危うし!コンラート様F











「随分とまぁ、巫山戯た真似をしてくれるもんだな?」

 フォーラー卿の背後から囁く声がする。
 ハスキーな声は耳朶に心地よく響くが、からかうようなその声に内包された怒りは…フォーラー卿の背筋が総毛立つほどに深く強い。

 それにしても、一体何時の間にそこに位置どっていたのだろうか?
 完全に気配を消していた男はフォーラー卿が振り向くよりも速く、万力のような腕でがっしりと首をロッキングしてきた。

「ヨザ…っ!」
「よぉ、隊長…佳い格好じゃねぇか」

にやにやと…チェシャ猫のように嗤う男はグリエ・ヨザックだ。
 緊張感を欠く新妻エプロンに身を包んでいても、ぼこりと盛り上がる三角筋から上腕二頭筋の筋肉美が色褪せることはない。
 
「お前…もっと早くどうにか出来たんじゃないのか?」

 下げ掛けたズボンをばつが悪そうに戻しながら、コンラートが拗ねてみせると…友人は意地悪な表情を浮かべてくすくす笑う。

「だってよぉ、眞魔国の英雄…ルッテンベルクの獅子様があたふたする姿があんまり可笑しくってさ。ついつい見入っちゃった〜。隊長ったら可ー愛ーい〜」
「この…っ!」
「怒るなって!危ないところで助けてやったろ?俺もさ、陛下の涙には弱いのよね〜」
「りょざっくぅ〜…」

 うるうるとした瞳で見上げる有利に、一瞬ヨザックの瞳がひどく柔和なものになる。
 本当に、この少年にだけは毒気を抜かれてしまうのだ。

 それに…毒舌は吐いても、やはりそこはコンラートを敬愛する心は持ち合わせているこの男のこと、本当に彼を辱めるような行為を許すはずがないのだ。

 ただ…基本的に成分の98%が毒気で出来ているような男だけに、その誠意が表出することは希なのだが。

「ぐ…が……」
「どぉ〜うしますぅ〜?ぼっちゃん…。この巫山戯た男…やった罪を考えりゃ、今すぐここで頸を捻切ったって良いところだが、それじゃあーお優しい陛下のお心を煩わせちゃいますよね」

 かといって、あまり表沙汰にしてもコンラートに悪い評判がつきそうだ。
 変態に好かれるのはコンラートのせいではないのだが、混血嫌いの者達の中にはそれでなくとも色眼鏡で見てくる者がいる。
 酷い場合は、《コンラートのせいで魔王陛下が浚われた》等と言い立てる者がいないとも限らない。

「うん…。おえを浚ったとか、そうゆうのは別にいいんにゃ…。たら…コンラッドに、また変にゃことされたらやらし…ろうしよう?」
「そーですねぇ…こーゆーのは一種の病気ですからね。芯の部分から何かを折ってやらないと、何度でも繰り返すでしょうね。こいつだけでなく、この辺にいる連中や、地下に潜ってる奴らもいるでしょうからね。ったく…たちの悪い連中だぜ」

 憎々しげに吐き捨てると、ぎりり…っと一層腕の力が上げられる。


「…すか!?」

 
 停滞し掛けた空気の中…突然、伸びやかな女性の声が高らかに響き渡った。
 空振りした状態の擬音…というわけではなく、どうやら《悪党どもはここにいるので》という言葉から続いているらしいが、この場にはそんな展開を覚えている者など居なかった。

 そう…いま唐突に目覚めたのはあのエベレスト嬢だ。

 スメタナ卿の吹き矢を喰らったものの、すぐには効果が出なかった麻酔薬が突入と同時に作用し、今…突拍子もなく切れたらしい。

 スイッチ並みにかっちりとしたオンオフ設定だ。

「ん…まぁあ…何ですの、このコンラート様の映し身群は…」

 エベレスト嬢は綺麗さっぱり麻酔薬の効果が切れてしまったらしく、はっきりくっきり眼に映し出された作品群に嫌悪を露わにし…これにフォーラー卿が、ヨザックに拘束されつつも絶叫した。

「何だと…!?我らの罪はともかく、我らの作品を汚すことは許さんっ!これは我らの溢れる愛の結晶なのだぞ、女ぁっ!…貴様、その愚鈍な眼には我らの愛と芸術を理解することは叶わぬのだ…っ!!」

 フォーラー卿は漢(をとこ)と、仲間達に認定されていた。
 だが…彼はまだ知らないのだ。


 彼を上回る漢が、この場にいることを…!


「今…何と言われまして?」
 

 殊更大きな声ではない。

 だが、ずぅん…っと腹に響くその声音に、フォーラー卿を初めとする男達は無意識のうちに脂汗を額に浮かせた。

「これがコンラート様への愛ですって?…はっ!…笑止千万っ!鼓腹撃壌っ!匍匐前進!」

 怒りのあまり、エベレスト嬢は色々と用法を間違っていたが誰も指摘はしなかった。
何となく、彼女が口にすると正しいような気もしてくるし。

 
「この程度の凡作で愛を表現しようなど愚の骨頂!存在するだけ無駄無駄無駄無駄ぁぁぁっ!」

 ウリィィィィ……っ!

 背後にスタンドが登場しそうな勢いに、男達は怯えきった仔狸のようにぶるぶると震えた。


「この愛を見るが良い…っ!」

 
 おお…見よ!

 軽やかに中空へと飛び上がったエベレスト嬢の脚が…真っ赤に燃えているではないか…! 
 いや…あまりにも素早い蹴りの応酬によって、脚の周りの大気が揺らぎ…沸き上がる炎のような深紅に見えるのだ…!(←なんか、イオンとかが化学的に色々なってアレらしい)


「ほぁちゃああ……ぁぁぁぁあたたたたたたたたたタタタ……っっ!!!」

 
 凄まじいばかりの蹴りが壁を砕くのみならず、形成し、研磨し…何らかの像を型作り始める。
 エベレスト嬢の額から粒状の汗が噴き出し、顔色は真っ赤に染まっているが…おお、何と言うことだろう…!彼女はその蹴りの中で一度たりと大地に脚をつけていないではないか!

 なんと、壁に脚を蹴りこむたびに微妙に角度を調整し、空中の同じ場所に浮き上がったまま蹴り続けているように見えるのだ。

 わざわざそうする必要があるかどうかは不明だが、理由は…多分、恰好良いからだろう。

『だって、コンラート様にちょっとでも良いところを見て頂きたいんですもの!』

 《きゃっ!》…と心中ではにかむエベレスト嬢は、可愛い女性だ。
 横から見ている者には理解しにくいが、取りあえず有利とコンラートと侍女達には伝わっているので十分だ。
 乙女心を持つヨザック辺りも、なま暖かく理解しているかも知れない。

『くう…!』

 だがしかし、さしものエベレスト嬢にも限界はある。
 発火寸前の下肢は熱く火照り、無酸素下で酷使される細胞達が疲弊と不満を訴え、疲労感が痛みとなってエベレスト嬢を責め立てた。

『いいえ…この痛みを乗り越えて開眼してこそ、私は真の愛を見せつけることが出来る!』

 前半部分については《武闘家の信念》としては正しい気がする。
 ただ…客観的に見て後半部分が《真の愛を証明するものである》という認識に、世論の同意を得られるかどうかは甚だ怪しいところだが、この場合は問題ない。
 エベレスト嬢がそうと信じ抜いているのだから、世論や風評など鼻くそほどの価値もないのだ。(←超主観主義)

 
「チョイサぁぁぁぁぁ……っっ!!見よ!我が最終奥義…天狼餓龍魔檄導破弾ーっっ!!」

 
 ひときわ高い叫びが人々の度肝を抜き、エベレスト嬢の下肢から陽炎ではなく…真の炎が吹き上がった瞬間…。
 
 《カ…!》っと電解質を反応させたような激しいスパークが起こった。

「うぉぉ…!?」
「な…なんと…っ!」

 おお…見よ!

 ホテルの壁(当然、人工物にして建造物。当然、賠償対象)に浮き出た彫像…それは、ハイヒールを穿いた足が生み出したとはとうてい思われぬほどの精度を誇るコンラート像ではないか…!

 琥珀色の瞳にはきらきらと銀の光彩が輝いているのはどういう化学変化の賜物なのだろうか…。よく分からないが、愛と化学の奇跡と称するに相応しいできばえである。

 片手を差し出した様子は、今にも《お手をどうぞ》と口にしそうだ。踊りに誘われた瞬間のときめき…泣きたくなるくらいの感動が、その彫像には凝縮されている。

 しかも、その奥底から溢れ出す気品、凛々しさ、優しさといったものは…数が多いだけのコンラートマニアどもの作品とは桁が違っており、偉大な芸術と呼んで良いほどの領域に達していた。

「おお…」
「こ、心が洗われる…っ!」

 何時しかコンラートマニア達は跪き、神々しいその彫像に見入って滂沱の涙を流し始めた。
   
「ふふ…分かって頂けたかしら?」

 流石にはぁはぁと肩で息はしていたが、エベレスト嬢にとってもこの彫像のできばえは満足のいくものであったらしい。うっとりと見惚れながら、にこにこと幸せそうに微笑んでいる。

「凄い…凄いよマリアナさん…!」

 有利もまた感動の涙を滲ませながら駆け寄り、ポケットに入っていたハンカチでエベレスト嬢の額に溢れる玉のような汗を拭いた。
 ライバル同士の美しい友愛なのだが、《武闘家である先輩の汗を拭く、可愛い後輩》のようにも見える。

「流石は我が好敵手…魔王陛下ですこと。あれほど他人だと申し上げたのに、私の正体を見破ってしまわれたのね?」

 まあ…バレバレでしたけどね。

「でも、よろしくってよ。私…もう正体を偽る必要はありませんもの!最終奥義天狼餓龍魔檄導破弾は…ここに、堂々完成したのですから!」

 機嫌良く《ほほ》…っと笑いながら、エベレスト嬢が優雅な動作で虎柄の仮面を外すと、ほっとした様子で侍女達も仮面を外した。

「驚かれまして?コンラート様。私、ラダガスト卿マリアナですわ。こうして正体を偽ることなくコンラート様にお目通りする日を、どんなに待ち望んだことか…!」

 《きゃ!》…っとはにかむように、両手で上気した頬を包む様子は少女のようで愛らしいが、既に超必殺技(人は死なないが)を披露した身では、素のまま受け止めるのは困難だ。

「お…お久しぶりです。見事な荒技…いや、妙技…感服いたしました」
「まあ…お恥ずかしいわ!」

 コンラートがやや口籠もりつつも賞賛の言葉を口にすると、平伏していた人々も跪いたままじりじりとエベレスト嬢…マリアナの元に馳せ参じた。

「お見それしました!」
「我ら、コンラート閣下への愛でこれほどの衝撃を受けたのは初めてです!」

 フォーラー卿は感動しやすい性質であるのか、だくだくと涙を流しながら(目の幅と同じ滝涙…所謂、《巨○の星涙》だ)、深々とマリアナの前に土下座した。

「私の犯した罪の大きさと、これまでの愚かしさにやっと気付きました!この上は、我ら全員頭を丸めて出家したく存じます。我らの持てる家土地財産は全て国庫に納めて頂きたい!」
『え…ぇえぇええええ……!?』

 すっかり対岸の火事状態で見入っていた人々は、溺れた小狸のようにあわあわと口を開閉させるが…もうこの流れを止めることは出来ない。

「本ろう?ぅん…財産はともかく、自主的に出家してもりゃえると助かりゅな。表沙汰りして、コンラッドにヤな思いさせんのも嫌らもん」
「は…!かくなる上はこのフォーラー卿ゴンザレス…我が全責任に於いてこの事件に関わった者を率い、出家いたします!」

 フォーラー卿は懐から厚手の上質紙を取り出すとさらさらと一筆したため、太々とした筆跡で署名した。
 そこには、先程述べたのと同じ内容のことがしたためられている。

「どうぞ…お受け取り下さい…!」
「うん」

 恭しく捧げられた書状を有利が受け取ったとき…その場にいた者も居なかった者も、自分たちの同意も無しに将来が決定づけられたことを知ったのであった。



*  *  *





 その頃、コンラートマニアの首領であったはずの男…スメタナ卿は《全眞魔国紳士淑女選手権》の優勝者として賞賛の拍手を浴びていた。
 しかし…彼は孤独だった。

『こ…コンラート様は、何故おいでにならぬのだ!?』

 彼はまだ知らない。

 自分の計画が知らない間にすっかり頓挫してしまったことも、自分の将来が仏門(?)に限定されてしまったことも…《コンラート好きキモキャラ王》の座をフォーラー卿に奪われてしまったことも…。



つづく