危うし!コンラート様B









 パン…
 パパン…!

「本格的だなぁ…。花火まで上がってら!」
「優勝者には結構な額の賞金と、それを上回る栄誉が与えられるそうですし…なかなか権威ある大会のようですね」

 審査員として招かれた有利とコンラートは、その中でも一段高い場所に設けられた貴賓席に座して、会場や出場者達の様子を興味深げに見守っていた。

 《全眞魔国紳士淑女選手権》の審査会場は、王都で知らぬ者なき大型宿泊施設《メリルローズ》の庭園に設置されており、美しくガーデニングされた草花の中にあって、目をぎらぎらと輝かせた選手達の姿は一種異様に映る。

 その中から親しげに声を掛けてきた者がいた。

「はぁ〜い、坊ちゃんに隊長〜。お元気ぃー?」
「ヨザ…やっぱり出るのか」

 予想通りの姿に有利はくすくすと笑い、コンラートはぐったりと席に沈み込んでしまう。

 案の定…グリエ・ヨザックが身につけていたのはピンク色を基調としたふりっふりのエプロンだったのである。
 しかも、秋風肌寒いこの季節にノースリーブの服など着ているものだから、下手すると裸エプロンの様に見えてしまうのが何とも悩ましい(?)

「やーん、坊ちゃんたら俺とお揃いっぽい〜っ!」
「違うもん!」

 ぷぅ…っと有利は唇を尖らせるが、《お揃い》と言われて否定しきれないところが切ない。

 選手権開催委員会から宛われた服は女装でこそないものの、裾の長いふわっとした黒衣にひらひらの白いエプロンという出で立ちで、なんとも可愛らしい《新妻》を思わせる姿なのである。

「俺も結構恥ずかしいんですが…。こういう席でまるっきりプライベートのような服というのは妙なものかと」
「あんたのは恰好良いじゃん!もー、差別だこんなのっ!」

 有利は頬を膨らませてじとりとコンラートを睨むが、その姿を眺めているうちに怒る気が失せてしまう。

 コンラートが纏っているのは眩しいほどの白い開襟シャツにブラウンのズボンで、その上にオリーブグリーンのシンプルなエプロンを掛けている。
 こちらはまた、なんとも素敵な《休日の旦那さま》ではないか。

「むー…くそー…恰好良いなぁ…」
「うっふふー。坊ちゃんたら文句言いながら目がハートよ?」
「だって…」

 尖らせたひよこのような唇が愛らしくて、ヨザックはついつい《ぷよん》と指先を上唇に押し当ててしまうが、その動作に…ギリッと殺気の波が押し寄せてくる。

 隣に座しているコンラートからのものもあるが、周囲で眺めている参加者からのものも多数あった為、気配に鈍いタチの有利にも流石に分かったのか…ふるりと怯えたように睫を揺らした。

「なんか…この選手権ってただ事じゃないような雰囲気漂ってんだけど…いつもこう?」

 対象者に男を含むとはいえ《良妻賢母》の第一人者を選出するための大会で、どうしてこんなに殺気だっているのだろう?

「いやぁ…今年は特別なんじゃないですかねぇ。なんせ、お二人は人気者ですから」
「俺達が人気もんだとどうしてこんなに殺気立つの?」
「んー…そりゃあねぇ……そういうもんなんですよ」

 ヨザックは返事に窮して苦笑を浮かべるばかりだ。
 あまり詳細に説明してこの少年を怯えさせるのもどうかと思うし、ヨザック自身…《あの連中》の欲望を分かりやすく言語化するのはちょっと嫌なのだ。
 
 《あの連中》…選手権参加者達の眼差しは、今も二人に注がれてハート形に変形している。

『ああ…なんて可愛いんだ陛下。俺の仔猫たん…』
『ああ…なんて素敵なんだ閣下。俺の淫獣さま…』
『ああ…あの方に俺のミルクをたっぷり飲ませて差し上げたい…。決勝戦では、こっそりシチューに注いでおくんだ〜…』

「う゛…」
「どうしたの、コンラッド…?」
「いえ…何でもありません」
「大変ねぇ…隊長〜…」

 こういう時は好意に鈍い者の方が楽だろう。
 職業柄、気配に敏感すぎるコンラートは執念混じりの好意の渦に晒されて、早くも心中ぐったりとしていた。

 同性異性に関係なく、送られる眼差しが憧憬を意味するものだけであればどうということもないのだが…。コンラートは昔から、妄執に近い欲望を向けられることが多い。
 所謂、フェチ系の者に好かれやすい性質であるらしいのだ。

 以前にも辟易としてそう零したら、ヨザックに苦笑しながら論評されたものだった。

『あんたがもっとさっくりした、面白みのない美形ならそういうことも無いんだろうけどねぇ…何せ、色々と押し殺して微笑んでる部分があるから、妙な色気が滲んじゃうんだよ。そういう闇の部分に惹かれちゃうタイプには、偏執的な奴が多いんだよねー』

 正直不快だが…それを口にすることも、別の生き方をすることも出来ない。
 周囲がコンラートに求めているものは《そつのない態度》と《柔和な笑顔》なのだから…。
 コンラートが思うままに不快な顔など見せては、有利も困るだろう。
 
 こんな時は薄い微笑のまま、顔を固定してしまおう。
 こういう表情の維持には慣れているのだ。

『平気だ。昔は…もっとえげつないような眼差しを公然と送られていたじゃないか…』

 もともと眞魔国の社交界では肉感的な求愛などごく一般的な行為ではあるが、混血であり、淫蕩な気質で知られるツェリの息子としてのコンラートに向けられる眼差しは、更に男女を問わずどろりとした肉欲を滲ませていた。

 《尊い王の血と、卑しい人間の血が混じり合った者》

 崇拝と侮蔑の入り交じる感情のせいか、常に奇抜な性の対象者を求める者達にとってコンラートは涎が垂れそうなほど魅力的な存在であったらしい。

 コンラートの《夜の帝王》という名も、気に入らない者から身を守る為に少しでも居心地の良い女性と身を重ねる内に、結果としてついてきたような気がする。
 コンラートにとっては不本意と言ってもいい虚名と、うっかり鍛えてしまった性技とが相乗効果となって彼の崇拝者を増やしてしまったことは、些かほろ苦い真実である。

「コンラート様ー!」
「貴方のために勝ちますーっ!」

 不愉快さを押し殺すコンラートは、狂ったように手を振る参加者達に手を振り返す程の余裕を見せていた。

 けれど…コンラートの頬は不意に横合いから攫われると、ごく至近距離に位置する漆黒の双瞳に見詰められた。

「コンラッド…何か、心配なことがあるんだったら教えて?」
「ユーリ、俺は何でも…」
「何でもないなら、コンラッドがそんな顔するもんか…」

 とくん…っ

 心配そうに伏せられた瞼に、今すぐ口吻けたくなって胸が高鳴る。

『ああ…この方はこういう方なのだ』

 鎖で縛って水底に沈み込ませてしまった心の痛みさえ掬い上げて、そぅ…っとちいさな掌の中に包み込んでくれる…。

「…少し、気持ちが塞いでいただけなんです。ほら…以前母の開いた舞踏会で散々な目にあったでしょう?」
「そっか…またああいう濃い目の人が来たら大変だもんな」
「ええ、そいつの手料理を食べるわけですからね」
「うっわ…そういえばそうだよな」

 ふるるっと身を震わす有利は仔うさぎのように愛らしくて、コンラートはついつい伸ばしそうになる手を食い止めるのに必死であった。
 有利との関係は端緒についたばかりだし、こんな人前でいきなり抱き寄せたりしては、人一倍羞恥の強い有利には嫌がられるだろう。

「でもさ、衆人環視の元で作るんだからきっと変なもの入れたりするような暇はないって!コンラッドもちゃんと見張っててくれるだろ?」
「ええ、あなたに妙な物を口にさせるわけにはいきませんからね」
「頼むぜ?腕利きの護衛さん」
「お任せあれ」

 微笑み合う二人だったが…何気なく会場に送られた眼差しが一気に硬直した。
 そこにいたのは忘れもしない…以前の舞踏会に於いて、執拗にコンラートを狙っていたスメタナ卿ではないか!

コンラートと目があった途端にスメタナ卿は《にやぁあ》…っと口角を上げて笑い、二人の背筋を震わせた。

「き…来ちゃったかぁ…」
「家事仕事が不得意だと良いのですが…」

 希望的観測をヨザックが否定する。

「うーん…あのタイプは思い詰めると強いタイプだからねー。結構特訓積んでるかも知れないぜ?それに…あいつにゃ色々と噂があるしなぁ…」
「何だ?SM愛好家であることの他にも何かあるのか?」

 そこに、眼鏡を光らせながら参加してきた少年がいた。

「スメタナ卿か…色々と、組織だった動きを見せると聞いているよ」
「猊下…」
「村田も参加するの?」

 少年らしい薄水色のシャツの上に、四つ葉のクローバーが刺繍されたライトグリーンのエプロンをしている村田が、何故かお玉を持って登場した。

「鍛えた家事の腕を見せようと思ってね!」

 確かに村田は器用な方で、渋谷家に遊びに来た際にも手際よく美子の手伝いをしているし、マンションに遊びに行った時にも家の中はいつも片づけられ、清潔に保たれている。
 
 だが…村田がわざわざこういうイベントに参加するとなると、色々と思うところがあるのではないかと穿った見方をしてしまう。

「…もしかして、何か妙な陰謀の噂とかあるの?」
「やだなぁ、僕が動くと陰謀が絡むみたいな言い方よしてよ」

 ぷくっと頬を膨らますと愛らしい容貌と双黒効果で、有利目当てで集まってきた参加者達を中心に、瞳がハート形になってしまうのだった。

「そう?」

 有利はまだ半信半疑のようだが、そんなちいさな気がかりなど吹っ飛んでしまうような映像が飛び込んできた。

 ざわ…っ!

「あ…」
「あれは……」

 身体にぴったりと合った細身のワンピースは鮮やかな深紅…。出るとこが出て締まるところが締まったその流線は見事で、女神の彫像のように完璧なボディラインを呈していた。
 華やかなウェーブを描く金髪は腰まで伸び、それを揺らしながら歩いていく所作は育ちの良さを伺わせる優美なものであった。

 しかし、衆目を浴びる要因はそんなものではなかった。

 人々の視線を一所に集めるもの…。
 それは…彼女の目元を覆う虎柄の仮面(仮面舞踏会仕様)であった! 

「なんじゃありゃあ…」

 仮面の影から覗く容貌はなかなかの美形のようだし、別に傷があるようでもない。 
 一体どういう理由で仮面などつけているのだろうか?

「おーい!マリアナさーんっ!!」

 はぅはぅと仔犬のように駆けだした有利が、何処からどう見てもラダガスト卿マリアナにしか見えないその女性に声を掛けるが、相手の方はと言うと…如何にも不本意そうな顔で唇を歪めた。

「どなたとお間違えが知りませんが、別人ですわ」
「え?マリアナさんじゃないの?」
「ええ…」

 ば…っ!

 女性は華麗な動作で手提げの中からエプロンを取り出すと、サテンのような光沢を持つその布地を宙に飛ばした。

 パッパッパヤ
 パッパッパパヤパッ
 パッパッパパヤッパッ…!

 不意にファンファーレの様な音楽が流れてきた。

 よく見ると、女主とお揃いの仮面をつけたメイドっぽい女性がトランペットに似た楽器を演奏しているのだ。
 ちなみに、同じような仮面を付けたメイドが他にも数名いたのだが、こちらは頬を染めて一様にもじもじしている…。

「とうっ!」

 くるるるるっ!

 空中で身体を捻りながら瞬時にエプロンを纏い、見事な着地と決めポーズ(?)を見せる姿は、まるで蒸着中の宇宙刑事かヤッターマンかという様子であった。

「私の名はチョモランマ卿エベレスト!」
「それはまた…高々と聳えていそうなお名前で……」

 元の名前との標高差が世界一である。

 エベレストはちらりとコンラートの方を向くと、その瞳が微笑み(半笑いに近いが)を湛えているのを目にしてほっと息をついた。

「コンラート様…私、必ず決勝まで勝ち抜いてあなたに愛妻ディナーを捧げますわっ!」
「それは…楽しみですね……」
「ほほほほほほ…!それでは御機嫌ようっ!」

 仮面のメイド群と共に高笑いしながら去っていくエベレストに、有利はきょとんと小首を傾げてしまう。

「コンラッド…あれ、マリアナさんだよねぇ…。一体どうしたんだろう?」
「あの方が名を騙らねばならぬとは、余程の事情がおありなのでしょう。そっとしておいてあげましょうね」

 出来れば、ずっとそっとしておきたい…。

「うん。まーそれはいいとしても…何だかやっぱり、こってりとした顔ぶれになってきたねぇ…」
「仰るとおりですね……」

 はぁ…っと溜息を漏らしつつ、二人はこの先の戦いを思いやるのだった。




つづく