「非生産的で、無意味な習慣ですね」 「そう思うだろ?」 コンラートの発言に、有利も深々と頷いた。全くもって同意だったからだ。 二人は共にテレビ画面を眺めていて、そこにはメイド服を着こんではしゃぐ男子高校生が映し出されている。埼玉県の地方局が、地元の高校で行われた文化祭の様子を取材したものらしい。お世辞にも似合っているとは言い難く、スカートから覗いた臑毛や頬のニキビが痛々しいのに、本人も周囲も楽しそうに笑っている。 「なんだって中学生だ高校生だのってのは、女装が好きなのかな?あんな格好、普通に可愛い女の子がすれば良いのに、どうして男にさせようと思うんだろう?」 「特別なイベント特有の徒花…ということかな。それだけで、身内では笑えるのでしょうね。ただ、こうして客観的に見せられると単にイタい姿でしかない」 「そうそうそう!うーん、やっぱりコンラッド!分かってるよなぁ〜!」 有利があんまり嬉しそうに同意したせいか、コンラートの方は怪訝そうに眉根を寄せた。 「随分と熱く語りますね」 「だってさ、愚痴の一つも零さないとやってらんないよ!明日は同じ運命なんだもん…」 ぷく…っとほっぺを膨らませて眉根を寄せていたら、コンラートが不思議そうに小首を傾げた。 「ユーリも女装を?でも…クラスの出し物はメイドカフェではなかったような…」 「うん。出し物自体はおにぎり屋さん。基本的には、女の子が襷(タスキ)掛けにした袴にエプロンをつけて、大正デモクラシーな感じで売るみたい」 《デモクラシー》がどういうものだったかはちょっと思い出せないのだが、取りあえず明治・大正っぽいレトロな雰囲気で行くようで、男子達は裏方に回って、それらしい装飾やポスターを作っている。コンラートも重い物を運ぶのを手伝ったり、高いところにポスターを貼るのを手伝わされたので知っているだろう。 でも、コンラートが丁度警護をヨザックに代わって貰って、トイレに行っている間に妙な展開になったのだ。 「なのにっ!俺と村田だけ、なんでか女の子と同じ格好で売り子しろとか言われてんの!」 「ほう…。では、彼が止めさせてくれるのでは?」 「それが違うんだよ〜っ!女の子達が《話題性の為に、一人か二人男子にも袴姿で売り子して貰おうよ!》って言い出したら、《じゃあ僕たちがやるよ》なんて、寧ろ積極的に乗ってったの!しかも何でか村田の奴、《君の衣装はこっちで用意しとくから》なんて、妙に手回しが良いんだぜ?」 「はあ…」 コンラートも不思議そうな顔をしている。 「彼はヨザックと仲が良いから、何か影響されてしまったんですかね?」 「うわぁ〜ん!そこに俺を巻き込むなっ!つーのっ!!」 半泣きになってしまった有利だったが、こうして愚痴ったところで何がどうなる訳でもない。村田に言葉巧みに転がされた結果、引き受けてしまったのは確かなのだから。 「どうしても嫌なら、徹底的に拒否すればいいものを…」 呆れたように言うコンラートの意見は大変ご尤もだ。有利とて、その結論を持ち出されてはぐうの音も出ない。 「うぅう〜…だって、村田が上目遣いに《僕、一度で良いからこういうイベントで女装してみたかったんだ。でも、一人だと恥ずかしいし…ね、渋谷、お願い。一緒にして?》って頼み込むんだもん…」 有利は頭ごなしの命令には強いのだが、懇願にはほとほと弱い。先日、インフルエンザに罹った折に散々心配を掛けたせいもあって、最終的には村田の《お願い》に屈してしまった。 「あーあ、もぉうぅ〜…っ!村田は顔の造作可愛いから良いだろうけど、俺は女装とか似合う顔じゃないのにっ!」 「…そうでしょうか?」 コンラートは小首を傾げると、何を思ったのか有利の頬を掌で包むと、ポケットから取りだした薬用リップクリームをとゅるる…と塗りつける。やけに唇がぬるぬるして違和感があるのだが、コンラートの方は目を細めて満足そうな表情になる。 「ななな…ナニ!?」 「…ユーリ、あなたは結構化粧映えする顔だと思いますよ?普段はざんばらにしてる髪を少しカットして、眉毛の端を少しだけ整えたら…」 言うが早いか、コンラートは道具箱の中から散髪用の鋏や新品のカミソリを持ち出すと、有利にそっと迫ってきた。 「ちょ…ま、や…止め…っ!」 変に真剣になってしまったコンラートに恐れを為して逃げを打とうとするが、彼はがっしりと有利の顔を捉えたまま、じぃ…っと見つめている。 「先程のテレビで見たような、中途半端な女装では確かに非生産的で、無意味ですが、折角の素材なのですから、手入れをして輝かせれば…」 「ちょ…っ!輝かなくて良いデスからっ!!」 ぎゃあああ…っ!! 夜の静寂に、有利の悲鳴が響いた。 * * * 「なーんだ、渋谷ってばやる気満々じゃーん」 「ううう…」 翌日、言われたとおり早めに学校に行くと、顔の毛剃りや眉毛、頭髪のカットをされて、すっかり垢抜けた有利に村田の声が弾む。彼も自前なのかヨザックに手伝って貰ったのか、やはり普段より2割り増し肌がつるつるになっていた。 「さーあ坊ちゃん達、良い子にしててねぇんっ!」 「ひーっ!」 村田以上にやる気満々なのは、既に完璧(?)な大正有閑マダムになりきっているグリエ・ヨザックだ。開いた大箱には凄い量の化粧道具が詰まっており、並べた有利と村田の顔に手際よく化粧を施していく。 そして…数十分の後に完成した《売り子さんズ》に、さしものコンラートも瞠目していた。 * * * 『これは…』 コンラートの中で、新たな嗜好が芽生えようとしているのだろうか? 学生服姿の有利を《可愛い》と思ってしまった時点で、《これで俺も男色家か…》と諦めに似た感情を抱いていたというのに、今度はその有利が女装をした姿に胸をときめかせている。倒錯的な感情は、くらりとするほどの酩酊感でコンラートの精神を満たした。 「コンラッド…やっぱ、変?」 半泣きで《うきゅう…》と噛んだ唇はふくりとした質感で、普段は少年らしく凛々しい口元なのに、紅を差しているせいかキスをねだるように柔らかそうに見える。透明なマスカラで整えられた睫は、くるりと弧を描いて大粒の瞳を縁取り、どれほどこの子が甘やかな顔立ちをしていたのか嫌と言うほど教えてくれる。 まろやかな頬はとろけるような白さで、ほんの少し白粉をはたいただけだというのに、どうしてこうも麗しい曲線を描いて見えるのだろう? 漆黒の髪はコンラートが絶妙なカットを施したおかげで、しゃらりとした質感を持って額や頬、襟足に落ちかかるし、大きな天鵞絨地のリボンを村田とお揃いの位置になるよう、後頭部に取り付けているのも絵に描いたような愛らしさだ。 牡丹と同系色の着物に、臙脂色の袴を身につけ、編み上げブーツを履いた姿も胸が苦しくなるくらいに可愛かった。 正直なところ…ここまで可愛くなってしまうのなら、もっと加減をすれば良かったと後悔してしまう。だが実際問題として、自分の手で刻々と磨かれていく有利を目にするのがあまりにも楽しくて、中途半端に止めることが出来なかったのだ。 「まあ、さほど酷くはないですよ」 ふい…っと視線を逸らしながらそう言ったのは、可愛らしさに浮かれすぎて脂下がった顔を見られたくなかったからだ。だから、そう言った瞬間の有利の表情を目にすることが出来なかった。 しょんぼりとして肩を落とした姿を見ていたら、もう少し気の利いた台詞を口にしていたろうと思う。 * * * 「君ってさあ…ほんっと、不器用だよね。ナニ?あの反応。君にこの冠名を捧げるよ…《ヘタレ》…ってね」 教室内で有利とは対角線上に位置していると、コンラートにススス…っと寄ってきた村田が嫌みっぽく囁きかけた。有利と対を為す華のような美少女ぶりだが、口から漏れだしてくるのは毒のある言葉だ。 「ユーリ自身は、女装をお好みでないようですが?」 「それとこれとは別だろう?渋谷の可愛い乙女心が分からないかなぁ〜。他の誰に褒められても、君が嫌そうな素振りを見せたら、それだけで彼のモチベーションは下がっちゃうんだよ?それで君、渋谷の《身も心も護る》なんてよく言えたもんだね。は!渋谷を傷つけるようなくっだらないプライドなら、狗に喰わせちまいなよ」 最初の内は冗談めかせていた言葉が、次第に熱を帯びてくる。彼らしくもなく、本気で怒りを露わにしているのだ。 「…そもそも、何故ユーリにあのような格好を?」 「思い出を作りたいからさ」 《もっとマシな思い出を作っては如何ですか?》との言葉が、喉元まで出掛かったが、思いのほか真剣な村田の表情に唇を閉じてしまう。有利を思うときだけ切なげに細められる眼差しは、底知れない闇を抱えた少年を儚げに見せた。 『先日のインフルエンザ騒ぎが堪えているのだろうか?』 ユーリが死ぬかも知れないという恐れは、コンラートにとっても予想以上のダメージを与えるものであったが、村田にとってはおそらく、コンラート以上の衝撃であったのだろう。有利が高熱を発して苦しげに呻くたびに、村田の方が壊れてしまいそうなくらい怯えきっていた。 思い出を作ったからといって、突然有利が奪われた時、村田がその喪失感に耐えられるとは思えないが、平和な今を無用な恐怖で満たさないようにする為には、こうしてインパクトの強い思い出を作りたいのかも知れない。 巻き込まれた有利には、気の毒としか言いようがないが…。 『ユーリと二人で、特別な格好というコンセプトが嬉しいのだろうか』 コンラートにはペアルックを喜ぶ心理がよく分からないが、有利が大事過ぎて気が狂いそうな心理だけは、不本意ながら理解できてしまった。 「あんまりうだつの上がらない真似してると、死にたくなるような目に遭わせるよ?」 「ご容赦願いたいですね」 小さく溜息をついてから、コンラートは視線を巡らせる。 有利はクラスメイトに襞飾りの付いたエプロンの紐を直して貰いながら、何か囁き交わして《ぷふっ》と吹き出している。そうすると、ふわりと咲き開くようなかぐわしさが辺りに満ちるようだった。 『くそ…っ…どうしてあんなに可愛いんだ!』 いっそ腹が立つくらいに可愛い。 それを見て脂下がり、妙にボディタッチが多くなる生徒達も気にくわない。 何より気にくわないのは、そんな大人げない反応をしてしまう自分自身だが。 『いっそ、ほどほど《見られない事もない》程度であれば良かったのに』 そうしたら、きっとコンラートだってソフィスケートされた表情で《お可愛らしいですよ》等と口に出来たろうに。あまりに可愛すぎて、一度賞賛の言葉を口にしたら、歯止めが利かなくなる気がした。 『全く…』 《ヘタレ》という不本意な形容を甘受してしまう自分に、情けなくて溜息が出る。 * * * 有利と村田の袴姿は大好評だった。 クラスメイトの歓声を浴びたのはもとより、他のクラスや、果ては別学年からも二人を見に来る生徒が相次いだ程だ。 しかし、そのような盛況が続くと何やらややこしいことも発生してくる。有利が教室内で売り子をしていると、客席で盛り上がっていた一団から見慣れない他校生がやってきた。 3年生くらいだろうか?洒落た私服を着て、なかなか顔立ちの整った長身男子だ。 『まあ、コンラッドを見慣れてると色々とアラが目に付いちゃうけど』 等と、余計な感想も抱いてしまう。 「君、ちょっと良いかな?」 「ご注文ですか?」 にっこりと営業スマイルを浮かべると、目に見えて鼻の下が伸びた。どうしてこんなにニヤニヤしているのだろうか?なにか、楽しい事でもあったのか? 不思議そうに眺めていると、少年はどこか照れたように頭髪を掻き上げる。そういう仕草をしながら、ちらちらとこちらの反応を伺っているのも妙だ。 ついつい、《髪を掻き上げる仕草って、コンラッドもやるけど…あれは凄絶なくらい綺麗な時があるよなー》等と、また比較してしまう。 「いや、そうじゃなくて…。あっちの奴から聞いたんだけど…」 くいっと指さされた《あっちの奴》は、やたらとニヤニヤして吹き出すのを堪えている。あちらはうちの高校の3年生らしい。中学時代の友人とか、そういうのだろうか。 「君、俺に気があるって本当?」 本人的には一番イケていると思う角度なのか、斜め45度右向きではにかむように囁いてくる。 「は?」 「いや…君、凄い可愛いし、俺も一目見たときから気になってたし…そういう事なら、一度デートとかしてみないかなって…」 一体何を言い出すのか。有利がぽかんとしていると、堪えきれずに《ぷーっ!》と《あっちの奴》が吹き出した。 「大場のバーカ!そいつ男だぞっ!」 「ぎゃははっ!モテ男だと思って調子に乗ってっから、そういう目に遭うんだよっ!」 友人達に笑われた大場という上級生は顔を真っ赤にして声を荒げる。 「はぁ…っ!?嘘…マジでぇ!?お前、男かよ…っ!」 「そーだよ、悪いかよっ!」 「悪ぃよ!つか、マジで洒落になんねーよ。そこまで似合いすぎると逆に笑えねー!」 「ウルサイな!笑って貰わなくてケッコーだよ!」 「ち…っ」 気の収まらない大場は友達の座った椅子を蹴ったりしていたが、ばしばしと背中を叩かれて《ゴメンゴメン》と謝られると、仏頂面をしたままではあったが、どすんと席に着いた。乗せられやすい性格ではあっても、それほど嫌な奴というわけでもないのだろう。 『むー…。バラされる前に気付けよ!近眼かよ!』 有利としては収まりがつかなくてぷくりと頬を膨らませていたら、横からツンと人差し指で突かれた。ニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべている村田だ。 「ご機嫌ナナメちゃん〜」 「もー、村田のせいでこんな目に遭ってんだぜ?」 「まあ、本気でイケメンにモテモテになっちゃうくらいの可愛さってことだよ」 「バーカ、あいつ絶対凄い近眼なんだよ。他の連中だって、袴っ子が珍しいから騒いでるだけ!」 「信じないな君はー。そんなに可愛いっていうのにさ」 「だって…」 「想い人が反応してくれないんじゃ、意味ないって?」 「…っ!」 頬を染めて睨み付けると、村田はにしゃりとチェシャ猫のように笑う。 「褒めて貰えなくて、しょげてるんだ」 「そ…そんな訳ないだろ!?女装姿褒めて貰えなくて拗ねるとか、あり得ないからっ!」 「そっかなー?」 「う〜…それよか、そろそろトイレ行ってもいいかな?」 「その格好で?」 「……ぐぬぅ!もー脱ぎたいっ!」 教室を出てトイレに向かおうとすると、ス…っとコンラートが寄ってきた。 「お手洗いですか?」 「その前にこれ、脱ぎたいよ。このまま男子便所行けないしさ」 ツンっと襟合わせと帯紐を引っ張っていると、先程の大場も友達と一緒に教室から出てきた。有利が着物の襟元を緩めようとしているのを見ると、興味深そうに寄ってくる。 「よ、オカマちゃん。今度はストリップかよ」 「ちげーよ!トイレ行くのに、この格好だと恥ずかしいし、借り物汚したら拙いから困ってんだ」 ぷくりと頬を膨らませて上目遣いに見やると、何故だか大場の顔が紅くなった。 * * * 『ヤベぇ…なんでこいつ、こんなに可愛いわけ?』 大場隼人は内心、変な汗を掻いていた。 この学校の友達に聞いたところでは、こいつは渋谷有利といって結構有名な子らしい。血縁関係もない老人から遺産が転がり込んできて億万長者になり、セキュリティが高度なこの学校に転校してきたそうなのだが、急激な環境の変化に晒されても調子に乗るわけではなく、何にでも一生懸命に取り組んでいるのだという。 この女装も、きっとその懸命さの結果なのだろう。 とんでもなく可愛いのに、その事に本人は喜びを感じていないのか、今は随分と恥ずかしそうにしている。…が、売り子としてくるくると立ち回っているときには、そんなこともすっかり忘れてしまっていたのか、素朴な表情を浮かべて応対していた。 その時の笑顔ときたら…。ズバンと大場の好みのタイプ、どストライクだった。 《よお、大場。あの子、お前に気があるらしいぜ?このクラス、俺の妹がいるんだけどさ、さっきからそんなコト言ってたよ》…友人の春日にそう言われたときには、本当かどうかを確かめることもせずに浮かれてしまった。わりと《イケメン》と呼ばれる事が多く、女の子の方から告白される事が多かったから、そのせいもあって疑ってもみなかったのだ。 声を掛けるまでの数分の間は、本当に脳内が桃色に染まっていた。 『今まで付き合ったどんな子よりもマジ可愛い!声掛けてみて感じが良かったら、絶対付き合おう!』 先日彼女と別れて、その後も気になる子もいなかったから、今年は淋しいクリスマスを過ごす羽目に陥るところだったのが、こんなにも可愛い子と過ごせるなら別れて良かったなんて考えて、うきうきと浮かれまくっていた。 『ふわっふわの白いセーターとか似合いそう。そんで、スカートは膝上丈のミニで、黒いニーハイとか穿いてくれると良いなぁ〜』 もわもわと妄想しながら《君、俺に気があるって本当?》と声を掛けてみたとき、想定していた反応は《きゃ〜!ウソ、なんで知ってるんですかぁ!?》という歓声か、《きゃ〜っ!ち、違いますぅ〜っ!》という照れ隠しの悲鳴だと思っていた。例え後者の反応であっても、《俺も、さっきからずっと気になってたんだ。凄い、可愛いなって…。どう?付き合ってみない?》等と、適度にはにかみながら言えばきっと、こくんと頷いてくれると思っていたのだ。 それが…まさか、男子だったなんて…。 『しかも、何だよこの外人…』 大場が声を掛けるなり、有利を背後に隠すようにして身を寄せてくる。大場も結構長身なほうだが、こちらは格が違う。身長の総計はもとより、股下、膝下の配分比が激しく高いのだ。 均整のとれた逞しい体躯は男でも見惚れてしまうほどであり、頭上から威圧的な眼差しを受けると、ずくずくと反抗的な意志が疼いてしまう。 「我が主を不愉快にさせる言動は控えて頂きたい」 「はあ?」 佳い男は声まで美声なのか。腹が立つくらい出来すぎだ。 「別に、ちょっとからかっただけじゃん。つか…あんた、この子のナニ?」 「護衛だ。身も心も御守りする役目の…な」 くす…と嗤う声は妙に艶めいていて、後ろに庇われた有利の頬が微かに染まったりするから、余計に腹の底が沸き立ってしまう。 「へえ…。女装癖のあるヘンタイの警護じゃあタイヘンだね。それか、あんたもそういう趣味があるわけ?」 「俺には似合わない。だが…」 護衛はふわりと有利の肩へと腕を回すと、見惚れるくらい婉然とした笑みを浮かべると、互いの頬を寄せるようにして囁く。 「我が主は、何を着てもお似合いだ。この上なく、愛くるしい。君も、そう思っているのだろう?」 「…!」 心の底から《そう思っていた》事を見透かされたみたいで口をパクパクさせていたら、《失礼》と、涼やかな声で告げた男は、有利を誘導してスルリと大場の脇を抜けていく。 『な…何なんだよ、畜生ぉお…っ!』 異様な悔しさを感じながら、大場は暫し唇を噛みしめていた。 何だか生暖かい眼差しを浮かべた友人達が、《ぽむん》と肩を叩いてくれるのもやけに悔しい。 だって、そうやってしょっぱい体験をした友人を慰めるのは、今までは大場の役割だったのだ。それが、まさか自分に回ってくるとは思わなかった。 『畜生…』 大場の呪いはまだ終わらない。 何故なら、その後の彼が出会う女性達は全て、《渋谷有利よりは下》と感じられてしまったからだ。 《彼女有効閾値》が一気に上昇してしまった少年の未来に、合掌。 * * * 「コンラッド…!ど、何処にいくの!?」 コンラートが向かった先は、何故かトイレとは逆方向だった。 「その袴、今すぐ脱がして差し上げます」 明言されると、逆に心配になってしまう。まだ営業担当の時間は残っているのに、勝手に衣装を脱いでしまっても良いのだろうか? 「い、良いのかな?」 「おや…あんなにその格好を嫌がっていたのに、モテモテなのが意外と気に入ってしまったのですか?」 「ナニ言ってんだよ。あんなの、モテてるって言わないよ!もー…イイや、やっぱ脱いじゃお!あんたもよっぽど嫌いみたいだしっ!」 ぷんすか怒ってそう言えば、何故かぴたりとコンラートの脚が止まるから、広い背中に鼻面をぶつけてしまった。 「ちょ…っ!急に止まるなよっ!!」 「誰が…嫌いなんて言いました?」 「だって、コンラッド…女装は不毛だから嫌いなんだろ?」 「基本的にはそうです。ですが、先程お似合いだと言ったでしょう?」 「単にあいつに張り合っただけじゃん!も〜…あんたって前々から思ってたけど、誰かと張り合うときだけ俺に甘い態度とるよね?勝利に張り合って口元のカレー舐めたり、ヨザックと張り合って風呂入ったりとかさ」 思い出したら、何だか泣けてきた。 時折思い出したように《好き》とか《愛している》とか言われるのも、何かと張り合っている内に、勢いでそう思っているのではないかなんて。 『流石に、全部が全部張り合った結果とかじゃないと思うんだけど…』 それでも、さっきの褒め言葉は明らかに大場に対してのものだった。面と向かって見つめてもくれないのだから、《折角俺が磨こうとしてやったのに、大したこと無かった》と思ってがっかりしているのだろう。別に女装姿が似合う必要はないが、途中まではちょっと楽しそうにしていたコンラートが、実際身につけてみたらがっかりしていたのは、やはりとても淋しかった。 「脱ぐよ、こんなの…。あんたが嫌がる格好、これ以上してたくない」 ぷいっと横を向いてそう言えば、コンラートの指が目元に掛かる。軽く滲んだ涙を拭われて、余計に腹が立って睨み付けてやったら、何故だか瞳が困ったように揺らいだ。 「言っておきますが、俺は女装した男の子を愛でる趣味はありません」 「知ってるよ!」 「ですが…」 身を屈めたコンラートは、何故だか不思議なほど真剣な表情をしていて、琥珀色の眼差しに銀色の光彩を煌めかせながら有利をじっと見つめていた。 「あなたの姿だけは、心が震えるくらいに…可愛らしいと感じました」 「…っ!」 「あまり凝視すると変な嗜好に目覚めてしまいそうなので、早く脱いで欲しい…それが、本心です」 ぷいっとそっぽを向いたその頬には微かに朱が掃かれていて、それが偽りの言葉ではないのだと告げていた。 「それに…あんな輩が小蠅のように集ってくるのは、正直面白くない」 苛立たしげに手首を弄るのは、そこに殺傷能力の高い暗器が隠されているからか。その辺の本気はとても物騒なのだけど、やっぱり、凄く…。 『………嬉しい』 乙女っぽ過ぎる感情の動きに頬を染めたまま、有利とコンラートは暫くの間、お互いの顔を直視する事が出来なかった。 文化祭の話も大概書きすぎてネタが重複しやすいですが、このシリーズだと流石にちょっと経路が違った感じ(…に、見えます?)かな? 逆に、有利に対して手放しの賞賛をしないコンラッドは、「あんた一体何者?」という感じも否めませんが…!でも、若獅子時代のコンラッドが名付け親としての縁故無しに有利と関わるわけだから、こういうのもアリかなと。パラレルはこの辺の匙加減が難しいですね。《新鮮》と《別物》の間で鬩ぎ合いがあります。 |