「君を護り隊」−5
掛け湯をしてから湯船に漬かったコンラートと有利は、下肢が交差するような形で向かい合った。何だかパズルのような具合だ。互い違いに噛み合った肉体が、湯の中で微かに触れる感触は、コンラート的に嬉しかったり苦しかったり微妙な感じだ。
「ん〜…やっぱ平均的な浴槽に二人はきついねぇ」
「いえ、でもお湯の量が少なくて済みますから、プチエコ的な感じもしますね」
「何でもプチとかエコとか入れれば良いってもんでもないと思うけど…」
お湯が湯船から溢れ出しそうなほど充ち満ちているので、流れ出てしまったら逆に資源の無駄遣いになってしまいそうだ。だったら早く出て、頭でも身体でも洗えば良さそうなものなのだが、なかなかそうもいかない。
『気持ちいい…』
冷えた身体にとってぬくもりが心地よいのもあるが、それ以上に…微かに接触し合うすべやかな肌が気持ちよくて堪らない。
たっぷりと泡立てた石鹸を絡め合って、擦り合いなんかしたらさぞかし気持ちよかろうと思うが、まさか口にすることも出来ない。仕方ないので妄想の中でだけ楽しむが、これも時間の問題なのだと思い出す。
『アニシナの装置が完成したら…俺は、こんな風に夢想することも禁じられてしまうのだろうか?』
アニシナのことだから、きっと有利に懸想するだけで世にも恐ろしいものが見えるとか、そういった仕様の装置を開発するに違いない。キスをしようとしたら有利の顔が熔け崩れていくとか、抱こうとしたら大事な部分が野獣に噛み千切られるとか、そういったものだろうか?
装置の有効範囲もあるだろうから、多分遠くに離れていたら想像するくらいは大丈夫なのだと思う。けれど、そうなると妄想を楽しむ為に有利から離れなくてはならないのだから、これもしんどい。
「どうしたの?」
「え?」
「考え事?」
ちょっと寂しそうに問うてきた有利は、湯の中に口元を沈めて《ぶくく…》っと気泡を噴きだす。肩口まで沈んだ分、浴槽の縁は表面張力ぎりぎりまで盛り上がって、どうにか均衡を保っている。後は、ほんの少し沈むだけでも湯が溢れてしまうに違いない。
目の前にいるのに自分を見ていないことに、敏感に気付いてしまったのだろか?
『いけない…』
《妄想できなくなるかも》なんて不安に晒されている間に、こんなに幸せなひとときを無為に過ごすなんて勿体ないことこの上ない。現実世界の有利に寂しい思いをさせるなんて、とても愚かなことだ。
そこで、無難な(?)共通の話題を出してみた。
「今日やってきた連中の事を考えてました」
「ああ…何だかヘンテコな人たちだったね」
「ヘンテコ…そうですねぇ」
言い得て妙な呼称にくすりと微苦笑する。
有利の口調からみて、彼らを《気持ち悪い》とは思わなかったようだ。
思い返せばギュンターの夢日記を読んでしまっても、ぐったりと脱力はしてもギュンター自身を軽蔑したり嫌ったりはしなかった彼のこと、もともと許容力が大きいのだろう。
それに、今日来た連中は《阿呆で変人》には違いなさそうだが、一種、突き抜けた爽快感のようなものがあった。自分たちが有利を好きでいることに後ろめたさが無く、呆れるほど前向きであったからだろう。
本気で見習ってしまうと有利に呆れられてしまうので出来ないが、自分の欲望に罪悪感がないという点では羨ましくもある。
「また明日も来ますかねぇ」
「今度はちゃんと入校証とって、変な事言わないでくれるといいな」
「メイド服だの全裸で耳かきだの言わなければ、傍にいても平気ですか?」
言わないから…決して、これからもそんなことは口にしないから、傍にいさせて欲しい。
「そりゃーまぁねぇ」
沈んでいるのが暑くなってきたのだろうか。《はふ》…っと息をついて有利が立ち上がる。目の前に淫部が晒されそうになって、思わず視線を斜めにした。有利の方も見せつけるつもりはないのだろうから、斜めに身体を捩ってはいたのだけど。
「そんなことより、身体洗おう?背中流したげるからおいでよ」
「ええ…ありがとうございます」
ざば…っと立ち上がるコンラートの姿を、有利は眩しいものでも見るよう眼差しで眺めた。きっと、《理想体型だ》と賞賛してくれる肉体に、素直な賛辞を寄せてくれるのだろう。
分かっている。
分かっているのだが…。
『そんなにアツい眼差しを送らないで下さい…』
変な所が変な風に反応してしまうではないか。
罪なほどに鈍くて可愛い主君を持ったコンラートは、ポーカーフェイスを保つだけでも一苦労であった。
* * *
『相変わらず良いカラダしてるよなぁ…』
羨ましいのと、素直に見惚れながら眺めてしまう。股間辺りからは視線を逸らすものの、しなやかな下肢だの割れた腹筋には惚れ惚れとした眼差しを送ってしまう。
オーギュやラシードのように《メイド服を着て欲しい》とか、《裸で耳かきして欲しい》とは思わないが、やっぱり彼の肉体は特別に格好良くて、ついつい見とれてしまう。
《素敵だな》と思うものを見たい気持ちは、やはり万国共通なのだろうか。遙か異国の地からやってきて、懇願したくなるくらいに…。
ただ、決定的に違うのは有利にとってのコンラートは、絶対的に忠実な臣下であることだ。
もしもコンラートが手の届かない存在だったらどうしていただろうと考えた途端、こんなに幸せな関係が一時は破綻していたのだということを思い出す。
『そうだ…コンラッドは、いっときベラールの臣下だったんだ…』
今となっては全てが有利の為の行動であったと知っているし、完全に有利のものだと誓ってくれているけれど、ほんの少しボタンの掛け違えがあれば、コンラートとは二度と会えなかったかも知れないのだ。
首尾良く《禁忌の箱》を破棄していたとしても、今更眞魔国には帰れず、さりとて大シマロンに居座り続けることも出来ないから、寄る辺ない放浪者となる気だったのだという。
そんなのは許せない。
絶対絶対、彼だけは離れず有利の傍にいて欲しい。
離れて放浪者になれるなんて、コンラートが思っていたという事実だけでも腹立たしかった。
今はそれが役職的には叶えられているけれど、心の方はどうだろう?
シュコ…シュコ
疵だらけの広い背中を泡立てたナイロンタオルで洗いながら、急に切ない気持ちが溢れてきた。
いつか…コンラートにも好きな人が出来て、結婚するのだろうか?
単なる我が儘だと分かってはいるのだが…この背中に、誰か自分以外が縋りつくさまを想像したくは無かった。
『結婚したって、俺のことを一番大事にして、傍にはいてくれると思うんだけど…』
自分でも、一体何が不満なのかが分からない。
『あーあ…いっそのこと、コンラッドがオーギュやラシードみたいに、俺個人を派手に欲しがってくれたらいいのにな』
コンラートが魔王という価値だけでなく、ただ有利という個人として大事にしてくれていることはもう理解しているけれど、我が儘な心はそれ以上に深く、貪欲なまでの独占欲を期待している。
誰とでも共有できる《好き》ではなくて、唯一人で独占したくなるような《好き》になってくれたら良いのに。そうしたら、きっともう放浪者になっても良いなんて思わないだろうに。
『コンラッドが俺フェチだったら良いのになぁ…』
我ながら馬鹿なことを考えている。
この男をこれ以上《ユーリフェチ》になどしたら、生活の全てを有利色で染めてしまうことになるではないか。
『あいつらより、俺の方がよっぽと欲張りかもしんない』
シュ…っ!
苛つきながら乱暴にナイロンタオルで擦ると、首筋のカーブに合わせきれずに《ぱふ》…っと白い泡が宙を飛んだ。それが結構な量で睫についたので、少し焦ってしまう。
『あ、目にはいるかも…』
そうなる前に顔を洗おうとして立ち上がった瞬間、有利の身体がくるん…っ!と宙を舞った。泡立て過ぎた泡がタイルの上に広がっていて、それに足を取られたのだと気付いたのは後になってからだった。
『やば…っ!』
浴槽の縁に激突するかと思われたが、咄嗟に伸ばされた腕が抱き込んでくれる。勿論、コンラートだ。
「ユーリ…っ!」
ただ、彼の方も素肌が泡でぬめるのが計算外だったのか、いつもよりも焦った感じで、乱暴に掻き寄せてきた。そのせいで、何とか浴槽にぶつかるのは免れたものの、有利はコンラートの身体と絡み合うようにしてのし掛かってしまう。
「あ…ごめっ!コンラ……っ…」
有利の声とコンラートの顔が引きつったのは、全裸で重なり合う気まずさからだけではなかった。
ことに、コンラートの表情が《今から世界が終わりますよ》と言いたげであったのは、彼の股間が…。
「コン…ラッ……ド…?」
「……………すみません……」
謝るような事なのかどうか分からないが、居たたまれない気持ちだけはよく分かった。有利の手が直接触れてしまったコンラートの股間は、《いつでもお仕事できますよ》状態に陥っていたのである。それも、泌尿器ではなく生殖器としての機能だ。
「え?え…?」
かぁあ…っと有利の頬が染まるのに対応して、コンラートの顔は可哀想なくらい青くなってしまう。そして…色を失った唇は皮肉げに歪められ、長い睫が白い頬に落ちかかる。
「すみません…不埒な者からあなたを護ると言いながら、俺自身が不埒この上ないって、ばれちゃいましたね」
苦笑しながら泡を流すと、コンラートは何事も無かったようにぶるりと手を振るって水気を飛ばし、風呂から出て行こうとした。
いつもの彼なら、もっと上手に誤魔化せるはずだった。それを真っ正直に認めてしまったのは、きっと言い訳できないくらいに《素》の反応だったからに違いない。
主君で名付け子な有利に対して、コンラートは《雄》としての欲情を覚えていたのだ。
そのことに戸惑いはしても、嫌悪を覚えないのが不思議だった。
嫌悪…?それどころではない、この胸に込みあげてくるのは、《何も感じない》どころの感情ではなかった。
ふつふつ…ふくふく……これは、これは…。
どういう気持ちなんだろう?
「ま、待って!まだ頭洗ってないよっ!?」
そういう問題でないのは百も承知だったが、それでも何とかして彼を止めたくて叫んでしまう。止めて、それでどうしようというのか分からないまま。
「…後で、洗います。ユーリはそのまま、ゆっくり暖まってから出てきて下さい」
「やだっ!」
すっくと立ち上がると、少しだけ頭がくらりとする。湯当たりと言うほどではないが、暖かい浴室内の温度と、何より急に立ち上がった事による起立性低血圧がそうさせているのだろう。
けれど…出ていこうとするコンラートを何とかして止めたくて、殆ど倒れかかるようにしてしがみつくと、思考力を失いかけた頭で本能的に行動していた。
「……っ!」
コンラートの声にならない声が驚愕を示す。
驚いているのだろうけれど、それが呆れでないことを祈りたい。
有利はいま、コンラートの逞しい大腿に自分の股間を擦りつけていた。
自分もまた興奮を示し始めていたことを知らせる為に。
「行かないで…」
「ユーリ…。いけません、俺は…今、あなたにそんな風に誘われたら自制が利かなくなる…!」
戸惑う声を止めさせようと、真っ赤に染まった頬をぐりぐりと肩口に擦りつける。湯でぬめる肌が、思っていた以上にすべやかであるのだと気付いた。同時に彼独特の香りや空気かが漂ってきて、何とも言えず慕わしい思いが込みあげてきた。
自制なんか、しないで欲しいと祈る自分がいる。
きっと今…自制をされてしまったら、二度と彼は有利には触れてくれないだろうと察知したから。
「お願い、自制なんか…しないで?」
「ユーリ…ユーリ……自分が何を言っているか分かっているの?」
「分かんない…だけど、でも…俺、あんたが俺に興奮してくれるのは……」
浅く速い息をなんとか調整して、羞恥を押し殺して叫んだ。
「嬉しいんだ…っ!」
「ユーリ」
「こういうの、どういう気持ちなんだろう!?なんか…なんか、俺…凄ぇ欲張りなんだっ!あんたは今までだって俺のこと一番に大事にしてくれてたって分かってるのに、更にヨクジョーとかしてくれたら…もっともっと俺のモノになってくれるんだって思ったら…嬉しくて、死にそうになる…っ!」
すんなりとした首に腕を掛け、半ば無理矢理にコンラートの顔をこちらに向けると、彼は泣き笑いにも似た表情を浮かべて、困ったように唇を引き結んでいる。
「ねぇ…これって、きっと…あんたを好きってことだよ?」
信じられないものを見るようにコンラートの瞳が開大され、次いで、微かに潤みながら細められていく。
「あなたって人は…こうやって、俺の自制心を次々に爆破していくんですね?」
「そうだよ」
降伏宣言として受け止めると、有利は安堵したようにもう一度コンラートの肩口へと頬を寄せた。今度はしっとりと染みつくように、瞼を伏せて。
「そんなの爆破して…俺のものになって?」
「元から、俺の全てはあなたのものです」
「うーん…そうだな。あんた、自分のこと奴隷扱いされても平気なくらい、そっちの自覚は前からあるんだよな」
問題はどうやらそこではないことに気付いて、有利は言い方を改めた。
「ね…俺が、あんたのものだって認めてよ」
「…っ!」
これは本当に不意打ちというか、彼にとって思いがけない発想だったらしい。
驚愕に満ちた瞳に、翻るようにして銀色の光彩が瞬いたかと思うと、漸く普段の余裕を感じさせる笑みを浮かべてコンラートが腕を伸ばす。
独占欲を感じさせる強めで抱きしめたコンラートは、嬉しくて堪らない一言を発してくれた。
「永遠に、俺のものでいて下さい。どうか…生涯」
有利がこくこくと頷いたことは言うまでもない。
* * *
かっちりと歯車が噛み合ったように、コンラートと有利の心が一致を示した。
奇跡のような一瞬は、ドラマのように劇的でも、詩歌のように美しくもなかったけれど、コンラートにとっては泣きたくなるくらいの歓喜を与えてくれた。
叶うはずが無い。寧ろ、叶えてはならないと自戒していた妄想が現実のものになったのだから、幾ら百数年を閲していようが、英雄などと大層な名で呼ばれていようが関係なかった。
「キス…しても良いですか?」
真っ赤になって、ゆっくり…おずおずと頷く有利はどうみても初めての体験なのだろう。つぶらな瞳をぱっちりと開いたまま背伸びをしてきたから、そっと目元に掌を載せて視界を奪う。
「目…隠すのがマナーなの?」
「嫌?」
「うん。折角だからあんたの顔見ながらしたい」
恐がりやのくせに、注射される時には目を開いたままで針を睨み付けているという有利は、こんな時にも最後まで見届けたいらしい。
男として《キスされる》立場なのが嫌なのもあるかもしれない。
そう気付くと、コンラートはしゃがんで有利の手を引っ張った。
「同じ高さでしましょう」
「うん…っ!」
《あんたのそーゆートコ、大好き!》…にぱっと破顔されて、《そういえば》と気付く。
「愛してますよ、ユーリ」
「…っ!」
きちんと言葉にしていなかったことを思い出して改めて言ってみたのだが、有利はぽんっと真っ赤になってしまった。先程は積極的に《あんたを好きってことだよ》なんて言ってくれたのに、《好き》と《愛》は、有利の中では色合いが違っているのだろうか?
「ユーリは?」
「す…好きだよ?」
「愛してる?」
「……っ!!」
かぁあ…っと真っ赤に染まった頬が、熟れた林檎みたいでとてつもなく可愛い。
「どうしよう…囓りたくなる」
「ぅう〜〜…」
主導権を握られたのが悔しいのか、有利は眉根を寄せて唇を尖らせていたが、挑む姿勢を失いたくないようで、しゃがみこんだ勢いそのままに唇を寄せていく。
いや、正確にはぶつけてくる。
ガツンと歯列をぶつけそうな勢いを、肩を掴むことで微調整すると、《キスされる》体勢を保ったままキスをする。
そっと触れ合った唇は、驚くほどに熱かった。
「ん…」
いきなり舌を入れたら吃驚するだろうか?多分、そうだろうからまだ止めておこう。
唇が触れただけで硬直しきっている有利を抱きしめて、優しく撫でつけながら幾度も角度を変えてキスをしていく。
ちゅ…ちゅ…っとちいさな音を立てて触れ合うのは、堪らなく心地よい。
もっと深く繋がり合いたい衝動はあるけれど、有利との距離を少しずつ詰めたい気持ちもあって、丁寧に唇の感触を味わっていく。
股間のものはいきり立っているのだけど…どうにか意識的に押さえ込める。
「ふは…」
唇の粘膜が痺れて来た頃、きつく抱きしめた身体はくたりと脱力していた。
極度の緊張が解けたのと、風呂場の湯気が逆上せさせているのだろう。
「そろそろ…洗おうか?」
耳朶をくすぐるように、そっと囁きかける。
「…洗ってあげようか?」
「いい…っ!じ、自分でするっ!」
「あれ?ユーリは洗ってくれたのにな」
「そりゃそうだけど…!」
想いが通じ合ったせいか、一時の興奮が去ったせいか、漸くのこと有利はここがどこだか思い出したのだろう。家族の前で嬌声を上げさせるわけにもいかないことは、コンラートにも分かっていた。
「じゃあ、背中合わせに洗おうか?」
「…ぅん」
こくりと頷いて、二人はぺたっと背中を合わせる。
ぬるぬると滑り合う感触に笑いながら、互いに高ぶりかけた欲情との折り合いを付けたのだった。
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