ぽつりと…静かな夜気の中に呟きがこぼれます。

「俺の見る夢は昔の戦争の夢などではありません。俺の夢…悪夢は……あなたを失う夢です」



 茶うさぎは黒うさぎのために、以前から《チキュー》という森のこと、そこに住まう黒うさぎの一族について調べていました。

 その結果分かったことは、彼らが酷く閉鎖的な一族だと言うことでした。

 彼らの持つ力を他種族に襲われないように警戒しているのでしょうか、彼らは《鎖国》をして滅多なことでは森から出てきません。それに、森と里との境には結界が張られているのだとさえ言われています。だからこそ彼らは《幻》のうさぎとされているのです。

 そんな種族であれば、いくら茶うさぎに恩義を感じたとしても、森に入れてくれないでしょう。

「だとしたら、俺たちはそこでお別れです。きっと、もう…二度と会うことは出来ないでしょう」

 その事を知ったとき、茶うさぎは悩みました。

 黒うさぎは茶うさぎを慕ってくれていますし、昔の記憶もありません。

 茶うさぎさえ黙っていれば、二羽はいつまでも一緒にいることが出来るでしょう。

 ですが…悩んで悩んで…結局、茶うさぎは決めました。

 黒うさぎが成兎したら、全てを教えて…《チキュー》目指して旅に出ようと。

 黒うさぎが大切だから…
 …とてもとても大切だから、彼にだけは決して卑怯なふるまいなど出来ない…。
 茶うさぎはそう思ったのです。

 ですが、その決心は茶うさぎにとって、とても辛いものでした。

 そう、夜ごと悪夢に魘されるくらい辛かったのです。



 茶うさぎは思い出します。

 3年前…黒うさぎと出会ったあの日のことを…。

 

 檻に捕らえられた黒うさぎは、ずっと泣いていたのでしょう…ふっくらとした頬は涙でかぴかぴになっていました。






 そして、何度も噛みついたり引っ掻いたりしたのでしょう…爪も口元も真っ赤に染まって痛々しい様子でした。


茶うさぎは何日も付きっきりで看病して、黒うさぎが魘されるたびに手を握り、励ましました。

『元気をお出し、きっと俺が家族の元に帰してあげるからね…』

 その励ましがきいたのか、それともたっぷり眠ったことが良かったのか、数日の後に黒うさぎは目を覚ましました。

 長い睫の下から現れたまっくろな瞳に、茶うさぎはとてもびっくりしました。

 くりくりとした大きな瞳はとても深く…澄んだ漆黒で、晴れ渡る夜空のように広々とした奥行きを持っていましたし、白目の部分が水の膜を被ったように青みがかっているのも、とても綺麗だと思いました。

 そして何より…黒うさぎは茶うさぎを見た途端、それはそれは愛らしく微笑んだのです。

『お兄ちゃんの声…とってもいい声だね。俺に…元気だせって言ってくれたの、お兄ちゃんだよね?俺ね、寝てたけど…ずっとずっと聞こえてたよ』

 ほわぁ…と、まるで白い蕾が開くように微笑むと、明るい光が差し込むようでした。

 その様子に暫くの間、茶うさぎはうっとりと見惚れていたのです。



 あの日からずっと、黒うさぎは茶うさぎの宝物でした。

 ですが…黒うさぎは茶兎の《もの》ではありません。

 茶うさぎには黒うさぎが仲間や家族と暮らすことを止めだてすることなど出来ないのです。

「あなたには誰よりも幸せになって欲しいのです」

 その為には…茶うさぎの苦しみなど、どうでも良いのです。

 黒うさぎを失えば…この心は壊れてしまうかもしれませんが、それも仕方のないことだと茶うさぎは思いました。 

「どうか…どうか幸せになって下さい」

 祈るように呟き、黒うさぎの頬を撫でていると…不意に小さな手がきゅう…っと、茶うさぎの指を握ったのでした。

 桜貝のようなちいさな爪のついた指が…思いのほか強い力で握ってきます。






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