「お庭番の観察記録」B
〜フォンヴォルテール卿篇〜












 陛下はまだまだ中庭の木陰でお休み中だ。
 その間に何人かの高貴な方々や一兵卒、侍女達が傍を通ったが、起こすのは忍びないと思うのか遠巻きに暖かな眼差しを送りつつ、足音を忍ばせては通り過ぎていく。

『愛されてるねぇ…』

 なんだかその事が、自分のことでもないのに無性に嬉しくて…口元がにやついてしまう。

 可愛い可愛い魔王陛下…!

 最初目にしたときは《可愛いだけが取り柄》としか感じられなくて、その整った造作か余計に憎らしかった。
 新雪を悪戯心で踏み躙(にじ)るみたいに、ぐしゃぐしゃにして泣かしてやろう…なんて企んでいた頃の自分を、力の限り殴ってやりたいと思うようになったのはいつ頃からだったろうか?
 
最初のうちは《コンラートを骨抜きにした》ってことが腹立たしくてちょっかいを掛けていたのだが、そのうちに…彼が入れ込むだけの価値が、この小さな魔王陛下にはあるのだと知ってしまった。

『たくさんの連中が、いまではあなたの価値を認めているんですよ?』

 何かに触れて教えて差し上げたいのだが、気恥ずかしくてとても直球で口にすることは出来なかった。

 そうこうするうちに…おや、今度は眉間にしわを寄せた男が、軍靴の音も高らかに陛下へと近づいて行くではないか…。

「陛下…っ!私は休憩をしても良いと言ったが、このような場所で休めとは言っていな…」

 怒鳴りつけようとしたその口元が、不意に奇妙な形に歪んだ。

 ふにゅ…

 目が覚めた風ではないのだが…腰に響く重低音が深睡眠中の脳にどのような影響をもたらしたものか、陛下は両腕を胸元へと縮込めると《くきゅぅう〜》っと拳を握って口元に寄せ、細い両脚も折り曲げてしまう。
 ちょうど赤ん坊のような姿勢をとって、眠りを妨げようとする刺激から身を護っているかのようだ。

『か…カーワーイーイーぃ〜……』

 思わず年頃の乙女のような嬌声をあげかけるが、すんでのところで止める。
 この可憐な姿を前にして、あの可愛い物好き閣下がどう出るか見物だったからだ。

「く…は……へ……っ」

 案の定、顔色を紅くしたり蒼くしたりを繰り返してとても怒声をあげるどころではない。うっかり口を開こうものなら、ヨザックと同様の声が出てしまいそうなのだろう。

 くるり…っ!

 突然、閣下は眉間にこれでもかと言うほど皺を刻み、口元を大振りな掌で覆い隠したまま踵(きびす)を返すと、軍靴の音を心持ち潜めながらその場を立ち去った。

『おや、つまんない…敵前逃亡ですか?』

 少々残念に思いながら顎をかいていたら、程なくして再び閣下は現れた。
 両腕に抱えきれないほどのふわふわした毛布だ枕だの、縫いぐるみだのを持って…。

「全く…一国の王たる者がこんなところで眠って、風邪などひいたらどうするつもりだ?大体コンラートはどうしたというのだ。いつもなら無駄とも思えるほど張り付いているくせに!このような時に傍にいないとは…護衛失格ではないか!」

 ぶつぶつ言いながら、閣下は丁寧な所作で陛下の身体を毛布でくるみ、そっとちいさな頭を持ち上げて枕をあてがい、ついでに腕の中に大きな茶色いうさぎの縫いぐるみを抱かせる。編みぐるみと違って設計図を正確に作成してから縫い上げるらしく、えらく出来の良いうさぎだ。

「この…油断しきりの甘ったれの、へなちょこ陛下め…っ!こんなところで賊に襲われでもしたらどうするつもりなのだ…?」

 悪態をつくわりに、その声は眠りを妨げないように小さく囁くようで…どこか甘さを含んでいる。

「…………国にとっても、私にとっても…大切な存在であることを今一度心にとめておいて貰いたいものですな…っ!」

 言ってから…《かぁぁあ〜》…っと目に見えて閣下の顔が真っ赤に染め上げられる。

『おーお…首まで真っ赤。純情だねぇ…うちの宰相殿は…』

 そして、ちらちらと周囲を見回しては誰かに来て欲しいような…欲しくないような顔で様子を伺っている。
 きっと、眠たそうにしていた陛下の仕事を自分で肩代わりしてきたのだろう。

 早く執務室に帰って仕事はしたい。
 でも、このまま愛らしい陛下を放置して、それこそ何かあったら大変だと思っているに違いない。

『やれやれ…』

 ヨザックは少しばかり距離を置くと、わざと大きな足音をたてながら近づいていく。
すると、閣下はうってかわってキリリとした堅牢な構えを見せ、《私も偶然通りがかったのだ》という顔をした。

 内心おかしくて堪らないのだが、からかうと気の毒なのでそのまま受けてあげた。

「閣〜下、珍しいですねぇ…こんな時間にお散歩ですか?」
「そんなわけがあるか。用事の途中に陛下の姿を見かけたのだ。全く不用心だとは思わないか?おい、グリエ。しばらくここで、陛下が目を覚ますまで護衛をしていろ」
「へぇ…?起こさなくても良いんで?」

 ちょこっとだけ悪戯心を起こしてそう言うと、閣下は憮然として唇をへの字に枉げた。

「………命令だ…!」
「へぇ〜い」

 にしゃりと笑って敬礼をしてみせると、ぷいっと顔を背けて閣下は立ち去っていった。
 
『何ともねぇ…可愛い人たちが纏めてる国もあったもんだな…』

 くすくすと込み上げてくる笑いがえらく心地よくて、ヨザックはそよ風に吹かれながら暫く一人で笑い続けたのだった。

 



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