「君を護り隊」−3







「オーギュ…っ!抜け駆けとは狡いぞ…っ!!」
「げ…っ。ラシード…」

 マハラジャ風青年ラシードはフランス系青年オーギュを詰ると、顔の向きを変えて苛立たしげに操縦者を罵倒した。

「ええい…。何をしている!早くヘリを着陸させろ!」
「は…っ!し、しかし…グラウンドには生徒達がおりまして…」

 《流石はNASAブランド…》と感心しつつ、コンラートは会話を聞いていた。どこの言葉かは分からないものの、明らかに日本語とも英語とも違う言語を理解することが出来た。

 それにしても、《抜け駆け》とはどういうことなのか。

『ひょっとして、ネットでユーリのことを知った手合いだろうか?』

 いきなり有利の尻に突っ込んでくるようなタイプとは思えないが、やたら金回りと機動力が良さそうな連中だ。もしかして…他にもこういう連中がいるのではないかというのもまた気がかりだ。

『やれやれ…』

 《ふぅ…》っとちいさく息を吐くと、コンラートは拘束していたオーギュをぽいっと放り出して有利の身を庇う。そして辺りに気を張り巡らせ、誰が来ようとも《指一本触れさせるものか》との意を新たにしていた。

「ええい…っ!こうなったら…っ!!」

 ラシードはかなり短気な性質らしく、ひらりとヘリコプターから飛び降りて、操縦者と護衛らしき男性に悲鳴を上げさせていた。しかし、当人はかなり運動神経は良いらしく、くるりと回転してから危なげなく着地を決めてみせる。一緒に嫌々降りてきた黒服のSPも、どうにか無事に着地する。

 そして…ラシードは有利の姿を認めると、瞳を爛々と輝かせた。
 20代半ばと思しきラシードは頭部にターバンを巻き、褐色の肌に映える黒地に金の刺繍を施した衣服を棚引かせて駆け寄ってくる。

「ユーリ…!会いたかったぞっ!!」

 両腕を広げ、伸びやかな声を上げて駆け寄ってきたラシードは日本語も操れるらしい。語尾が強くて少し聞き苦しいが、理解出来ないほどではなかった。
 コンラートは青年の様子を伺いながら、ス…っと腕を伸ばして有利に触れようとする青年に制止を掛けた。

「貴様…何のつもりだ?」
「赦しなく我が主に触れるな。そして、勝手に名を呼び捨てにするな」

 ラシードはやや太めの眉をぴくりと上げてコンラートを睨め付ける。
 コンラートに向かって使用した言語は英語だったが、これも少し癖があった。

「主だと?貴様、ユーリの下僕か?」
「そのようなものだ」

 せせら笑うような声で《下僕(bond servant)》と吐き捨てられても、特に異論はない。コンラートにとっては言い得て妙な表現だとさえ思ったからだ。
 しかし、有利の方はそうではなかったらしい。

「ちょっと待てあんた…っ!」
 
 噴き上げるような怒りが漆黒の瞳に宿り、滑らかな頬が上気した様が視線を集めずにはいられない。眦に掃かれた紅も凄絶なまでの美を顕していた。
 本人にその意識は全くないのだろうが、その身から放たれる威迫はもはや一般的な男子高校生のそれではなく、突きつけられる指先には、如何に傲岸な者でも平伏さずにはおれないような力があった。

 周囲で《何事か》と見守っていた生徒や、割って入ろうとしていた教員達も、有利の堂々たる英会話に度肝を抜かれていた。

「撤回しろ…っ!コンラッドは、奴隷なんかじゃない…っ!!」

 なるほど、有利は《bond servant》を《奴隷》と言う意味で捉えたのか。確かに《従者、使用人》を意味する《servant》にも色々と種類があるが、《bond》とついたときには侮蔑的な意味が強い。コンラートにとっては自分の全てを尽くして仕えたいという心情があるので違和感はないが、有利にとっては耐え難い怒りだったようだ。

「ユーリ…怒った顔も素晴らしく美しいな」
「煩い…っ!世迷い言もいい加減にしろ…っ!コンラッドは最高の騎士だ…っ!お前みたいな奴に馬鹿にされる謂われは無い…っ!!」

 烈火のような怒りに撃たれたラシードはしかし、有利の意図に反してぞくぞくと背筋を震わせて悦びの表情を浮かべているし、先程からほったらかしになっているフランス系青年も、両手を組んで《なんて素晴らしい…》と囁いていた。ラシードのSPと思しき中年男性も、《ああ…うちの雇い主とは大違いだぜ……》等と羨ましそうな眼差しを送っている。

 コンラートはコンラートで、有利に《最高の騎士》と呼ばれてやっぱりぞくぞくと震えていた。

 《なんかもー、変態さんばっかり!》と形容するのは止めて頂きたい。
 誰だって、自分にとってかけがえのない人に《最高の騎士》と称されたら、ぞくぞくするに決まっている。

「謝れ…っ!!」
「これは…失礼した」
  
 射抜くような声がビィンと大気を震わせると、流石にラシードもこのまま耽溺し続けることの拙さに気付いたらしい。やる気になれば幾らでも礼儀正しくは出来るのか、なかなかに風格のある仕草で礼をすると、コンラートに一応は詫びた。

「失礼した…騎士殿。君の主は素晴らしい方だな」
「当然だ」

 有利の方はまだ腹が納まらないのか、ぷぃ…っと唇を尖らせて目を怒らせているけれど…その様子は先程とはまた違って、抱きしめて宥めたくなるような愛らしさを滲ませていた。

「ユーリ、お初にお目に掛かる。俺の名はヌスラト・ファテ・ラシード・ハーンと申す。その華の唇で、どうかラシードと呼んで頂きたい」
「ラシードね、あんた、一体何しに来たんだよ。ちゃんと事務通してきた?今は不審者問題とかあるから、学校に入るときにはちゃんと入校証もらっといでよ?」

 オーギュの方はにこにこしながら入校証を摘んで見せたが、有利は見ちゃあいなかった。

「おお…これは失礼した。君を迎えに来たらそのまま本国に戻ろうと思っていたものでね」
「はあ…!?」

 ラシードの言葉に有利が素っ頓狂な声を上げると、オーギュの方も苦笑しながらラシードを窘めた。

「ラシード、それは誘拐だねぇー。幾ら君でも国際問題になっちゃうよ?」

 どうやら、英語の時には日本語ほどには無茶な発音にはならないらしい。しかし、意味の汲み取れる言語を使ったからと言って、ラシードの傲岸さがどうにかなるわけでは無さそうだった。

「愛があれば大丈夫だ」

 ラシードが白い歯を輝かせてウインクすると、《はぁああ〜…》と、オーギュの口から大きな溜息が漏れる。

「あのね…ラシード、世の中BL小説みたいに、《一目合ったその日から…》なんてことはまず無いんだよ?」
「そんなはずは無い。日本の男子高校生は俺のような押しの強いマハラジャを求めているはずだ」

 そう言って小脇から出してきたのは、読み込んだ痕跡のあるBL小説文庫本であった。この手の書籍にビラビラするほど付箋が貼ってあるのも如何なものか…。
 しかも、オーギュの方も相当な冊数を読み込んでいると見受けられる。

「だーからそれはぁー…」
  
 無意味な問答を繰り広げる二人をよそに、コンラートは購買の横に並べられた強化プラスチック製の椅子に腰掛けると、有利を誘って昼食を食べ始めた。この連中が何者であれ、強引な手段に出ようとすればすぐに撃退するつもりだが、小康状態を保っているのであれば有利の空腹の方をどうにかしてあげたい。

 

*  *  *




「焼きそばパンは美味しいですねぇ…。流石はユーリが絶賛していたパンです」
「いや、それは良いんだけどさ…」

 もっしゃもっしゃと美味しそうに焼きそばパンを頬張るコンラートは、学生服も手伝っていつもより子どもみたいに見える。その様子があんまり微笑ましいから、ついつい笑顔を浮かべてしまう有利だったが…そういえば、放置して良いのかどうか分からない事態に陥っているのだ。

 目の前では、未だに正体不明の二人が不毛な言い争いをしている。
 結局ラシードは教員と事務員に身分証明を求められたが、それには一応素直に応じていたので、今は豪奢の衣装の胸元にちょこんと入校証をくっつけている。前髪前線が後退気味の中年SPも同様だ。

 いっそのこともっと不審な人物であれば警察にしょっ引かれてくれたのだろうが、残念ながら後ろ盾は確かな人物らしい。

「さ、ユーリも半分どうぞ」
「半分よりずっと多いよ?あんたちょっとしか食べてないじゃん」
「いえいえ、ミコさんのお弁当で随分とお腹が膨れましたから」
「そう?」

 コンラートの囓った焼きそばパンを口に入れると、やっぱり美味しい。昼食が遅れたせいもあって、口に入れると激しく食欲をそそられる。大口ではぐはぐと頬張ると、コンラートの長い指が口元を掠めていった。

「失礼、ソースが付いていたので」
「あ…あんたはもぉ…。何で俺の口元拭いた指をそのまま舐めちゃうかな」

 ぺろ…と薄い舌が長い指を舐めていく様子は、野性的で、どこか…セクシーだと感じてしまう。
 何となく頬が染まる思いではにかんでいたら、怒りに形相を変えたラシードが駆けてきた。

「貴様…従者の分際で主と食事を共にするなど、どういう了見か!しかも…何をいかがわしい動作でぇえ…っ!」

 流石に《bond》はつけずに《servant》とは呼称していたのだが、それでも有利にとっては気にくわなかった。眞魔国で有利が魔王という立場であっても、コンラートは偉大なる英雄なのだ。ましてや、地球に於いては対等なクラスメイトなのだから、ここに主従関係なんか持ち込ませない。

「コンラッドは俺の親友だ!ラシード、あんたに四の五の言われる筋合いはない。あと、何を妄想滾らせてるのか知らないけど、俺はあんたと愛なんか育む気はないから、とっとと本国に帰れ!」
「ユーリ…」

 ビシリと叩きつけたまでは良かったのだ…ラシードが急にしょぼんと肩を落とし、泣きそうな顔になってしまうとそれ以上強く言うことが出来なくなった。
 猛禽類が突然尻尾を丸めたような様子だ。

「妄想…なのか?君と仲良くしたいというのは…」
「えと…その、あ…あんたの国に連れて行かれるとかいうのはゴメンだもん…」
「では、俺がこの国で君の傍にいることは出来るのだろうか?」
「ええと……」

 困った。
 有利は頭ごなしに命令されると意地でも抵抗したくなるのだが、普段は傲岸な奴が捨てられた子犬みたいに寂しげな様子を見せると、急に押しが弱くなってしまう。
 多分、ヴォルフラムを無碍に出来ないのもその為だ。

「そりゃ、あんたがそうしたいなら別に良いけど…あ、でも…二度とコンラッドを奴隷とか従者とか言うなよ?そしたら、俺は二度とあんたを許さないぞ!」
「了解した。君の友人を辱めることは二度とすまい」

 凛とした面差しで確約するラシードは、《友人》という単語に強いアクセントを置いた。そのせいなのかどうなのか、コンラートの表情が微妙に苦みを帯びていた。
なんだって、下僕よりも友人の方に引っかかっているのか。
  
「ではでは、僕も君の傍にいてもいいかなぁ?」
「はあ…もう、別に何でもいいけど、なんでそんなに俺の近くにいたいの?」

 困り果てて《うきゅ?》と上目づかいに問うと、ラシードとオーギュ(何故かコンラートとその他大勢)も悶絶して口元を覆っている。今日は何だかみんなの様子がおかしくはないだろうか?

「はぁあん…良かった!フランスから夜ばい朝勃ちで来た甲斐がありまぁす!」
「夜討ち朝駆けだけど…故意に間違えてないですか?」

 胸を撫で下ろすオーギュにコンラートの鋭い突っ込みが入るが、相手は気にしていないようだ。

「おお…ユーリからのご質問でしたね。いけないいけない、自己紹介もまだでした!僕はオーギュスト・ド・ファティマータと申しますデスよ。この度はインターネット上でユーリの美麗なる回し蹴りを拝見し、是非っ!直接蹴られたーく馳せ参じマスタングぅ〜」
「え…っ!?」

 アン○ニオ○木の張り手を喰らいたいファンの心理と一緒なのだろうか?
 けれど、有利はプロレスラーではない。ファンサービスの一環として回し蹴りをする義務はない(いや、猪○にも義務はないが)

「お願いしまぁ〜す!」

 オーギュは嬉々として両手を組み、ずずぃ…っと詰め寄ってくるが、無抵抗の人に回し蹴りなどできるものではない。
 しかし…蹴れば大人しく帰ってくれるのだろうか?

「えと…け、蹴ったら帰ってくれる?」
「ウィ、ユーリ!ベルサイユ宮殿にかけても良いでぇす!!」

 それは誓いとして意義があるのか無いのか不分明だが、意は汲みたい。

「うーん…じゃあ……」

 躊躇いながらも脚をあげようとしたら、オーギュがぶぶぶんと手を振って制止した。

「ノンノン、その前にこれを着て下さぁい!」 
「へ?」

 オーギュが小脇に抱えていた大きなケースを開くとそこには…夥しい量のマニアックな衣装が詰まっていた。勿論、巫女服だの制服だの、いずれも女の子仕様の服ばかりである。
 更にはケースの中から取りだしたカメラを、自動撮影モードにしてから三脚に設置する。

「これで是非是非回し蹴りキボンヌ…ごふ…っ!!」
「図々しいぞオーギュっ!」

 有利の前にラシードの踵落としが決まってしまい、オーギュはそのまま昏倒してしまう。

「うわ…。だ、大丈夫かな?」
「傷害罪でしょっ引かれちゃってくれると助かるんですけどねぇー」

 コンラートと有利の期待は儚いものに終わった。
 意外と打たれ強いオーギュは大きなたんこぶを作りながらも、すんすん泣きながら立ち上がり、ラシードはと言うと、有利に向かって《俺はオーギュとは違う》と主張し始めた。

「俺はこいつと違って、君に変態的な衣装など強要しはしない」

 そうは言われても、オーギュと共通項を持つ友人だと言うだけで何となく不安を抱いていると、ラシードは誇らかに胸を張ってこう告げた。

「俺はユーリに膝枕をして耳かきを欲しいのだ!あの肉付きといい、長さといい、色合いといい最高の素材である美脚に是非、俺の頭を載せてくれ」
「はあ…」

 膝枕…かなり嫌だが、とっとと帰ってくれるのなら譲歩しないではない範囲だ。

「じゃあさ、ラシード…今すぐここで膝枕プラス耳かきしたら、オーギュを連れて帰ってくれる?」
「な…なにぃ…っ!今ここで!?」

 頬を染めたラシードは、ぽんっと手を打つと自分の説明不足に気付いて補足した。

「おお…肝心なことを言うのを忘れていた。膝枕をする時には一糸纏わぬ全…ぐは…っ!!」

 最後まで言い切ることは出来なかった。
 コンラートの神速の突きが目にも止まらぬ速さで(犯行を後で認めない為か…)鳩尾に決まると、完璧に《オチ》てしまったらしいラシードはそのまま昏倒してしまったのである。SPは本来その行為を止めるべきだったのだろうが、あんまり見事に決まったので逆に感心している。

「オーギュ、こいつを連れて帰ってくれ」

 ラシードを猫の子のように首根っこ引っ掴んで渡そうとするが、オーギュは顔色を変えて固持しようとした。

「いや、勘弁してくれネイかなぁ?意識が戻った時、僕がボっコボコにされちゃうよぅ」

《わざわざSPだって連れてきてるのにぃ》とオーギュが不満そうな顔をする。当然と言えば当然だろう。

「そうか。ではこちらをフルボッコにするとしよう」

 そう言うと、コンラートはどこから取りだしたものやら、チャッカマンに点火してオーギュのマニア衣装に近寄せる。こんな時でもえらく佳い笑顔なのが逆に怖い。 

「ひっひっふーっ!」

 動揺のあまり何かを産み出しそうな勢いのオーギュは、結局ひいひい言いながらSPと共にラシードを連れて行った。
 
 …と、同時に午後の授業を予告する鐘が鳴り響く。

「はぁ〜…なんだか変な連中だったなぁ…。そんなにコスプレ萌えとか耳かき萌えなら、秋葉原の店とか勝利に聞いといて、教えてあげたらいいのかな?でも、全裸で耳かきってかなりマニアックな店だよね?」
「そうですね。良い思い出を作ってとっとと本国に帰って欲しいですねぇ」

 二人は深い溜息をつくと、かなりのぐったり感を味わいながら教室に向かった。



*  *  * 




「ねぇ、あれって青嵐の制服じゃない?」
「へー、結構可愛い子」

 《可愛い》という表現に多少は憮然とはするが、村田健は友人ほどその表現を厭うわけではないので、視線が合えば笑顔で会釈もする。有利の高校の女子生徒も、村田の対応に嬉しそうな顔をした。

 有数の進学校青嵐学園の中でも特別枠のSクラスに所属する村田は、ブレザーの上着襟元に鷲を象ったちいさなバッチをつけている。目敏い生徒にはそれも分かるのか、嫉妬と羨望が綯い交ぜになった眼差しを送ってきた。

 あるいは…今現在、村田の友人が盛んに送られているのと同じ系統の、傍迷惑な視線も感じられた。

『滾ってるもんだねぇ…』

 村田はもともと可愛らしい顔立ちと華奢な体躯で、ある種の嗜好を持つ者を引き寄せてしまう傾向にあったが、双黒の魔王のデーヴァ(増幅者)である為か、主の目覚めに合わせてより鮮烈な魅力を発するようになっていた。
 自分の身には無頓着な為、村田自身はあまり自覚していなかったのだが、撲滅作戦執行の為に呼び寄せたグリエ・ヨザックが、この世界にやってくるなり眉根を顰めたのだ。

『ねぇ猊下、あなたのまわりを飛んでる小蠅も始末しちゃ駄目ですかね?』

 そんなことを言われて初めて気付いたのだが、《小蠅》が見も知らぬ、あからさまにハアハア言っているような変態さんであれば、確かに《始末》もして貰いたくなる。だが、それが個人的な繋がりのある友人・知人であった場合、そもそもそんな気持ち自体を無かったことにして欲しくなる。
 欲望を抱いたと言うだけで《始末》してしまうには、情が移りすぎているのだ。

『渋谷だったら、もっと真面目に悩んじゃうんだろうな…』

 だからこそ、この作戦行動について有利には知られたくない。
 《あいつは自分をひん剥いていやらしいことをしようと思っている》なんて知ったら、そう思わせている自分自身について考え込んだりしそうだからだ。

 ただ、このような秘密裏の行動をしていたのだと有利に知られるのも怖かった。

『渋谷は…秘密とか嫌いだもんね』

 眞魔国人の常なのか軍師としての意識の為なのか、村田はとかく秘密を持ちたがる。洗いざらい全ての情報を共有することに恐怖を感じると言ってもいい。明かしてしまうことで、誰かが思わぬ行動を取らないとも限らないからだ。
今回についてはそれだけではなく、知ること自体で有利が傷つくおそれがあるからではあるのだが…。

「猊下、気を詰め過ぎないで下さいね?」

 ぽん…っと頭を撫でつけてくる大きな手が心地よい。今朝方地球にやってきたグリエ・ヨザックだ。
 眞魔国にいる時には間違っても人前でそんな行動は取らないのだが、その場その場でのTPOをすぐに飲み込んでしまうこの男は、《どこまで赦されそうか》というライン引きを汲み取るのが上手い。

 そして、絶妙な間合いで慰めるのも…。

 周囲が変に思う前に、手は去った。
 村田が《もう少しだけ撫でてても良いのに》と思うくらいに、短い時間で。

 見上げれば、鮮やかなオレンジ色の髪をした青年が優しく微笑んでいる。

『焦らされているのかな?』

 そうな風にも思うが、多分違うだろう。
 人をからかったりするのが好きな男ではあるが、こいつは村田に対してだけはいつも真剣だ。そして、妙に真面目でもある。

『柄にもなく、《想うだけで良い》なんて考えているんだろうな…》

 グリエ・ヨザックが自分を愛していることを、村田も薄々は感じ取っている。
 腹黒いところも、そのことに内心悩まされ続けていることもひっくるめて、《大好きですよ》と囁いてくれる。けれど、ヨザックはそれ以上踏み込もうとはしなかった。
 
 自分はあくまで村田の《狗(いぬ)》、走りに走って主に仕える存在だと見なしているらしい。それはきっと、ウェラー卿コンラートも同じだろう。

『渋谷に害を為しそうな存在を撲滅する』

 という村田の宣言を聞いた時、あの二人はどこか遠い目をして…あるいは、自分の心の底を見つめるような眼差しで、こっくりと深く頷いた。
 己が望んでいることが撲滅の対象になるものと認識したのだろうか?

『君たちは、違うんだけどな…』

 思いつつも、口には出来なかった。
 彼らが村田や有利の意志に反して蹂躙する気など無いことは知っているけれど、それを口にしたら、自分から《抱いて良いんだよ》と誘っているかのように見えてしまいそうだからだ。

『僕は…甘えているのかも知れない。この連中に』

 決定的な踏み込みはなく、このぬるま湯につかったような距離感を続けて欲しいと、どこかで思っている。
 そのことが、どれほど彼らを束縛するかも知っていて…。

「あれ、村田!どーしたの?」

 有利が駆け出してくると、ヨザックはス…っと姿を消した。見られたくないわけではなく、常に遊撃隊として行動する癖が付いているのだろう。昼頃にも、この学校に突然訪れた妙な連中について調べをつけてもいた。

「久しぶりに美子さんのカレー食べたくなってさ」
「なんでうちの晩飯メニューに、息子よりも詳しいんだよ…」

 美子は随分前から村田のメル友である。

「まあまあ、気に…」

 《しないでよ》と言いかけて、《ブ…っ!》と噴いてしまった。
 有利の傍らに控える男に違和感を覚えたからだ。

「うっわ…ウェラー卿、超微妙だね」
「お目汚し、失礼します」

 憮然としたコンラートは勿論、きっちりと学生服を着こんでいる。流石に放課後と言うことで襟元は少し開けてあるが、それでも漆黒の上着には違和感がある。やはりこの男には軍服か、仕立ての良いスーツの方が似合う。

「早く帰って着替えたいんですね」
「ああ、ヨザックが買っといてくれたよ?」

 先程渡されていたものをぽすっと渡す。実際にはボブの指令を受けた地球の魔族が買って来てくれたのだが、あまり大きな規模で動いていると有利には知られたくなかった。

「えー?もしかして、ヨザックも俺の為に来てくれてるの?」
「ああ、君ってば僕にも内緒であんな派手な事してくれるんだもん。王が狙われていると聞いて、じっとしていられるような臣下とは思われたくないね」
「う〜…迷惑かけてんなー」
「気にしないで。それより、カレー一緒に食べようよ。美子さん、たくさん作るって言っててくれたからさ。ウェラー卿の分もあるよ?」
「だからどうして人んちの晩飯事情にそこまで詳しいんだよ…」

 ぶつぶつ言いながらも、有利は村田の誘導に従って自宅へと帰っていった。




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