「愛しのコンラート様」B







 シュピッツヴェーグ城の中庭に詰めかけた人々は、元旦に百貨店へと福袋を求めて詰めかけた客の如く鼻息が荒く、あまりの混み具合と殺気だった雰囲気に、とても舞踏会など出来るような雰囲気ではなかった。

 そこでもしょもしょと相談しあったシュピッツヴェーグ兄妹は、突如として参加者の《ふるい落とし》をすることにした。

 このような事態は十分想定出来るのだから最初から選定しておけばいいようなものだが、行き当たりばったりなこの兄妹は、当日盛況な賑わいが見られることを期待して無制限に呼んでしまったらしい。

「はぁ〜い皆さぁ〜ん。こ・れ・か・ら〜、この池を渡れた方だけが舞踏会に参加出来ますよぉ〜」

 ツェツィーリエがウグイス嬢よろしく可憐な声を響かせるが、示された場所を見て参加者の殆どは《う゛…っ》と息を呑んだ。

 広大な池には季節柄、緑色の藻が蔓延り…実に滑りそうな具合に水苔の張った岩が点在している。どうやら…その岩を飛び越して対岸まで渡れと言うのだ。

「な…何を仰いますの?」
「そんな…ドレスが汚れてしまいますわっ!」

 憤激する参加者を尻目に、華麗にずずいっと出てきた勇者がいた。
 目に眩しい鮮紅色のドレスに身を包んだ、ラダガスト卿マリアナである。

「コンラート様の為ですもの…私、愛のために飛んで見せますわっ!」

 ひらりと鮮紅色の絹布が閃いたかと思うと…マリアナは華麗にとなって池を渡り始めた。

 おおおおおぉぉぉぉぉ………っっ!!

 人々の感嘆の声が会場中に響き渡る。
 何とマリアナの繰り出す差し足は目にも留まらぬ早さであり、ドレスと同色の高いヒールが、トカカカカカッ!っと軽い音を立てながら岩を蹴る様はまさに《紅い閃光》と呼ぶに相応しい。

「ほほほほほほほほほほほほほほ……………っ!!」

 高笑いまでする余裕に人々は瞠目するが、同時に、しなきゃもっと女性らしいのに…とも思ったりする。

「す…凄ぇ…赤いザ○は三倍早いって言うけど本当だったんだ…!」

 マリアナは○クではないが、この際それはどうでも良い。赤い市民球団所属の脚が早い選手達もアンダーソックスの赤を多めに見せることが多いが、それも関係ない。

 有利にとっては《コンラートへの愛のために》とされたことの方が重大だ。
 ここはひとつ侠気を出すためにも、勢いよく挙手せねばなるまい。

「う…ぉ、俺…いや、私も行きます…っ!」

 有利はアニシナに借りたドレスを勢い良くたくし上げると勢いをつけて岩に飛びついた。

『あわわわわ…ゆ、ユーリ…っ!脚が見えてしまいます!』

 あわあわとコンラートが慌てるが、他の参加者達は有利のすらりとした下肢に目が釘付けだ。
 
「たぁっ!…やっ!」

 かつ…かっ!…っと靴音を立てて飛んでいくのだが、一つ飛び、二つ飛びする度にあっちにふらふらこっちにふらふら…危うく池に落ちそうになる度に、見ている者達ははらはらドキドキしてしまう。

 しかも、ふらつく度に怯えたように頬が引きつり…なんとか一つ渡るとぱぁ…っと花のように微笑むものだから、気が付けばついつい応援してしまうのだ。

「そこだ…行けっ!」
「ああ…危ないっ!右…違うーっ!右ーっっ!!」

 三兄弟に至っては完全にスタンディング状態であり、手を振り足を踏みならし、冷や汗で背中をびっしょりと濡らしながら声援を送っている。

「たぁーっっ!」

 最期に大跳躍を見せて…ついでに、一際大きくガーターベルトを締めた腿まで見せて有利が着地に成功すると、一同から暖かい拍手が送られる。

「どもども、あ…ども!」

 有利は有利で調子に乗ってしまい、両手を頭上で握ってぺこぺこと四方八方に頭を下げるものだから、その微笑ましい動作にみんなにこにこ顔になってしまった。


 さてさて、他の参加者達はどうなったのだろうか? 


 実は…三兄弟が怯えていた三種三様の挑戦者達は全員見事、渡池に成功してしまった。 しかも、渡池に成功した面々を見るに…三兄弟はあることに気付いてしまったのであった。

 幸いにして野球小僧の有利が渡れたのは良かったのだが…正装でこんな池を渡ろうとして、それが可能な人物というのは…正直、かなりのイロモノなのである。

 見回してみればその殆どが癖のある人物ばかりで、三兄弟への嫌がらせのために振り分けたのかと思うくらい濃い面々なのだ…。

『し…シュトッフェルゥゥゥ……母上ぇぇぇぇ………っ!』

 三兄弟の心の絶叫が轟いた。



*  *  *




「はぁ〜…何とか渡れてよかったぁ…」

 有利がほっと胸を撫で下ろして広葉樹にもたれ掛かると、さわさわと涼風が吹いて上気した頬を心地よく撫でていく。

 ほ…っと息をついているところに、急に人工的な香り…麝香かなにかの匂いが混じってきた。高価そうだが、何処か癖のある香りに《うにょ?》っと有利が眉根を寄せると、鼻先にまた別の香りが混じる。

 一輪の、真っ赤な薔薇であった。

「お嬢さん…先程の勇姿を見せて頂きました。いやぁ…素晴らしい跳躍でしたな!」

『げ…っ!』

 なんと、それは妙に艶っぽい雰囲気を醸しだしているシュピッツヴェーグだったのだ。 どうやら麝香のような匂いは彼の服に焚きしめられたものであるらしい。くどくてちょっと苦手だ。

「い…いえ〜…最初に飛んだ赤い人の方が凄かったですよ」
「いやいや、私の目にはあなたの脚…いえいえ、可憐な美しさの方が好ましく感じられましたよ。どうです…?私はあの三兄弟の伯父ですので、昔話なども豊富に持っておりますよ?よろしければあちらでお茶でも飲みながらお喋りでも楽しみませんか?」
「いえいえいえ…結構です!」
「まあまあ、そう言わず…」
「や…やめ……っ!」

 えらく有利(…の、女装姿)を気に入ったらしいシュトッフェルが強引に手を引っ張ろうとすると…

 ドォン…っ!

 突然…有利とシュトッフェルの間に衝撃波が飛び、視線の先で広葉樹の幹に円形の陥凹が生じたかと思うと…めりめりと音を立てて木が倒れていった。

 木と反対の方向を見やれば、あの赤いドレスを纏ったマリアナが蹴り上げた下肢を戻している最中だった。

「紅魂蹴破撃…凄まじい威力ですわお嬢様!」
「蹴りつけた衝撃で大気を震わせ、六つ角の大牛さえ一撃で仕留めるという大技…」
「素晴らしい破壊力ですわお嬢様!この日のために特訓された甲斐がありましたねっ!」

 マリアナのお付きの侍女達は、《ヒュォオオ…》っと武闘家特有の息を吐きながら調息する主(武論尊作画調)に、半笑いを通り越して全開の笑顔になっていた。
 《熊殺し》に続いて《牛殺し》の通り名を手に入れてしまった主が一体何処に向かっていくつもりなのかは分からないが、ここまで突き詰めてしまえば…ある種凄い才能とも言える。

 意中の人にモテるかどうかは不明だが、取りあえず国が転覆しても食いっぱぐれはなさそうだ。

「フォンシュピッツヴェーグ卿シュトッフェル様…」
「ななな…な、何だぁ!?」
「舞踏会の審査員が、参加者と個人的に親密さを増すことは公平とは思われませんわ。あなたもあなたよ!」

 びしぃ…っ!
 突きつけた指先が音を立てて空を切る。
 更に修行を重ねれば、ビール瓶に人差し指で穴を空けられるようになるかも知れない。
 
「下品にも脚を見せつけたり審査員に阿(おもね)ったり…私、断固としてあなたの優勝は阻止してみせるわっ!あなたのような卑怯者にコンラート様を渡すものですかっ!この日のために血の滲むような努力をしてきた私の舞踏で、あなたの野望を打ち砕いてみせる…!」

 結果として間違ってないが、長男と末っ子の立場は一体…。

「え…ちょ…違……っ!」
「さあ、舞踏大会本番では吠え面をかかせて差し上げるわっ!」

 ほほほほほほほほほ…………っ!

 高笑いを残してマリアナは去っていった。


*  *  *




『あーあ、変な誤解されちゃったなぁ…』
 
 ちょっと変わった人だが、豪快な渡池と言い、個性的な物言いといい…面白い人だと思ってたのに。
 それに、《ズルをしている》ことにかけては確かに間違いではないのだ。
 
 このドレスには曲に合わせて最適な踊りが出来るような魔道装置が入っており、有利の能力にかかわらず高度な舞踏が出来るはずなのだ。

『やっぱ、こんなズルをしてまでコンラッドを護ろうだなんて…烏滸がましいのかな?』

 ちょっと半泣きになって小石を蹴っていたら、物陰でぶつぶつと呟いている人を発見してしまった。

「ふふふ…あははははは…」

 見るからに危険な雰囲気を漂わせている男は、下睫が妙に発達した若い男で…大きな箱の中から取りだした鞣革のビスチェを愛おしそうに撫でている。

「ああ…コンラート様…愛おしい、私の蝶……っ!なんとしても優勝して、一夜私を苛め尽くして欲しい…。ああ…このビスチェを着込んだコンラート様に《跪いて靴を舐めろ白豚!》と罵倒して頂きたい…っ!あぁあああ…地べたに這いずって、コンラート様の○○をしゃぶりたい…っ!今こそ、今こそ特訓の成果を示すときだぞ!私の愛は必ずや淫らな華を咲かせるはずだっ!」  

 かくかくかくかく…っ!

 発情した犬のようにビスチェに腰を振り付ける男は…相当なM男のようだ……。

 えらいものを見てしまった有利はくるりと踵を返すと、決意を新たにした。

 良い、もーどんな手を使ってもいいから、とにかく勝てばいいっ!
 あんな危険な人に渡す危険があるなら、やっぱり有利が優勝しなくてはならない。 

 さっきの赤いお姉さんにしても、コンラートが一撃で仕留められては困る。
 色んな意味で。

 
「が…頑張るぞぉ……っ!」

 
 精一杯高く握り拳を突き上げ、有利は舞踏会場へと走り始めた。


つづく