「怨恨の鉄鎖 雷撃の剣(つるぎ)」−1
『魔王陛下の威光を笠にきて、悪行を為す魔族がいる』
その噂が眞魔国王都は血盟城に住まう魔王陛下の耳に入ったのは、彼が19歳になった年の初秋のことであった。
17歳の時分に《禁忌の箱》の中に封じられていた創主を討ち滅ぼし、眞王以上の魔力に目覚めた渋谷有利は、高校を卒業してからは本格的に魔王業に打ち込み、まだまだちいさな失敗をしながらも、《着実に前進はしている》という政務状況を送っている。そのことは、宰相たるフォンヴォルテール卿グウェンダルも認めるところであった。
「グウェン…これって、グリ江ちゃんが調べてくれたんじゃないよね?」
有利は報告書を手に取ると、ゆっくりとなら正確に読めるようになった眞魔国語に目を通し、多少曖昧さの残る報告に小首を傾げた。彼が重宝している腕利きお庭番、グリエ・ヨザックであればこのように不完全な報告書など送っては来ないからだ。
「ああ、グリエであればもう少し正確な報告をしてこよう。駆け出しの諜報員の仕事なので、追加調査が必要だろうな」
ヨザックはより重要度が高いと見なされている地域に派遣されており、新兵は訓練を兼ねて、それほど問題があるとは見なされていない地域に送り出されたらしい。
魔王陛下の忠実な護衛、ウェラー卿コンラートも報告書を覗き込んで眉を顰めた。
「ふぅん…確かに、感情の方が先走っている向きがありますね。報告者は…ああ、リュート・ポルか。熱烈な陛下信奉者であるのが、この場合は災いしたかな?」
訓練を終えてお庭番に任命された折、魔王陛下に初めてまみえたポルは感激のあまり、その場で卒倒したという経歴がある。新兵の引率を任されていたヨザックは溜息混じりに、《あ〜…やっぱ、訓練だけじゃ使い物になるかどうかは分かんないもんだねぇ》と愚痴っていたという。おそらく、訓練中にはそこそこの成績を収めていたのだろう。
「ああ…真っ赤になって垂直に倒れちゃった兵隊さんか。あれで汁でも噴けば立派にギュンターの後継者だったよね」
「陛下っ!そ…そのような分類は如何なものかと〜っ!!」
目から汁を噴きださんばかりにして、王佐フォンクライスト卿ギュンターがハンカチを噛みしめると、有利も頭を下げて謝った。
「ゴメンゴメン。汁さえ噴かなきゃ、ギュンターは完璧な王佐だもんね」
「カ・ン・ペ・キ…ありがたきお言葉…っ!」
感涙に噎び泣くくらいはまあ由としよう。単に涙腺の緩いお爺ちゃん程度の反応だし。
「それにしても、俺の威光を笠に着ての悪行三昧とは聞き捨てならないよねぇ…。ん〜…アイオナ国際港の長者?ええと…何時会ったっけ?」
「確か、2年ほど前ですね。アイオナ港と言えば、カロリアのギルビット国際港への直行便をいち早く出航させた港です。その他にも、年々増加していく眞魔国友邦国に対して、素早く直行便の手配をしていることで知られています」
コンラートが素早く解説をしてくれた。有利も様々な国事を適当に流しているというわけではないのだが、やはりこなしている業務の数が半端ないので、すぐには思い出せないこともある。しかし、こんな風に思い出せないときには護衛自らが秘書官のような業務をこなしてくれるので、非常に助かっているのだ。
「そっか!あそこの港って、自分たちで営業して出入りの大型船舶を誘致してくるんだよね。商業運搬についても口利きしてるって言ってたっけ…」
現在の眞魔国では地域商業に力を入れつつある。運搬力は低いが、優れた商品を産出している地域に輸出を促しているので、次第に輸送を専門とする陸上・海上の業者も増えてきた。自分たちの荷も勿論運ぶが、運賃を貰って複数の商品を運ぶのだ。
「そう言えば、最初にカロリア直行便を出すときに、人間と魔族の軋轢が起こんないように気を配って欲しいって頼んだ気がする」
そもそも儲かるかどうか自体が危うい被災港との通商であったため、初期には随分と無理を聞いて貰った筈だ。
「ええ…確かその時に、陛下は身につけておられたカフスボタンを、長者に同行していた孫娘にあげているでしょう?もしかすると、そこに妙な曰くをつけて喧伝しているのかも知れません」
「あ…っ」
そう言えばそうだ。…というか、コンラートも良くそんなことまで覚えていることだ。
別にあげる気など無かったのだが、たまたま話をしている最中に椅子の装飾にカフスボタンを引っかけてしまい、コロコロと転がったそれを孫娘が拾ってくれたのだ。美しい光沢を湛えていたカフスボタンを孫娘が大層気に入っている様子だったから、そのままあげてしまった気がする。
グウェンダルからは、《王が公式の場で、迂闊に下賜などしてはならない》と言われていたので、大人相手には気を付けていたのだが…孫娘にあげたカフスボタンが、まさか変なことに使われているのだろうか?
「問題は、黒曜石を使った装飾品であったことでしょうね…」
「そんなに高価な石だっけ?」
「いえ、良い石ではありましたがそれほど希少というわけではありません。問題は、黒い石を身につけられるのが陛下だけだと言うことですよ」
「あ…!」
有利にもやっと得心がいった。
《黒衣を身につけられるのは魔王のみ》…その事は既に知っていたのだが、装飾品までがそうであるとは失念していた。身につけるものでなければ黒い宝石等の所有は認められており、それ自体は全く違法ではない。ただ、それが明らかに装飾品として加工されたものであるとなれば、《元々は魔王陛下の持ち物》であったと、口にしなくても臭わせることが出来るのである。
「でも…あの子やお爺ちゃんはそんなにギラギラした感じじゃなかったのになぁ…」
「そうですね。この疑いを掛けられている男はあの日、陛下と対面した者ではありません。家名は同じですから、家族か親族といったところでしょうか?」
「うーん…俺があげたカフスボタンが、《魔王の威光》とやらの根拠になってるんだとしたら、えらいことしちゃったなぁ…」
ちろ…っと上目遣いにグウェンダルの様子を伺えば、ギリ…っと眉根が寄せられる。まだ何も言ってはいないのだが、何かを予測しているに違いない。
「グウェン…あのさ?俺…直接行って調査してきて良い?」
「陛下御自ら向かわれる必要はありませぬ。捨て置けぬ事態であることは間違いなけれども、即刻グリエ・ヨザックを差し向けますゆえ、陛下にあられましては何とぞ自重頂けますようお願い申し上げます」
「あーん…っ!そんなにご丁寧な口ぶりで怒らないでぇ〜っ!!」
いっそ頭ごなしに怒られた方がマシだと、背筋を震わせてビクビクする有利だったが、この時思わぬ助け船が出された。
「ふぅん…渋谷の威光を騙る悪者か。そりゃあ捨て置けないね」
「村田?」
村田健は現在大学に通っているのだが、時々は眞魔国にやってきて、基本的には血盟城の執務室でまったりと時を過ごしている。必要があれば知恵を借りることも出来るし、一緒にお茶を飲んで休憩したりもできるので、有利としては常に歓迎していた。
だが、最近は大きな事件も起こらないし、有利もグウェンダルやギュンターの助力で大抵の仕事はこなせるようになってきたので、村田は退屈しきっていたようだ。
「フォンヴォルテール卿、渋谷はこのところ実に真面目に政務に励んでいたと思わない?」
「王としては当然の事でしょうな」
「おや、つれない返事だね」
村田はにっこりと微笑むが、漆黒の眼底に闇い情念を灯して、じぃ…っと宰相を凝視した。
「僕に…そういう口をきけるような男だったとはね。知らなかったよ…」
「…っ!」
ぞくぅ…っ!とグウェンダルが身震いするのが分かった。村田が物理的に何かをしたことは無いはずなのだが、どうしたものか…彼が怒りを込めて人を射竦めると、まるで見えざる鎖にでも呪縛されたかのように、人々は金縛りに遭うと評判だった。実際、一睨みされただけで一週間に渡って寝込み、げっそりと痩せた貴族を有利は知っている。彼は酔いが回ったせいか、宴席で気安く有利の頬に口吻ようとしただけだったのだが…。
『そういえば、キスも実際にしたわけじゃないんだよね』
有利が悲鳴を上げる暇もないくらいの速度で、稲光のように銀の色彩が閃いたのだ。それは、ぴったりと寄り添って有利を警護する、ウェラー卿コンラートの刃であった。不埒な酔漢は鼻先の薄皮を剥ぎ取られると、一気に酔いを吹き飛ばして駆け去っていった。
御礼を言いつつも《やりすぎじゃないか》と懸念する有利に対して、コンラートはケロッとした顔で《不敬罪でしょっ引かれないだけ、マシだと思って貰わねばなりません》と言ったものだった。
ほっぺにキス未遂くらいで、悪性腫瘍並に衰弱させられたのでは割に合わないと思うのだが…。コンラートと村田にとってはそうではなかったらしい。
今回もこの二人が出張ってくるのだとすれば、ちょっと心配ではある。
「あ…あの…村田。俺の我が儘だから、グウェンが言ってるのが正論だと思うし…。そ、そんなに睨まないであげてよ」
「優しいなぁ渋谷は!でもね…その優しさが悪用されたとなれば、僕としてはとても捨て置くことなど出来ないんだよ」
婉然と微笑みながらも憎悪の焔を揺らめかせる村田に、グウェンダルは喘ぐような声音をあげる。
「で…ですから…っ!私としても、決して捨て置くような意図はございません!グリエ・ヨザックを派遣して、不正があれば然るべき措置を…」
「グリエ・ヨザックを派遣すること自体には文句は言っていないさ。だけど、今回に関しては事後報告ではなく、渋谷自身の目で確認をさせてあげたいんだよ。なにせ事が《魔王の威光を笠に着て》…というヤツだからね。折角だし、都市伝説に裏付けをしておきたい」
「都市伝説とは…?」
「僕たちの世界で、《時代劇》ってジャンルの演劇によく見られるネタだよ。所謂、《お殿様が下々の間に舞い降りて、悪代官の所行を戒める》って話。例に漏れず、眞魔国にもあるだろう?」
実際、以前の有利はお忍びの旅を良くしていた。《禁忌の箱》を滅ぼした辺りから国際交流の規模が大きくなってきたため、最近ではあまり城を抜けられない状況が続いていたのだが、民の間ではやはり噂が流布していた。
《悪行は長くは続かない。必ず魔王陛下が見通して、懲らしめて下さる》…このような噂は民を勇気づけ、不正をはたらく者になにがしかの戒めを与える効果がある。
だが…王威を騙る者が放置されたりしていては実に拙い。王自らが不正に荷担しているなんて噂が流布すれば、折角の都市伝説も闇い疑念を帯びることになるからだ。
ここは一つ魔王の威光を騙る者を、魔王自ら諫める伝説を樹立しておかなくてはならない。
「僕の深謀遠慮の意義が、ご理解頂けたかなフォンヴォルテール卿?」
「…理解は致しました。ですが、どうか…陛下におかれましては何とぞ、深入りは為されませんよう、くれぐれも宜しくお願い致します。大切な御身に疵でもついたらと思うと、正気ではおられません」
「ふぅん。そう言えば、フォンヴォルテール卿は《禁忌の箱》が開放された時に、半狂乱になってたもんね」
グウェンダルが懸念しているのは、有利が一か八かの賭けに出ることがあるからだろう。《禁忌の箱》が開放され、有利の肉体を創主に乗っ取られたときにも、《魔剣は仕えるべき王の身に疵をつけることはない》との言葉を信じて、モルギフで胸を貫いたことがあるのだ。
あの瞬間のグウェンダルの絶叫は、確かに今でも覚えている。
結果的に創主だけを砕いて有利は無傷であったのだが、グウェンダルはコンラートと共に髪を振り乱して、横たわる有利を抱き上げてくれた。
《無事で…良かった……っ!》絞り出すようなあの声は、心から有利を案じてくれていた。それまでは《眞魔国のために魔王が身を捧げることなど当然》と思っていた筈の人だけに、まず有利の身を案じてくれたことがとても嬉しかった。
「グウェン…心配かけてゴメンね?なるべく、無茶しないように気を付けるから…行かせてくれる?」
「なるべくでは、許容できません」
「…ぜ、絶対しないから…」
ふぅ…と息をつくと、グウェンダルは苦笑して《了解しました》と明言してくれた。
こうして、有利たちは悪人退治の旅に出ることになったのである。
* * *
アイオナ国際港は随分と人の行き来が激しいところらしく、船着き場の活気や市場の規模もなかなかのものであった。元々漁獲量の増えてくる初秋のこと、他国からの船舶や地元の漁師の舟にも大漁旗に似た布地が棚引いている。
「はぁ〜る、ば・る、来たぜアーイオーナ〜♪」
「村田、こぶし回すなよ」
「いや〜なんか鮭茶漬けが食べたくなるね!」
「ならねーよ」
有利は明るい茶色のカツラと色硝子を装着した上に目深に帽子を被り、村田はというと、また目にも眩しい金髪のカツラを被っている。瞳は勿論碧眼だ。二人してお揃いのような旅装に身を包んでいるのだが、コンセプトは《ほどほど育ちの良い富裕な商人の息子》というところだ。
同行しているコンラートは特徴的な銀の光彩が隠れるように長めの前髪を被せ、使用人然とした地味な服装に身を包んでいる。
さて、この地で合流したお庭番、ヨザックはと言うと…。
「あぁ〜ん、坊ちゃまー、待ってぇ〜」
ゴツイ身体にメイド服を着こみ、しなを作りながら大荷物を抱えている。ちなみに、全部村田の持たせた荷物だ。中身は嗜好品・書籍・暇つぶしの道具云々…と多岐に渡る。有利の荷物はコンラートがスーツケースに入れているが、小さな身の回り品はリュックに入れて自分で持っている。
「グリ江ちゃん、一つ荷物持とうか?」
「やーん、坊ちゃまってば優しい〜。グリ江幸せぇ〜」
有利が声を掛けるとヨザックは真っ赤な唇を釣り上げて笑顔を浮かべるが、村田は闇黒の微笑みで釘を刺す。
「グリ江ちゃん…その筋肉、減らしたいの?」
「やーん…グリ江、筋肉大好きだから、鍛錬の為にも自分で持ちますぅ〜」
「そ、そう?」
ひょいっとぶら下げていた荷物を肩に重ねると、ヨザックは風のような速度で宿屋に向かった。
「もー、村田ってばグリ江ちゃんに厳しくない?一人であんなに持たせてさぁ」
「良いの良いの。彼は…いや、彼女はそういうのが大好きなドMだしね。ああ、そこのドM君2号にも、もっと荷物持たせてあげたら?」
「え?グリ江ちゃんがMサイズってことはないだろ。コンラッドだって、そりゃあ腰は細いけど…肩幅的にはLじゃね?」
「日本の規格だと、背丈が2Lで腰回りがMですから、スーツなんかは特注でしたね」
コンラートはしれっとして有利とだけ会話を進める。素朴な有利の反応が可愛いので、わざわざ村田の発言に乗ったりはしなかった。
『ま、確かにユーリが与えてくれるのなら、全裸で鞭でも鎖付き首輪でも甘んじて受けますけどね』(←問題発言)
ちなみに、有利以外に対しの嗜好としては、コンラートには《ドS》の自覚がある。ただ、別に誰かに対して鞭だ鎖だとかいったものを使いたいなんて思っているわけではない。有利に直接関係があるのでなければ、小指一本動かしたくないくらい関心がないといえる。そして敢えて絡んでくる者に対してはドSだという程度だ。村田のように好んでいたぶっているわけではない。
コンラートが村田に何を言われようとも気にもならないのも、この少年が有利に対してだけは、絶対的な守護者としての立場を取っているからだ。そうでさえあれば、少々彼が侮蔑的な発言をとろうとも気にはしない。
《無力で気性の良い》男よりも、《心根は極悪だが強力な有利の擁護者たり得る》男の方が、コンラートには有益だからだ。
おそらく、村田にとってのコンラートもそうなのだと思う。
折に触れて悪口が出てくるのは、コンラートが眞王の命令で有利と袂を分かっていた時期があり、その時にたくさん傷つけてしまったことを恨んでいるからだろう。
村田自身も眞王の意図に応じるために、有利を創主蠢く瘴気の渦へと突き飛ばしたことがあるから、同族嫌悪も手伝っているのかも知れない。
『《禁忌の箱》なき今、僕は眞王が何を言おうとも、渋谷にだけ忠義を尽くす』
村田が誰に言うとも無しにそう決意していることを、コンラートは知っていた。
だから、それで彼という人物を認めるには十分なのだ。
* * *
宿で着替えた有利たちは、その夜のうちに地元の有力者の開催する宴に出席することになった。ヨザックが手配をして、尤もらしい身分と用向きを事前に仕立てたのである。
「コンラッド、これでおかしくないかな?」
「とても素敵ですよ」
ヨザックが用意してくれたウィンコット領独特の民族衣装は、ちょっと見、女の子のように愛らしい。短ズボンを下に穿いてはいるのだが、赤を基調としたチェック柄の巻きスカートがひらりと翻るのだ。白いシャツと臙脂のベストも、有利を幼く見せていた。ちなみに村田も同様の衣装である。明るい色合いのカツラを被っているせいもあって、まるで対を為す西洋人形のようだ。
有利たちは父の代行として商談にやってきた80歳代の子ども達という役割で、ウィンコット領特産の果実酒を宴の主催者であり、この港の名士であるアイオナ卿ロッドバルトに勧めねばならない。その過程で、彼が魔王の名を出して不埒な所行に及ぼうとするのではないか…というのが、ヨザックの筋書きである。二人を餌として使う事にコンラートは反対したのだが、ヨザックが侍女として確実に張り付いておくということで、何とか了承した。
駆け出しお庭番のリュート・ポルから任務を引き継いだヨザックは、短期間に色々と調べ直していた。ロッドバルトという壮年の男は、有利と対面した老人リディバルトにとっては息子にあたる。残念ながらリディバルト自身は一年前に体調を崩して、海風を避けるように内地で隠居生活に入っているそうだ。
更に調べたところによると、以前リディバルトに同行していた孫娘のジルコニアはロッドバルトの前妻の娘である。今は若い後妻が家庭内を仕切っているのだが…ご多分に漏れず、継母はジルコニアに辛くあたっているようだ。今では殆ど笑顔を浮かべることもなく、頬も痩けてきたと港町の人々は噂している。
そして例のカフスボタンだが…これはやはり、ロッドバルトの手に渡っている。表だって《魔王陛下の下賜品》として喧伝しているわけではないのだが、商談の場で意味ありげにちらつかせると、やはり効果が高いのだという。しかも、商談をただ取り纏めるだけなら可愛いものだが、その際に過度な接待や取引条件を要求したりする点が問題のようだ。ただ、やり方が巧みであるせいか、なかなか歴とした動かぬ証拠というのが掴めない。カフスボタン自体は娘が有利から譲られていることもあり、それをもって証拠とするのは難しいのが現状だ。
《あ〜…俺が気安くカフスボタンなんかあげちゃったせいで、被害に遭った人がいるのかな?》目元に涙を滲ませて悔しがる有利に、コンラートは腹蔵が焼き爛れるような怒りを感じていた。
『ユーリの優しさを利用し、あまつさえ、哀しませるとは…っ!』
今、コンラートの心理風景を覗き込む者がいたとしたら…おそらく、あまりの恐怖に発狂していたことだろう。
それほどに、慄然とするような罰を夢想していたのだ。
ただ、思い浮かべたままの罰を与えられるほどコンラート達には権限がないし、なにより、有利に知られると《やりすぎだよ〜》と余計に哀しませてしまう可能性がある。
やるならば、精神的なレベルで徹底的に虐め抜くことであろう。
『さぁて…どのような手法を採用しますかね?』
ちろりと視線を送った先では、有利と同じように愛らしい衣装を身につけた村田が袖口を弄りながら瞼を伏せている。微かに開かれた瞳の奥で何が蠢いているのかは、口の端に浮かべた笑みからも伺えた。
《ふふ》…嗤う大賢者の夢想は、きっとコンラートのそれを大きく上回っていることだろう。
《その夢想の贄となるのだけは御免だな…》同根の士であるコンラートにさえ、そう思わせるほどに、大賢者の瞳からはおそるべき呪怨の鎖が伸びているようだった。
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