「今日から主役!」−3








 何と言うことだろう。

 ギュンターが手にしていたのは、よりにもよって高校二年の時に大晦日特番で収録した《恋の大騒動》のワンシーンだ。有利たちも何か女装するように言われたのだが、未成年でもあることから学校に問い合わせをすると、《ノーメイクで、露出度が低いものなら良い》とのお達しがあったので、卒業した先輩が《収入の少ない家庭に》と学校に寄贈した制服を借りて行ったのである。

 そうしたら…妙に受けてしまって、男芸人には《ツーショット写真撮らせてくれ!》だの《お前ら、今すぐ付き合ってくれ!》だの言われるし、他のコーナーの収録に当たっていた女芸人からは《君ら、その可愛さはあたしらの人生に喧嘩売ってるんか?》と半ば本気で怒られてしまった。

 その上、その時の映像が動画サイト等で相当ダウンロードされたそうで、しばらくの間は《男の娘雑誌》から依頼が来てしまったり、その手の仕事をオファーされてしまった。勿論、そんな仕事を受けたりはしなかったのだけど…。

『フランスにまで波及してるのかよ…!』

 真っ赤になってふるふるしていると、覗き込んできたヴォルフラムが急に元気になって捲し立てた。先程までは妙に大人しくコントに見入って、オチの部分では笑うのを唇を噛んでまで我慢していたのに…。

「なんだこのふしだらな写真は!このようなものが世界規模で流出している者が主役を張るなど、やはり映画のイメージダウンに繋がるぞ!?」

 《それは本気で困るな》と眉根を寄せていたら、やはり今日もコンラートが助けてくれた。

「何言ってるんだよヴォルフ。お前だってこんな可愛い映像がネットの大海を漂ってるぞ?お互い様じゃないか」
「ぬ…っ!!」

 コンラートが手帳から取りだして見せたのは、何かのパーティー会場で仏頂面を浮かべた美少女の写真だ。このふくれっ面といい、見事な碧眼といい、もしかして…と思ったら、やっぱりヴォルフラムが激高して掴みかかってきた。

「こここ…コンラートっ!貴様ぁあ…っ!」
「ああ、コレを始末したって意味はないよ?流出元は母上だからね」

 どうやら、身内のパーティーか何かで無理矢理仮装させられた時の写真を、ブログか何かに載せられてしまったらしい。
 
「そんなに怒るなよ。可愛いし、なんか品が良い感じするし」

 有利が褒めると、ヴォルフラムも満更ではなかったのか《ふふん》と胸を反らせている。

「ふむ…ま、まぁ…それは、元々僕には気品があるからな。何処かの馬の骨と違って、こういう格好をしてもどこか美麗なのだ」
「はぁ…ま、そーね」

 別に女装姿を誇る気もないので素直に頷くと、ヴォルフラムはちょっと得意げな顔をして言った。

「ふん…まあ、先程のコントに免じて許してやろう。幸い、その女装写真も完成度はともかくとして、露出度はないから下品ではないしな」

 さっき《ふしだら》とか言ったくせに…。
 でも、敢えて今は突っ込むまい。

「えへへ…ありがと。コントは面白かったろ?あれ、今日の朝すぐに村田が作ったんだぜ?凄いよなっ!」
「まあな。掛け合いのタイミングなどはなかなかだったぞ」
「うん、村田は凄いんだ!」

 にこにこ顔で頷くと、ぽすっと頭に大きな掌を乗せられた。
 優しい眼差しで見つめているのはコンラートだ。先程も、彼が良いタイミングで笑ってくれたから、とてもコントを進めやすかったので感謝感謝だ。

「ユーリだって、とっても良かったよ。セーラー服も可愛いし、コントも最高だった!」
「コントはともかく、セーラー服まで褒めなくて良いよ!」

 ぷくっと頬を膨らませて言うと、その頬をつんっと突いてきたのはグリエ・ヨザックだ。しなやかな動きが印象的な男性で、見事な外野手体型にタンクトップを纏っていると、特に筋肉がはっきり見えて実に羨ましい。

「確かに、これはもーちょっとメイクしても良かったかしら?肌は十分綺麗だからファンデとかはいらないけど、眉を少しカットするだけでも随分と印象が変わるわよ?ちょっとおねにいさんと一緒にメイクしてみない?」

 おおう…この人、普段から素でオカマ芸なのだろうか?
 軽く引いてしまう。

「確かに、少々むだ毛の手入れ等はいるでしょうね」

 カーベルニコフ監督までもがヨザックの意見に賛同すると、有利はがっしりと肩を掴まれてしまう。

「…てぇ事で、ささ…メイク室にレッツゴー!」
「えーっ!?無駄に生えてる毛とかないですからっ!!」

 恥ずかしいところまで剃毛されそうで手足をばたつかせていたのだが、コンラートに《大丈夫。少し眉や口元の産毛を剃るだけだから》と諭されて、仕方なくついて行った。



*  *  *  


 

 ざわ…っ!

 ぞくぞくと集まってきたキャストやスタッフ達が待つ広いフロア(普段はパーティー会場として使われているのだろう)に有利が入っていくと、突如としてざわめきが起こった。

『え…あれが日本のお笑い芸人?』
『へぇ…こうしてみると、随分と感じが違うね!』

 さわさわと囁き交わす言葉は眞魔国語ではなく、各国の言語なので詳細は分からないが、どうやら印象は悪くないらしい。

 確かに少し顔の毛剃りや髪の毛のカットをされて、いち早く魔王の衣装を着せて貰ったせいか、《馬子にも衣装》くらいの姿にはなっているらしい。
 ちなみに、最近まで《孫にも衣装》という《お爺ちゃん視点の贔屓目》なのだと思っていたのは内緒だ。

 魔王の衣装はベース自体は実は学ランに近いのだが、流石に生地は良い物を使っているようで光沢が綺麗だし、豪奢なマントは半端なく立派なものだ。

 アニシナは結構な凝り性で、衣装やセットについてはかなり気合いを入れて用意をしているらしく、実際の王族が身につけるような品を用意してくれた。彼女自身の家系が連綿とつらなる貴族階級だから、余計に質には拘るのだろうか?

「えへへ…コンラッド、似合う?」 
「ええ、とてもお似合いですよ…陛下」
「陛下って呼ぶなよ、名付け親のくせに」

 脚本はまだ第一部の仮稿しか貰っていないのだが、それでも決め台詞だけは覚えていたので切り返してみると、また周囲から《おおーっ!》という歓声が起こった。どうやら、例の便利翻訳ヘッドホンはキャストにしか配られないらしく、スタッフ達にとっては聞き覚えのない不思議言語を滑らかに操っているだけで、感嘆の的となってしまうらしい。

 何だか得した気分だ。

 

*  *  * 




『へえ、なかなか良いじゃん』

 ヨザックはインディーズ映画では撮影や大道具のような仕事まで手伝うので、スタッフ達には融通が利く。このため、薄化粧をして魔王装束を着た有利をファインダー越しに見てみると、予想以上に映えることが分かった。

『役自体には填ってるし、俺たちが脇を押さえていればそこそこ行けるかもな』

 この映画はどちらかというと、圧倒的な主役だけが一人目立ちすると言うより、群像劇めいたシーンも多く存在する。…となれば、技巧達者な役者達にとってはまたとない技の見せ所にもなるのだ。

『せいぜい持ち上げて、実力以上の力を発揮して貰おうかね』

 ぴゅう…っと口笛を吹いてちいさく嘯(うそぶ)くヨザックは、この時アニシナがニヤリと笑っていることに気付かなかった。ヨザックのその反応自体がまさに役どころに合致しており、アニシナの思い通りであるとは思わなかったのである。
 


*  *  * 




 ヒラ…っ
 バササ…っ!!

 天を舞う骸骨達の群れには何回見ても度肝を抜かれる。
 脚本で見たときにはてっきりCG処理されると思ったのだが、作中に登場する骨飛族はなんとリモコン操作で飛来させることが出来るのだ。

「コッヒー、元気?」

 有利が血盟城のバルコニーから声を掛けると、自動的な反応なのだろうが、おかしみのある表情で《カカカカっ!》と顎が鳴る。なんだかちゃんと挨拶されているみたいだ。
 
 ちなみに、この血盟城も凄い。ニュージーランドの断崖絶壁の前に、ちゃんとセットで建ててしまったのである。この国は独特の動植物を護る為に厳しい取り決めがあるから、撮影後には塵一つ残さず復元するという約束になっているから、流石に王都全体は巨大なジオラマに照明を当てて尤もらしく空撮みたいに撮影するらしいが、それにしたって凄い。眼下に臨む雄大な景色や吹き付ける風の匂いが、こういう世界が実際に存在するかのよう感じさせる。

 魔力を使うなど特別なシーンにはCGも利用していくらしいが、このような日常生活については、キャスト達をひとつの世界観の中へと自然に溶け込ませる為に重厚な舞台装置を作り上げているのだろう。

 おかげで、有利も村田もとても自然な演技が出来ている。

 有利が突然、村田と共に眞魔国にやってきて、そこで実は魔王になるべく地球で育てられたことを知るのだが、《人間と戦う》との臣下の主張と真っ向から向き合い、様々な事件を通して交流を深めていく…という所まで撮影が進んだ。

 どちらかというと、今はヴォルフラムやギュンターの方が撮影に難渋しており、演技に駄目出しが出ることが多い。彼らは舞台での演技経験はあるのだが、どちらかというと大仰な演技になってしまうので、ハイテンションに飛ばすときはともかくとして、しっとりと語り合うようなシーンでは違和感が出るのである。

「何か俺たち、怖いくらい順調だな」

 撮影の合間に村田に囁きかけると、意外なことに少々渋い返事が返ってきた。

「うーん…ここまでは正直、完全に素のままで良かったからね。問題は第一部の終盤からだよ」
「え?」
「ほら…ウェラー卿とはぐれていた君が、人間の国家である大シマロンの闘技場で再会するシーンがあるだろう?あの辺から、君は一番信じていた人に裏切られたかも知れない…だけど、憎み切ることも出来なくて、友情と憎しみの中で鬩(せめ)ぎ合う…ってシーンに入っていくんだ。これって、今までの君の人生には無かった感情だろう?」
「うぅ…た、確かに」

 水の魔力を駆使する上様降臨シーンでは、勝馬がよく見ていた時代劇の要素や、村田が取り寄せてくれた歌舞伎を見たりして独特の雰囲気を作り出して好評を得ていたのだが、そのような細やかな感情の流れとなると、未経験者には厳しそうだ。

「今はビーレフェルト卿やクライスト卿役の人たちが引っかかってくれてるから良いけど、その内、君がどうしても主軸になってこなしていかなくちゃいけなくなる。その時みんなの足を引っ張らない為にも、君は早いトコ一皮剥けなくちゃならないね」
「そっかぁ…」
「あと…もう一つ気がかりなのは、上様じゃあない別人格になる時さ」
「ああ…第三部の創主に乗っ取られちゃう時ね?」

 この三部作は、第一部が世界観の紹介と最も忠実であったはずのウェラー卿の離反まで。第二部が、ウェラー卿が実は四つある《禁忌の箱》の一つ、《風の終わり》の鍵である自分を大切な仲間達から離す為と、大シマロンの入手した《風の終わり》を手に入れる為に離反したかに見せていたのだけど、有利が公開処刑されるという瀬戸際になって、身を挺して庇い、永遠の忠誠を誓うというところまで。そして第三部はいよいよ全ての《禁忌の箱》の所在と鍵が明確になり、再び封印しようとする魔族や人間の協力者と、野望に利用しようとする王、そして開放された創主との最後の闘いが描かれる。

 第三部のクライマックスで、有利は創主に乗っ取られたという設定で演技しなくてはならないのだが…これが、考えるだに難関だ。

 何せ、大仰な小芝居で笑わせる上様の演技とは違い、この時には《妖しいまでの凄絶な美しさ》とやらを表現しなくてはならないそうなのだ。
 正直、脚本の説明書きを見たときには《そんな無茶な…!》と叫んでしまった。

 ある程度はCGで効果を入れて貰えるとはいえ、やはりここは三作続いた大作の一番の盛り上がりだ。絵的に見て、お粗末なものはとても作れない。

 ごく普通の高校生魔王としての演技には納得を見せていたグウェンダルなども最近は渋い顔を見せ始め、《まずはこのシーンを撮ってみて、モノになると分かってから撮影を進めてはどうか》等と言い出した。
 確かに、そこまでの長い経過を撮影した後、よりにもよってクライマックス部分で貧相な絵面になってしまうと、作品全体の評価が大きく下がってしまうかも知れない。良くある、《出だしはなかなかだったけど、オチがねぇ〜》という残念な作品群の一つに含まれてしまうかも知れない。

「最後の部分だから、今すぐ撮影はしないにしても…流石に、《やれば出来る》というところくらいは早い時期に出しておかないと、撮影の雰囲気にも影響してくるかも知れないね」

 そうなのだ。第一部では《こんな儒子が魔王か!》というグウェンダル達の雰囲気は、まさに映画上の流れにも合致していたから良かったけれど、第二部以降は少しずつ臣下達にも信頼されるようになって、第三部に至っては、《この魔王が存在しなければ、世界は成り立たない》と、魔族からも人間からも信頼されていなくてはならない。そうであるからこそ、その魔王が創主に乗っ取られるという絶望感が醸し出せるのだ。

「どうしよう…」
「普通なら練習あるのみ、だけど…君の場合は実体験がそのまま演技に出ちゃうからね」
「だったら、俺と練習してみる?」

 ひょいっと顔を出したのは、ウェラー卿の衣装であるカーキ色の軍服に身を包んだコンラートだ。ファンタジーとはいえ、軍人階級の衣装はゴテゴテし過ぎておらず、ごく機能的に作られているので、コンラートも実に自然な佇まいを見せている。
 もともとピンと背筋が伸びているせいもあって、元々そういう仕事に就いているのではないかとさえ思ってしまう。

「またキャッチボールしたりとか?」

 コンラートはキャスト・スタッフ通じて一番の野球好きだから、今までも空き時間にはキャッチボールをしていたのだが、時間を増やしても良いのだろうか?

「折角だから、部屋も一緒にしてみない?」
「えー?良いの?」

 爽やかなコンラートの提案に、ぴくんと村田の眉が跳ねる。

「僕も一緒って事?」
「ああ…悪いんだけど、ムラタ君は一人部屋になって貰えないかな?ユーリは俺の部屋に来たら良い」

 このホテルはカーベルニコフ家の系列会社が経営しているそうで、一部屋一部屋に趣向が凝らしてある。コンラートの部屋には今のところベッドは一つしか入っていないが、実は部屋自体は村田と有利の部屋と同等の大きさがあるのだ。ベッドももう一つくらいなら入れても空間が余るくらいだ。

「ムラケンズは二人で一人なんですけど?」
「でも、作中では魔王と忠実な騎士コンラートの絆は主軸になるよね?大賢者よりも協演シーンや、愛憎の葛藤も大きいと思うけど?」
「…まあ、確かにそうですけど…」

 村田が抵抗しているのは、きっと有利が頼りないからだと思う。
 大学受験の時だって村田はちっとも悪くなかったのに、勝手に体調を崩して肺炎なんかになったのを、自分のせいだと気に病み続けているのだろう。だから今も、演技で躓きそうな有利を自分が何とかしなくてはいけないって気追い込んでいるのだ。

 だけど、有利だっていつまでも村田におんぶに抱っこではいけないと思う。
 冷静に考えてみて、やはりコンラートと分かつことのできないような密接な絆を作り上げていなければ、それが失われたときの絶望、憎しみ…それでも信じたい気持ちがどこかにあって、余計に苦しんでしまうことや、本当はやっぱり忠義を貫いてくれていたのだと分かったときの感動が表現できないと思う。

「村田…俺、コンラッドと同じ部屋になって、ぴったり一緒に生活してみるよ!そんで、リアルな絆を作りたい」
「渋谷!」
「俺を心配してくれるの分かるけど、やっぱ…ここから先は俺自身が魔王ユーリとしての感情を手に入れなくちゃいけないんだと思う。だって、俺には演技力なんて無いんだもん」

 《当たり役》という言葉を、有利も最近になって知った。
 今のところ、性格と役柄がかっちり填り合って巧くいっているだけで、有利自身が努力をした成果などまだどこにも無いのだ。これだけの人が関わって、大切に紡ぎ出していく物語を、有利の手で潰すわけにはいかない。

 最初の頃は《コケたら恥ずかしい》としか思っていなかったけど、今は違う。
 たくさんの人達の為に、恥ずかしくない自分になりたいのだ。

「ね、村田…お願い。俺を、信じて?」
「もう…そんな風に言われると、僕が弱いの知ってて言ってるだろ?」
「へへ…ゴメンな」

 いつも村田に任せきりの有利だけど、ここぞという一点ではどうしても譲れないときがある。そういう時には、普段物凄く押しの強い村田も、最後には譲ってくれるのだ。

「じゃあ、それで認めるけどさ。ウェラーさん…頼むから、渋谷を慰み者になんかしないでね?」
「そっか、村田…慰めちゃダメって、そこまで厳しい態度で俺を千尋の滝に落とすんだな?よし、俺…絶対頑張って立派な獅子になるからなっ!」
「滝に落としたら死んじゃうだろう…つか、万が一登れたとしたら、それは獅子と言うよりは龍だね」

 噛み合わない会話を展開するムラケンズを眺めながら、コンラートは至福の笑みを浮かべていた。



*  *  * 




 何と素晴らしい展開になったのだろう!
 あの憧れのムラケンズのうち、特段に大好きな有利と四六時中一緒にいられるのだ。

 君がボケれば俺が突っ込み。
 俺がボケれば君が突っ込む…。

 夢のようなお笑いライフだ。

 コンラートはうきうきと弾む足取りで引っ越しを手伝った。とはいえ、元々有利は大した荷物など持っていないから、あっという間に一息付けるようになった。

「これからヨロシクお願いします!」
「こちらこそよろしく」

 何だか改めて礼をしあったりしてから、歯ブラシやコップなどの日用品も広げていった。アメニティーは質の良いものをホテル側で用意していてくれるのだが、こうして見ると色違いで形が同じなのが、カップルがペアで買ったみたいだ。

『…て、馬鹿なことを考えてるな』

 嬉しすぎたのと、別れ際に村田が妙なことを言いだしたからに違いない。
 《慰み者になんかしないでね?》なんて、変なことを疑われたものである。

 確かに、コンラートはパパラッチに何度か女性との《密会写真》とやらと撮られたことはあるし、人並みに何人かの恋人と付き合っているが、まあごく一般的な男性がそうであるくらいしか女性遍歴など経ていない。

 ただちょっと土管方式というか…来る者は流石に拒むものの、去る者は追ったことがないので《プレイボーイ》という噂が立っただけだ。後は、そういった過去の恋人が悔し紛れだろうと思うのだが、《麻薬みたいなセックスをする》なんて噂を立てたせいで、《魔性の色香で誘う》だの、《男もイケるらしい》なんて噂がまことしやかに広まったに過ぎない。

 特に最後の噂はかなり不本意だ。
 おそらく、実際にゲイであるヨザックと古い付き合いにあり、協演したこともあるからそんな噂が立ったのだろう。彼も一度口説いてきたことはあるが、コンラートの方にその気がないと分かると深追いはしなかった。ゲイとは言ったって普通の人間なのだから、その気がない者に無理強いするような品のない奴など実は少数派なのだろう。

 だから《慰み者》云々と言った疑いなど、単なる村田の杞憂に過ぎない。 

「じゃあさ、早速脚本読みして貰える?」

 珍しく脚本を開いて勢い込んでいる有利に、コンラートは首を傾げた。

「うーん…」

 有利はあまり脚本を丸暗記する方ではなくて、何となくの流れを掴んだら、後は他のキャストの台詞に合わせて自然に喋ることが多いのだが、今回は難関になりそうな部分が気になっているのだろう。

「あのさ、ユーリが気になってて練習したいのって、第一部の終わりのシーンかい?」
「うん。まずはそこが最初の難所だもんね。お客さんに《第二部を見たい!》って気にさせるような引きにしなくちゃいけないんだろうし」
「でも、いきなりそこから入るんじゃあ一緒に暮らすようにした意味が無いんじゃない?」
「え?」
「ユーリは自分でも言ってたけど、実際の感情の流れを体験してから入らないと演技に出せないと思う。だったら、まずは構えずに俺との絆を深めてみない?」
「ええと…それは、具体的にはどうやって?」
「まずは、こうやって!」

 有利の脇を抱え上げると、ぽんっと膝の間に入れてやる。子どもみたいな体勢に最初はじたばたしていたものの、そっと耳元に囁きかけると大人しくなった。

「まずは、俺の生い立ちから聞いてくれる?次に、ユーリがどんな暮らしをしてきたか教えて?悩んだこと…嬉しかったこと、少しすつでいいから教えて?」
「う…うん……」

 こく…っと頷いた頬は淡く上気していて、至近距離で眺める肌は意外なほど肌理が細かかった。

『そういえば、こっちに来てから綺麗に撮れるように、スキンケアをしてるんだっけ…』

 ヨザックや本職のメイク担当者が基本的なスキンケアを処方すると、もうそれだけで有利は化粧の必要がないほど透明度の高い肌になってきた。こちらに来たときには日焼けの痕の残っていた身体も、今では象牙色のつややかな肌となっている。

 その為か、今ではちょっとした仕草の中にも《色香》に近いものが感じられることがあった。それはまだ、固く閉ざした蕾から気配を感じる程度のものではあったのだけど…。

『この子は、きっと驚くほど銀幕に映えるんじゃないか…』

 お笑いのファンとしてだけではなく、共演者を輝かせたいというコンラートの役者魂が、そう告げていた。

『なんとか、手伝ってあげたいな…』

 そう思いながら自分の生い立ちを語るコンラートは知らず知らず、話すたびに送られる眼差しに、楽しさや哀しみ…義憤まで感じて、その豊かな表情に見惚れていくのだった。

『もっと見たい…』

 鮮やかな羽根を広げ掛けている蛹を見守るように、コンラートは熱を込めて語り続けた。

 いつのまにか、役者としてだけではなく…個人として、有利に惹かれていることを自覚しないまま。






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