青空とナイフC ちゃっかり有利の部屋に上がり込んだヨザックは、《気色悪いから早く落とせ》とコンラートに厳命されてこってりと塗り込んだ化粧をおとし、深緑の開襟シャツと濃灰色のズボンを纏い、自分の部屋のようにくつろいで大きなソファに沈み込んだ。 その姿はだらしないように見えて一分の隙もなく、まるで野生の虎が部屋の中にいるような雰囲気だ。 「ユーリ君〜。お膝に乗らない?」 「良いです。遠慮しときます」 両手を拡げてにっかりと笑う男は、女装姿よりも遙かに佳い男ではあったけれど、野性的な男臭さは有利のコンプレックスをいたく刺激してくれた。 「そんなに立派な大胸筋やら上腕二頭筋に囲まれたら、自分の体型が切なくなるもん」 「えぇ〜?でも、いつかこうなるかも知れない身体を観察しとくと、目標が定まらない?今お膝に乗ると、漏れなく良いプロテイン情報教えちゃいますよ?」 「え…マジマジ?」 とと…っとヨザックに駆け寄り掛けたその身体がひょいっと脇で掴まれて持ち上げられる。 「……騙されないで下さい。プロテインなんかで膨らましても、あんな体型にはなりません。あれは遺伝形質によるものです。ショーマとミコさんの体型から考えて、あなたはあんな筋肉達磨にはなり得ません」 「あ〜、そんなこと言いながらユーリ君独占するつもり?あんた、亡くなったゴンゲン氏の前でもユーリ君お姫様抱っこしてたって評判よ?俺は止めるくせに、ちゃっかり自分の役得は享受するって狡くない〜?」 「役得かどうかは知らないんだけど…仔犬みたいに持ち上げられるのは結構屈辱的なんで、止めて貰える?」 しょぼんと唇を尖らせた有利に言われて、やっとコンラートは少年の身体を絨毯の上に降ろした。 「筋肉情報はともかくとして…俺、コンラッドの昔のことには興味あるなー。ねー、ヨザック、お風呂一緒に入って内緒話しない?」 「しますします。内緒の遊びもしましょうね!…あ、隊長。拳握らないで!これ以上殴られたら耳から脳漿出ちゃうからっ!」 断固としてヨザックと有利が風呂にはいることを阻止したいらしいコンラートは、ここで意外な申し出をしてきた。 「………ユーリ…風呂には、俺と入りましょう」 「えぇ〜?ホント!?」 今まで何度誘っても頷かなかったのに、一体どういう風の吹き回しだろうか。 「あーあ、ずーるーいぃぃ…っ!」 「煩い。で…どうなんですかユーリ?俺とヨザ…どちらと入りたいですか?」 しゅるりとネクタイを解き、襟元をはだけるのは止めて欲しい。 綺麗な耳元から鎖骨に掛けて流れる胸鎖乳突筋のラインだとか、くっきりとした鎖骨上縁の彫り込みだとかが露わになって、ごきゅりと唾を飲み込んでしまうではないか。 何故か、横でヨザックも同じような表情をしていたわけだが…。 「こ…コンラッドと一緒でお願いします!」 「いやぁぁん…三人で一緒に入りましょうよう〜!」 「お前は俺達の護衛だ。素っ裸で逃げ出すような事態にならないように、気合い入れて護ってくれよ?」 「畜生…いっそそうしてやりてぇよ!」 手首に仕込んだナイフを取りだして、曲芸のように空中でくるくる回しているヨザックは半ば本気で毒づいていた。そんな彼を置き去りにして、コンラートは有利の手を引いて浴室に向かった。 「さ…脱いで脱いで」 「いやいや、自分で脱げるし!」 今まで拒絶していたのは一体何なんだと言いたくなるくらい積極的なコンラートは、ヨザックに見せつけるようにして有利のシャツをはだけ、くるくる回転させるようにして剥ぎ取ってしまう。危うく脱衣所に辿り着く前にズボンまで降ろされそうになって有利は焦ってしまった。 『そういえば…最初に俺んちに来たときもそうだっけ?』 そっけない態度を貫こうとしていたくせに、有利の口元についたカレーを拭ったことで勝利に難癖つけられたら、見せつけるようにカレーの付いた指を舐めていたっけ。 『結構…負けず嫌いなんだな』 可愛い…なんて思ってしまっていいだろうか? 「おや、余裕ですね?」 「やーっ!」 くすくすと思い出し笑いしていたら、本当にズボンごと下着まで脱がされてしまった。 「馬鹿ーっ!コンラッドの大馬鹿ーっ!!」 脱がされたズボンで股間を隠して脱衣所に駆け込むと、後ろからヨザックの大笑いが聞こえてきた…。 * * * 「機嫌直して下さい…ユーリ」 「煩いよ!」 ぷんすか怒っている有利は先程から、コンラートに背中を向けて浴槽の縁にしがみついている。 「大体、あなたはさっきヨザックと風呂にはいるつもりでいたんでしょう?」 「風呂にはいんのと、服着てる人の前で脱がされるのは話が違うの!」 言っている意味は分からないでもない。 コンラートは苦笑すると、華奢な肩に手を回して有利の身体を反転させた。 「すみません…ちょっと、苛立っていたんです」 「何に?」 「ヨザとは初対面の筈なのに…えらくうち解けていたから…。あなたは《誰にでも懐く訳じゃない》と言っていたでしょう?だとしたら…ヨザのことも《好き》なのかと…」 「うん、結構好きだと思う」 「………そうですか」 ひくりとコンラートの眉が跳ねるのに、有利は気付いていない様子だ。 「だってね?あの人…相当コンラッドのことが好きなんだと思う」 「……俺を、ですか?」 「うん。ほっとけないって思ってるんじゃないかな?凄く頼りになる人みたいだし…ホントに真心から心配してくれる人がいるのって嬉しいもん。あんたを大事に想ってくれてる人は、俺も好きだよ」 「…………どういう心理状態ですか、それは…」 呆れたようにコンラートの口角が下がる。 ちょっと情けないようなその顔は、珍しく年相応に見えて可愛らしい。 「あれ?変?」 「護衛を好きな男を好きになるという思考展開は…今まで見たことがありません」 「うーん、そりゃあ…」 有利は困ったように思考をこねくっていたようだが、暫くすると、《うにゅ》…っとつぶらな瞳でコンラートを見上げてきた。 彼が苦手にしている、抵抗出来ないくらい純粋な眼差しを浮かべて…。 「そりゃあ…それだけ、あんたが好きなんだもん」 「……っ!」 真っ直ぐすぎる言葉が、コンラートを貫く。 「あんたにとっては迷惑でも…俺、それだけはもう嘘とかつけないよ。仕事に真っ直ぐで…無愛想なのに、時々吃驚するくらいやさしいあんたが、俺…大好きなんだ」 「…困ります」 「困っちゃうよねぇ…でも、こういうのって止められないんだと思う。あんたのお父さんが、あんたを好きで、あんたに危険が及ぶくらいなら身体を張って止めたいと思ったのと、一緒だと思う」 「…ヨザに聞いたんですか?」 「うん…ゴメンね。個人情報漏洩しちゃって…。それが、あんたにとって物凄く辛いことだったのも知ってるのに、口にしてゴメン…。だけど、俺はあんたのことが知りたいし…俺のことを好きになって欲しい」 「俺はあなたの想いに応えられません」 「冷静に仕事が出来なくなるから?じゃあ…メインのボディガードをヨザックに変えるよ」 「…何ですって?」 「あんたが任せられる人なんだもん…きっと、ヨザックも凄く優秀なんだろ?」 「俺はクビというわけですか?まぁ…何度もそういう目には遭っていますが…」 「あんたに言い寄った人って、大体そういう流れみたいだね。じゃあ…俺からも離れて、別の人の警護に行っちゃう?俺の護衛だったら俺の想いには応えられないけど、俺の護衛じゃなくなったら傍にいる意味が無くなっちゃう?」 「俺は…」 そぅ…っと、拒絶されることに怯えるように寄せられる肢体には、言葉の割に余裕などなかった。 きっと精一杯の虚勢を張って、コンラートと対等に立とうとしているのだろう。 「俺…どうしたら良いんだろう?あんたに…やさしい笑顔を浮かべて貰うためには、何をしたら良いんだろう?あんたに血の悪夢を忘れさせるためには、あんたは今の仕事を全うしなくちゃなんない…でも、俺の傍に居る以上は俺を好きにはなってくれない…。あんたに惚れた人はみんな、こんな気持ちだったんだね…」 「……」 「いつもみたいに、俺を突き放す?」 「……離せるわけ…ないでしょう?」 押し殺したような声が、浴室に響く。 有利はひくりと喉を鳴らし、コンラートの胸に抱き込まれて硬直した。 「ヨザがあなたと風呂にはいるのさえ許せない俺が、あなたから今更、離れられるわけがない」 「コンラッド…それって……」 「全く…罪な方だ。鈍いくせに、無意識に誘うのがとても上手なのだから…」 「誘導尋問得意なのって、刑事とかに向いてる?」 「そうですね。あなたに説得されたら、大抵の者が心情を吐露してしまうかも知れない。ですが、そんな連中全員に惚れられては、俺はいつもあなたを護って奔走しなくてはなりません」 「駆け回ってくれる?俺のために…」 「駆け回るんでしょうねぇ…やれやれ……どうやら、俺はあなたに囚われてしまったようですから…」 困り果てたように濡れた手で髪を掻き上げれば…水も滴るなんとやらで、コンラートは美麗な容貌を悩ましく艶めかした。 「えへへ…嬉しいな…。大好きだよ、コンラッド…」 「本当に…困った方だ。こんな体勢でそんなに煽ったら、どんなことになるか理解しておられますか?」 「へぇ?」 きょと…っと、すっとぼけた顔から見て、理解など全くしていないだろう事は確かだったが…コンラートとしても堪えようがない。 「失礼…」 「ん…んんっ!」 重ねられた唇に、最初は驚いてじたじたと暴れていた有利だったが…次第にその身体からは抵抗が解けていく。 銀色の糸を繋いで唇が離れた後も、その喉奥からはあえやかな声が漏れるばかりで抵抗らしき否定の言葉が聞かれることはなかった。 * * * 「やれやれ…収まるところに収まったみたいだね?」 「はぁ〜い。なるようになりマシター」 浴室から漏れ聞こえてくる喘ぎ声をBGMに、村田はヨザックの煎れてくれた薫り高い珈琲を楽しんでいた。 すっかり馴染んでいる二人の雰囲気は、つい先程出会ったばかりのそれではなかった。 じつのところ…村田にとってヨザックとの関係は、有利とのそれよりも長いのである。 クーロンを手にする際に、最も功績をあげてくれたのが誰在ろう、《暁(あかつき)の虎》と呼ばれるグリエ・ヨザックだったのだから…。 「それにしても…ユーリ君は良い子ですねぇ…」 「当然だろう?僕の大事な人だからね」 「…それはちょいと灼けますねぇ…やれやれ、俺にとって大事な人は、二人ともあの坊やに夢中なんですもん」 ヨザックの腕が意味ありげに村田の肩を抱こうとするが、ぺしりと指先で弾かれて舌を出す。 「ちぇ〜。ケチ」 「ご褒美は後でね。今、何かあったらそれこそ彼に殺されるよ?」 「へいへーい。坊やと繋がったまま闘うようなハメになったら、それこそトラウマになっちゃいますよね…」 「少し見てみたい気はするけどねぇ…」 何事も面白がる性質の村田が楽しそうに言うものだから、ヨザックは内心慄然としてしまう。 『…ホントに、やらせたりはしませんよね?』 背筋を伝う冷たいものを感じるヨザックの耳に、聞いている方が恥ずかしくなるような嬌声が響いてくる。 どうやら、コンラートの愛撫で開花してしまったらしい有利は、結構な素質があったらしい…。これからの生活はさぞかし彩り豊かなものになることであろう。 「やーれね。あの坊やも大したお方だ…《巌の権現》の遺産を受け継ぎ、《ルッテンベルクの獅子》を墜とし、《暁の虎》と《漆黒の龍》を味方につけているんですからね…」 「そう、まかり間違っても下らない連中に手を掛けさせたりはしない。彼は、彼の望む道を選ぶんだ。自分の判断によってね」 「お支えしますよ」 かちりと手首に仕込んだ暗器を打ち鳴らす仕草は、彼の幼馴染みと酷似していた。 「ふふ…どんな道を選ぶのかな?渋谷…」 優雅に白磁のカップに唇を寄せる少年は、婉然と微笑む。 彼が護ると決めた少年の、未来を夢見ながら…。 おしまい あとがき 朱妓様のリクエストで、「地球が舞台のパラレル物。ある日突然、実はお金持ちだった祖父の遺産を相続する事になった有利とそんな有利を守る為にやって来たシークレットサービスな白次男のラブロマンス。まるで感情がない様な次男と天真爛漫な有利という正反対な二人。それでも徐々に心を通わせていく二人の前に、事件なんて少々のスパイスがありつつも、(怪しげな)情報屋なヨザックや親友村田の助けでオールオッケー…!」…な話でした。 いやー…有利、これからどんな選択をするのでしょう!思いつかない〜と泣き言を言っていたら、リクエスト主の朱妓様に素敵なアイデアを頂きました! 内容についてはまだヒミツですが、とても萌え萌えな設定だったのですよ! 何時の日か、皆さんにも続編として見て頂ける日が来るように、長編を終わらせた後にもこの意欲が維持されていることを祈ります。(←されてる…と、思うんですが…多分) |