3 次の日の朝…やっぱり黒うさぎは捕まる前のことを思い出せずにいましたが、茶兎のことだけはちゃんと覚えていましたので少し安堵したようです。 そして、そんな黒うさぎに茶うさぎはこう提案したのです。 「ねぇ、黒うさぎ君…君さえ良かったら、俺と一緒に旅をしないかい?」 「コンラッドと…良いの!?」 「うん、俺はどうせ行く当てもない、目的もない気ままな一羽旅だったんだけど…そろそろ一羽では寂しいと思っていたところだったんだよ。…どうだい?」 「う…嬉しいっ!俺、全然何にも思い出せなくて…どうしようかと思ってたんだ!ありがとうね、コンラッド!!」 ぱあっと微笑む黒うさぎの表情はやっぱりとても素敵なものでした。 茶うさぎはそんな黒うさぎを見ているうちに、良い《名前》を思いつきました。 「君に名前をプレゼントして良いかい?」 「俺に…名前?」 「いつまでも黒うさぎ君じゃなんだろ?」 「う…うん!」 「ユーリ…というのはどうだろう?俺の故郷で《7月》という意味なんだ。君の笑顔が丁度そんな感じだったんで、良いかなぁ…と思うんだけど。どう?」 「ユーリ…俺、ユーリ?良い名前!すっごくしっくり来るよっ!!」 「それは良かった!」 こうして名前を貰った黒うさぎは、茶うさぎの名付け仔として旅に同行することになりました。 * * * 旅はそれはそれは楽しいものになりました。 黒うさぎに会うまでは、街に入れば最低限の糧食と装備を揃えるだけ…有名な景観も唯の通り道に過ぎなかったのです。 ですが、黒うさぎが喜ぶと思うと… 『ちょっと脚を伸ばしてあの街の焼き菓子を買おう、それに串焼きも美味しいらしいぞ?ユーリは喜んで食べてくれるだろうか?』 『おや、この服は暖かそうだしとても可愛いな…ユーリに似合うに違いない。お…この人形も喜ぶかな?』 『あの山を越えるととても素敵な景色が見えるらしい…もう少し行って、ユーリに見せてやろう』 ついつい余計なものまで買い込んだり、当初の目的から外れた道にまで踏み込んでいきました。 だって、その度に黒うさぎは輝くような笑顔を浮かべるのです! 『美味しいねぇ!』 『面白いねぇ!』 黒うさぎがそんな言葉を口にする度…くるくると変わる表情を見つめるたび…茶うさぎにはその食べ物がとても美味しく感じられましたし、ふくふくのコートを纏った黒うさぎが抱きしめたくなるくらい愛らしく見えましたし(実際、抱きしめたりもしました)、景色だって心に染み入るほど美しいと感じました。 ですから、二羽は色んな国を旅しました。 熱帯の樹海の色鮮やかな植物群… 東の国の桜吹雪… 雪景色に照り映える月光… 『綺麗だねぇ…素敵だねぇ……っ!』 きゃあきゃあと興奮して頬を染める黒うさぎを見ていると、茶うさぎにとってこれまで何の意味も持たなかった映像が途端に鮮やかな色彩を纏い…いきいきと動き出すのでした。 さて…そんな旅の中で茶うさぎはあることに気付きました。 黒うさぎは兎見知りの少ない仔でしたが、言葉の荒い相手には時として酷く怯えることがありました。 記憶のどこかにうっすらと…自分を捕まえた男達の印象が残っているのでしょうか? ですから…茶うさぎは次第に、黒うさぎに対してとても丁寧な言葉遣いをするようになりました。 それは自分でもすこし滑稽かな?と思うほどの丁寧ぶりでしたが、それでも…黒うさぎが不思議そうな顔をしながらも嬉しそうに笑うものですから、どんどん丁寧さに拍車が掛かっていきました。 そう…茶うさぎはすっかりこの仔うさぎに心を奪われていたのです。 ですが、その想いが募るに連れて、むくむくと心の中で大きくなっていく懸念がありました。 『俺がこんなにもこの仔を可愛いと思うのは、呪わしいこの血のせいなのだろうか?』 半分人間だから…黒うさぎがいっそこのまま記憶など取り戻さず、いつまでも自分と一緒にいたら良いなんて、独りよがりなきぼうを抱くのでしょうか? だとしたら、いつか茶うさぎは黒うさぎに対して…歪んだ劣情を抱くことさえあるかも知れません。 そう考えた途端…ぞっと背筋を悪寒が奔りました。 黒うさぎを浚った、あの唾棄すべき人間達と同じ欲望を抱いたりしたら… その時、黒うさぎは信頼を裏切られてどんなに傷つくことでしょう? どんなに悲しむことでしょうか? 『そうなる前に…俺はこの仔と離れるべきなのかも知れない』 その決意は…とてつもなく辛いものでした。
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