第27代魔王温泉紀行U「マ王様はじめました」@

 




      

 

 日中はまだまだ強い日差しが降り注ぎ、肌にちりつくような暑さを感じるものの、夕刻になると渓谷から吹き付ける風がひんやりとした涼気を連れてくる晩夏の眞魔国。

 見渡す限りの草原はまだ青さを残してはいるものの、鮮やかな夕日に照らされているためか麦藁に近い色合いを呈し、さわさわと波打つようにそよいでいく。

 王都から3日ほどの騎馬路を経た旅人達は、涼風に髪を揺らしながら心地よさそうに目を細めるのだった。

「ふぉー…気持ちいい!」

「ホントですねぇ。そろそろ夏も終わりだ」

 茶褐色の頭髪を揺すりながら馬上ではしゃぐ少年に、判走するオレンジ髪の青年が同意する。

 少年の方は少し小柄な栗毛馬に乗り、青年の方は大柄で気の通そうな牝馬に乗っている。これは体格の差というよりは、騎馬技術の差によるものかも知れない。

「ところでさ、また今夜も野宿?」

「疲れちゃいました?そろそろ宿屋でお休みになった方が良いかも知れませんね」

「んー…布団は平気なんだけど、風呂入りたいなぁ」

 昨夜も川縁で水浴びさせて貰ったのに、また風呂に入りたいなどと言うのは少々恥ずかしいのだが…日中かなりの汗を掻いていたせいか、肌がべたべたしてしょうがない。風呂好きの日本人の中でもかなりのフロスキーに分類されるであろう少年…渋谷有利にとってはかなり大きな問題なのだ。

「あはは、坊ちゃんは相変わらず風呂好きですねぇ。そんなにお好きなら、またヒルドヤードって手もあったのにね。あの辺も今では健全な温泉街になってますよ?」

「あう…。三人で騎馬旅しようって誘ったの俺なのに、我が儘言ってゴメンなさい…」

 《第27代魔王陛下は大変な庶民派であり、密かに街を散策なさっては民を救っておられる》…市井の民に人気のあるその噂は、あながち庶民にありがちな貴種僥倖伝説ではない。

  実際魔王陛下は旅好きで、しかも身分を隠して軽装で動き回るものだから、警備の者としては気が休まる暇もないのだ。

 最初は警備兵の一軍を率いて網目状に守護していたのだが、魔王陛下はあまりにも俊敏かつトリッキーな動きを見せるもので…あまり役に立っているとは言い難かった。このため国内治安も安定してきた現在では、側近二人だけをお供に旅をすることが多くなっている。

「気にしないで下さいよう。俺としちゃ、坊ちゃんと旅が出来るだけで楽しいんですから」

「グリ江ちゃん優しい〜!」

 馬に乗っていなければ抱きついていただろう有利の耳に、遠くから自分の肩書きを呼ぶ声と、蹄の音が響いてくる。

「陛下!」

 草原の向こうから、優雅なまでの騎乗姿で駆けてきたのはウェラー卿コンラート。

 眩しいほどの夕焼けの中、ダークブラウンの髪を渾名の通り獅子の如くはためかせ、騎馬で疾駆する姿は思わず見惚れてしまうほどだ。

「コンラッド、お疲れ様!どうだった?」

 三人の中で最も馬術に優れているコンラートは、先行してこのあたりにある筈の村を偵察に行っていたのである。

「観光地ではないので宿屋などはなかったのですが、村人の家に泊めて貰えることになりました。それに、水守(みずもり)が居る集落なので色んな所から温泉が出ていますよ。あまり整備はされていませんが、山の中に洋燈だけ掛けて入る情緒たっぷりな露天風呂もあるようです」

 水守とは水の魔力を持つ魔族のうち、継続的に水質の維持が出来る者をいう。平和な治世にあっては、攻撃性の魔力よりもよほど重宝される能力だろう。

「やった!」

 ガッツポーズを決める有利を楽しそうに見守りながら、コンラートは有利の横に愛馬ノーカンティーを寄せていった。 

「陛下、俺とタンデムしていただけますか?」

「ロンロはどうするの?」

「彼はかなりお疲れのようだ。荷物を少し載せるだけにして、陛下はノーカンティーに乗って下さい」

 鬣(たてがみ)を撫でつけてやると、《疲れたよ》と言いたげに栗毛馬は高い声で鳴いた。

「じゃあ、お願いしようかな…」

 有利は栗毛馬のロンロの背をもう一度やさしく撫でつけた後、コンラートの腕の中に収まるようにノーカンティーに移乗した。

 乗り慣れたアオは黒馬であり、魔王陛下の持ち馬として知られてしまっているので今回は血盟城の厩でお留守番である。代わりに乗せてくれているロンロは愛嬌のある顔で、笑うようにご主人様を見詰めていた。

『俺が疲れているというよりも、ご主人様がお疲れだからだと思いますよ?』

 馬独特の《にひ…っ!》と言いたげな笑いに、有利はぷくーっと頬を膨らますのだった。「陛下…どうかなさいましたか?」

「なんでもないよぅー。それより、陛下って呼ぶなよ名付け親」

「さりとて、ユーリとも呼べませんけどね。ミツエモンとライトも知られてしまいましたし」

「うーん…」

 《ミツエモン》と《カクノシン》の渾名はそれなりに気に入っていたのだが…それらは近年、お忍び中に有利とコンラートが使う名として有名になってしまい、眞魔国ではまず考えられない名称でもあることから、名乗るとすぐに《魔王陛下のお忍びだ!》とバレてしまう。

 しかも、人々から《内緒にしておきますよ…》と言いたげな生暖かい眼差しを送られた上に、翌日の朝にはすっかり街中に《ここだけの話》として流布されているわけだ…。  そこで新たにつけた《ライト》と《レフト》という名も、前回に旅をした温泉街アナスタシアで知られてしまい、いい加減偽名にも困る状況になってきたのだ。

「じゃあ、クロはどう?あんたはチャで、ヨザックはミカンなの」

「そのまんまですねぇ…拾った猫並みネーミングですよ。特に俺の場合、ファミリーネームをカトウにしたくなるのですが……」

「《ちょっとだけよ?》って言いながら禿げ鬘を被るあんたってのも衝撃的だな…。しょうがないなあ、それじゃ、あんたはシシでいいよ」

「なにやら更に一層いい加減な感じがしますが…」

「ま、いーじゃんいーじゃん!あんた、渾名が百獣の王なわけだし」

 腕の中でけらけらと笑う有利を見やりながら、コンラートもまた笑みを浮かべてノーカンティーを操るのだった。

『おーお、蕩けそうな顔しちゃってまぁ…』

 横で見ているヨザックは、こういう展開になるとあてられることしばしばだ。

 だが、この二人…これほどピンク色の気体を放出しながらも、全く色めいた方向に進展がないから不思議なものだ。

  最近になってやっと男同士のセックスの仕方自体は理解したものの、基本設定が奥手で鈍い有利。

 房事の手管は凄腕のくせに、有利に対してはへたれもいいとこなコンラート…。

 この二人のやりとりというのはお互い両思いな事が周囲には丸分かりなだけに、見ていて微笑ましいとも、奥歯が痒いとも思われるような関係なのである。

『このまま妙なやりとりを見守るのも良いけどさ、やっちゃった後にどんな顔するかってのも、ちょっと見てみたいよねぇ…』

 老婆心と好奇心の双方からちろちろと煽られるヨザックは、チェシャ猫のような笑みを浮かべて二人を見守るのだった。

 

*  *  *

 

 村に入る頃になると、空は朱を微かに残した藍色へと変じていき、複数の星が鮮やかに瞬いて夜の訪れを告げていた。

 村の殆どは小麦畑で、その中に藁葺き屋根の質素な家々がぽつらぽつらと点在している。コンラートが交渉した家も、そのような家の中の一件であった。

「まぁまぁ…よう来んさったねぇ!」

 コンラートが下約束をしていた家に挨拶をすると、気のよさそうな老人の影から、小柄な老婆、大柄な青年、ふとっちょの嫁さん、そしてわらわらと子狸のように沸きだしてくる子どもが…8人…いや、9人か?動きが速すぎる上にみんなよく似ているので見分けが付かない。そして数えられない。

 互いに名乗りあいはしたのだが、老人の名がボノ・ローランタンで、老婆の名がカーチェ、子ども達の父親がバンブストで母親がナタリアであることを辛うじて把握しただけで、子ども達の名前はさっぱり覚えられなかった。

 もしも9人居るのだとすれば、背番号をつけて欲しいところだ。

「あのぅ…すみません、俺達お邪魔じゃないですか?」

 現代日本では滅多に目にすることのない大家族に、有利は子ども達の寝床が狭くなるのではないかと心配したが、ローランタン家の方はいっかな気にした風はない。

「ええんよ、ええんよ!気にしんさんな。うちゃあ昔から多産系じゃけんねぇ、わらわらぎゅうぎゅうしよるんは当たり前のことなんよ。旅で疲れとってゆっくり休みたいんじゃったら、別の家探したげよぉか?」

「いえいえ、俺達は休ませて貰えるだけで十分ですよ!」

「ほぉかい?そいじゃあ入(はい)りんさいや」

 気の良い老人はかっかと歯抜けの口で笑うと、実に気安く三人を迎え入れてくれた。

「さっきの恰好良いお兄ちゃんだーっ!」

「可愛いお兄ちゃんもいるよ!」

「かわいー、かわいーっ!」

 赤ん坊から人間年齢にして12歳程度の子ども達は、きゃあきゃあと歓声をあげながら三人に飛びかかってくる。

 みんな麦藁色の髪と、同系色の淡い色合いの瞳を持つ子供達で、元気いっぱいの動きは目にも留まらぬ素早さだ。

 すべすべとした板敷きの上に幾つも素朴な織物が敷かれているのだが、いつそれに足を取られて転ぶかと心配になるくらいだ。

「お兄ちゃん達、一緒に遊んでくれる?」

「うん、勿論!」

「やったぁーっ!!」

 大歓声を上げてぴょんぴょんと跳ね飛ぶ子ども達は、喜びのままに有利へと飛びかかってくる。

「うぉっ!あ、危ないって!」

「お…と」

 この勢いによろめいてしまう有利を、そっとコンラートが支えた。

 その自然な動きと美麗なアングルに、女の子達は瞳を輝かせて《きゃーっ!》と叫ぶ。

 女の子はどこでもこういう嗜好は変わらないらしい…。

「申し訳ないけど、先にお風呂を使わせて貰っても良いかな?お庭にあるって聞いたんだけど案内してくれる?」

「うん、いいよぅっ!」

「あたし達も一緒に入るーっ!」

「えー?女の子も!?」

 子ども達に連れられて風呂に向かうと、庭というよりは家の裏山の中に温泉がわき出しており、大雑把な板敷きの風呂に次から次へと流れ、溢れていく。余程豊富な湯量なのだろう。

 幾つかの籠が木に吊され、目の粗い衝立がある他は遮るものとてない開放感だ。別の言い方をすると、覗き放題という感じだが…。

「この籠に服を入れて、掛け湯をしてから入るんよ」

「身体はねぇ、お湯でふやけた頃にこの藁で擦るんよ」   

 石鹸などは使わない、環境に優しい温泉のようだ。

 それに、湯に入ってみると少しぴりりとする水質で、殺菌作用が強い印象がある。

 少しぬるめなせいもあってか、時折、森の動物も傷を癒しにはいるのだという。

「あぁ〜…気持ちいい……」

 結局、三人の他に子ども達も全員湯船に漬かってしまったので、ゆったりと脚を伸ばすというわけにはいかなかったが、それでもたっぷりとした湯と露天の開放感、にこにこ顔の子ども達とお喋りしながら入る風呂はなかなかのものだ。

 ただ、被っているカツラが蒸れるのが辛いところだが…。

「お兄ちゃん達、どこから来たん?」

「王都からだよー」

 何の気なしに有利が答えると、子ども達は瞳を輝かせて大はしゃぎした。

「魔王様が住んでるトコから来たん!?」

「ほいじゃったら魔王様に会ぅたことあるん!?」

 だが、流石に年嵩の子ども達は笑って年少組をいなすのだった。

「あほじゃのー、王都に行ったけぇいうてそう簡単に魔王陛下に会えるかいな。俺らはオヤジについて市に出たりしよるけど、いっぺんも見たことないわ」

「でもでも!うち、聞いたことあるよ?お城がある街じゃあ、まおー様が道ばたで串焼き食うたり、りんごアメ食うたりしよるんが見れるんじゃって!うち、まおー様見てみたいよぉっ!」

 駄々を捏ねるちいさな女の子に、コンラートとヨザックはくすくすと笑い、有利は恥ずかしげにぶくぶくと湯の中に沈み、頬を染めて湯面に気泡を立てるのだった。

「ほうよのー、びっくりするくらいキレイじゃって聞いたで?死ぬ前に一度で良いけぇ見てみたいのお…」

 

 年少組はブーブー言っていたが、長男らしい年嵩の少年は鼻を鳴らすと…突然有利に抱きついていった。

「魔王様よりも、俺はこのお兄ちゃんがええわ」

「え?」

「こがーに可愛い兄ちゃん初めて見たもん」

 ちゅう…っと音を立てて頬にキスをする長男はなかなかの手の早さだ。

 コンラートが微笑みつつ拳を握っているのを、ヨザックは見逃さなかった…。

「ほーよねぇ…」

 改めて言われると、他の子ども達もうっとりと有利を見詰める。

 髪や瞳の色彩を変えているとはいえ、眞魔国の至宝と謳われるその美貌が霞むことはない。

 しなやかな体つき、すべらかな肌…特有のくりくりと瞳にはその美貌を明るいものにする愛嬌が満ち、ちんまりとした鼻やふっくらとした唇は思わず指でなぞりたいようなラインを描く。

 何より、全身から滲む朗らかな雰囲気が見る者の瞳を和ませ、楽しい気分にさせてくれるのだ。

「ほんまよねぇ!クロ兄ちゃんはきっと、魔王様と一緒くらいきれいよ?」

「あたしはシシ兄ちゃんが好きーっ!だって恰好良いもん!」

「僕はミカン兄ちゃん!凄い筋肉だよねっ!」

 最初は傷だらけのコンラートとヨザックに吃驚していた子ども達も、穏やかな物腰の二人にすっかり懐いてしまい、わらわらと近寄っては登山のように肩に乗ってくるのだった。

「ほーい、ほーい、ローランタンのもんかー?」

 木陰の向こうから男の声がしたかと思うと、提灯を下げた老人ががさがさと茂みをかき分けて姿を見せた。

 ローランタン家の家族に比べると立派な身なりをしており、この辺りでは結構な名士なのではないかと思われる。

「あ、村長さん」

「どしたん、のぞき?」

「こりゃ!お前らは何処でそういう悪い言葉を覚えてくるんじゃ?…いうて、ほー…こりゃあ別嬪さんじゃねぇ!眼福眼福…」

 子ども達を叱っていたことも忘れて、老人は目をまん丸にして有利に見惚れてしまう。

 コンラートの身体がすかさず有利の正面に回り込むのを、勿論ヨザックは見逃さなかった。

「あ、やっぱり覗きじゃ」

 きゃっきゃと笑う子ども達に、老人は危うく忘れかけていた用件を思い出したようだ。

「違う言うとろーが!儂はえらい別嬪さんがローランタンの家にはいったいうて聞いたけぇ、頼み事にきたんよ」

「お願い事があるん?」

「仲介料が9人分いるんよー」

「口の減らんガキどもじゃのう!ほいよ、そこの別嬪さん…頼むけぇ、儂の願いを聞いてもらえんか?」

「はぁ…」

 村長が語り始めた事情は、このようなものであった。

 

 

 のんびりとした気風が自慢のこの村の連中は、気は良いのだが商売っ気というのものがなく、あまり村としての蓄えに余裕が出るということがない。ここ近年のように作物の実りが豊かな年は良いのだが、ひとたび不作となると食べるものにも困るような有様だ。

 取れる作物も小麦の他は特になく、また、パン作りなどの加工品造りも発達していない。王都から僅か3日という好立地にもかかわらず、なかなかこの村は発展性に乏しいのであった。

 そこで村長は考えた。

『せっかく質の良い温泉が出るんじゃ、この際、温泉地として成り立つように出来んもんかのぅ…』

 ただ、村全体があまり富んでいないというのに、村長がそれほど富裕なわけもない。

 先行投資にも限界があるのである。

 せめて、良い宣伝材料がないものか…。

 そんな折にぴょんと飛び込んできたのが、驚くほどに綺麗な少年の噂である。

 村長はフットワークも軽くローランタン家にやってくると、ある提案をしようと試みたのであった。

 

 

「クロさん、頼むけぇ一肌脱いでもらえんかのぉ」

「具体的に、何をしたら良いんですか?」

 ぺこぺこと頭を下げながらもなかなか本題に入らないことに焦れていると、村長は実に言いにくそうに…入れ歯の合わない口をもにもにとさせながら漸く《お願い事》を口にしたのだった。

 

「なぁ…あんた、魔王陛下のふりをしてもらえんかの?」

 

「……はぁ!?」

 有利が素っ頓狂な声を上げると、子ども達も釣られて《きゃーっ!》と元気な歓声を上げた。

「まおー様、まおー様!」

「魔王様ごっこだぁ!」

「ねえねえ、やってよクロ兄ちゃん!」

「い…いや……その…………」

 魔王業務の合間の息抜きに旅をしているというのに、何故旅先で《自分ごっこ》をしなくてはならないのか…。その不条理加減に有利は眉根を深々と寄せてみせるのだった。

「えと…その、ふ…不敬だし!」

「大丈夫大丈夫!魔王陛下は気さくな方じゃけぇ、ちいと偽物が出てきたけぇいうて、ケチなことは言うてんないよ。ほれ、あのアナスタシアでもそうじゃったろうが」

『確かにそうだけどー……』

 アナスタシアの温泉地で《ミツエモン》と名乗る人造魔族は、本人がそうと名乗ったわけではないのだが魔王陛下として宿の者に認識され、横暴の限りを尽くしていたのである。

 本来なら不敬罪で処分されるところだが、有利自身が既に不敬罪の条項を無きに等しいものに変えた上、自ら庇い立てて《ミツエモンに咎無し》としたため、《魔王陛下は偽物に優しい》との噂が大きく流布してしまったのである。

 このためか、近年温泉を持つ土地では《魔王陛下のお墨付き》《元祖魔王饅頭》なるものがまことしやかに売られており、しかも、その名を冠すると売り上げが倍になるとの実績もあるそうだ。

 眞魔国というこの国にとって、《魔王陛下》はいまや素晴らしい景気高揚商品なのだ。

「ほれ、都合がええ事に逞しい護衛もおるじゃないか。丁度ウェラー卿コンラート閣下と、名うてのお庭番、グリエ・ヨザックにぴったりじゃ!」

『隊長は閣下つきで俺だけ呼び捨てかよー。一般兵は辛いねー』

 口の中でもごもごとヨザックが独りごちるが、当然周りの者には聞こえない。

「な…頼む!この通り!」

「あー、あ〜…っ!村長さん、土下座やめてー!顔を上げてぇ〜っ!」

「聞いて下さるんで!?」

「う〜あ〜……」

 救いを求めるようにコンラートに視線を送るものの、くすくすと笑って《お任せします》と目配せされてしまう。おそらく、有利がどういう決断をするか分かり切っているのだろう。

「…………じゃあ…やりマス……」

 有利がそう口にした途端、老人と子ども達の歓声が夜の静寂に響いたのだった。

 

*  *  *

 

「さー、これが脚本になっとります」

「わー…村長さん……目の下に隈作って……」

 翌朝、大家族に囲まれて賑やかな朝食をとっているところに、目の下を真っ黒にしながらもうきうきとした足取りの村長がやってきた。手に持っていたのは、村長いうところの脚本。

 目を通した途端…有利はくらりと目眩を覚えた。

「あの…村長さん、これ…誰向けの宣伝なんですか!?」

「そりゃあ、王都のお嬢さん方よ!」

『腐女子狙いかよっ!』

 有利が叫びたくなるのも無理はない。

 村長さんが徹夜で仕上げた脚本には、《温泉地で秘密の旅行を楽しむ魔王陛下と、ウェラー卿コンラート閣下の愛のストーリー》が延々と書き綴られていたのである。

 なんでも、二人が温泉地のどの場所でどんな行動を取ったかを脚本の通りに演じて村人に観察させ、《あの時魔王陛下は…》《ウェラー卿は…》と興奮気味に王都で語らせることで、女性達がその地を訪れたくなるという計算らしい。

「これは…大変な仕事になりそうですねぇ……」

 面白がっていたコンラートも、脚本に目を通すと半笑いの表情になってしまった。

 彼の場合、旨味も勿論あるのだが…その一方であまりの旨味に本気になってしまわないようにセーブする必要があるのだろう。

「あーあ、芸達者なグリ江ちゃんに役回りがないってどういう事かしら?」

「おや、ミカンさんはすっかり乗り気じゃねぇ。ほしたら、何か急いで役を作るわ。《ウェラー卿の前に立ちふさがるダークホース、グリエ・ヨザック!野性的な魅力を持つお庭番の誘惑に耐えられるか魔王陛下!ホンタタ山の温泉地に響くあえやかな嬌声に、ウェラー卿の剣が鞘走る!》…とかどんなかねぇ」

「やめて〜、村長さん、もーやめてぇ〜」

 老人とは思えないようなバイタリティに、有利は板間に転げ回って嫌がった。

「まー、取りあえず普通に仲良く村をうろうろしてくれりゃあ、それだけでもええけどね」

 村長は一体何処で手に入れた物やら、有利に黒い鬘とコンタクトレンズ、長衣のような服を手渡すと軽快な足取りで帰宅の途に着いた。もしかすると、計画自体は以前からあって、良い人材を捜していたところに丁度有利がやってきたのかも知れない。

「あぅ〜…どうしよう、コンラッド…」

「こうなったらやるしかありませんよ、ユーリ」

「すごーい!お兄ちゃん達やる気満々だね!」

「ははは…」

 乾いた笑いを零しながら、有利は《魔王グッズ》を手に小さな個室に入っていくのだった…。  



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