「愛しのコンラート様」C







「さぁ〜あ、見事池を渡られた皆様…今からが本番ですわっ!」

 ツェツィーリエがたおやかな腕を撓らせると、その動作に合わせて滑らかな楽の音が響き渡る。

 やっと舞踏会らしくなってきた…と言いたいところだが、ここまで勝ち抜いてきた顔ぶれのせいもあり…なかなか一般的な雰囲気からは逸脱していた。


*  *  *




『ぅお……』

 グウェンダルは目を逸らそうとするのだが、《怖いもの見たさ》なのかなんなのか…ついつい奪われてしまう視線の先に、でっぷりと肥えたコルマーレ卿がいた。

 
 ふん…は…っ!
 とぅ…や…っ!!


 切れ味の良い脚捌きに、機敏なターン…正確なだけでなくリズム感に溢れた動きは見事としか言いようがない。
 ……のに、どうして全体としてみると奇妙なのか、グウェンダルは止めておけばいいのについつい考えてしまった。

『……………あの男…どうしてあんなに視線が上に固定されているんだ?』

 そう、コルマーレ卿の眼差しはうっとりと…自分より頭一つ分高いところを見詰めているのだ。
 キスを強請るようにおちょぼ口にしているのもかなり気持ち悪い…。

『……私と踊っていることを想定しているのか…っ!?』

 ぞぉぉぉぉぉおおおお………っ!

 いい知れない悪寒にグウェンダルの背筋が総毛立つ。
 コルマーレ卿の想像の中では、グウェンダルが陶然とした眼差しで彼を見詰めているのだろうか?
 怖々見ているグウェンダルに気付くと、コルマーレ卿は福々しい頬を一層綻ばせ…感極まったように《ぁうっ!》…っと上向くと、錐揉み状に回転し始めたのであった。
 

 それはまるで…洗濯槽の中に、脂を染みこませた脱脂綿を突っ込んで脱水を掛けているかのようであった…!


 ブルルルルルルル…………っ!


 小刻みな振動を交えながらコルマーレ卿がスピンする度に、噴き上げてきた汗が飛沫となって周囲に跳ね飛び、周りで踊っていた女性達が悲鳴を上げた。
 
「きゃあぁぁあああああああああぁぁぁぁぁ……っ!」
「な、生暖かいぃぃ……っっ!!」

 飛び散った汗に怯んで踊りを乱してしまう者が続出する中、見事な反撃を繰り出したのがラダガスト卿マリアナであった。


「ほわりゃああぁぁ……っ!」


 ゴォォォオオオオオォォォォ………っ!!


 奇声を上げつつ《冥王颯破斬》を繰り出すと、紅いドレスが血飛沫のように宙を舞い…疾風の壁となって汗を叩き返したのだ。

 ちなみに、コルマーレ卿とマリアナの間に位置した女性達については気の毒としか言いようがない状態であった。

 脂ギッシュなコルマーレ卿に直接触れたくないばかりに止めることも出来ず(激しくぬるぬるしそうだし…)、マリアナの繰り出す必殺技は触れれば文字通り、《必ず殺されそう》な勢いなので物理的に手出しが出来ない…このため、二方向からねちっこい汗を喰らうことになった彼女たちは、阿鼻叫喚の地獄絵図を演じる羽目に陥ったのだ。

「う…ぅう〜…っ。ダ、ダンスをしに来たのにどうしてこんな目に遭うのぉぉ〜!?」

 汗だくで涙に暮れる参加者も気の毒だが、更に気の毒な男が雛壇にもいた。

 

*  *  *




『う…ぅう〜…っ』

 先程からコンラートの前に陣取っているスメタナ卿が、不気味な眼差しを送りながらねちっこい舞を見せつけている。

 スメタナ卿の勝負服は胸元が大きく開いたエナメル光沢のシャツであり、やや貧弱な胸元には不似合いなくらいの胸毛がびっしりと生えている。彼の方はそれが非常にセクシーだと思いこんでいるのか…しきりとコンラートに見せつけるようにしてくねくねと踊り狂っている…。

『止めてくれ〜…俺に向かって腰を突き上げたり、胸を反らしてセクシーポーズを取るのは止めてくれ〜…うわ〜…汗に濡れたシャツの下から毛が生えた乳首が浮かぶーっ!イヤーっっっ!!!』

 腰を凄まじい速度でかくかくと振るわせながら熱い吐息を漏らし、なまめかしい流し目を送ってくる男に、コンラートはぴるぴると心のウサ耳を震わせながら怯えていた。

 生理的に受け付けないあの男が優勝してしまったとき、コンラートは一体…母のために何処まで耐えなくてはならないのだろうか?


『ユーリ…ユーリ……っ!』


 目に優しいものを…と、泣きそうになりながら有利を探し求めれば、こってりとした人々の間で溺れるようにして有利が踊っていた。

 華奢な体躯は可憐な小花のようにくるくると舞い、そこだけが春の陽光に照らされているかのように微笑ましい雰囲気に満ちている。
 正統派の踊りは濃い人々の間ではやや印象が薄くなってしまうものの、見ている者の心をほっと安堵させるようなやさしさに満ちていた。

 時折目が合うと、はにかむように《にぱり》と微笑んでくれるものだから、その度に彼の周りにはキラキラとした小花が舞って見える(←追いつめられたあまりの幻覚らしい)。

『ああ…ユーリ……可愛いなぁ……』

 ぽんやりと目を和ませるコンラートは、蜂蜜色に瞳を蕩かせて有利を見詰めた。

 しかし…コンラートの視線を先程まで(悪い意味で)独り占めしていたスメタナ卿には、この状況がお気に召さなかったらしい。
 有利をギラリと睨め付けると、高速スピンをかけてその傍まで回り込んでいく。
 
「このスベタ!コンラート様に色目を使うものではないっ!」  
「へぁ!?」

 スメタナ卿はあろうことか、有利を転ばせようとして爪先を引っかけてきた!

 だが、有利も草野球とはいえどキャッチャーを務める身だ。スライディングに怯んでいては本塁など護れるものではないし、コンラートだって護れない…!

「舐めんなよっ!」

 ぴょーっんとジャンプ一番スメタナ卿の足を避けると、有利は逆に彼の脇へと回り込んで体重の乗るポイントを定め、勢いよく身体を回転させた。

「ゴメンあそばせっ!」

 ドォン……っ!

 お尻を突き出してスメタナ卿のそれとぶつけ合えば、思わぬ方向からの攻撃に細身のスメタナ卿は面白いほど吹き飛んでしまう。

「うぉう!?」

 だが、敵も然る者引っ掻く者…スメタナ卿は粘り腰には定評のある男であった。
 他にも色んな意味で粘っこい男ではあるが、特に舞踏中によろめいたところからの立ち直りに掛けては、百回混ぜた納豆菌糸並の粘り気を誇るのだ。

「ほわりゃっ!」

 スメタナ卿は不安定な体勢から、満身の力を込めて脚を蹴り上げた。


 この時、彼の胸に去来するのは苦しかった…そして、楽しかった特訓の日々だ…。

 
 《コンラート様を一日好きにすることが出来る》…この舞踏大会で優勝すればその権利を手にすることが出来るのだと知ったあの日から…スメタナ卿フォルゴレは妄想に心と股間を膨らませながら炎の特訓を続けてきたのだ。
 今だって足の裏にはびっしりと血豆が出来て、先程の高速スピンの際にかなり潰れてしまった。


 だが…その痛みはスメタナ卿にとっては、寧ろ快感と呼んで良い感覚であった。


 なにしろ、彼の切なる希望はボンテージ姿のコンラートから、あの美声で嘲笑されつつ…《この変態!》とか、《こんなものが気持ちいいのか?何という薄汚い下衆野郎だ!》と言葉責めされ、陰部に紅い蝋燭を滴らせて貰うことなのだ。


『はぁ…コンラート様ぁ……っ!!』


 《恋》という字が第27代魔王陛下の住まう国では《変》という字に酷似していることをスメタナ卿が知るよしもないが、そのまま体現してしまう辺り…恋に国境はないらしい(←意味がちょっと違う)。

『私の恋心よ…この小娘を蹴散らせっ!』

 祈りを込めては見たものの…思わず陶然として蹴り上げたせいだろうか?
 スメタナ卿は狙いをつけた有利ではなく…決して敵意を差し向けてはならない女性に向かって、爪先の尖った革靴を飛ばしてしまったのである。


 カーン…っっ!!


 靴の、木製の底板が頭蓋骨との間で妙にいい音を立てる。
 しかし頭に靴を打ち付けられた女性は、不意を突かれたにもかかわらず踊りを止めることはなかった。
 それは彼女の愛が燃えていて、踊りを止める時はこの脚が折れた時だと決めているからだ(←どこまでスポ根……)。


 だが、彼女は誇り高きラダガスト卿マリアナである。


 決して決して…コンラートへの愛に燃えている最中に、靴を頭にぶつけられて黙っているようなタマではない。

       
 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……………


ゆっくりと…ゆっくりと、折しもスローに変調した曲調に合わせてマリアナがスメタナ卿の方角へと身体を回転させていく……。

「……ひっ!」

 強烈なM男であるスメタナ卿は、恐怖の叫びを上げると同時に…これまで体験したことのない衝撃に晒されていた。

『な…なんと凄まじい殺気…蔑むような眼差し…っっ!!』

 不動明王も吃驚な怒気を漂わせるマリアナの笑顔(←笑ってないと減点だから)に、きゅ…ぅんと胸のときめきを感じるのと、スメタナ卿が紅魂蹴破撃に吹き飛ばされるのとはほぼ同時であったという。

  

*  *  *





「ほほほ…勝ち残ったのは結局私たちだけのようですわね…」
「は…はぁ……」

 舞踏会が始まってから5つ目の曲目に入ったとき、《勝ち残った》のは確かにマリアナと有利だけであった。

 しかし、これは《百人斬り無差別格闘技大会》ではなく、《舞踏大会》の筈である。
 それが何故立っている者が二人しかいないかというと…。誰も彼もが脚を引っ張り合い、マリアナに何らかの形で突っかかり…そして返り討ちに遭うという図式を辿る間に、天性の反射神経のおかげでひょいひょいと避け回っていた有利だけが無事だったというわけである。

 こういうのを《勝ち残った》と表現して良いのか分からないが、取りあえずドッチボールなら最期までコートに立っていれば勝利なので、問題ないのだろうか?


 ひゅるぉぉぉ〜〜ううぅぅぅ……


『イヤーっ!何でこんな時に雰囲気を醸し出すみたいに荒野っぽい風が鳴るー!?これってこれって…舞踏大会だよね!?』

 獲物を狙う雌豹のようなマリアナに睨め付けられ、有利は怯えた仔兎のようにぽぴんっと跳ねたが…それでもアニシナ製のドレスのおかげで曲に合わせて踊っていられる。

『そうだ…俺、ずっとこのドレスのおかげで踊ってただけだ…』

 は…っと有利は我に返る。
 有利はアニシナのドレスによって動きを止めずに舞踏を続けていただけで、他には舞踏大会に勝利するために何をしたというのだろう?ただ…逃げ回っていただけではないか。

 本当に《勝ち残った》と言う権利があるのは、マリアナだけだ。 
彼女の戦いぶりに応える為にも、有利は全力を尽くして踊るべきなのだ。

『コンラッド…俺、頑張るね?』

 囚われの王子様(笑)状態の三兄弟に目を遣れば、みんな心配そうにはらはらと有利のことを見詰めていてくれる。彼らを救い出すためにも頑張らなくては!

 有利の眼差しが力強いものに変わったことに気づいたのだろうか?
 
 マリアナは好敵手を認めて瞳を爛々と光らせると、高らかに宣戦布告したのであった。



「さあ…次の曲が終わったとき、この中庭に立っていた者が勝利者よ!」 
「趣旨変わってるーーーーっっっっ!!!!!」


 
 有利と三兄弟の絶叫が轟く中、最終決戦の火蓋が斬って落とされた。






つづく