「君を護り隊」−4






 有利にまとわりつく《小蠅》を退治する。
 何処までが無害で、どこからが有害かという判定は難しいところではあるが、遊撃隊として位置するヨザックにとっては、取りあえず物理的な接触を試みる者がその対象となろう。

「ちょっと良いかな?」
「ん…なんだよ、あんた…?」

 コンラート、村田と連れだって歩いていく有利に向かって、一歩踏み出しかけた男の肩をポンと叩く。ボブから聞いていたある《特徴》を、この男は持っていた。着崩したホスト風のスーツにチャラチャラとした風貌、そして細身のサングラス。
 おそらくアダルト系出版社従業員か、スカウトの男だろう。

「ねぇねぇ、狙いはユーリって子ぉ?」

 ヨザックは巧みに男の表情を読み、親しげな口調を操る。こうやって人の心にするりと忍び込むのは得意だ。
 男は最初のうちこそ戸惑っていたものの、ヨザックがさり気なく《あの子良い雰囲気持ってるよね》といった言い回しをして、ヨザックが《ゲイバー店長》という肩書きの名刺を差し出すと、同種の人間とみたのか親しげな表情になって、やはり名刺を出してくれる。

 やはり、ボブにリストアップして貰ったちいさな出版社の者らしい。確か、美少年投稿系雑誌等を扱っている会社だ。

「そうそう。俺もこないだネットで見てさ、背景からこの学校じゃないかってあたり付けてたんだよ。学ラン着てるとちょっと見、分かりにくいけど…あの子、女装したり化粧したりすると映えるよねぇ!かなり色っぽくなるよ。他の連中が目を付ける前に、色々と撮っちゃいたいんだよね」

 《そしたら、あんた絶対に買いだろ?》…新藤という男はヨザックを同じ嗜好の男と見たのか、嬉しそうな顔をして親しげに喋る。

「あ〜、分かる分かる。清潔感があるんだけどちょっとした仕草にグッとくるんだよねー。狙ったり媚びたりしてないのが感じ良いよねー」
「そうそうーっ!俺も清潔感のある子が好みでさ〜っ!」

 どうやら新藤という男にとって、この職業は趣味と実益を兼ねたものであるらしい。嬉々として自分の嗜好について語ったかと思うと、少し声を潜めてこんな話もしてくる。

「たださぁ…あんた、オルト企画って知ってる?」
「ああ、タチの悪いところらしいね」

 その名はリストの中でも要注意の会社として挙げられていた。普段は美少女系のアダルト雑誌を取り扱っているのだが、最近は《男の娘》ブームを受けて、季節号ではあるがその手の雑誌や写真集を販売している。

「あそこってさ、結構えげつないやり方でモデル獲得してるみたいなんだよね…。《小遣い稼ぎになるよ》とか、《上を脱ぐだけで良いから》なんて言ってスタジオに連れ込んで、媚薬呑ませて訳が分からなくなったところで本番写真撮ったりとか…」
「モロに犯罪じゃねーの!?」
「なんか、ヤクザ絡みの繋がりもあるみたいだし、男の子達もまさかやられちゃったなんて言えなくてさ、泣き寝入りが多いみたいなんだよ…。あんたもあの子狙ってんなら、オルト企画にだけは汚されないようにしてやってくんないかな?」

 変態的嗜好の持ち主とはいえ、新藤としては無理矢理ひん剥くやり口に憤りを感じるらしい。

「分かったよ。もし良かったら、連絡させてくんない?情報交換とかしたいからさ」
「了解了解!」
  
 機嫌良く頷く新藤は、仲間意識を持ってヨザックと肩を叩き合った。



*  *  * 




 勝利は帰宅するなり、信じがたいものを目にしてぽかんと口を開けた。

「ゆ…ゆーちゃん……一体何を?」
「あ、勝利。お帰りぃ〜」
「あ、どうもお邪魔しています」

 屈託無くいつもどおりに兄を迎える有利は、まだ学生服のままだった。上着こそ脱いでいるが、白い長袖シャツに黒いズボンも瑞々しい男子高校生さんである。そこには別に新鮮さはない。《いつも通り可愛いな》と思うだけである。

 問題は…全く同じ格好をした長身男性が、有利の膝枕を受けていることであった。

 ウェラー卿コンラート…眞魔国で《英雄》と呼ばれるこの男は、あろうことか学生服をきっちりと着こんで、無防備に耳を預けている。

「コンラッド、くすぐったい?」
「いえ、ぁ…そこ…っ」
「あんた、無駄に声が色っぽすぎ」
「そう?」

 くすくすと笑みを零しながら、有利は甲斐甲斐しくコンラートの耳滓を探している。コンラートがまた艶やかな美声を上げながら《ぴくんっ》とちいさく震えたり、伸びやかに顎を反らせたりするもので…何とも妖しいまでに美しい。
 これでコンラートの方がスーツでも着ていれば、完全に《幼妻とリーマン夫》である。

「コンラート!なんでゆーちゃんに耳かき何かして貰ってるんだ!お兄ちゃんにだって《面倒くさい》とか言われてやってくんないのに!!」

 動揺のあまり、一番悔しい心情が出てしまった。本来は《お前、どういう格好してこんなところにいるんだ!?》が先に来るはずなのだが…。
 そちらは思いついてから、口に出す前に自己解決してしまった。
 有利のメイド服回し蹴り写真ネット流出とその反響について村田に話した段階で、このことは予想はすべきだったのだ。有利がおぞましい目に遭わないようにと丁寧に対処するのなら、四六時中傍にいて、しかも手出しする恐れのない忠実な護衛が必要だ。  
  
 しかし…忠実であることはともかくとして、本当にこの男は手出しをしないのか!?

「もー、煩いなぁ勝利。これは、俺が《しようか?》って誘ったんだよ」
「ゆーちゃんから誘っただとぉお…っ!?」
「今日、学校に変な奴が来て俺に《耳かきしてくれ》って言い出したんだよ。それも…そのぅ…全裸で、とかって……」
「全裸ーっ!?そこはひとつ裸エプロンだろう!?」
「拘りのポイントがわかんねぇよっ!」

 有利としては、全裸はともかくとして膝枕自体も、わざわざ異国からやってきて希望する意味が分からなかったらしい。そこで、本当に萌えるものなのかコンラートで《実験》してみたのだそうだ。

「気持ちいい?コンラッド」
「ええ…ぅん。最高です……」

 そりゃそうだろう。
 とろけそうなほどの至福に包まれたコンラートは、今すぐ天国からお迎えが来そうだ。大天使が来たとしても、蹴りを入れて叩き返しそうではあるが…。

「あ、勝利さん。ちょっと良いですか?」
「ん?なんだ、ゆーちゃんのお友達。新作ソフトでも借りに来たのか?」
「そんなとこです。んじゃ、渋谷。ちょっと晩ご飯まで勝利さんとしっぽりやらせてもらうよ」
「ナニする気ですか村田さん…」
「誤解を招くような物言いをするな弟のお友達っ!ソフト貸してやんねーぞ!」

 ぷんすか怒りながら自室に向かった勝利だったが、部屋にはいると表情を変えた。それは、促されて座った村田も同様だった。

「学校まで押しかけてきたのか?どんな連中だった?」
「海外有閑層の連中です。表だってやってくるだけ可愛いもんですけど…欧米・中近東にまで渋谷の魅力が波及しているとなると、オークションの動きが気になりますね」
「人身売買…か」

 勝利はごくりと生唾を飲み込む。
 マフィアや貴族階級…金に飽かせてあらゆる贅沢と淫欲の限りを尽くす連中が、見目の美しい男女を浚っては人身売買オークションにかけ、性奴隷として媚薬漬けにしてしまうなんて話は、噂では聞いても自分には直接関係のない遠い世界の話でしかなかった。それが、よりにもよって最愛の弟に魔手を伸ばしてくるなど…考えるだけで慄然としてしまう。

 首輪を掛けられ、物のように売られ…性の玩具として有利が扱われるなど、その可能性の話をするだけで臓腑が焼け爛れそうになる。

「最悪…完全に生活圏を眞魔国に移した方が良いんじゃないのか?」
「僕たちでは護りきれないとなれば、その可能性もあります。だけど…」

 《可能な限り、渋谷の普通の生活を護りたいんです》…切実な声音に勝利も俯いた。

「そりゃあ俺だって護ってやりたいさ。だが、有利の安全が何よりも大切だ」
「ええ、勿論です」

 こくりと頷き合う二人は、愛おしい少年の未来に思いを馳せた。



*  *  * 




「村田の奴、マニアックなソフト物色してんのかなぁ?」

 有利は《膝枕は、一部のマニアにとってはとても気持ちの良いものらしい》ということを理解すると、コンラートの耳にあまり滓が無かったこともあって、耳かきを中止するとソファに座ってテレビを見始めた。時折美子に声を掛けられてテーブルに皿を並べたりしているが、どこかそわそわとしている。

「そうでしょうねぇ…」

 くすくす笑み零れながらも、コンラートの意識はポケットに収めた探知機と家屋周辺の気配に気を配っている。地球の魔族が対テロ対策として開発した探知機は、直系50mの範囲内であれば重火器の気配を探知できるそうだ。

『踏み込まれても後れを取る気はないが、ユーリに危機的状況を悟られてしまうしな』

 場合によっては、《ちょっとお手洗いに》と言って手を血染めにしてくる可能性もあった。その場合はまた、証拠隠滅が大変だが…。

「なあ、コンラッド…」  
「なんです?」
「あのさ…コンラッドは、男相手の萌えとかどう思う?今日学校に来た連中とか、俺に萌えてるとか言ってたけどさ…」
「え…?」

 どんな返答を期待されているのか分からなくて少々戸惑ってしまう。有利相手であれば極日常的に萌えまくっているが、それを口にするのは憚られた。

「どうでしょうね…。何かを好きという気持ちが萌えなのだとすれば、その気持ち自体はそう責められるようなものでは無いと思います。ただ、相手に嫌がられているにもかかわらず、自分の萌えを強要するとなれば、これは歴とした犯罪だと思いますね」

 コンラートのはただ思っているだけなのだから、実に可愛いものだと思う。だからこそ先程のように、思いがけない恩寵に預かることもできるのだ。恋愛対象として認められていないからこそというのが切なくもあるが…。

「コンラッドは、俺に萌えたりする?」

 うきゅ…っと見つめられると思わず口元を掌で覆い、さりげなさを装って視線を逸らしてしまう。萌えすぎて死にそうなことがバレバレになるではないか。
 罪なほどに愛くるしい有利はしかし、言い難そうなコンラートの様子に眉根を寄せた。
 よく聞き取れなかったが、何かぶつぶつと呟いていたようだ。

「どうかしましたか?」
「何でもない」

 ぷぃ…っと唇を尖らせた有利は何が不満なのだろうか?

「堪らなく可愛いとは思うんですが、多分地球で言うところの萌えとは違う気がしますね」
「名付け子として、可愛いって思うんだろ?」
「いえ、それだけではなくて…」

 勝利などがやたらと《萌え萌え》言う《可愛い》は、ある一定の条件を満たせば全て該当するはずだ。だから、萌えの対象は山ほど存在するのだろう。だが…コンラートにとってこんなにも《可愛い》《愛らしい》《抱きしめたい》と感じられるのは、《愛(いと)おしい》と感じられるのは…。

『あなた一人なんですよ?』

 切なさを眦に滲ませて有利を見つめるが、テレビ画面に目を向けた有利はこちらを見てはいなかった。
 それがまるで、《想うだけ》《見つめるだけ》の一方通行な関係を象徴しているようで、少し…切なくなった。



*  *  * 




『堪らなく可愛いとは思うんですが…』

 コンラートの言葉に、《どーせね》と拗ねてしまう。
 そんな風に思ってくれるのは百も承知の筈なのに、どうして怒っているのか自分でも分からなかった。
 少し微妙な雰囲気の中で夕食を済ませ、村田を送った後にも微妙な心境にあった有利は、何とか打開したくて積極策に出てみた。

「コンラッド、お風呂に入ろうよ」
「ご一緒に…ですか?」

 コンラートはちょっぴり困ったような顔をしている。眞魔国でもヒルドヤードの温泉街に行っているような時はともかくとして、日常的には《護衛ですから》と言って一緒には入ってくれなかった。でも今日からは《同級生》なのだから、まずは裸の付き合いで距離を詰めたいではないか。

「ね、お願い!背中流すからっ!なんなら、頭も洗っちゃうよ?」
「陛下自ら三助を務めて下さるとは、畏れ多いですねぇ…」
「陛下って言うなよっ!」

 ラシードとの遣り取りもあってか、急にカァ…っと頭に血が上った。
 あの時、《奴隷》呼ばわりしたあの男も許せなかったけれど、その物言いに対して《そのようなものだ》と肯定したコンラートにも怒りを覚えていた。
 そんな風に、全ての人から《畏れ多い》なんて言われていたら、一体誰と親しくすればいいのか。少なくとも、コンラートの間にそんな距離感は持ちたくなかった。

「入ろうったら入ろう!」

 半泣きになって腕に縋り付いたら、聞き分けのない子どもをあやすようにしてコンラートが髪を撫でつけてくれる。少し冷たくて、がっしりとした骨組みの大きな手は、こうして何時だって有利を包み込んでくれる。幼い衝動もまとめて撫でつけ、宥めてくれるのだ。

「分かりました、ご一緒させて下さい」
「ほんと?」
「ええ、俺もユーリの背中を流しますよ」

 勝利は何か言いたそうにモゴモゴしていたが、《まあ、家族がいるところで妙なことはしない…よな……》と意味深な呟きを零している。どんな方向性に妙な事をすると言うのか。

「やった!」
「よろしくお願いしますね」

 お風呂には既に湯を張ってあるから、有利は着替えを手に取ると意気揚々と進んでいった。



*  *  * 




『ここは大丈夫』

 この家に来た時、村田と有利が会話をしている隙にコンラートは《お手洗い》と称して渋谷家の探知を行った。盗聴器や隠しカメラがないか確認したのである。特にトイレとお風呂、有利の自室については詳しく調べたが、今のところ何も仕掛けられてはいなかった。

 こっそり聞いてみると、勝馬も商売上の情報が漏洩するのを防ぐ為と、異世界・地球の魔王を持つ家庭ということで、万が一を考えてセキュリティには気を付けているらしい。牧歌的に見えて、庭にも不審者対策用の赤外線センサーを仕掛けてあると言うから大したものだ。

 そのことを家族に知らせていない理由も、やはりコンラート達と同様だった。

『地球にいる時くらい、襲われるだ何だってぇ物騒な不安自体、感じさせたくないじゃないか』

 それでいて意外と慎重なところがある勝馬は、きっちりと自衛の方策は立てていたのだ。やはり、飄々としているようで魔王の父である。締めるところは締めていた。

「コンラッド、新しいタオルここだよ?あ、このタオルが特にふわっふわで気持ちいいんだ!」
「ありがとうございます」

 渡されたバスタオルは有利の大好きな青色をしていて、確かにふわふわと心地よい感触がする。思わず《まふ》っと顔を埋めたら、有利もくすくす笑って同じようにタオルへと顔を埋める。

「気持ちいいねぇ!」
「ええ、とっても…」

 暖かくてふわっふわしていて、良い匂い。

『ああ…渋谷家の雰囲気をそのまま反映したような感触ですね?』

 有利を渋谷家に運んで、本当に良かった。
 この日だまりのような家庭ですくすくと育ったから、有利はこんなにも伸びやかな感性を持つようになったのだろうか?
 愛さずにはいられない、輝くような魅力も放つようになったのだろうか?

『全ての者が、ユーリを大切に護り育んでくれれば良いのに…』

 正直なところ、夢想世界の中では有利の肉体を汚したこともある。あられもない格好をさせてあんあん言わせた夜もある。
 けれど…生身の有利自身を泣かせてまで、そんなことをしようなどとは決して思わない。
 有利を傷つけることが何よりも恐ろしいからだ。

『本当にユーリのことを知って、一時の欲望で汚して良い方ではないのだと知ってくれれば良いのに…』

 そういった意味では、実のところ有利の学校に来て安堵した部分が多い。
 眞魔国で村田から状況を聞いた時には、有利の周囲にいる男女全てが欲情を滾らせ、隙あらば有利を押し倒したいと策謀しているかのように疑っていたものだ。
 けれど、コンラートが直接言葉を交わした連中には、そこまで悪逆な者はいなかった。

 特に、クラスの親しい友人の中にそういった手合いがいなかったことには本当に安堵した。万が一有利に知られてしまった時、身近な者であるほど衝撃の度合いが強かろう。
 また、コンラートと同じように欲望を感じていても、やはり有利の為に自戒している雰囲気も感じ取れた。

 海外から駆けつけたオーギュやラシードにしても、コスプレだの全裸で耳かきだの言い出して有利をドン引きにはさせていたが、実のところ、有利に会うまではもっと不躾な欲望を持っていたのではないだろうか?それが有利に直接会うことで、《ここまでは言ってはいけない》と思うようになったに違いない。

『それだけ、ユーリは素敵な子なんだ。そういう気持ちにさせる子なんだ…』

 嬉しくなって微笑んでいると、有利は手早く衣服を脱いでコンラートを誘った。

「ほらほら、コンラッドも早く脱いで!寒いから早く入ろうよ!」

 一糸纏わぬ姿でにっこりと微笑む有利に、《その格好でもう一度膝枕して下さい》と言い出しそうになったのは絶対に秘密である。





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