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 このまま《過去》の朧(おぼろ)な風景の一部分と化してしまうくらいなら、この人の心を引き裂き鮮血を散らし…二度と消えない傷跡を残してやろう。

 有利の肩を掴む手はがっしりと筋骨に食い込み、身じろぎすら許さぬ容赦のなさで拘束する。

「なんで?コンラッド…俺のこと嫌いになったのかよ?」

 有利は訳が分からないというように、泣きそうな顔でコンラートを見た。

「いいえ、俺にとっては…今も、これまでも…あなただけが心の奥津城に輝く存在ですよ。だからこそ許せない。あなたの中に、俺が存在しないなどという現実を、受け入れられない」

 改めて口にすれば、これほど惨めで自分勝手な言い分もあるまいと自嘲の笑みがこみ上げてくる。

 有利が自分を慕っていることを知りながら、そのことに快感すら覚えて放置し続けたコンラートが、自分が同じ立場に立たされたとき有利を引き裂こうなど…他人の行状であれば何度斬り裂いても飽きたらぬような遣り口だ。

「いるよ?あんたは…ずっとずっと俺の中に……」

 有利の瞳がまた虚ろな空洞を思わせる色合いに変じてしまう。

「いる…よ?俺…どうして?グリ江ちゃん…コンラッド…俺の中に……大切な…………」

 ひくぅ…っと喉が反り、瞬きを止めた瞳が怖いくらいに開大してあらぬものを凝視する。

「……ユーリ?」

 親しい者の凶行に怯えているというだけではなさそうな有利の様子に、コンラートは冷たい水でも浴びせられたように我に返ると、肩を拘束する力を緩めた。

「ユーリ…ユーリ?どうしたんですか?一体…」

「俺…俺……?これは…本当に…俺?俺は…誰が大切なの?」

 強制的に空気に触れ続ける角膜が痛みを訴えるのか、溢れてくる涙が長い睫に滴を浮かべる。

「痛い…頭、痛いよぉ……っ!頭が潰れる……っ!」

 しゃくりあげながら頭を抱え、のたうつ有利を前にして凶行を続けることなどコンラートには不可能であった。

「落ち着いて、ユーリ!すぐにギーゼラを呼びます」

「痛い…怖い……っ!」

 身を翻そうとするのを許さず、有利は縋り付くようにしてコンラートの軍服を掴んだ。

「怖いよ…行かないで……っ!お願い…お願い…、もう俺を一人にしないで……」

 虚ろだった瞳が涙の潤みによってか、少しずつ焦点を取り戻していく。



 合わさった視点の向かう先は、コンラートだった。

  

「お願い…置いてかないで……っ!」

捨てられた子どものような訴えに、コンラートの脳裏にある情景が蘇った。

 

大シマロンの闘技場で…国境付近の森の中で…有利はコンラートに手を伸ばし、幾度も懇願した。


『帰ろう…一緒に、眞魔国に帰ろう…っ!』


 縋り付くような瞳でそう口にする有利が、愛おしくて堪らなかった。


 彼の瞳に自分だけが映っていて、きっと、離れている間にも自分のことだけを考えて考えて…窶(やつ)れてしまうほど狂おしく、コンラートを希求しているのだと感じるとき、得も言えぬ悦楽を感じた。



 その性癖が、有利をどれほど切り裂いたか自覚もせずに…。


 

『これは、罰なのか?』


 このただならぬ様子は、ヨザックという新たな庇護者を求めずには居られなかった有利を、狂を発するまでに追いつめたコンラートへの罰なのだろうか?


「すみません…ユーリ、ユーリ……っ!」


「痛いよぉ…痛い、痛い……っ!」


 狂ったように暴れる有利は手足を無茶苦茶に振り回し、少し伸び気味だった爪がコンラートの頬に疵をつけていく。


 無意識に、コンラートを責めるかのように…。


 有利に苛まされるに任せたまま、コンラートは悲痛な眼差しで謝り続けた。


「愛しています…ユーリ……すみません、俺のせいでこんなに苦しめて…」


「コンラッド…怖い…怖い……っ!」


 啜り泣く有利を狂おしく抱きしめながら、コンラートもまた啼きそうな声で懺悔を続けた。


「すみません…あなたが愛おしくてならないのに、こんなにも傷つけてしまうなんて」


 縋られて嬉しかった。


 追いかけられることが快感だった。


 だが…一度だってコンラートは、故意に有利を傷つけるつもりなどなかったのだ。


 配慮が足りないと言われれば返す言葉もないのだが…。


「コンラッド……」


「いつだって俺は…あなたが欲しかった。あなたを苦しめると分かっていても、強く…より強くあなたを俺の物にしたかった……っ!」


 


 《あなたが欲しかった》





 その言葉が大気を震わせた途端…ぱんっと弾かれるように有利が仰け反った。


 魔法を解かれたみたいにぽかんと瞳が見開かれ、先程までの暴れっぷりが嘘のように四肢は力を失ってしまう。


 その代わり、自分一人では身体を支えることも出来なくなって、やはりコンラートはその肢体を支えなくてはならなかった。


 全くもって、文句を言う筋合いもないことだが。


「ユーリ…?」


「コ…ン、ラッド……」


 力強い腕と馴染みのある体臭に包まれている内、少しずつ…少しずつ、有利の強張りがほぐれ…吐く息が落ち着きを取り戻していく。


 その細い背を幾度も撫でつけながら、コンラートは柔らかい息にほっと安堵した。


「ユーリ…大丈夫?何か飲む?」


「う…うん?いや、ねぇ…それより、あんたが欲しいもんって俺なの?」


 ぱちくりと開かれた目は仔猫のようにつぶらで、こんな人を傷つけていたのかと思うとコンラートの胸は一層締め付けられるのだった。


「ええ…そうです。すみません…」


「何で謝るの?」


「あなたがヨザを愛していると知りながら…今更…この想いを告げ、あまつさえあなたを襲いかけたのですよ?どのような罰を下されても文句は言えません。ただ…少しでも俺に情けを掛けて下さるのなら、せめて…ヨザとのことを祝福することだけは赦して下さい。まだ…そこまで思い切ることは出来ません」


 怒りの雷撃を待つ者のように項垂れるコンラートに、有利はますます《訳が分からない》という顔をして見せた。


「ヨザック?俺…グリ江ちゃんのことは大好きだけど、別に愛したりとかはしてないぜ?」





「はぁ?」





 有利は時として融通が利かないくらい、一本気な少年だ。


 コンラートに告白されたからといって、調子よく言を違(たが)えるようなタイプではない。


 これは…何とも奇妙な反応であった。どうにも妙な予感がする。


「ユーリ…さっきまで何があったか覚えていますか?」


「さっき…?」


 考えを巡らせるように視線が天井を彷徨うが、有利は困ったように眉根を寄せる。


「あれ…?今、夜だよね?それに、あんた確か…遠くの任地で仕事してたはず…まだ当分会えないって思ってたのに、なんでここに?あ…っ!」


 有利はコンラートの姿を改めて確認すると、さ…っと顔色を変えた。


「あんた…血が出てるよ!」


「ああ…」


 コンラートの頬には有利のつけた擦過痕が幾つも掠め、右頬を抉った筋目は特に深く傷つけていたのだろう、鮮紅色の血がつぅ…っと顎まで伝わっていた。


 有利は血で手が汚れるのも構わず掌でコンラートの頬を包むと、暖かな治癒の力を注ごうとしたが、そうっとその手を押し返されてしまう。


「いえ…この疵は、治るに任せても良いですか?自分への…戒めにしたいので」


「そ…う?」


 きょとりと小首を傾げる有利を抱きしめて、コンラートは熱い息をゆっくりと吐き出していった。


「覚えて…いないんですね?あなたは…ヨザととても親密にしていて、俺は嫉妬の焔にまかれて死にそうになってましたよ?」


「嫉妬って…」


「先程も言ったでしょう?俺は…あなたが欲しい。あなたを…愛しているから」


 切なさを含んだ甘い声は夜気を震わせ、有利の耳朶を蕩かすようにじんわりと響いた。


「でも、あんた…全然そんな素振り……」


「俺は狡くて弱い男だから…あなたが狂おしく俺を求めてくれるのを待っていたんですよ、ずっと…。そのせいで、あなたがどれ程傷つくかも理解せずに。最低の…男です。あなたには相応しくない……」


 有利は漸くコンラートの言葉の意味を理解できたようで、今更ながらにかぁぁ…っと頬を染めてわたわたし始めた。


「いやいやいや…そ、そーなの?いやいや、うんうん、確かに俺の気持ち分かってて放置プレイかましてたんならちょっとむかつくけど…」


「むかつきますか、やっぱり…」


 しょんぼりと肩を竦めた姿はルッテンベルクの獅子と言うよりは、大型わんこのようであった。


「でもさ?それ言っちゃうと俺だって狡かったよ?あんたのこと好きなのに…ずっと、好きだとは言わなかったもん」


「………え?」


 意想外の言葉に、コンラートの瞳は点目になってしまう。


「だって、恥ずかしかったし…あんたが、そういう意味で俺のこと相手にしてくれるなんて思わないじゃん?だから…傍にいてくれるだけで良いって思って…一緒にいてくれって叫ぶだけで…一度だって好きだって言ったことはなかったよな?だから…どっこいどっこいなんだよ」


 はにかむように俯きながら…綺麗な綺麗な微笑みを有利が浮かべる。





 全てを赦すように。


 全てを受け入れるように…。


  


 涙が溢れそうで、コンラートは強く有利を抱きしめることで表情を隠した。


「愛しています…ユーリ。この言葉を告げることは、遅すぎたわけではないのですね?」

「好きだよ…コンラッド。ずっと…ずっと言いたかった」


 


「さぁー、良い雰囲気の所お邪魔しますよ!」


「話は全て聞かせて貰った!」





 ドカァン…っ!


 


 甘やかな雰囲気を蹴倒す勢いで、あろうことか…有利の猫足テーブルに取り付けられた小さな引き出が勢いよく飛び出し、そこから…アニシナと村田が上半身を顕した。


「わー………っっ!?」


 有利の絶叫が響き、コンラートが絶句していると…肩を竦めながら(こちらは扉から)ヨザックが入り込んできた。


「あー…坊ちゃん、隊長、収まるところに収まったんですねー?」


 にやにやと人の悪い笑みを浮かべたヨザックは、有利に対する恋慕の情など一体何処吹く風とばかりに、コンラートに抱き竦められた《大切な人》を、血を分けた弟に対するような眼差しで見守っていた。  


「ふん…まあ、途中でちょっと危なかったけどね」


「ええ、あのまま陛下が押し倒されるようなことがあれば、事後処理と記憶の処理が面倒になるところでしたね」


 ヨザックとは対照的に、面白くもなさそうな顔で村田とアニシナが顎を撫でたり掴んだりしている。


「これは…あなた方の仕業ですか?」


「そーだよ。君があんまり渋谷を苛めるものだから、僕としても耐えきれなくなってね」


 しれっと答える村田は、企みが上手くいった割には楽しそうでも何でもなかった。


「全くね…君の変態嗜好に付き合わせるには渋谷は純朴すぎるんだよ。君の性癖のことを何度説明しても、《あいつって無欲だから、ナニ喜ぶか分からないんだよね》なんてとんちんかんなことを言うんだよ?僕は友人として幾度溢れてくる涙を押さえたことか…!君が無欲だって?欲望の塊みたいな男なのに!」


 大仰な身振り口ぶりで説明する村田は冗談めかしてはいたが、心情としてはまさにその通りであったのだろうと推察されて、コンラートとしては頭を下げるしかない。


 このような頓狂なやり口をやられた挙げ句、デバガメされようとも…有利を心から思う村田には、やはり感謝の気持ちが湧いてくるのだ。


 まぁ…本当に《危なく》なった場合、存在自体を抹消されるところだったのかな…と思うと背筋が寒くなったりもするわけだが。


「村田…アニシナさん、実験室で横になってからの記憶があんまりないんだけど、俺…コンラッドに何かしたの?」


「陛下、あなたはこのヘタレ男とうっかり結ばれてしまったことを喜べばいいのです。その間にナニがあったかなど想起する必要はありません!」


 ビシィ…っ!と決めつけるアニシナは、いつもこの調子でグウェンダルを餌食にしているのだろう…。


「うー…グリ江ちゃん、後で教えてくれる?」


「どうですかねぇ…世の中には知らない方が良いって事もありますからねぇ…。ま、俺としては役得でしたけど?」


 頭髪をくしゃくしゃと撫で回されながら、にやにや笑いをするヨザックを不思議そうに見上げていると、有利はとろりと瞼が降りてくるのを感じた。


「ねむ…」


「おお、これはいけません。夜更かしは美容の敵です。猊下、我々もそろそろ帰りましょう。実験結果の詳細については後日、ヨザックとウェラー卿から情報を得ることに致しましょう」


「そうだね、僕も眠いや」


「そうねー。俺も肌つやが気になるお年頃だがら、今夜は詰め所の寝台をお借りしますよん」


 現れたのと同様の引き際でぞろぞろと三人のデバガメ達が退出していくと、後に残された有利はすっかり瞼を閉じてしまっていた。


 アニシナの《実験》に付き合わされた身体が疲労を訴えているのかも知れない。


「コン…ラッド……。俺、もー…ねむい…でも、明日……色んなコト、話そう…な?」


「ええ、そうしましょう。俺達は…まず、そうすべきだったのかも知れません」


「うん…」


 ふわぁ…っと華が綻ぶように微笑む有利を、壊れ物でも扱うみたいに丁重な動作で横たえると、コンラートは寝台脇に跪いて頭を垂れた。


「あなたと、お話をしましょう…。遠くからあなたを思って、想像を巡らせるよりも…それはもっとずっと…幸福なことだ」


 


 有利は、またほんわりと笑ったように見えた。





 幸せな…できたての恋人達を包み込むように、眞魔国に夜の帳(とばり)が降りていった…。    





おしまい











あとがき





 羽瑠様のリクエストで「眞魔国で大賢者・アニシナがタッグを組み、振り回されてぶち切れた灰色コンが黒コンに進化(?)する話」…実はリクエストの中で最もどんな話にして良いのか分からないお話でした。


 そういえば、《白》《灰色》《黒》と表現してはみるものの、どのような状態が各色に適合するかの定義は不明瞭なんですよね。


 なので、結果的にやっていることは一緒でも、それが意図的であるかどうかをもって分類することにしました。


 シマロン出奔と、そのあと眞魔国に帰ってから禊ぎの意味もあって、過酷な任務に我が身を置く…というのはうちの基本的な設定(?)です。


 《白》はもうもう、無私無欲で「そうすることが再び信頼を取り戻すことになる」と信じて滅私奉公するコンラッド。


 《灰色》も同じ事は考えてるんだけど、有利に会えないことが寂しくて寂しくて、任務の中抜けとかをしてね強行軍で会いに来てイチャイチャして、また任地に帰るとかして適当にガス抜きをするコンラッド。


 《黒》は今回のように、有利を焦らしてニヤニヤしているコンラッド(←ああ…!こうして書くと改めて変態臭いっ!)


 …………ということにしたのですが、おや?これで果たして羽瑠様は喜んで下さるのか!?と疑問がギュンギュン……。


村田とアニシナのタッグで振り回すというのも上手く出来なかったので、直接立ち回るのはヨザックにしてみましたが、これもリクエスト内容には入ってなかったんですよね……。

 そして、気が付けば今回も「黒次男は最後までやらせてもらえない」のジンクス通りの展開でした。やっぱり、エロを追求できるのは灰色次男ですね!


 さてはて、とにもかくにも、少しでも羽瑠様の希望に掠っている場面があれば幸いです。 





→ おまけ