「じゃあ、刈られたウェラー卿の耳を持つんだ。そして、元あった場所に押し当てて強く祈るんだ。《元に戻れ》…とね」

「…っ!?」

 黒うさぎは言われている言葉の意味をきちんと理解出来たわけではなかったのですが、言われるままに…それだけが唯一、茶うさぎを癒すすべなのだと信じて…殆ど反射的に斬られた耳をひったくると、茶うさぎの頭に押し当てました。

「治って…治ってぇ……っ!」

 ぼろぼろと…目が溶けてしまいそうな勢いで涙を零しながら、黒うさぎは祈りました。


 するとどうでしょう!

 淡い…柔らかなたまご色の光が黒うさぎの掌から溢れたかと思うと、茶うさぎの頭を優しく包み込んだのです。

「…治っ……た?」

 流れてしまった血はそのまま茶うさぎの顔を汚してはいましたが、それ以外はまるで何もなかったように…茶うさぎの耳はぴたりとひっついていました。

 その時、村田の声が厳かに響き渡りました。

「儀式はここに成就された!これはこの森の《古老》たる村田健の発令する、正式な認可である!」
 
 《古老》…それは、数十年に一度生まれる、希少にして神聖なうさぎです。
 
 《古老》として生まれた子供は言葉を喋るようになると過去の事を詳細に…それも、大人の口調で喋り始めますので、他の重鎮たる大人と同等に扱われます。

 村田も、1歳で言葉を喋り始めた頃から過去の事を話し始めましたし、ことに、その記憶を利用して物事を判断する能力も極めて高いうさぎでした。ですから、このような儀式全般も全て村田の掌中で展開されるのです。

 ですから、村田は多くの場合《猊下》という尊称で呼ばれ(本当の名前を呼ぶ者はほとんどいません)、その意向に逆らうことが出来る者はほんの一握りです。

「ウェラー卿コンラートは渋谷有利の夫として認められた!皆、依存はないな!?」

「異議なし!」

 ボブが重々しく頷きながら言いました。

「意義は…唱えたいが……くっ…仕方ない。決まり事なら……」

 勝利はまだ何ぶつぶつ言っていましたが、それでも不承不承頷きました。

 辺りの暗がりから次々に黒うさぎが現れると、皆、口々に認可の言葉を口にしました。

「……………あの」

 訳が分からないのは茶うさぎとユーリです。

 目をぱちくりと見開いたまま、口をぽかんと開けて村田を見やりました。

「二羽とも大したものだね。おめでとう。儀式は見事成就されちゃったねぇ…後は好きにすればいいよ」

 大して嬉しくもなさそうに村田は言うと、ひらひらと手を振りました。

「一体…どういう事なのですか?ユーリには不思議な力があるのですか?」

「そう…僕たちの噂…《不老不死をもたらす奇跡の兎》の元になっている《治癒》の力だよ。だが、これは僕たちの中でも特殊な力でね、かけがえのない存在を救おうとしたうさぎにしか身に付かない代物なんだ。しかも、必ず身に付くという保証はない。だから僕たちはこの力の発現をもって他種族受け入れの儀式しているのさ。君のような他種族のうさぎへの試練はそのお膳立てだね。今までも何例かこういう事例はあったんだけど、上手くいかなかった例では、他種族のうさぎが直前で逃げ出したり…悲惨な例では、治癒の力に目覚めなかった黒うさぎが発狂した…って事もあったね」

 茶うさぎはぞっとして背を震わせると、ユーリの小さな身体を強く抱きしめました。

「そんな危険があることを分かっていて、ユーリに儀式をやらせたのですか!?」

「そうだよ。そのおかげで君達は夫婦として認められた…良かったじゃないか」

 村田はつんとすまして答えましたが、横で聞いているボブは口の端を歪めて苦笑しています。

 村田は今世でこの儀式を執り行うのは初めてですが、前世ではなんどもこなしています。
 その時はボブが一緒だったこともあります。ですが…その時にはもっとずっと彼は冷静でした。

 ボブは…今回、村田が《渋谷有利》に儀式を行うことに対して酷く悩んでいたことを知っていました。

 村田にとって有利は、この森で…いいえ、世界でたった一羽だけ…村田を普通の子どもとして扱ってくれた《ともだち》だったのです。

 勝利が言うようにちょっと《お馬鹿さん》だったせいかもしれませんが、それでも…有利が自分に向かって屈託のない笑顔を向けて《むりゃた、一緒にあしょぼう!》と、舌っ足らずな愛らしい声で誘ってくれることが、村田の心をずっと支えてくれていたのです。

 たった一羽だけの…村田をいつでも《ほんとうのなまえ》で呼んでくれる《ともだち》なのです。

 ですから、彼が人間達に浚われたと聞いたときには全ての人間を憎みましたし、
死にものぐるいで情報を集めようとしました。

 そして今回、彼が何の予備知識もなしに儀式に臨むことで精神の異常を起こしたりしないように、促しをおこなったのも実は特別な計らいだったのです。

 ですが、村田はそれを態度に表したりはしませんでした。
 だって、そのことを茶うさぎに知られるのは何だかとても嫌だったのです。

「その、夫婦というのも…俺たちは雄同士ですよ?第一、ユーリはまだ子どもだし…」

 茶うさぎは村田の気も知らず、狼狽えたように呟きます。

「おや、夫婦の認可を放棄するのかい!?」

 途端に、ぱぁっと村田の表情が明るくなりました。

 今まで《面白くない》という感情も露わに仏頂面をしていた村田でしたが、口端はふんわりと和らぎ、瞳は晴れやかに輝いています。

「何?本当か!?」

 勝利も実に嬉しそうなほくほく顔で駆け寄ってきました。

「え……?」

 期待の眼差しで見つめられ、茶うさぎは困惑してしまいます。

「コンラッド…俺とフーフになるの……イヤ?」

 夫婦の肉体的なアレコレなど全く知らず、ただ《ずっと一緒にいられるうさぎ》になることなのだと信じているユーリが、瞳を潤ませて見上げてきます。

 茶うさぎは追いつめられました。

 ユーリを悲しませるのはもちろん嫌ですし、この喜色満面な二羽を喜ばせるのはもっと嫌な気がしたのです。

「さぁさぁ!放棄宣告しなよっ!」

「夫婦じゃなくなってもちゃんとこの森には入れてやるからさ!」

 三羽の黒うさぎにとりかこまれた茶うさぎはだらだらと脂汗を垂らしていましたが…やがてごきゅりと唾を飲み込むと、意を決して言いました。

 

「不束者ですが…ユーリの夫として認めて下さい…………」

   

 途端に二羽の態度ががらりと変わりました。

「はぁ?何だよ、さんざ期待させといてさぁ!その返事な訳ぇ〜!?」

「大体、どっちも雄なのにゆーちゃんの意見も聞かずにお前が夫かよ!」

 
 けちょんけちょんです。

 集中砲火です。

 けれど、ユーリだけは輝くような微笑みを浮かべて茶うさぎを見上げています。

「俺、コンラッドのおヨメさんになるんだね!ニイズマ座りっていうのヨザックに習っとくね!」

「……ユーリは今のままが一番ですから、あんな筋肉達磨に教えを請うことなど何一つ無いですよ?」

「そう?じゃあギュンターが言ってたシトネのサホーも習いに行かなくて良い?」

「習わないで下さい。ギュンターは俺の方で始末しておきます」

「シマツ?」

「こちらの話です。気にしないで下さい」

「あー…やれやれ、これでウェラー卿は可憐な幼妻を迎えたわけだ。羨ましいねぇ…中年男の憧れだよねぇ…」

「俺、オサナヅマなの?カレンってカレーのこと?俺はピリ辛なの?」

「お願いです、ユーリにこれ以上妙な単語を教え込まないで下さい……」

「はいはいっと」

 甚だ不熱心な声で村田は言いました。

「それにしても…何故、受け入れの儀式が自動的に夫婦の認可になるのですか?俺はてっきり、決して外部の者に黒うさぎの秘密を漏らさないように、誠意を見せるための儀式だと思っていたのですが…」

「それはそれで間違っていないけどね、ついでに極限状態で能力を引き出させるという意味合いも強いね。それと…夫婦認可ってのは、今までは原則としてそういう展開ばかりだったから、前例に倣うと自動的にそうなるつてだけさ。雄うさぎにしろ雌うさぎにしろ、森から偶然出たときに他種族のうさぎに出会って恋に落ちて、その後は《二人で駆け落ち》《片割れだけ儀式に怖じ気づいて逃走》《儀式をやったけど治癒の力が目覚めずに儀式失敗》《上手いこといって夫婦認定》…基本的にこの四種類のコースを辿っていたからね。君達みたいに雄同士で離れがたくなっちゃってる例は初めてだから、僕たちも正直、最初はどうしたものかと頭を悩ませたものさ」

「はぁ…」

「しかも…渋谷はこの通り、夫婦の肉体的な営みなんてとんと理解出来てない《ねんねちゃん》だしね。僕だって心配さ…君のギャラクティカマグナムが渋谷のちっちゃな下の口に押し込まれたりしたら、壊されちゃうんじゃないかってね」

「押し込みませんっっ!!」

『少なくとも、16歳を迎えるまでは…』

 一生涯押し込むつもりがない…というわけではないので、ぽそぽそと茶うさぎは囁きます。

「ふぅん…君、本当に我慢出来るんだろうね?僕は形として夫婦認定を出しはしたけど、渋谷の身体にもしものことがあったり、夫婦の実態を知ったショックで渋谷が泣いたりしたら…」

 村田の瞳が底冷えのする色を湛えます。
 その眼差しはまさしく、数千年の時を閲した《古老》のそれでした。

「…どんな手を使ってでも、君を始末するからね?」

 茶うさぎは儀式の事を知ったときよりも強い戦慄を感じて、背筋を震わせました。

「コンラッド…夫婦って大変なの?下の口って前にヨザックが言ってたやつだよね?コンラッドのぎゃらくてぃ…なんとかを俺の下の口に押し込むのは大変なの?俺、壊れちゃうの?…ば、バラバラになったりする?ちゃんと治る?」

 有利はよく分からないながらも、《夫婦の営み》が儀式並みに大変らしいことを察して、心なしか青ざめました。 

「ユーリがもっと大きくなって…成兎したら大丈夫になりますから、今はあまり心配しないで下さい」

「そう?」

「まぁ…それまでウェラー卿が我慢出来ればの話だけどね」

「え?我慢?」

「猊下…本当にお願いします…。ユーリに下世話な話を吹き込まないで下さい!おいおい成長の度合いに従って説明しますし、その…身体や心に負担が掛かるような行為も、成長するまでは控えますから」

「ふぅん…控えるんだ。絶対しないとは言ってくれないんだねぇ……?」

「いやいやいやいやいやいや……………げ、猊下…ちょっと失礼します!」


 茶うさぎは村田の言葉責めから物理的に逃れるべく、ユーリを抱えて高台に移動しました。




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