「愛しのコンラート様」@








 
『ああ…コンラート様、コンラート様…!あなたはどうしてコンラート様なの?』

 フォンロシュフォール卿の係累であるラダガスト卿マリアナは、今宵も豊かな胸を恋に焦がしていた。
 彼女の意中の方はウェラー卿コンラート…。
 《ルッテンベルクの獅子》と謳われる眞魔国の英雄である。

 以前は頻繁に社交界にも顔を出して、貴婦人方と恋の鞘当てを楽しんでいた時期もあったし、特定の相手が居ないときにもダンスを得手とする彼は(何しろ、天下一舞踏会で優勝するほどの腕前なのだ!)、優れた踊り手がいれば、その身分の高低を問わずエスコートをした。

 それなのに…ここ近年はすっかりご隠居状態というのか、上王ツェツィーリエの呼び出しで参加する場合を除いては、原則として賓客としてではなく護衛として壁の華になっている。

 現魔王陛下…輝ける眞魔国の星、双黒のユーリ陛下をお守りするためなのだから仕方のないこととはいえ、そのことにハンカチを噛み締めている貴婦人は数多い…と思う。
 少なくとも、マリアナが破棄したハンカチを直線距離で並べてみれば、馬で疾駆しても結構な距離を走行することになるだろう。

『幾ら魔王陛下とはいえども、いつもいつもいつもいつも…あんなにべったりコンラート様を独占することはないでしょうにっ!』

 他の者では絶対替わりにならないというわけではなく、時としてコンラートが視察や練兵のために血盟城を離れる折には、フォンヴォルテール卿の部下であるグリエ・ヨザックがお傍に仕えていたりする(一体どういう肩書きで配備されているのか不思議に思うことはあるのだが…)。

『だったら、少しくらいコンラート様を自由にしてくださったって良いと思うのっ!!』

 声を大にして言いたい。
 眞魔国一の標高を誇るチョロロモモンガ山頂から、声の限りに叫びたいくらいだ。

『あら……《言ってみる》というのは…ひょっとして、有効なのではないかしら?』

 ふとマリアナは希望を感じて、絹のシーツに伏せていた面をがばりと上げた。
 豪奢な銀色の巻き髪が落ちかかってくるのを勢いよく跳ね上げながら、マリアナは更に思考を深めた。
 マリアナが飛びついた考えとは、チョロロモモンガ登山隊に参加するための体力作りに励むことではなく、効果がありそうな対象に心を尽くして頼んでみることであった。

『そうよ…きっと、上手くいくはずだわ!《あの方》はそういう催し物が大好きな方ですもの!今はちょうど御自分の領土にお帰りになられている筈だしっ!』

 ぱぁぁ…っと晴れやかに微笑んだマリアナは、飛び上がると念入りに化粧を始め、必要な根回しのためにすぐさま出立したのであった。


*  *  *




「ツェリ様主催の舞踏会?」
「ええ…それも、どうやら俺たち三兄弟を餌…いえ、景品……いやいや、副賞として台座に乗せたものらしいのですよ」

 華やかな装飾が施された広報紙を手に有利が小首をかしげていると、ぐったりしたようにコンラートが説明してくれた。
 珍しく心の底から嫌であるようで…眉間には長兄に似た縦皺が刻み込まれている。

「あんたらが餌!?」

 コンラートは言い直しはしたのだが、有利はやはり強烈な響きを持つそこに着目してしまった。

「全く…母上ときたら…っ!どうしてこの僕が、他人に《一日優待券》などで好きなように扱われねばならないのだっ!!」
「全くな……。母上の考えそうなことではあるが…。今から中止というわけにはいかんのか?」

 ヴォルフラムはおろかグウェンダルまでが立腹のあまり怒り筋を浮かべているのだから、今日の執務室は朝から全く仕事になっていない。

「それがぁ〜、皆さんお三方の了承を得る前に相当な根回しが行われてるようでして、ご婦人方が激しく盛り上がっておられるんですよ。今から中止なんて事になりゃあ、暴動が起こりそうな勢いみたいですよー?」 

 ヨザックの言葉に、ますます室内の温度が下がる。

 有利の地球帰還に伴う後継問題も片づき、細かな不安事項はありつつも平和な日々が続いている為か、時折眞魔国に帰ってきたツェツィーリエが宴の席を設けることはよくあったのだが…よりにもよって息子達が《餌》とはどういう訳だろう?

 有利がまだ稚拙な言語能力を駆使して広報紙を読み取ってみた結果、次のようなことが分かった。

 どうやら、この舞踏会は《エア舞踏会》とでも称すべき代物であるらしい。
 パートナー無しの一人状態で一斉に参加者が踊り始め、審査員に最も素晴らしい踊り手であると認められた一人が優勝の栄誉を受ける。

 その優勝者に対する《餌》…副賞が、三兄弟のうち誰か一人の《一日優待券》であるらしい。よほど人権(魔族権?)を無視した要望でない限り、三兄弟は優勝者の訴えに応じて行動する義務があるため、夜を含むこの一日の使い方を巡って数多(あまた)の女性達が欲望を滾らせ、目の色変えて特訓に励んでいるらしい。

 優秀な舞踏指導者の引き抜きが横行し、特訓のしすぎで疲労骨折を起こす女性までいると言うからその意欲のほどには凄まじいものがある。

「へぇ〜…。やっぱあんたらモテモテなんだなー」
「他人事みたいに言うなっ!お前の婚約者が何処の誰ともつかぬ女に好きにされても良いというのか、このへなちょこーっっ!!」
「えー?だって、ヴォルフ…こないだお前、婚約破棄してきたじゃん。俺もそれ承認しちゃったから、俺たち今は友達じゃーあるけど、婚約者でも蒟蒻酒でもなんでもないんだぜ?」
「だーかーらー〜…今すぐ婚約をやり直すぞっ!さー、僕の頬を叩けっ!」
「やだよっ!前は知らなかったからやったんだ。二度とあんなややこしいことになるもんかっ!」

 有利とヴォルフラムがいつもの掴み合いを始めると、端で見ていたグウェンダルが深々とため息をついた。

「ヴォルフラム…お前、相手が女性とは限らないと分かっているか?」
「…………兄上、今……なんと?」
  
 グウェンダルは疎ましげに広報紙を握りながらも、その募集要項を熟読していたのだ。
 そこには…一言、《性別、種族を問わず》と書いてある。
 優勝者は男性である可能性があるばかりか、もの凄く舞踏に長けた魚人族や骨飛族である可能性すらあるのだ。

「は…母上ぇぇぇぇ…………っ!」

 広報紙の文章に絶句して見入ったヴォルフラムは、真っ青になったかと思うと続いて真っ赤に顔を染め…怒りのままに駆けだした。
 流石にツェツィーリエに文句を言いに行ったのかもしれないが、彼の性格からいって母にそう厳しいことが言えるとは思えず、結局半泣きで帰ってくるものと予想される。

『うぅ〜ん…男相手もアリなんだ。んー…』

 有利は黙り込んだまま、じっと広報紙を眺めていた。


*  *  *




 紫とオレンジの入り交じった液体がぐらぐらと煮えたぎる大釜…ごぼごぼと吹き上がるフラスコ…。妙に生々しい色彩の人体模型が蝋燭の火を受けてにやりと笑っているように見える…。
 この不気味な実験室で、今日も赤い魔女は研究に励んでいた。

「あのぅ…アニシナさん、今度ツェリ様主催でやる舞踏大会のこと聞いた?」

 夕食前にこっそり実験室を訪れた有利は、何気なく…とは言い切れない口調でそう切り出してみた。

「ああ、あの《三兄弟強奪選手権》ですね?下手をすると貞操さえも奪われかねないという危険で悲惨な舞踏大会…」
「そんな危険があんの!?」
「何しろ、あの連中を狙っている者は老若男女枚挙に暇がないですからね。私のところにも、絶対的な効き目のある媚薬を作ってくれなどという下らない依頼が随分来ました」
「びびび…媚薬ぅ!?」
「一緒に食事をしている間に、飲食物に混ぜて摂取させるつもりなのでしょうね。まことに嘆かわしい事態です。そのような下らない目的に私の崇高な研究を用いるなど…!」

 激怒する方向性は相変わらずだが、この事態を憂うていることは間違いないだろう。

「あのさ…ズルなのは分かってるんだけど…アニシナさんの道具で俺をその日までに凄いダンサーにする道具とかあるかな?」
「……なんです?陛下も三兄弟の誰かを好きにしたいのですか?」
「いやいやいや…す、好きにしたいだなんてそんな烏滸がましいっ!ただ…いつもあいつらに凄く世話になってるじゃん?だから、あんなに嫌がってるなら俺が優勝して、副賞は一緒にキャッチボール…ぐらいな事でお茶を濁させて貰うのもいいかなって…」
「ふむ…まあ、出来ないこともないですね」
「ほんと!?」

 やはり言ってはみるものだ。
 赤い魔女アニシナに死角無し。

「ただし、陛下の魔力を私の研究に捧げてくれる…という証文が必要になりますけどね。ま…この国を支える陛下相手ですから?ほんの10日程度拘束させていただければ十分です」

 やはり代償はつきものだ。
 赤い悪魔アニシナの辞書に《無料奉仕》の文字はない。

「うん、分かった!」

 ちょっと…いや、かなりドキドキはしたものの…有利はアニシナの差し出す証文にサインを書き込んだのであった。

「ところで…つかぬ事を伺いますが、陛下はそのままのお姿で参加されるおつもりですか?」
「うん、そのつもりだけど…」

 アニシナの神経質そうな眉がぴくりと跳ねる。どうやら、返事の内容がお気に召さなかったらしい。

「それはいけませんね。流石に不平等すぎるというものです」
「あ…そっか。魔王陛下なんてもんが参加しちゃったら、不敬だ何だってんで気を使わせちゃうよね?俺…誰だか分かんないように変装しなくちゃなんないのかな?」
「そうですね。よろしい…ついでに私が変装道具も用意して差し上げましょう」
「わー、ありがとうアニシナさん!助かるよぉ〜っ!」
「いえいえ、私も、私以外の者にあの男を好きにされるのは我慢なりませんからね」

 アニシナが言う《あの男》とは、グウェンダルのことだろう。
 彼女は《一日優待券》の有無にかかわらず彼を好きなように扱っているから、わざわざそんな権利のために頑張る気はないが…人に好きなようにされるのはやはり腹立たしいようだ。

 愛だの恋だのいう感情とはほど遠そうだが、何らかの独占欲は持っているらしい。

「んじゃ、頑張るぞーっ!絶対あいつらを媚薬漬けだのなんだの、変な目に遭わせないようにしないとなっ!」
「ふふ…陛下はあの連中がよほど気に入っているのですね。特に…ウェラー卿ですか?」
「ふっへっはっ!?」

 ズバリと直球ど真ん中に投げ込んでくるアニシナの突っ込みを受け流し損ね、どてっ腹に受けた有利は呼吸を乱して悶絶してしまった。

「なななな…なんでそんなこと……っ!」
「見ていれば分かりますとも」
「そんなありありと分かりマスか!?」
「案外、ウェラー卿自身は気づいていなさそうですけどね。妙なところで鈍いですから、あの男は」
「ふはぁ……」

 顔を真っ赤にしてあたふたしていた有利も、それを聞いてちょっと息を整えることに成功した。
 
「そっか…。こ…コンラッドは気づいてないなら…いいや」
「告白はなさらないのですか?フォンビーレフェルト卿とは切れたことですし、誰憚ることなく押し倒せるでしょうに」
「いやいやいやーーーっっ!!押し倒すとかナイですからっ!お…俺は……ただ、コンラッドが凄く大事ってだけで…コンラッドが嫌がることとか、させたくないってだけだから……っ!」

 涙目になって頬を染めた有利というのは、潤んだ黒瞳と涙粒に濡れた長い睫…ぷくっと突き出された桜色の唇が何とも愛らしく、アニシナですら頭を撫で撫でしたやりたくなるような威力に満ちている。
 ちなみに、欲望に忠実な彼女は早速実施して有利の瞳を白黒させていた。

 だが、そこはアニシナのこと…情に溺れず、ズバズバと正鵠を突いていった。

「なんとまぁ…健気と言えば聞こえは良いですが、些か覇気に欠ける意見ですね。そのようなことでは熱い想いを秘めた挑戦者に敗北必至ですわ。幾ら私の道具の性能が優れていると言っても、舞踏の神髄は中に秘めた精神性…それが表現できないようでは、単に技能が優れているだけで、踊りとしては下等なものと見なされる可能性もありますよ?」  
「そ…そんなぁ……っ!どうしたらいいかなアニシナさんっ!」
「素直になってみるというのはどうですか?ウェラー卿に想いを押しつけるのがお嫌なら、せめて《好き》という気持ちを素直に表現して踊ってみては?」
「ううぅぅ……凄いイタイ踊りになりそうな気がするんだけど…」


 客観的に考えて、乙女のように《ス・キ…》と瞳を潤ませて踊る自分の姿はかなり頂けない。

「大丈夫です。違和感がないような変装にして差し上げますから」
「そっか…んじゃ……可能な限り頑張ってみます…………」

 かなり嫌な予感にめまいを覚えつつも、魔王陛下は大事な名付け親のために健闘することを誓ったのだった。



つづく