「愛しのコンラート様」A










「ほぁちゃあぁぁぁぁ………っ!!」

 長いドレスの裾が閃くと、剣の切れ味を試すために立てられた藁束がズバ…っと斜めに切断される。

 何という俊敏かつ力強い腰の動きか…っ!

 ラダガスト卿マリアナの繰り出した必殺奥義《冥王颯破斬》(誰を殺すつもりなのか…!)は、凄まじい腰の回旋力により、絹布で藁束を切断できるまでに強化されていた。
 もともと舞踏には秀でた彼女ではあるが、ここまで技を研ぎ澄ますためには血の滲むような特訓を繰り広げてきた。

 ただ、気合いが入ると先程のような奇声を発してしまう癖があるので、本番では優雅な笑みをたたえながら…叫ばないでいることが一番の課題だ。

「素晴らしいですわ、お嬢様っ!大会優勝者はもうお嬢様に決まったようなものですわっ!」
「ええ…本当に凄まじいまでの威力っ!!」

 太鼓持ちの侍女達が叫ぶが、内心は半笑いだ。
 このマリアナという女性は、名家の出でスタイルもよく結構な美人なのだが…一所懸命すぎるのか、時折見当違いな方向に努力を展開してしまう。

 正直…ドレスの裾で熊も倒せそうなほど逞しい女性は、男からは敬遠されると思うのだが…。
 《熊殺し》の異名が持て囃されるのは、伝説の武闘家オーヤマァー・マスターアーツの信奉者くらいなものだろう。

「ほほほ…まだまだですわ。あと一息で私、鉄条網も切断できるようになると思いますのっ!」

 高笑いをするマリアナの方向性は相変わらずだ。
 一体何処までドレス《武闘技》を強化していくつもりなのだろうか…。
 
 煽(おだ)てていれば機嫌がよいが、逆らうとヒステリックに叫ぶマリアナを止めようとする侍女は、一人もいなかった…。 


*  *  *




 
 眞魔国中の身分ある女性…あるいは男性と、その他、人外生物の皆さんが胸躍らせて待ちわび、積み重ねて来た特訓に陽の差す時が訪れた。

 本日…いよいよ舞踏会が開催されるのだ。

 フォンシュピッツヴェーグ領主の居城では、蟄居を解かれて上機嫌のシュトッフェルと共にツェツィーリエが(正確には、その部下達が)、万全の支度を調えて参加者をもてなした。

 特に身分の高い貴婦人方には特設の個人用控え室が設けられ、ドレスや髪型の最終確認を行うためにみんな余念がない。

 身分では多少見劣りするものの舞踏の腕には覚え有りの人々も、宛われた大部屋のなかでやはり最終確認を行っている。

「コンラート…ユーリはやはり来ないのか?」
「ああ…《折角だけど、テストが近いからゴメンねー》と軽やかに笑っておられたよ…」

 苛立たしげに爪を噛んでいるヴォルフラムに、すっかり遠い目になったコンラートが答えると、グウェンダルも何時にもまして深い吐息を吐いた。
 壮麗な舞踏会用の衣装に身を包む彼らは、麗しの王子様そのものであったが…その表情は、屠殺場に連れられていく仔牛のそれに近い。

「このような下らない企画に参加しなくてすむとは、羨ましい限りだ」
「そうですねぇ…なんだかこう……過去の傷が疼きますね……」
「言うな……」

 グウェンダルの口内に、苦々しい唾液がこみ上げてくる…。

 そう…実は、彼らが母親の提案でこのような企画に強制参加させられるのは、今回が初めてのことではない。
 ヴォルフラムはまだ幼かったので事なきを得ているのだが、グウェンダルとコンラートは似たような企画に駆り出されて酷い目に遭っているのだ。




 忘れもしない…50年前のことである。

 その当時流行った文学小説にちなんで、グウェンダルとコンラートは《真実の愛探し》とやらに付き合わされたのだ。
 その小説というのが、《本当に愛していれば、愛する者の真の姿を見抜くことが出来る》というコンセプトであったため、二人はアニシナの作り出した薬によって姿を変えられ、《真実の愛》とやらで見抜く者がいれば真の姿に戻れる…筈だったのだ。


 ところが、そんな《愛》を持った者は皆無であったらしい。


 大勢の参加者が山と積まれた《グウェンダルとコンラートっぽいもの》の中から二人を捜そうとしたのだが、結局一人も敷石の一枚に変じたグウェンダルと、池の藻に変じたコンラートを見つけてはくれなかったのである。
 
 しかもそんな企画を組んだツェツィーリエ当人が、正解者が居ない間延びした空気に耐えきれず大会を中断してしまった上、アニシナはアニシナで、姿を変えた二人が結局何になったのかを忘れてしまっていた。

『三日もすれば勝手に元に戻ります』

 アニシナの出した結論に従い、二人は何日も何日も野ざらしにされていた…。

 しかも…真っ昼間の庭で突然もとの姿を取り戻した二人は、全裸で貴婦人方のお茶会のただ中に出現してしまったのである。

 あの、好奇と歓喜に満ちた瞳が、二人には今でも精神的外傷となって残存している…。





「グウェン…あなたを狙っているコルマーレ卿がこられましたよ…。ああ…純血魔族なのに、どうしてあの方はあんなにお腹が突きだしておられるのでしょうね?随分と脂ギッシュですし……。そもそも、そんな体型でどうしてあんなに舞踏がお得意なのでしょう?」

 コルマーレ卿はパ○イヤ鈴木によく似た容貌をてらてらと照り輝かせながら、踊りの練習に余念がない。腹が立つくらいに踊りが見事なのもグウェンダルの胃をきりきりと締め上げる。

「お前を狙っているスメタナ卿も来ているぞ。ああ…あの大きな革箱には、六畳鞭だの組み立て式三角木馬だの…拷問道具がぎっしり詰まっているらしいな……」
「うわぁあぁ……」

 美形といえば美形なのだが、れっきとした男で下睫が妙に発達しているスメタナ卿は、しきりにコンラートへと熱い眼差しを送っては愛おしそうに革箱を撫でている。
 いま、彼の脳裏でコンラートは大変なことになっているに違いない。

 コンラートは《ルッテンベルクの仔兎》と呼んであげたくなるくらい、真っ青になって震えていた。ちょっと想像しただけで戦慄してしまったようだ。

「ほぅらヴォルフ…お前の大ファンのロートレール卿だぞぉ…。良かったな、女性で……」
「良いもんかぁぁあっ!!なぜ女性嗜好の彼女が、僕に執心なんだ!?」
「ははは…彼女の嗜好は女性だけじゃないぞ?女装した少年相手に色々試みるのも大好きなんだ……」
「うっうっうっ……!」

 ヴォルフラムの肩が律動的に震える…。


 全員、《一日優待券》など使用されても、とても耐えられないような事態になれば逃げを打とうとは思っている。だが…どうにもならない一線手前までは、ある程度耐えなくては母の体面が保てまい。
 無駄に母親思いの三兄弟にとって、ツェツィーリエの《お願い》は絶対命令に等しいのだ。


 ざわ……


 その時、不意に人々がざわめいた。
 
 鬱蒼としていた三兄弟も、声に誘われるようにして目を向けた先で…息を呑んで凝視することになった。

 これまでも華麗な女性は数多く姿を現したが、いずれも鼻息荒く、出走を控えた競馬ウマのような気配で三兄弟を圧迫していたというのに…そこに佇んでいた少女はなんとも愛らしい様子で、きょろきょろと辺りを見回していた。

 豪奢だが息の詰まりそうな極彩色の華のなかに…そこだけほんわりと可憐な春の花が咲いているかのようだ。

 まろやかな頬には淡く紅が掃かれ、大粒の瞳は夢見るようなハシバミ色…栗色の巻き髪は少女らしく背に流されており、翻るような動作に合わせてふわふわと風を受ける。


 その少女が…こちらを見た。


 目が合ったかと思うと、少女はとろけるようにやわらかな笑みをたたえてふんわりと微笑んだのだった。
 辺りで見守っていた人々は、そのあまりの愛らしさに息を奪われ…視線を外せずに硬直しているが、三兄弟は別の意味で硬直した。

「……っ!」
「っ!!」
「……っ!?」

 三者三様に息を呑んだ三兄弟は、次いで…ゆっくりと互いに視線を合わせた。

「………あれ、は……」
「ユーリ」
「だな……」

 《真実の愛》を試されても絶対見抜ける自信有りのコンラートが力強く頷けば、残りの二人も確証を得てうんうんと頷く。

 地球に帰ったとばかり思っていた有利が、参加者としてこの場に来ているらしい。
 おそらく如何にも嫌そうにしていた三兄弟を見かねて、優勝目的で参加したのだろう。

 嬉しい。
 もの凄く嬉しい…。

 絶対に勝って欲しいとも思う。


 だが…。


「コンラート…あれの舞踏の腕は実際…どうなんだ?」
「ぅうん…こちらに来られた当初よりは……お上手ですよ?」

 つまり、息をするくらい自然に舞踏してきた眞魔国貴族に比べると…格段見劣りする筈だ。愛らしさ勝負なら圧勝ものなのだが…。
 
「あてにはならんか。…だが、ふ…っ」

 珍しく、くすりとグウェンダルが吹き出すように笑う。
有利が彼らのためにこうして、決して好きなわけではない女装までしてくれたという事自体が…胸中にえも言えぬ香気を与えてくれる。
 
 彼らはこの時まで感じていた怖れや嫌悪といったものが、波に浚われる砂のようにさらさらと流れていくのを感じていた。

 それに、期待しすぎてはいけない筈なのだけれど…それでも、あの何処に向かうのか分からない無鉄砲な王様が、ここでも奇跡を起こしてくれるのではないか…そんな希望まで持ってしまいそうなのだ。




 こうして…三人の愛すべき王子様を護るべく、魔王様は舞踏会の場に降り立ったのであった。







つづく