危うし!コンラート様A











「お嬢様、お茶になさいませんこと?あまり根を詰めてはお身体に毒ですわ」
「そうね…少し一息入れようかしら」

 華麗な巻き毛を翻し…優雅な足取りで席に着くと、ラダガスト卿マリアナはメイドの煎れてくれた紅茶の風味に満足げな笑みを漏らした。

「ふふ…さすがね、シータ…私の舌を満足させてくれるのはあなただけよ」
「光栄ですわ」

 シータと呼ばれたメイドは、少し年はいっているものの品の良い女性で、麗しい主人の賞賛にも声を高ぶらせたりはしない。だが、内心はかなり嬉しいらしいことが上気した頬から伺えた。

 瀟洒な造りのバルコニーに、白木のテーブルと揃いの椅子…満足げに焼き菓子を口に運ぶ女主人に、躾の行き届いたメイド…誰がどう見ても、このワンショットだけを目にすれば貴族の邸宅の一部として目に映るであろう。



 だが…ほんの少し視点を広げるだけで、それはたいそう異様な光景に変じるのであった。



「せりゃぁあああ!」
「とう…やっ!」


 威勢の良い掛け声と共に、男達の拳が…蹴りが大気を裂く。
 蒼い胴着姿の男達はいずれも筋骨隆々とした武闘派揃いであった。

 険しい峰が連なるこの場所は、武闘家の聖地として知られるウィンコット領は《虎の経穴(ツボ)》であり、男達は天下最強となることを目指して修行に励んでいる。

 本来、この地はありがちな《武闘家の決め事》の例に漏れず《女人禁制》を謳っていたのだが、諸事情あってマリアナを受け入れざるを得なくなっている。

誓って言うが、彼女の家柄に配慮したためではない。

 彼らとて武闘家…貧しくとも金銭や家門に釣られて特例措置をとるようなことはない。
 では、一体何故受け入れざるを得なかったかといえば…ある意味、武闘家として前者の理由よりも切なくなるような事情があるのである。




 マリアナは華麗な馬車を連ねてこの聖地を訪れた際、《女人禁制である》と入所を拒む管理責任者に、その理由を尋ねた。

『男達の気が緩むからだ』

 その言葉が彼女の逆鱗に触れたらしい。

『まぁぁああ……!気が緩むですって?あなた、貴婦人を前にどの面下げてその様な発言をなさるのかしら?女性の前でこそ男は凛々しく麗しくあらねばなりませんわ!そう…コンラート様のように!』

 それから、一時間に渡って管理責任者は延々《麗しのコンラート様》についての講釈を聞かされることとなった。


 コンラート様は如何に貴婦人方の前で優雅な所作をみせるのか。
 コンラート様は如何に流麗な動作で剣技をふるうのか。
 コンラート様は如何に…以下略。


『う…ウェラー卿がどうでもあなたには関係のないことだ。とにかく、ここは神聖な武闘家の聖地…。単に冷やかしで来られたのであればお帰り願いたい』
『冷やかしですって?まぁああ…!』

 怒り心頭に達したマリアナはいきなり最終奥義…《鮮紅鳳弾竜巻落とし》を管理責任者に喰らわせてしまい、流線を描いて彗星のように吹き飛んでいく男の姿に武闘家達は呆気にとられ…その内、我に返った何人かがこの奇妙な闖入者にお帰り願うべく登場してのだが、やはり同じ経過を辿った。

 こうして、ラダガスト卿マリアナは一日にして《虎の経穴》を制圧してしまったのである。

 では、目的を果たしたのなら帰ればいいようなものなのだが、相変わらず彼女がここに居座っている理由は、《軟弱極まりない男どもに、コンラート様の素晴らしさを知らしめる》為であるらしい。




「ふう…後少しで新たな最終奥義の開発と同時に、この渓谷の方々への置き土産が完成するわ…。うふふ…私が持って帰れないのが残念なくらいよ!」

 もう殆ど出来上がった《置き土産》を満足げに見上げるマリアナに対して、メイド達はやや半笑いだ。
 それはもう凄まじい《置き土産》なのだが…これを素直に武闘家達が有り難がるかと言えば微妙なところだろう。

「それより…お嬢様、お聞きになりまして?コンラート様が、《お婿さんにしたい魔族第一位》…」
「ほほほほほほほ………!」

 いわずもがな…という感じだ。
 マリアナは我がことのように笑み崩れた顔で、誇らかに高笑いした。

「当然…!極々当たり前のことですわっ!!コンラート様以外にこの眞魔国…いいえ、この地上に於いてお婿さんに相応しい男など居るかしら?」

 《いますよ》等と答えようものなら瞬殺されそうな勢いに、メイド達は綺麗に揃った動きでこくこくと頷いた。
 彼女たちにしてもその言葉を否定するような意図はないのだ。実際、ウェラー卿コンラートが素敵な男性であることに関して、異論は一切無いのだから。

「ああ、コンラート様の花婿衣装…さぞかし見事でしょうね!いいえ!そういう特別なお姿も素敵だけど、家族にだけ見せる普段着のコンラート様というのもさぞかし…。あぁ…白いシャツの襟元を釦二つ分くらい開けたコンラート様が、ソファの上でゆったりと横になられて、《おいで、マリアナ》…なーんてなーんてっ!!」

『お嬢様…涎が……』

 令嬢としての品位を崩しかねないギリギリのところでマリアナを救ったのは、メイド頭シータの一言だった。

「コンラート様は、《お婿さんにしたい魔族第一位》に選ばれたことで、《全眞魔国紳士淑女選手権》の審査員として選出されたそうですわ」
「…なんですって?」

 ぴくりとマリアナの妄想が止まる。
 
「確か…それは、決勝まで勝ち進むと自慢の料理を審査員に味わって頂き、評定されるという種目もあったわよね?」

 マリアナの動きが目に見えて恥じらいと期待感を帯び…先程まで絶叫していた声が、はにかむような甘みを帯びる…。

「こ…コンラート様に…手料理を食べて頂けるのかしら?」

 もじもじと口元に指を掛ける姿はなかなかに可愛らしい。
 この姿だけ見ていれば、彼女が奇声を上げながら必殺技を繰り出すとは誰も思うまい。

「ええ、きっと《美味しいですよ》…なんて、あの蕩けるような微笑みを浮かべて囁いて頂けるものと…」
「早速出立の用意をしましょう。シータ、申込書は手に入れているでしょうね?」

 決断はやっ!

「勿論です、お嬢様」

 手回しはやっ!

 新参者のメイド達は呆気にとられて主と古参のメイド頭を見詰めた。

「そうと決まればお茶など飲んでいる場合ではありませんわ…!最終奥義を完成させて選手権に参加しなくては…!」

 マリアナはすっくと立ち上がると、小気味よい動作でドレスの裾を翻し、たた…っと2〜3mの助走をつけただけで宙高く飛び上がっていった。

「ほぁりゃあああ……っ!受けてみよ…天狼餓龍魔檄導破弾…っ!」

 見事な飛翔に、武闘家達の目が眩しいものでも見るように眇められる。
 
「ほあたたたたたたたたたたた………………たーっっっ!!!」

 凄まじいばかりの蹴りが岩壁にぶつかり、削り取られ…マリアナの身体がくるりと回転して最後の一撃を食らわせた瞬間…巨大な岩レリーフ…《ウェラー卿コンラート像》がここに完成した。

 それは白い礼装姿のコンラートがダンスを申し込む瞬間の姿であり、今にも《お手をどうぞ》と口を開きそうな出来映えであった。

 数千年も経過する頃には、《歴史的建造物》として保護遺産化されそうな傑作である。

「見事…!」

 なんかもう、色んな意味で突き抜けてて凄い。

 男達はマリアナに対しては色々と思う所はあるのだが、ここまで吹っ切れたように見せつけられる超絶弩級の荒技と、《そこまで好きかい》という半ば生暖かいくらいの微笑ましさに、ついつい感嘆の声を上げてしまうのだった。

 けれど、《ふぅ》…っと息をついて着地したマリアナは、頭上に聳え立つ《コンラート像》を目にして愕然とした。

「なんということ…こ、これではコンラート様にならないわ…!」
「どうなさったんです?お嬢様…とても麗しいウェラー卿の像ではありませんか」
「追従は結構!私は私を赦せない!コンラート様の瞳は…コンラート様の瞳はもっとキラキラと輝いていなくてはならないのよぉおっ!」

 言われてみれば…切れ長の眼差しは涼やかに整ってはいるが、本来のコンラートのように銀の光彩を再現することは叶わなかったようである。

「天狼餓龍魔檄導破弾は…未完成だわ!どうしましょう…私、最終奥義も完成させずにコンラート様の前に現れるなんて恥ずかしくて出来ない!」

『普通の貴婦人は最終奥義自体持っていませんし、持つ必要もないかと思います』

 メイド達は思ってはみたが口には出さなかった。
 女主人の努力を全否定することになるからだ。

「うう…けれど、《全眞魔国紳士淑女選手権》の審査員は毎年変わるもの…。次の機会はもう無いかも知れないわ…くっ!かくなる上は…!」

 マリアナはふらりと立ち上がると、何かを決意した顔で《コンラート像》を見上げるのであった…。





つづく