「部屋とYシャツと学ラン」−1 うっかりぽんと両親同士の約束でお見合いをしたコンラート・ウェラー(男・27歳)と渋谷有利(男・16歳)は、ぽんぽこぽんと結婚の約束をしてしまった。 もしも渋谷有利の()内記述が(女・16歳)であれば、両親の許可のもと(兄が猛反対しようとも)さっくりぽんと結婚していたことだろう。そうなっていれば、コンラートも青少年育成条例に引っかかることなく晴れて淫行…いや、明るい家族計画が出来たことだろう。 しかし、やはりそこは現実として、確乎として、歴然と渋谷有利(男・16歳)なのである。 だからこそ惚れたという面もあれば恨むことも出来ない。 そこでコンラートは渋谷家の家族に条件を出した。 『ユーリが高校を卒業するまでは、決して手出しはしません。ですから、どうか同居を許して下さい』 こうして、二人は同じマンションで暮らすことになったのである。 * * * 2月期最初の授業は実力テストで、有利はぱやぱやとしていた脳が多少現実に立ち返るのを感じたが、コンラートに勉強を見て貰ったお陰か意外と分かる。 『あ…こんな手応え初めてかも…っ!』 劇的に成績が上がることはないかも知れないが、それでもこんなに《分かる》と実感しながら問題を解くのは初めてだ。 コンラートは人にものを教えるのが得意らしく、上手い例えを使ったり、最も重要な点を繰り返して暗記させることで、応用問題を目にしても焦らなくて済むようにしてくれた。 『また…佳い声で教えてくれるんだよね…』 《うん、解けてる》《ん、良いよ》…至近距離で囁かれる言葉に、有利はきゅんきゅんと胸が高鳴るのを感じた。あんなに勉強できたのも、もっともっとコンラートに褒めて貰いたい一心だったように思う。 だって、声だけではなく瞳がまた良いのだ。琥珀色の澄んだ眼差しがふわりと笑みに細められ、きらきらとお星様みたいな光彩が鏤められれば、どうしたってときめいてしまう。 『こんなに素敵な人が、俺の結婚相手なんだ…』 16歳男子の身の上で27歳の男性の嫁になると言うのは、ほんの1ヶ月前であれば慄然とするような状況であったはずなのだが、今はその実感が至福の悦びを与えてくれる。 こんなに大好きな人が出来て、その人も自分のことを好きでいてくれる。 ああ…なんて嬉しいんだろう? 思わず脳内に蝶々が飛んでしまうが、はっと我に返ると慌てて問題を解く。そうだ、こんなにぱやぱやしていて迂闊な点数など取れないのだ。両親はともかく、勝利が《有利の人生を無茶苦茶にするつもりか!》と激怒しているため、《コンラートと居る方がプラスになっている》事を証明し続けなくてはならないのだ。 『頑張らなきゃ!』 むきっ!と目を剥いて、いつになく真剣に取り組んだ実力テストは、相応の成績で報いてくれることになる。 * * * 「渋谷、よく頑張ったじゃないか」 「あざーす!」 有利が教員の賞賛の言葉を受けて、野球少年的《ありがとうございます》を元気に返すと、野球部の園田は《何事か》という顔をして有利の手元を覗き込み、飛び込んできた数字に目を丸くした。 今回は高校受験後の夏休みで開放感に浸っていた連中などは、結構点数が下がっていて焦っている者も多い。とても甲子園など目指せる高校ではないとしても、やはり野球漬けの日々を過ごした園田などは散々な点数を取ってしまった。 自分よりもかなり《できない》と踏んでいた有利に結構な点数を取られたせいか、少々焦りのようなものを感じてしまった。 「嘘っ!渋谷…お前、夏休み中に勉強なんかしてたわけ!?」 「えと…。事情があってさ」 何故頬を赤らめる。 はにかむように伏せられた睫の影がまろやかな頬に落ちて、なんというかえらく…艶かしい。 『あれ…?こいつ、こういう顔する奴だったっけか…』 園田は妙なざわめきを感じて狼狽えてしまった。 1学期までの印象としては同じ野球好き同士で話も合って、屈託なく笑う顔が好印象という程度だったのだが…どうしてだか今はふとした仕草に瑞々しくて、はっとするほど視線を奪われてしまう。 『綺麗…』 今まで滅多に浮かべたこともない語彙に、園田は頭を滅茶苦茶に振った。 「園田…どうかしたのか?」 「いや、別に…」 通常授業に戻っても、園田は何かと有利の方を向いてしまう視線に困っていた。自分が見ているせいだろうか?心なしか他の連中も同じようにチラ見している気がする。 『勝手に見るなよ』 なんて嫉妬まで感じてしまって、自分で自分に突っ込んでしまう。別に有利は園田のものというわけではなく、単にこのクラスの中では一番仲が良かったというくらいだ。 『中学の奴とか、あいつがやってる草野球チームの奴とかに比べたら、大したこと無いのかも…』 いかん、何だか落ち込んできた。 ふるる…っと頭を振っていたら、丁度4限目の終了を告げる鐘が鳴った。 * * * 「なあ…渋谷、テストで良い点とんないと草野球止めさせられちゃうのか?」 「え?」 有利は昼食の席で園田に問いかけられると、トンカツを銜えたままきょとんと目を見いた。弁当が腐りやすい季節故か賑わいを見せている学食では、有利達を知る面子もちらりと視線を向けてくる。 こういう場ではあまり内緒話などできないものだ。 「違うのか?《事情がある》とか言ってたじゃん」 内緒話はできない…と、思いつつも、仲の良い友人に問いつめられるとそう上手く誤魔化すことなどできなくて、もごもごしてしまう。基本的に嘘が付けないタイプなのだ。 「野球のことじゃないんだけど…ちょっと条件つけられててさ、あんまり成績が下がると拙いっつーか…」 そんな会話をしていると、中学時代に同級生だった友人が声を掛けてくる。闊達な語り口調の前原は、許可も取らずにぐいっと同じテーブルにトレイを載せてきた。 「お前んちって結構成績とかはフリーじゃなかったっけ?やっぱ、高校くらいになると煩くなってきたのか?」 「親はそうでもないんだよ。どっちかっつーと応援してくれてんだけど、勝利の奴が煩くてさ〜」 辟易しながら言うと、前原も同調して頷いた。 「あ〜…あのお兄ちゃんか…。渋谷には悪いけどさ、あのヒトさぁ…マジやばくね?」 「お前、人の兄貴に《マジやばい》とか言うなよ」 ぷくっと無意識に頬を膨らませていたら、前原に素早く指で押されてしまった。 何故か園田が切羽詰まったような声で《あっ》と言っていたのは何故だろう? 「ほら…お前んちに遊びに行ったときにこういう事やったらさ、血相変えて怒るんだぜ?《うちのゆーちゃんを無遠慮に触るな!》…だもん。半端ないよな〜お前のお兄ちゃん」 「う…。具体例を示されるとあながち否定できないかも…」 「なになに、渋谷の兄ーちゃんってそんななの?」 前原がべらべらと無遠慮に家庭の事情を語るものだから、園田や他のクラスメイトまでが合流してきた。 中には、《ブラコンなの〜?》と妙に瞳を輝かせながら参入してきた女子もいる。 「でもさー、なんか分かる気がする。渋谷君ってつい突っつきたくなるような可愛さがあるもん。お兄ちゃんとしては、色々と心配して手を回したくなるんじゃないかな?」 「勝手なこと言うなよ!」 けらけらと笑いながら女子に言われていると、ふと携帯が震えた。マナーモードにしてあるので振動だけだったのだが、何か予感がしてぱかりと開けると、有利の瞳がぱぁ…っと輝いてしまう。 コンラートからのメールには、《今日は早く帰れそうだよ。一緒に夕食用の買い物をしていかないかい?》と書かれている。 すぐに返信しようとして操作していたら、後ろから覗き込んできた前原が素っ頓狂な声を上げている。 「渋谷、お兄ちゃんと買い物に行くわけ?」 どぎゅん…っと心臓が跳ね上がって、顔が真っ赤になっていくのが分かる。 『そうだ…俺、コンラッドと結婚するとか知られたら…学校でどういう扱い受けるんだろう?』 このご時世、性の問題には随分と大らかになったとは言っても、やはり同性愛は高校生が堂々と公示できるものではない。 でも…まるで後ろ暗いことをしているかのように隠すのも嫌だった。 かといって、散々《イタい人》認定をされている兄と一緒に仲良く買い物に行くと思われるのも癪だ。 「勝利じゃないよ」 「じゃあ誰?」 「誰だっていいじゃん…っ!前原、しつこいっ!」 ぷん…っと拗ねたように横を向くと、前原は不機嫌そうに鼻を鳴らして詰め寄ってきた。 「あー?なに、渋谷…態度悪いぜ。俺はちょっと興味持って聞いただけじゃん」 「それは…」 他の連中も興味津々という顔をして寄ってくるから、有利としては心細いことこの上ない。軽く泣きそうな心地で言葉に詰まっていたら…園田がゴツンと前原の後ろ頭を叩いた。 「痛ぇっ!」 「当たり前だ。痛いように叩いたんだからな」 そうは言いつつも冗談めかしているせいか、前原も本気で園田に突っかかることは出来なかった。 「勝手に人のメール覗き込んどいて問いつめてんじゃねーよ。お前こそ、相当イタい奴に見えちゃうぜ?どんだけ渋谷のことスキなんだって感じ…」 心なしか、園田の声が少しだけ上擦っている気がするがどうしてだろうか? 『園田、こういうの苦手なのに…俺を庇おうとして頑張ってくれてるんだな?』 そう思ったら胸が熱くなって、少し潤んだ瞳で見上げていたら…園田は盛んに咳払いをしていた。 「へーへー、悪ぅございました!」 前原はどすんと席に着くと、ばくばくと特盛りカレーを口に収めはじめた。ずけずけとした態度で人の懐に上がり込んでしまう奴だが、基本的に悪い奴ではない。一度興味が失せたらそれほど拘ったりはしないだろう。 「園田、ありがとうな」 「…良いよ、別に…」 そっと園田の耳元に囁いたら、見る間に耳朶が紅く染まった。 《随分と照れ屋なんだな》…と、微笑ましく感じてしまう。 * * * 放課後にいつもの河川敷で学生メンバーのみで練習をした後、待ち合わせの場所に走った。 ぱぅん…ぽんっ。 まるで脚に羽根が生えているみたいに軽いのに、なかなか思うほどには距離が縮まらない。もどかしい想いを抱えながら駆けていくと、野球部の練習を終えた園田と出くわした。 「園田、お前も帰り?」 「ああ…渋谷もか」 園田は眩しそうに目を細めて有利の方を見やる。今日は陽射しが強いから、夕暮れ時になっても角度によっては眩しいのかもしれない。 「なあ…渋谷、彼女とか出来たのか?」 「彼女?」 きょとんと小首を傾げていたら、園田は目に見えてほっと息をついた。 「なんだ…いないのか?」 「お前なぁ…喧嘩売ってんのか?彼女いない歴年齢と同じこの俺を捕まえて…」 「悪ぃ悪ぃ!」 悪びれることなく、くしゃ…っと相好を崩して笑うと実にいい顔をする。そういえば、2学期に入ってから彼らしいこんな笑顔を見たのは初めてかも知れない。 「園田っていい顔して笑うよね」 「そうか?猿みたいとかよく言われるけど…」 「そんなことないって。少なくとも、俺は好きだなー」 「……っ!」 ぼん…っと顔から火を噴くのはどうしてなのだろうか? 「渋谷…その、それ…好きって…」 「あ…っ!」 どうやら誤解させてしまったらしい。 「いや…別に変な意味とかないよ?ゴメンな…今の、気持ち悪かった?」 しょぼんとして頭を下げていると、少しぶっきらぼうに肩を突かれる。 「馬鹿、気持ち悪いとかあるわけないよ。寧ろ…なんか、嬉しすぎてヤバかった」 「本当?」 ほっとして笑ったら、また園田の目か潤んでしまう。よほど夕日が眩しいのだろうか? 「良かった…!」 「俺はさ、そういうの偏見とかないんだ。ホモとかゲイとか…違いはわかんねーけどさ、それだけで差別するとかって馬鹿馬鹿しいよな」 「うん、そうだよなー」 「人が人を好きになるんだ…。汚いとか、気持ち悪いとか、そういうのって違うよな?色々と困難があっても乗り越えたくなるくらい好きな相手が出来るってだけで、凄いことだと思う」 「園田、お前…超良いコトいうな!」 感動して園田の両手を握った有利は、思い切って告白してみることにした。 こんなに心の広い男なら、有利の秘密も受け止めてくれそうだ。 「あの…あのな…俺、お前に聞いて欲しいコトがあるんだ…。あ…気持ち悪かったら、すぐに忘れて欲しいんだけど…」 「さっき言ったばっかだろ?俺…絶対に気持ち悪いとかないから!」 「園田…お前、凄い男前…」 夕焼けに染まる高校球児は、いがぐり頭も勇ましく…うっとりと見惚れるほど男気に溢れて見えた。ああ…きっとこの男なら、有利の気持ちを受け止めてくれることだろう。 有利は安心して告白した。 「俺ね…実は、訳あって年上の男と結婚することになったんだ」 ひゅぅううう〜〜… 二人の間を…風が吹き抜けていった。 園田は男気に溢れた顔を一瞬にして冷蔵処理されたように、カチンという音がしそうなほど硬直しきっている。 『しまった…かも……』 一足飛びに告白しすぎただろうか? 明日から、《渋谷はホモ夫婦》として高校中の噂になってしまうだろうか? 《冗談だよ》と言って誤魔化そうと思うのに、これが正直な同級生の反応なのかと思ったら…ぽろ…っと涙が零れてしまった。 「…渋…っ」 「ごめ…」 込み上げる涙を手の甲で拭って駆け出そうとするが、ばしっと手首を掴んだ園田は荒っぽい仕草ながら、強い語調で語り掛けてきた。 「吃驚しただけ…気持ち悪くなんか、ないから…っ!」 「園田…」 「言ったろ…好きって気持ちは、凄いって思うって…!」 「お前…マジ良い奴…っ!」 園田は本当に良い奴だ。一緒になって泣きそうな顔をして(実際、目尻には涙を浮かべていた)、別れ際には大きな声で《頑張れよ!》と叫んでいた。 離れてから暫くして…彼が《俺も…頑張る》と言っていたことに、有利は気付かなかった。 ぱぅん…ぽんっ。 弾む足取りで、有利は愛するコンラートのもとに急いだ。 |