「青空とナイフシリーズ」
小ネタ −3−


「ぼくの神さま」







 裏世界に冠たる《漆黒の龍》こと村田健はとても小さいときにこう決意した。

『ぼくはもう、神さまなんてしんじない』

 何故かと言えば、《祈り》が通じなかったからだ。

 幾ら祈っても両親の身体を傷つけていく鋭い金属や銃弾を制止させることも、助けを呼ぶことも出来なかったからだ。その日からもずっとずっと《お父さんとお母さんを殺した連中が罰を受けますように》と祈って祈って祈りまくってやっぱり駄目だと再認識した時…

 村田は、《呪う》ことに決めた。

 それも、神様同様この世界にいもしない悪魔に縋るのではなくて、現実の武力を持つ人間を動かすことで呪いを成就させた。

 けれど今…村田には《神さま》のように感じている人間が、一人いる。

 渋谷有利…唯一人、村田が友人だと思っている少年だ。
 その《神さま》である有利は村田に忘れかけていたぬくもりや、心から笑うことを思い出させてくれた。
 好きで好きで大好きで、身体を繋げたりすることよりも、もっと崇高なところで繋がっていたいと日々祈るようになった。
 今のところ祈りは通じているから、やっぱり有利は《神さま》なのだ。

 ただ…《神さま》を得たことは村田に、恐怖を与えてもいた。

 真実を知った彼が、もしも村田の事を軽蔑したら…どんな気持ちがするだろう?
 それは、生きていることを手放したくなるくらいの恐怖なのだった。



*  *  * 




「村田、どうかしたの?」
「いや、別に?変に見えるかな」
「ん〜…なんか、顔色が悪い気がしたんだけど」

 学校で机に肘を突いていると、普通にしているつもりだったのだが有利が心配そうな顔をして近寄ってきた。
 ぺたりと額に手を当てて、熱を測ったりしている。

 流石に村田が相手とあって焼き餅焼きの護衛兼恋人も動きを見せたりはしないが、軽く空気が冷えている。相変わらず心の狭い男だ。

『でも、口が堅いのだけは有り難いな』

 コンラートは村田の素性を知ってはいるが、決して有利の前でほのめかすことをしない。ごく普通の友人として扱ってくれるのだ。

「熱はないかぁ…。でも、村田は結構バテやすいから、今からの季節は気を付けないとな。朝ご飯もちゃんと食べてる?」
「ああ、ちょっと抜いちゃったせいかな?」
「もう〜、ダメだぜ?ギリギリまで寝てたいの分かるけど、朝は一日の要なんだからな?」
「これから気を付けるよ」

 人のことには心配性の有利に、肩を竦めながら受け答える。
 ちなみに朝御飯を抜いたのは寝坊して急いでいたからではない。

『ちょっと…夢見が悪かったんだよね』
  
 悪夢が数珠繋ぎに再生される夢だった。
 両親、敵…見覚えのある人物達が次々に血まみれになり、最後は…よりにもよって、有利が引き裂かれた場面で終わった。しかも、有利は村田に向かって呟いていたのだ。《嘘つき…》と。
 眠りながら弓ぞりになって絶叫していた村田は自分の声で目覚めると、全身にびっしょりと汗をかいていることに気付いた。

 その後で、とても食べ物を口に入れる気にはなれなかった。口にしたものが全部、《死骸》と認識されてしまうのだ。

 このような悪夢を見ることは稀なことではないのに、今日はえらく生々しかったせいか未だに気持ちが悪い。

 昼食の時間になってカフェテリアに行っても、食べ物の匂いを嗅いだだけで吐き気が込みあげてきた。特に肉はいけない。色んな事を想像させる。

「村田…まだ気持ち悪い?何かさっぱりしたもの買って、屋上で食べようか?」
「うん…お願い」

 有利は軽食を買うと、前屈みになっている村田と共に校舎を上がっていった。
 屋上には突き抜けるような青空が広がっており、匂いが籠もらずに吹き抜けていく。冷たいコンクリートの上に座っていると、少しほっとしたような心地になる。

「良い風…」
「だろ?寒くなるまでは当分、ここでメシ喰おうか?」
「いいね」

 にこにこしている有利が美味しそうにおにぎりを頬張るから、村田も少し食欲が湧いてくる。何より、生きて息をしている元気な有利を目にしていることが、村田に生きる活力を与えてくれるようだ。

 ぱく…っとサンドイッチに齧り付くと、新鮮な野菜の風味に自然と食欲が湧いてきた。
 《死骸》ではなく、命を繋ぐ連鎖の中の一部なのだと感じられる。口にせずにゴミにしてしまうことの方を厭うことが出来る…。
 有利といると、色んな感覚がとても健やかになるのが不思議だった。 

「美味しい…」
「あ、俺も一口欲しい」
「代わりにおにぎり少し頂戴」
「うん」

 …なにやら冷風が吹いてくるが、有利は気付いていない。最近は松岡辺りのアプローチを受けている時にはコンラートの反応を警戒している有利も、村田相手だと気が抜けるのだろう。

「美味しい」
「良かった!食欲戻ってきたみたいだな〜」
「うん。ありがとう、渋谷」
「んな、かしこまって言うなよ」

 照れくさそうに苦笑しながらもぐもぐとおにぎりを平らげた有利は、旺盛な食欲をみせておかずも口にしていく。それに釣られるように、村田もサンドイッチを美味しく感じていた。

 全て食べ終わると、心地よい風に吹かれながら少しうたた寝しているような有利の横顔を眺める。

『いつまで…このままでいられるんだろう?』

 大学までは何だかんだ言いながら一緒にいられるかもしれない。だが…その後はどうだろう?村田も組織をこのまま間接的に運営できるとは思っていないが、手を引くとなるとそれなりの覚悟が必要だ。

 有利の傍にいる為に、秘密を明かすことを恐れながら…同時に、有利を狙う者から守り抜く為に闇の権力を欲している自分がいる。

「ねぇ…渋谷」
「なに?」
「…起こしちゃった?」
「ううん…気持ちよくてとろとろしてただけ。ちゃんと起きてたよ?」
「大したことじゃないんだ…。ただ、少し聞きたかっただけ」
「何を?」

 あふ…と可愛らしく欠伸をして、有利はしなやかな上体を反らす。瑞々しいその身体自体も狙われる素材なのだとは全く理解していないこの少年が、莫大な財産を手に入れたのはある意味良かったのかも知れない。そうでなければ、いつどんな輩に襲われていたか知れないからだ。

「あのさ…僕たちこれから生きてたら色んなことがあるかも知れないじゃん?偉業を成し遂げるかも知れない代わりに、ひょっとして凄い犯罪を起こしちゃうかも知れない」
「凄い犯罪かぁ〜…痴漢で捕まるのとかヤダなー。公共交通機関に乗ってる時は、絶対両手で吊革を持とうな?」
「いや…それはそれで人生に大きなダメージ出そうなんだけど…。もっとこう…たとえば、沢山の人を殺しちゃったとかいうレベルの犯罪だよ」
「うわー…ヘビーだなぁ…」
「僕がそういう犯罪やっちゃっても…友達でいてくれる?」

 たとえ話だ。
 きっと、有利は《当たり前だろ?》と言ってくれる。
 そう信じたいのに…村田の胸はドキドキと拍動している。

 視線の先の有利は何を思ったのか、ぱちりと瞳を開いて村田を見やった。

「あのさ、前から思ってたんだけど…」
「な…に?」

 まさか、どこからか村田の事を聞いているのか…?
 胸を抉られるような鋭痛に貫かれて絶句していると、有利が心配そうに語りかけた。

「村田って、人が殺されたのを見た事があるの?」
「……っ!」

 顔が真っ青になって、血の気が引くのが分かった。そんな村田をどう思っているのか、有利は血相を変えて頽れかけた身体を抱きしめる。

「ごめ…っ!大丈夫?やっぱ…あるんだな?もしかして…それって、前に言ってた大事な人たち?」
「うん…」

 暖かい。
 体温の高い有利に抱きすくめられていると、冷え性の自分がより一層冷血に感じられる。劣等感を感じるけれど、それでもぬくもりが欲しくてしがみついていけば、有利の力が一層強くなった。

「良かったら、話してくれる?何の解決にもなんないかも知れないけど…俺、知りたいよ。村田が何に苦しんでんのか」
「苦しんでるってほどじゃ…」
「嘘つけっ!時々夢で魘されてるのって、それだろ?」
「…知ってたんだ」
「うん。だけど、村田は話したがらないから敢えて聞かなかったんだけどさ、今日は話そうとしてくれたんだもん。ね…話そうと思ったこと、話せる範囲で良いから教えて?」
「渋谷…」

 ぽつん…ぽつんと口を開いた。
 自分のものとは思えないくらいに弱々しい声を、有利は辛抱強く聞いてくれた。

 勿論全てを話すことは出来なかったけれど、《大切な人たち》が実の両親であり、村田の見ている前で幼い頃に殺されてしまったこと…今の両親は里親なのだということ、そして…殺した相手を非合法な方法で死に追いやったことも明かしてしまった。

「僕がしたことは、犯罪だ。どう言い繕っても、法に則ったことじゃない。それでも…僕は……」

 《赦して欲しい》…そのひとことが言えずに、村田は口を閉じる。
 請えば、有利は赦すしかないことを知っているから…狡いと感じたのだ。
 
「村田…苦しかったね。しんどかったね…」

 有利は赦すとも赦さないとも言わなかった。
 その代わり、村田をしっかりと抱きしめて涙を流していた。赦されるかどうかを秤に掛けるのではなくて、全てを受け止めて…泣いていた。

 悪夢は生きている限り、見続けるかも知れない。
 村田の体験したこと、やったことは有利が赦そうが赦すまいが消えることはないからだ。

 けれど…この腕のぬくもりは村田を支え続けるだろう。

『ああ…君の傍で、僕は…君の友達として生き続けていたい』

 不貞不貞しく、嘘をつき続けても平気でいられるような大人になって、この純粋な友人を護り続けたい。

 自分だけの《神さま》と抱き合いながら、村田は真摯な祈りを捧げた。



*  *  * 




「うちの坊ちゃんはユーリ君にメロメロだねぇ…。ヨザ、嫉妬しちゃう」
「直接言ってやれ」

 貯水タンクの影で軽食を口にするコンラートは、運んでくれたヨザックの横でもくもくと食事を採る。村田と有利の、唯の学友と呼ぶには深すぎる関係に対して思うところはあるのだろうが、他の男が接触してくる時とは反応を異にしている。

「あんたも心中穏やかじゃないだろ?」
「別にどうと言うこともない。あの二人が強く結びついていることは、ユーリを護る上で有益だ。それに…」
「それに?」
「ああいう立ち位置の友人がいることは、ユーリにとって大切なことでもあるだろう」
「ふぅん…」

 ヨザックは楽しげな笑みを浮かべて肩を揺らす。

「あんた、すっかりユーリ君が発想の中心になってんだな」
「主だからな」

 金銭的な意味での雇用関係を越えて、この男もまた有利に結びついているのだろう。

『改めて感心するよ…』


 リィーン
 ゴォオーンーー…


 予鈴の音に村田が立ち上がると、有利も目元の涙を袖口で擦りながら立ち上がる。午後の授業までに紅くなった目をどうにかすることは出来ないから、教室に戻った有利はさぞかし居心地の悪い思いをすることだろう…。

『どこまでも真っ直ぐな性格のまま、何時までいてくれるのかなぁ…』

 ヨザックは祈りたくなった。
 《血も涙もない》と言われた村田の《こころ》を呼び覚ましてしまう有利が、いつまでもそのままでありますようにと。 
 





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