今日は特殊効果を使うので、スタジオでブルーシートを使った撮影を行っている。
 有利と村田が小シマロンの実験によって暴発した《地の果て》を封じるシーンだ。

 この時、密かに周囲が懸念していた有利の演技は、あのグウェンダルをして《なかなかやるではないか》と言わしめるものであった。
 《地の果て》の鍵として使われたのが、銃器によって千切られたコンラートの左腕だと分かったときの有利の表情には、キャストもスタッフも目を見張ることとなったのである。

 衝撃と怒りと憎しみを感じながらも、コンラートの腕を《禁忌の箱》などに持って行かれて堪るかと踏みとどまり、村田と共に魔力をコントロールするシーンは、殺風景なブルーシートの前ですら、破壊し尽くされた大地の幻影を感じるほどに見事であった。

 ヨザックも内心、《芸人にしては大したもんだ》と感心はしていたのだが、それを素直に出せるような性格はしていない。それに結構な度合いで愛情を感じていたコンラートが、有利と同室生活を始めたと聞いて、平静では居られなかったのかも知れない。

「見ろ、ヨザ…あれがユーリの実力だ」
「ま、あのシーンについては俺だって認めるさ。だがね、隊長…あんただって分かってるはずだ。問題はこれからだぜ?」
「ああ…分かっている」

 そう、有利自身も懸念していた大シマロン闘技場での、コンラートとの再会シーン撮影が間近に迫っているのだ。
 
 今日の撮影内容について言えば、コンラートと極めて親密になっている現在の有利なら、それが不条理に奪われ、遺骸が辱められたことへの怒りは想像の枠内で演技可能だろう。

 しかし、闘技場シーンではそうはいかない。
 《世界中が敵に回っても、この人だけは決して自分を裏切らない》と思っていた男が、飄然として敵国の制服に身を包んでいるのだ。

 絶望というものを感じたことなどないだろう、あの幸せそうな少年に、そこまでの演技が出来るだろうか?

 結論として言えば、コンラートは《できる》と思っている。それは妄信などではなく、裏付けあってのことなのだが…。

『…気が重いな』

 ブルーシートの前で懸命に演技する有利を見つめながら、コンラートはふぅ…っと重い息を吐いた。



*  *  * 




 コンラートとの共同生活は、最高だった。
 村田には悪いのだが、こんなにも細やかな部分まで《噛み合う》人は初めてだと思う。

 毎日撮影の後、お風呂上がりにさっぱりしたところでそれぞれ好きな飲み物をローテーブルの上に置き、コンラートの下肢の間に有利が座る形で《昔話》が始まる。
 主題は世界の民話…ではなく、お互いの過去の話だ。

 コンラートに誘われたときには《俺なんて大した人生送ってないし》と思ったのだが、コンラートはそうは思わなかったようだ。

『凄いね、よく頑張ったね…』

 優しく囁かれる言葉が、有利自身気付いていなかった心の罅(ひび)を、柔らかく暖かいもので埋めていく。
 
 コンラートも世間一般に知られているようなプロフィールよりも、遙かに詳細で、プライベートに関する話をしてくれた。

 ツェツィーリエの息子達の中で、コンラートの父だけが貴族階級出身ではなく、庶民な上に根無し草の冒険家だったこと。その事をコンラートは誇りに思っていたけれど、母の実家や他の兄弟の家系からは風当たりが強かったこと。
 それでも、コンラート自身は家族を愛していて、不仲な兄や弟ともいつかきっと思いが通じることがあると信じていること…。
 
「コンラッド…いつか、きっとヴォルテールさんやヴォルフラムとも分かり合えるよ」
「そうだね…」
「そうだ!今度の週末にバーベキューでもやらない?家族みんな呼んでさ!俺、機材とかの調達するよっ!」
「…ユーリも参加するの?」
「うんうん!俺は焼きに徹するからさ、しっかり家族と話して…」

 まだ言いかけている途中だったのに、突然…コンラートが立ち上がった。あんまり急な動きだったので、有利はしたたかに尻餅をついてしまう。

「いってぇ〜っ!コンラッド、どうかしたの?俺、お尻めちゃめちゃ痛…」

 眉根を寄せて顔を上げた有利だったが、それ以上言葉を紡ぐことは出来なかった。喉が凍り付いたように、声が出ない。
 何故なら、遙か頭上から見下してくるコンラートの視線が、凍てつくような冷酷さを湛えていたからだ。唇には皮肉な嘲笑が浮かんでおり、くす…っと漏れ出た声もぞっとするほどに冷ややかだ。

「君、ちょっと調子に乗りすぎてない?」
「え…あの、コンラッド…何か俺、拙いこと言った?」
「主役にろくでもない演技をされたんじゃ、俺が困ると思って少し優しくしてやれば。随分とつけあがったもんだね。俺と家族の絆を取り戻す?は…っ!赤の他人が随分と図々しいことを言うもんだ」
「あ…の……」

 顔から血の気が引いて、指先にも力が入らない。
 何か言わなくちゃと思うのに、頭が真っ白になってどうすることもできない。

 有利は今、自分が失ってはならないものを失ったのだと悟った。

「君とのおままごと遊びは、これでおしまいだよ」

 コンラートはそう言い捨てて立ち去ろうとしたが、反射的に有利の手は伸びていた。

「ま…って、待って!」
「まだ何かあるのかい?しつこいな…」
「怒らせてゴメン、でも…もっとちゃんと話をして!」
「君と話すことはもうない」


「俺にはあるっ!!」 


 両脚を踏ん張り、有利は大きく叫んだ。
 感情的になって取り縋るのではなく、寧ろコンラートに向かって《こちらを見ろ!》と威迫を込めて言い切る姿は、無様な敗残者などではなかった。

 自分の価値を信じて、相手を振り返らせる力がそこにはあった。

「ユーリ」

 静かに有利を見ていたコンラートの手が伸び、両肩を掴む。
 反射的にびく…っと震えた有利に向かって、コンラートはこう告げた。

「そうだ。今の感情を忘れるな」
「………え?」
「その感情こそが、君が今まで知らなかったもの…大切な友人から不条理に捨てられた哀しみと、それでも諦めずに目を向けさせる強さだよ?」
「え?…て、それ…って……」
「不愉快な思いをさせてゴメンね?今のは全部、君からその感情を引き出す為の演技だ」

 ふ…っとコンラートの表情から、仮面を剥ぐみたいにして侮蔑が消える。代わりに現れたのはいつもと変わりない…いや、申し訳なさで死にそうな顔をしているコンラートだった。

「演…技……」

 分かった瞬間に、どっと瞳から涙が溢れて止まらなくなる。衝撃の直中にあるときには張りつめていてそれどころではなかったのに…。慌てて袖口で目元を擦り上げると、コンラートが気遣わしげにハンカチを押し当ててくれた。

「ごめ…こ、こんな…」
「無理に止めなくて良いよ。ゴメン…ゴメンね?自然に止まるまで、こうしているから…ゆっくり泣いて?」

 床の上にしゃがみ込んだままの有利を、コンラートとそっと抱きしめて肩口に顔を埋める。

 ぶるぶると震えてしまっている身体はまだ自由が利かなくて、どれほど強い緊張状態にあったのかが分かる。涙はぼろぼろと溢れて止まらないしで情けないのだが、コンラートの身体からほわりと香る淡い石鹸の匂いがコンラートから香る淡い石鹸の香りと共に、安堵の気持ちがゆっくりと満ちてくる。

『無くしてなかったんだ。一緒に、いてくれるんだ…』

 そう確認するたびに涙が溢れてくる。
 それでもどうにか震えだけは止まってくると、コンラートの身体の異変に気付いた。

「コンラッド?」

 コンラートも、ちいさく震えていた。
 そのことに気付くとやっと涙が止まって、首を捻ってコンラートの顔を見ようとするのだけど、ますます強く抱きしめられてしまうからそれも叶わない。
 
「ゴメン…今、見せられるような顔してないから…」

 そうか。きっとコンラートにとっても演技の為とはいえ、わざと有利を傷つけるような行為をするのは勇気の要ることだったのだろう。だって、こんなに優しい人なのだもの。

『ありがとう…』

 また別の意味で泣いてしまいそうで、有利は狂おしくコンラートの背を抱きしめた。



*  *  * 




『どうしよう…嬉しい』

 コンラートが有利に顔を見せられなかったのは、何とも複雑な表情をしていたせいだった。
 確かに有利が思っていたとおり、わざと傷つけたことで辛かったというのもあるのだが…実のところ、傷ついてくれたことに喜んでいる自分もいるのだ。

 コンラートにとって、これはひとつの賭だった。

 何しろ、期待するほどには有利がコンラートに好意を持っていてくれないのだとすれば、単に《大人げない言いがかりを付ける奴》だと見なされる危険性もあった。もしそうであれば、きっと有利はネタ晴らしをしても怒りを収めることなく、また馴染んだ相方の元に戻ってしまったことだろう。

『こんなにぼろぼろ泣いて、身体の震えとか全然止まらなくて…それでいて、さっきは王の威風すら湛えて俺を止めてくれた』

 有利にとってコンラートが絶対に、失えないものなのだと知らせるように。

『嬉しい…嬉しい……っ!』

 こんな、身体を貫くような悦びなんて今まで感じたことがない。
 何人もの女性と付き合ってきたけれど、こんなに失うことが怖かった人も居ない。

「ユーリ…」

 やっとまともな顔に戻れそうになって、有利の両頬に掌を添えて向き合えば、涙に濡れた双弁があまりにも愛らしくコンラートを見上げていた。その瞳には尽きせぬ感謝と、溢れるような愛情が満ちている。

「コンラッド、ありがとね…凄い、参考になった」
「良かった…」

 ほに…っと微笑む有利にある種の衝動を感じて、コンラートは動きを少しぎこちないものにさせた。
 何と言うことだろう。無防備に腕の中にある少年に向かって、今…コンラートは、キスをしそうになったのだ。それも、親愛を意味する額へのキスではなくて、可憐な唇を塞ぐ恋人のキスを…。

 迸る感情に任せていたら、間違いなくやっていただろう。

「…っ!」

 自分で自分に驚いて、コンラートは言葉を失った。

「コンラッド、どうしたの?」
「あ…いや、何でもないよ。ああ…そうだ。さっきの話、本当は凄く嬉しかったんだ。是非一緒にバーベキューを企画してくれないかな?」
「ほんと?」
「ああ。いきなり家族だけで呼んだりすると変に肩肘張ってしまうかも知れないから、主要キャストを呼んでのバーベキューパーティーとかどうかな?」
「うんうん!やろうっ!」

 無邪気にはしゃぐ有利へと、《気の良いお兄さん》の表情を向けながら、コンラートは自分の感情の正体について自問自答していた。



*  *  * 




 その日、ロケ現場には衝撃が走った。

 確かにその場所…大シマロンの闘技場には、人工雪で架空の冬をつくりあげ、ドライアイスの装置を全開にして寒々しい気配を醸し出してはいた。だが…今、このシーンを見守っている人々が感じているのは、心理的な寒気だった。

「コンラッド…どうして……」

 なんという…表情をするのだろう?

 最初はきょとんとして子どものように目を見開いていたものが、ヨザックのあげた《奴は、三人目です…!》という言葉の意味を悟った瞬間、ウェラー卿コンラートの纏う制服が大シマロンのそれだと認識した瞬間、恐ろしいほどに愕然と凍り付く。

「凄い…あれ、が…あの無邪気なユーリ?」
「見てるだけで胸が、引き裂かれそうになるな…」

 ぼそ…っとスタッフ達が囁き合うのも無理はない。
 有利の表情を見ているだけで、強張った指先に漂う緊張感が伝わり、大袈裟に嘆いているわけではないのに、この少年がどれほど心を引き裂かれているかが分かるのだ。

 監督の指示で最初はロング撮影をしていたカメラも、殆ど無意識の内にズームをあげて有利のアップを撮っている。まるで、そこに惹きつけられた視線が離せないというように。食い入るようなカメラワークが為されていた。

 アニシナもまたその映像に見入りながら、カメラに対して《ロングに戻せ》という指示は出さなかった。
 何よりも有利の表情が雄弁に、このシーンが何を意味するかを現しているからだ。

『良くまあ、ここまでやったものですね』

 アニシナも、コンラートと有利を噛み合わせればある程度は何とかなるとは踏んでいた。
 《抱きしめて、慰めてあげたくなるくらいに可愛い魔王陛下》…その程度のものが撮れれば御の字と計算していたのである。

 それが…どうだろう?急成長を遂げた有利は、《抱きしめてあげたくらいで、この哀しみが癒せるものか》と、観客に諦観させるだけの演技をしているのだ。

 演技ではなく、何らかの感情の再現をしているのだとしても、このシーンと空気感の中に、違和感なくそれを反映できる反射神経は予想以上だ。

『これは、良い物になる…』

 アニシナはメガホンを握る手に力を込めた。
 映画の成功を、確信したのである。



*  *  * 




「ふは…」

 何だか身体に力が入らない。
 有利は撮影現場の脇でスタッフジャンパーを肩に掛けたまま、呆然として座り込んでいた。

『俺…演技、出来てた…のかな?』

 自分がどういった風に映されていたのかはまだ分からないので自信はないのだが、少なくとも、あれでダメなら何をどうやっても有利にはこのシーンの撮影は出来ない。
 そう思うくらいに、有利は完全にコンラートの離反に対する哀しみと驚きを表現していた。…と、思う。

 ぼう…っとしていたその肩をぽんぽんと叩かれて見上げれば、口の端をあげたヨザックがいた。手には支えつきのカップがあって、中には良い香りのする紅茶が湛えられている。立ち上る香気から言って、有利の好きなクセのない茶葉だ。

「飲みなよ」
「あ、ありがと…」

 まだ感覚の覚束ない手でカップを受け止め、はふはふと息を吹き付けて冷ましていると、ヨザックは片膝を突いて有利を見上げた。どうしたものか、その表情にはいままで見たこともないような色が浮かんでいた。

 有利の勘違いでないのなら、それは《敬愛》というものであるだろう。

「大したもんだ、ユーリ…。俺ぁ、お前さんを甘く見てたみたいだ。今のシーン…良かったぜ?」
「え?ええっ!?」
「ま、ちょっとヒトコト言っときたかっただけだよ。じゃあな」

 現れたときと同じくらい唐突に踵を返すと、いつもどおり飄々とした顔をしてその場を立ち去ってしまう。

 だから、喜びはふつふつと…ゆっくりと、ヨザックが姿を消した頃になってからやってきた。

「や…ったぁあああ……っ!!」

 両腕を突き上げて喜んだものだから、貰った紅茶の大半がまわりにぶちまけられたのは言うまでもない。



 

 

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