「君と暮らすこの素晴らしき日々」
5.家族にお披露目
コンラートと有利が同棲を初めて数ヶ月が経った秋頃、母から思い出したように電話が掛かってきた。
「ねえコンラート、ユーリちゃんと婚約したって本当なの!?」
「ええ、そうですが…」
さらりと答えたら、怒濤の勢いでツェツィーリエからお叱りの言葉を喰らってしまった。
「んもぉお…っ!そもそも私がユーリちゃんを気に入って、どうしても可愛がりたいからお見合いを勧めたのよ!?それがどうして私に許しもなく、あっさり婚約なんかしてるのっ!!折角だからお祝いの特別なドレスを着せて、大規模な婚約パーティーがしたかったのにぃ!!」
《だからです》とは言えず、コンラートは電話口の母に平謝りするしかなかった。
もはや習慣的に、常識とか、一般的な男子高校生の羞恥心なんてものを母に理解させることなど出来ないと諦めているのである。
* * *
「それで…俺がこれを着るわけだね?」
「…申し訳ない」
「良いよぅ。ある程度覚悟してたし」
リビングのローテーブルにふわりと広げられたのは、淡い水色から蒼のグラデーションも美しい、ふわっふわのドレスだった。勿論、アクセサリーや小物も一式揃っていて、当日にはメイクさんまで派遣されるという。
そう…有利はこれを着て、ツェツィーリエやコンラートの兄弟に会わなくてはならないのだ。派手な婚約パーティーを断るかわりに、そこで妥協して貰ったらしい。
「お母さんは俺が男なの最初から知ってるけど、お兄さんや弟さんはそうじゃないもんな。ずっと顔合わせたりすることがないんなら、今回だけ誤魔化した方が面倒がないよ」
「ゴメンね、ユーリ」
「だから、良いってば」
えへへ…と笑うと、有利はぽんぽんとコンラートの肩を叩く。一緒に暮らし始めてから数ヶ月が経過したせいか、最初の内は緊張しきっていた彼も、すっかりうち解けた態度を示すようになった。
寧ろそうなってくると、今度はコンラートの方が困ることもあるのだが…。
『今度は、警戒心がなくなりすぎて無防備になっちゃってるんだよなぁ…』
今も早速ドレスが入るかどうか試そうとして、するすると気兼ねなくシャツやズボンを脱いでいく。秋口に入ってから本来の白さを取り戻してきた肌は透き通るようにすべやかで、自制を強いられているコンラートにとっては生殺し状態だ。
それでも、堪え忍んでいる苦しさを表に出していないから、有利がうち解けてくれたわけだが。
「当たり前なんだけど、胸がぶかぶかする…」
「ああ、先にこっちを着て御覧?ご丁寧にパットも同封されているから」
ドレスの襟元から微かに覗く胸は、布地の蒼を受けて水の中みたいに見える。その中で一点珊瑚色の彩りを帯びた箇所が、コンラートにそっと歌いかけてきた。
《も・も・い・ろ・さ〜ん〜ご〜がー手ーを〜振ぅって〜♪》とかいったフレーズの歌を、どこかで聴いた覚えがある。ヨザックのオカマバーだったろうか?
『ああ…今すぐドレスを剥いて、剥き出しになった珊瑚ちゃんを思うさま舐(ねぶ)りたい』
素のままで口にしたら、もじもじしながらも言うとおりにしてくれそうで…余計に出来ない。幼気(いたいけ)な青少年を、大人の側から誘惑してはいけまい。
コンラートは努めて平静な顔を作り出すと、優しい手つきで有利にビスチェを着付け、フィッティングもしてあげる。ついでに髪も軽くブローしてドレスと同色の髪飾りをつけると、既に化粧無しで立派な美少女の出来上がりであった。
「うっわ…可愛いなぁ。お見合いの時を思い出すよ」
「あの節は失礼シマシタ…」
可憐な振り袖姿で逃走を図っていた有利は、勝利に吹き込まれた情報によって、すっかり《女装男子好きの変態中年親爺》に差し出されるものと勘違いしていたのである。コンラートにぶつかったあげく、足を捻っていなければ、今の関係はなかったかも知れない。
「あの時、転ぶ君を受け止められて良かった…。万が一他の男に奪われていたらと思うと、気が気じゃないよ」
「あんた以外、俺なんか拾ってくれないよ〜」
いや、そんな筈はない。(←惚れた欲目の断定口調)
あんなに可愛くて切羽詰まった様子の美少女が、変態中年親爺と無理矢理お見合いされられて、ひょっとするとそのまま身体を蹂躙されるのかも…なんて思ったら、騎士道を発動させて浚ってしまう男性が絶対いるはずだ。後で男と分かれば引く者もいるかも知れないが、純真無垢な有利を見ていれば戸惑いながらも《俺が護ってあげなくては…!》と決意すること請け合いだ。
「可愛い可愛いユーリ…そういう無自覚なところも素敵なんだけどね」
堪らなくなって、唯一高校卒業までに許されているキスをすると、まだ触れるだけのキスなのだが、何度か角度を変えた辺りから有利の息は上がってくる。まだ息継ぎに馴れないせいもあるのだろうが、どうやら相当に敏感であるらしい。
「ん…」
すっかり目がとろんとしてまった有利をソファに座らせると、浅く速い呼吸を繰り返す胸をそっと触ってみる。
「凄い…ドキドキしてる」
「拘束具みたいな布越しでも?」
「分かるよ…。それとも、これは俺の鼓動なのかな?」
有利のちいさな手を取って自分の胸に押し当てれば、やっぱり早く鼓動が伝わっていく。
「えへへ…同じだ」
「うん」
こっくりと頷くと、有利はするりとドレスを滑らせて肩を露わにする。
元の服に着替える為だとは分かっているのだが…扇情的なことこの上ない。
『俺の自制心は、本当に2年半も保つんだろうか…』
* * *
「まぁああ…っ!可愛いわぁあ…ユーリちゃん!」
「きゅむ…!」
挨拶をする前に、力一杯胸元に抱き寄せられてしまった。
豊満な胸元を惜しげもなく晒しているのに、ちっとも下品ではなくゴージャスな雰囲気を失わないのは個性と育ちのせいなのだろうか?コンラートの母であるツェツィーリエ・フォン・シュピッツヴェーグはシックな色合いとセクシーな形状のドレスを華麗に着こなし、初々しい花の如き有利を抱きしめた。
ドイツの屈指の富豪シュピッツヴェーグ家の令嬢であるツェツィーリエは、多くの崇拝者から見返りを求めぬ贈り物を多く捧げられる身である。顔合わせの会場となったホテルもその一つであることから、たった5人の集まりにもかかわらずワンフロアを貸し切っている。
何故か脇には本格的な楽団まで居て、ムーディーな音楽を奏で続けている。ツェツィーリエが言うには、後でダンスを踊るつもりでいるらしい。
「は、初めましてシュピッツヴェーグさん」
「あぁん…っ!これからはあなたのムッターになるんですもの。ツェリって呼んで頂戴?」
僅かなドイツ語しか習得できなかった有利は、いきなり挨拶の段階で挫けてしまった。
「コンラッド…お母さん、なんて?」
涙目で訴えると、コンラートが《ツェリと呼んで》と言っていることが分かる。
なので、上目遣いに一生懸命挨拶をやり直してみた。
「ツェリさん、宜しくお願いします」
「はぁぁん…っ!何て可愛いのーっ!!」
「きゅむーっ!」
またしても抱きすくめられて、義理の母の胸で窒息しかけた。そこを助けてくれたのは、先程まで様子を伺っていたグウェンダルとヴォルフラムだった。
「母上、そのように荒っぽく扱っては…ユーリが苦しがっていますよ?」
「そうですとも、日本人は骨格が華奢なようですしね」
有利の肩を抱いて庇う姿からは、やはり《なんと愛らしい…》という感想が溢れかえっていた。
「あ…グウェンダルさん、ヴォルフラム君、はじめまして。渋谷有利です。コンラッドさんとお付き合いさせて貰ってます」
「うむ。これからは家族付き合いをするのだ。グウェン…と、呼びなさい」
「僕のこともヴォルフと呼ぶが良い」
今度はなんとなくニュアンスで理解できて、有利はにっこりと微笑みながら呼びかけた。
「グウェン、ヴォルフ、よろしくお願いします」
語尾に精一杯ハートマークをつけて語りかけると、見事な勢いでグウェンダルとヴォルフラムの鼻の下が伸びた。
『うう…良心が痛むなぁ…きっと、《コンラッドが選んだ女性なんだ、少々見た目がアレでも親切にしてあげよう》って思ってくれてるんだろうな』
なんて思っていた。
何しろコンラートの家族は揃いも揃ってゴージャスな美形揃いなのだ。本来なら《こんな何の変哲もない子どもなど!》と激怒したっておかしくない。
…と、有利的には思うわけだ。
『コンラッドと同じで、凄く優しいんだなぁ…』
うるうる
キラキラ…
感謝と尊敬を込めて見上げてくる上目遣いの天使ちゃんに、そりゃあもう一同が悶絶したことは言うまでもない。
「コンラート!即刻ユーリを連れてドイツに戻れ!!これは兄としての命令だ!今すぐ本社から辞令を発令する!!」
バ…っと腕を振るって厳命を下す姿は、一群を統率する将軍閣下のようだ。
言っていることは単なる我が儘だが。
「いや…グウェン。ユーリはまだ高校生で…」
「留学させろ!」
「いやいやいや…友人関係とか、言語とか、学習課程の問題もありますしね?」
「こんなに可愛いのだ。ドイツでも良い友人が出来るし、日本の友人もなんなら留学させてしまえ!言語だってしっかりドイツ語を覚えれば、もっとスムーズに会話が交わせるではないか!しっかり教えろ!それがお前の義務だ!!」
思いっきり私情の入った要求である。
ヴォルフラムはヴォルフラムで、いつの間にかしっかりと有利の手を握り締めている。
「ユーリ、確か16歳と言っていたな?僕と同じ年だ!ギムナジウムに共に通おう!!」
「コンラッド…グウェンとヴォルフは何て言ってるの?」
「あぁああ〜…いやもう、ゴメン…うちの家族我が儘で…」
コンラートは頭を抱えて叫んでしまった。
* * *
後日、有利が実は男であることが分かる頃には、グウェンダルもヴォルフラムも今更どうしようもないくらいに有利贔屓になっていたのでありました…とさ。
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