「青空とナイフ」B











 頭の奥で警報が鳴り響いた。

『君ならばあの子に、下劣な意味での興味を抱くことはないと信頼している』

 権現源蔵から掛けられた、依頼の電話の意味が今にして分かる。

 どんな頑固な者相手でも、彼がひとたび《好き》と認識すれば…心に染み渡るようにして、あまりにも呆気なく防御壁を突破してしまうのだ。

 本人は全く自覚していないのだろうけれど…。

『いけない…』



 この子に、これ以上好意を抱かれるわけにはいかない。

 この子に、これ以上好意を抱くわけにもいかない。



『冷静に仕事が出来なくなる』

 はぁ…っと一息、意識をして深い呼吸をすると、氷のような表情を浮かべてコンラートは応えた。

「迷惑です。俺に、護衛として以上の感情を期待しないで下さい」 

「……うん…」

 幸せそうに微笑んでいた瞳が揺れて、哀しみの色に変えられていく。

 その様が…コンラートの胸を引き裂き、鮮血を迸らせた…。

「ごめんね……変なこと言って…」

「いいえ…」

 コンラートは意識的に言葉少なに返答すると、有利を抱えてベッドに向かった。

「もう…眠って下さい。あなたには眠りが必要だ」

「うん……」

 こく…とちいさな子どものように、素直に頷くから…。

 その仕草があまりにもあどけなくて…。

 コンラートはまたしても、厳しい顔を維持することが出来なくなってしまう。

『酔っているのなら…少しくらい、やさしくしても大丈夫じゃないだろうか?』

 夢だと思って、忘れてくれるかも知れない。

「俺も…あなたのことは、嫌いではありません。ですが、仕事が終わるまではどうか…俺に冷静でいさせて下さい。俺はあなたを好きになることよりも、お守りすることを大前提にして行動しなくてはならないのです」

「…うん」

「どうか…お願いです」

 我ながら、情けない声になってしまった。

 だが、有利の方はにっこりと微笑むと…満足そうに言ったのだった。

「困らせてゴメンね…。俺のこと、嫌いじゃないのならそれでいいんだ。傍にいてくれる人が、自分のこと嫌いなのって、やだろ?」

「…そうですね」

「これから…お願い、ね……」

 安心したのだろうか?すぅ…と瞼が伏せられると、健やかな寝息が規則正しく続いていった。

 その様子に予想以上に安堵しながら…コンラートはベッド脇の椅子に腰掛けた。

「困ったな…」

 本当に困った。

 こんなにも…困り果ててしまうほど魅力的な主を、彼はこれまで持ったことがないのである…。



*  *  *




「どうにもお疲れみたいだねぇ…」

「…分かる?」

 夏休みを目前に控えた学生とは思えないくらい、有利はぐったりと脱力しきっていた。

 村田の指導のおかげで折角赤点を免れたというのに、草野球のグラウンドが警備に不向きだという理由で練習に参加出来なかったのが余程堪えているらしい。

 権現源蔵の死から1週間が経過した今、多少馴染んできたとはいえ基本的に質素に出来ている有利にとって、ホテル暮らしがまだ慣れないこともあるだろう。

 何度か遊びに来ている村田も、毎回厳重なボディチェックを行われることには辟易している。

『ま、それだけじゃないんだろうけどね…』

 有利がコンラートの存在を強く意識しているのは間違いないだろう。

 有利は学校の行き帰りのみならず、学校側に話をつけたコンラートによって授業中も彼に護られている。流石に教室内でじっと見ているわけではないのだが、既に2回ほど接触を試みてきたゴンゲングループの男達を回避しているので、警備の方は出先でも完璧なようだ。

 それだけ、彼の視線は有利に向けられていることになる。

 それを自覚しつつも…視線の中に有利が期待する要素がないことが辛いのだろう。

「コンラート・ウェラー氏は仕事熱心だねぇ…」

「熱心すぎだよー…。大体さあ、コンラッドって何時トイレに行ってるんだろうな?幾ら美形だからって、食べて何にも出てこないなんてことはないよな?」

「おむつ…」

「止めて!怖いからそういう話は止めてっ!」

「嘘だよ。パンパースつけた護衛なんていないって。いざって時に動きが悪いことこの上ないからね」

 簡易トイレは必須らしいが、それも有利の心情に配慮して黙っておこう。

 なにか夢見たい年頃みたいだし。

「それに、心配しなくてもコンラート氏は流石に24時間完全に張り付きと言うわけではないよ。彼には補助員がいるはずだ」

「補助?」

「ああ、あまり複数が警護に就くと雇い主の心理に負担が掛かるんで、君にはまだ紹介していないのかも知れないけど、幾ら彼でも長丁場の業務だからね、何時間かは眠らなくちゃならないし、それこそトイレとか、生理的な欲求も満たさなくちゃならない。そんな時に短時間、補助してくれる存在が複数ついているはずだよ。多分、そういった連中への給与については、甲田氏に必要経費として計上していると思うけどね」

「そうなんだ…。俺にも言ってくれればいいのに…」

「そういう補助員は覆面の意味合いもあるからね。敵に配置を悟らせないためにも、極力秘密にしているのはよくあることだよ」

「……村田ってさぁ…本当に年がどうこう以前に、唯の高校生なの?実はじーちゃんと同じくらい凄いグループの総帥やってるなんてコトはないよね?」

「君ってさぁ…時々鋭いトコ突くよね?」

「え!?マジで?大当たり!?」

「そんなわけ無いじゃ〜ん。だーまーさーれーたー。単なる小説とか漫画の知識でしたーっ!」

「こらーっ!俺を騙してそんなに楽しいか!?」

「楽しいよぉ〜?君ってば本当に僕の言うこと真に受けてくれるんだもん」

 村田は笑顔の中に、急に真剣な眼差しを込めて有利を見た。

「…失いたくないと、真剣に思うよ」

「……ナニ、いってんの?」

 静かな…けれど、奥底に何か熱いものを湛えたその瞳に、有利はどんな顔をして良いのか分からず戸惑ってしまう。

「これも、冗談だよ」

「もー…変なこと言うからしっこ行きたくなるじゃん?」

「関係あるの?」

「行ってきまーす!」

 ふるるっと尿意を催したらしい有利は、断りを入れてトイレに向かう。

「僕はこれで帰るからねー」

「へーい」

 挨拶をすませると、かたりと椅子を立った村田は部屋を出て、後ろ手に戸を閉めると廊下に佇む男に話しかけた。

「君さぁ…仕事熱心なのは良いけど、渋谷のことは身体だけじゃなくて心も守って貰えるんだろうね?」

「依頼内容には含まれています」

「だったら、真面目にやってよね?簡単だろう?あんな騙されやすくて人の良い子、転がすなんてさ。渋谷の受け継いだ金額から言えば、君のような立場の男を何千人、何万人と雇うことも可能なんだ。だったら、彼が望む感情を与えてあげても良いんじゃないの?なんなら、一生良い値で飼って貰えばいい。いや…彼を手懐ければ君が飼い主になることも可能だろう?」

「それが本心とも思えませんが?あなたは…ユーリをそんなに単純な子だとは認識していない筈だ。そうでなければ、あなたのような方が普通の高校生を装って彼の傍に居続けるなど考えられない」

「ふぅん…やっぱり知ってたか。素敵にポーカーフェイス貫いてくれるから、どうかと思ったんだけどな」   

「ユーリの身辺は一通り調査済みです。ケン・ムラタ…勿論、あなたについても調べさせて頂きました」

「ま…そのくらいの事が出来なきゃ、すぐにクビにしなくちゃいけないところかな。それで?僕について何か分かったかい?」

「あなたが引き継いでしまった組織…クーロンが、ある意味ではユーリが受け取った遺産以上に大きなものだというくらいですかね」

「だから、万全の警備網を敷いているさ。渋谷が権現氏の財産を受け取るって情報を得たときも、その中に彼を組入れるつもりで家に行ったんだ…。流石に、僕の身上も打ち明けざるを得ないと覚悟して…ね。だけどまさか、直接病院に行っているとは思わなかったよ。彼は何時だって僕の予想を裏切ってくれる…」

 クーロン…その名は中国では知らぬ者とてない規模の《財閥》…いや、《マフィア》に近い組織であり、華僑を介して世界に大きな影響力を持っている。ただ、その規模と内容は地下で密やかに運営されているエリアが大きく、その資産と影響力の規模を正確に把握している者は総帥以外にはいないとも言われている。

 その舵取りをする現総帥は、世襲や贈与によってこの地位を手に入れたわけではない。

 数年前…今の彼の年から考えれば信じがたいことだが、僅か13歳にして復讐の為にその地位を簒奪したのである。

 詳しい事情はコンラートも知らないが、前総帥は何らかの形で村田の両親の死に関わっていたらしい。その前総帥を放逐した手管と、傾き掛けていた組織に息を吹き返させた運営手腕は天才と謳われており、いまや彼の指先一つで世界が動くと言われているほどだ。

「あなたは何故日本で、高校生などやっておられるのですか?」

「渋谷がいたからだよ」

 《当然》…と言いたげに、村田はあっさりと答える。

「僕はね、こう見えて身体の方は国際派じゃないのさ。水や枕が合わない土地ではすぐに身体を壊してしまう。だから、クーロンを手に入れたのも全て、人を動かしてやったんだ。僕が直接過ごしていた日々は、《両親》ということのになっている護衛と暮らしている以外は極々平凡な日本の中学生であり、高校生のものだったんだよ。だから、本当に警戒すべき相手からの襲撃でない場合は、護衛には出てこないようにさせているんだ。そんな時に…渋谷が僕を庇ってくれた」

 村田は謳うように…うっとりと目線を夢幻の中に泳がせた。

「分かりやすい不良グループにね、高校入学早々囲まれたんだ。その時通りかかったのが渋谷だった。彼は中学の時にも同じクラスだったけど、話したことはなくて…遠い存在だと思ってた」

 その頃から、なにがしか拘りは持っていたような口ぶりである。

 ある程度その人となりを知っていたのかもしれない。

「渋谷の方も、僕の顔を知っている…その程度だったから、最初はスルーして行っちゃうつもりだったんだと思う。彼は自転車だったしね。でも…目線があったんだ」

 奇蹟を語るように、村田の声に熱が籠もる。

 その事は…彼の中で、クーロンを手に入れたこと以上に貴重で、手放しがたい事実であるに違いない。

「あの瞬間…諦めたみたいに渋谷が頷いちゃったんだよ。そして、助けに来て…ボコボコにされた。僕は急いで手配をしたんだけど、さり気なさを装って駆けつけさせるには護衛の服装なんかに配慮してなかったからね…あの時は、酷く後悔したものさ。その分…あの連中には後で地獄を見て貰ったけどね」

 その不良連中がどうなったのか、聞くことは憚(はばか)られた。

 クーロンの総帥を敵に回した不幸を、彼らは生ある身で嘆くことが出来ているのだろうか?

「僕みたいに背景の力があるわけでも、君みたいに自分自身の絶対的な力があるわけでもない彼が、殆ど知らない僕のために暴力的な連中の中に飛び込んできた…。その事にね、僕は感動したのさ」

「……」

 やはり、一癖も二癖もある人間を魅了してしまう有利の才能は、とんでもない人物まで引き寄せてしまうようだ。コンラートは思わず沈黙してしまう。

「あれから、渋谷は僕の親友なんだよ」

「…真実を知らせなくても?」

「彼は受け止めてはくれると思う。けど、今じゃない。今は…彼は彼のことで手一杯な筈だ」

 微かに怯えたような色が、村田の漆黒の双弁に混じる。極年相応の少年らしい表情に、コンラートは《おや》…と不思議な感慨を抱いた。

 彼のような少年でも、最も大切な者に自分の暗部を知られることは恐怖なのだろう。 「そんなことより、君は分かっているんだろう?渋谷は君に惹かれている。そして…君のすげない態度に傷ついている」  

「情を示せと?余計に傷つけると分かっていながら?」

「それは、君の方にその気がない場合だろう?」

 はん…っと鼻で笑えば、先程まで友人の反応に怯えていた少年の面影はなく、多くの筋者を統べる指導者が嗤っていた。

 形良い桜色の爪が、とんっとコンラートの胸元を突いた。

「僕に分からないとでも?君自身、渋谷に惹かれ…そして怯えている。溺れてしまいそうだからね」

「…お分かりなら、業務のためにも口出し無用でお願いします。どうせ《飼われる》だの《飼う》だの…屈辱的な言葉を殊更使われたのも、一度堰が切れれば俺はユーリに溺れてしまう…そう確信してのお言葉でしょう?実際にそんな感覚を持って対応すれば、あなたは俺を何処の誰だか分からなくなるくらいの肉片にしかねない」

「よく分かっているじゃないか」

「嫌でも分かります」

「賢い男は嫌いじゃないよ。だが…渋谷を故意に傷つけるようなことがあれば容赦はしない…いいね?」

「心しておきましょう」

 袖口に仕込んだ暗器を打ち鳴らしてキィン…と音を立ててみせる仕草は、武士の誓いを示す金丁のようにも見える。

『融通は利かないけれど、佳い男なのは確かだ。渋谷ったら…見る目があるのは良いけどさ、えらい大物に惚れちゃったもんだね』

 村田はごく一般的な高校生の顔に戻ると、よく手入れされた絨毯の上を歩いていった。

 背後に残した友人が、これからどのような選択をしていくのか興味を持ちながら。



*  *  *




「ユーリ君、ちょっとお話し出来るかな?」

「…え?」

 終業式が終わり、明日からの夏休みに向けて浮かれる生徒達の群が生き生きとグラウンドや校門外へと流れていく頃、有利は校門まであと一歩というところで呼び止められた。

 ハスキーヴォイスの主は、実に肉感的な女性であった。

 隆々と盛り上がった三角筋は、ノースリーブの袖口から胸元に掛けて連なる胸筋との間に見事な筋溝を描いているし、腰が細い…というより、冗談みたいに膨隆した一対の胸と、せり出した腸骨稜が逞しすぎるのではないかと思しき女性は、一歩間違えれば不気味にしか見えないだろう。

 だが、本人の持つキャラクター性のおかげか律動的な動きのせいか、にっこりと微笑む表情はある意味では美しいと表現出来る範疇にあった。

 鮮やかなオレンジ色の髪を、夏らしく鼈甲細工の簪(かんざし)で留めた様子は小粋とさえ感じられる。

「えぇと…あの……」

 前にも2回ほどゴンゲングループの人間に声を掛けられた事があるのだが、その時には疾風のようにコンラートが駆けつけてくれた。

 今日はどうしたものか…なかなか来てくれないものだから、迷子になった子どものように狼狽えてしまう。

 仔兎のようなその様子に、オレンジ髪の女性は身をくねらせながら悦ぶのだった。

「やーん、噂通り可愛いわぁ…こりゃ、隊長がぞっこんになるのも当然ねぇ〜」

「隊長…?」

「ユーリ君の護衛をやってる、コンラッドのことよん」

 語尾が弾むような物言いよりも、コンラートの事を知る者の出現に有利は目を丸くした。

 村田から幾らか話は聞いていたものの、実際に彼の傍で過去を知る者の方が色んな事を知っているに違いない。

「コンラッドのお知り合いですか!?」

「そーよん。俺はグリエ・ヨザック。実を言うとね、及ばずながら隊長の援護でユーリ君の警護も務めてんのよ。今は隊長がコーダ弁護士との間で詰めた話をしてるから、影ながらお守りしろって言われてたんだけど…ちょーっと直接話もしてみたくてねぇ〜。声掛けちゃいマシタ!」

「………俺?…」

 ごつい女性だと思ったら…ごついお兄ちゃんであったらしい。

「ね、そこの茂みの影でお話ししない?隊長のちっちゃい頃の話とか興味ない?」

 ぴらりと見せられたセピア色の写真は、年若い…中学生くらいのコンラートと、男装(?)しているこの女性らしき映像を映していた。何より印象的だったのは、コンラートが開けっぴろげな笑顔を浮かべていたことだ。  

『わぁ…コンラッド…こんな顔もするんだ』

 年が若いせいもあるだろうが、屈託のない笑顔は彼本来の性質であるように思われた。

『こんな顔で、俺の前でも笑ってくれたらな…』

 そんなことを考えながら写真を見ているうちに、気が付くと有利は校庭脇の茂みに連れ込まれていた。

「あの…ヨザックさん」

「ヨザックでイイわよん。隊長なんかはよくヨザって呼ぶけどね」

「その隊長っていうのは、コンラッドの渾名?ルッテンなんとかの獅子とか氷の微笑とか…コンラッドって渾名多いね」

「氷の微笑は良かったねぇ…。ま、隊長ってのは今となっては渾名みたいなもんだけど、俺達が所属してた養成施設での名残よん。ボディガードやら傭兵やらを育成する機関だったから、集団で仕事するときのために幾つかチームを作らせて模擬戦やらせたりすんのね?その時に俺達の部隊で指揮とってたのが隊長だったわけ」

「ふぅん…。ねえねえ、ヨザックはその施設に入る前からコンラッドのこと知ってるんだよね?こういう写真持ってるくらいだから」

「そうよん。幼馴染みなの」

 ヨザックはコンラートに関する色んな話をしてくれた。

 コンラートの父親は凄腕のボディガードで、世界中からのオファーを受けて飛び回っており、コンラートは乳母や女中に育てられた。それでも気の良い人々に見守られて育った彼は健やかに成長していったという。

 母親は恋多き女性で、こちらも世界中を飛び回って恋に生きており、異父兄と異父弟がいるらしいがあまり縁は深くないこと等々…。多少ひねくれてもおかしくなさそうな条件は揃っていたが、いつでもコンラートは笑っていたらしい。

 そんな彼が頑なな表情を崩さなくなったのは、ある事件がきっかけだったそうだ。

「ダンヒーリーの旦那がね、隊長を庇って亡くなっちゃったのよ…」

「え…?」

「ありゃあ…隊長が13か14歳くらいの頃だったかな。隊長がたまたまいた銀行に強盗が入って…隊長は人質にされちゃったのよ。そいつら、かなり普通じゃなくてね…ヤクでもやってたのか、次々に人質を殺し始めた。目の前で、落っことしたウォーターメロンみたいに人の頭が炸裂してった…って、言ってたかな?」

「そんな…」

 その記憶だけで、既にトラウマになってしまいそうだ。

「突発的な事件だったし、当然担当してたのは地元の警察だった。でもね…その連中はえらく連携が悪いやつらだったみたいで、交渉に人をやっちゃあ失敗して、人質はどんどん殺されていった。隊長はダンヒーリーの旦那に聞いてたやり方で、強盗の一人から銃を奪ったけど…素人がそうそう上手く立ち回れるわけもないわねぇ…。すぐに囲まれて蜂の巣になるところだったのよ。そこに…ニュースを聞きつけたダンヒーリーの旦那がやってきた。到着するまでにも、地元の警察に連絡をつけて交渉法なんかを指示してたみたいなんだけど、《部外者が口出しするな》って言われてたもんだから、結局単身乗り込んで…犯人を皆殺しにした代わりに、ダンヒーリーの旦那も致命傷を受けたのよ」

 そう言うと、ヨザックはもう一枚の写真を出した。

「…っ!」



 銀行のフロア一杯に広がった鮮血とぶちまけられた臓腑、脳漿…その中で、左手にライフル、右手に血染めの大ぶりなナイフを構えた男が笑っている。

 男は…渋みを増して髪を伸ばしてはいるものの、コンラートに酷似していた。

 

「ダンヒーリーの旦那だよ。生き残った人質の一人が撮った写真…。この時にはもう、旦那の心臓は止まってたらしいんだけどね…」

 硬直したまま、息子に最後まで笑顔を向けていたのだという。

「俺もニュースで知って、銀行を取り巻く人垣の中にいたんだ。警察に話をつけて、保護された隊長に会えたのはやっと翌日になってからだったけど…隊長は目を見開いたまま、一言も喋らなくてね…。俺は…どーなっちゃうのかと思ったよ」

 それでも時間の経過とカウンセリングが功を奏してか、次第にコンラートは自律的な活動を再開出来るようになってきたし、口もきけるようになった。

 だが、その後同じ施設で戦闘術や、過去の事件ケース別の対応マニュアルなどを学ぶうち、ヨザックはコンラートの傷の深さを思い知ることになるのだった。

「隊長は…今でもあの時の血みどろの光景から抜け出せないでいるんだ。だったらこういう仕事自体を止めりゃあいいようなもんだけど…出来ないらしい」

「それは…きっと、コンラッドが自分自身で解決しようとしてるからだと思う」

 血にまみれたまま絶命した男の写真に見入りながら、有利は静かに呟いた。

「…へぇ?」

「コンラッドは…強いね。逃げなかったんだね。こんな光景から一番遠いところに逃げ出すことも出来たのに、いつか乗り越えることを目指して、立ち向かってるんだね」

「…そういう言い方もあるかね?」

「だから、ヨザックもコンラッドのことがいつも心配なんだろ?自分を誤魔化して、安全なところに置いとくってことができない人だから…護ってあげたくなっちゃうんじゃない?」

「…っ!」

 有利の物言いに、ヨザックは内心舌を巻く。

 偶然によって大富豪になってしまった唯の坊やだと思っていたのに…コンラートが拘るだけのことはある…ということか?

「ふふん…ユーリ君てばス・ル・ド・イ〜…。お姉さん、好きになっちゃいそうよ?」

「え…ぅわ…っ!ち、ちゅーは止めてっ!!」

 鮮やかな彩色を施された分厚い唇が迫ってくると、有利は必死で口元を防御して肘を張るが、凄まじい膂力を誇るヨザックはぐいぐい有利の身体を抱き込み、唇を寄せていく…。

 後一歩で手が解かれる…と思った瞬間、ゴイン…っと鈍い音が響いた。

「誰が雇い主を襲えと言った?」

「いったぁ〜いっ!」

「当たり前だ。痛いように殴ったんだから」

 嘆息するコンラートは責めるように有利を見やった。

「どんなやり口で説得されたかは知りませんが…こんな茂みの中に簡単に連れ込まれるようでは、幾ら俺でもお守りしかねます。あなたは、狙われているという自覚をもっと持つべきだ」

「…ごめんなさい…」

 ぷぅ…っと唇を尖らせつつも、尤もな指摘をされては反論も出来ない。

「でもさ?この人…コンラッドの昔の写真とか見せてくれたんだ。ねぇ…俺の護衛もしてくれてる人なら、一緒にホテルに行っても良いだろ?もっと話とか聞きたいし…」

「やぁ〜ん。嬉しい〜ん!ユーリ君、お風呂で一緒に背中流しっこしましょうね!なんなら、飛ばしっこも…」



 ガギン…っ!



 頭蓋骨がめり込んだのではないかと思うような、強烈な打撃音が響いた。

「ヨザ…俺はそういう冗談が大嫌いなんだが…」

 コンラートの瞳は渾名通り、《氷の刃》よろしく鋭利に光っていた。

「えー?じゃあ冗談じゃなくてマジなら…ごふぅ…っ!」

 ヨザックの鍛えられた腹筋にコンラートの拳がめり込む。

 鳩尾でないだけ、友情を感じられたり感じられなかったり…。

「え…え?飛ばしっこって、連れションの事じゃないの?」  

「あなたは知らなくて結構です」

 それでも、有利の希望は叶えてくれるつもりなのか…コンラートはずるずるとヨザックを引きずって、駐車場に移動していった…。





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