あなたと出会った日













「旅に出たいんだ…グウェン……」



 ベットに横たわり…見るともなしに高い天窓へと目線をやる茶うさぎに、兄の濃灰色うさぎグウェンダルは瞼を伏せました。

 弟の気持ちが、彼には痛いほどよく分かったからです。





 弟はつい一週間前まで…戦場にいました。

 それも激戦などという生やさしい表現ではとても言い尽くせないような…凄惨な戦いだったのです。

 闘うために生まれてきたような、残酷で凶暴な大鼬(オオイタチ)の群れが敵でした。

 ことに、その首領であるノロイは力が強い上に敏捷で、しかも知恵が回る鼬でしたから、とんでもなく多くのうさぎが犠牲になりました。

茶うさぎも今でこそこうして口をきくことが出来ますが、戦場から帰ってきたときの様子は酷いものでした。

 友達で、同じ部隊にいた橙うさぎのヨザックが背負ってきたその身体は無惨に傷つき…息も絶え絶えだったのです。

 そして意識が戻ったとき…茶うさぎは戦争に勝利したことと同時に、それを打ち消してしまうくらい…悲しい事を知ったのです。



 茶うさぎが指揮を執ったルッテンベルク師団のうさぎ達は…その殆どが死んでしまったのです。



 こうして窓から外を眺めていても…平和そうな親子連れや恋人同士が行きかう姿を見ていても、茶うさぎの表情に笑顔が浮かぶことはありませんでした。



 いいえ…笑顔だけではありません。



 もう…うさぎらしい感情の全てが削ぎ落とされてしまったかのようでした。 



 だって、何を見ても…何をしていても、茶うさぎの脳裏には蘇ってくる情景があるのです。



 茶うさぎを庇って、若い白うさぎが両腕をもがれました。

 その腕で、生まれてくる仔うさぎを抱くのだと言っていたうさぎでした。

『俺の奥さんは幼馴染みで…ずっと大好きだったうさぎなんです。珍しいピンク色の…そりゃあ綺麗なうさぎなんですよ。きっと生まれてくる仔もとても可愛いに違いありませんや』

 まだ幼さの残るそばかす顔で、はにかむように惚気ていたうさぎでした。

 

 人の良いふとっちょの灰色うさぎは、茶うさぎの目の前で頭を潰されました。

 本当は剣なんかふるうような気の荒いうさぎではなかったのです。

 穏やかで、パンを焼くのがとても上手で…

『隊長、帰ったらでっかいパンを焼きますよ。俺たちみんなで食べても無くならないくらい、そりゃあ大きいパンを焼いて…たらふく食いましょうね』

 カビの生えた硬い黒パンを囓りながら…それでも笑顔でいてくれた…とても素敵なうさぎだったのです。



 他にもたくさんの思い出を持つうさぎが…みんな死んでしまったのです。

 

『どうして俺は生きているのかな?…みんなみんな…死んでしまったのに…』



 とても不思議そうに…呆然としたように呟く茶うさぎに、濃灰色うさぎは言葉を失いました。



 濃灰色うさぎは戦況が少しでも有利に働くようにと懸命に手だてを講じましたが、力及ばず…茶うさぎの部隊…ルッテンベルク師団は絶望的な苦境の中で戦うことになりました。

 ルッテンベルク師団には、最初から十分な装備も補給も与えられませんでした。

 眞魔国森の殆どのうさぎが彼らを軽視していました。

 …彼らは、生まれながらにして残酷な差別と戦うことを余儀なくされたうさぎ達でした。

 彼らはうさぎ族と…人間等他種族の間に生まれたせいで、《雑種》と呼ばれるうさぎ達なのです。

 それはこの国の女王…ツェツェーリエを母に持つこの弟…茶うさぎウェラー卿コンラートですら例外ではなかったのです。

『片親がどれ程高貴な血筋でも、所詮は雑種の仔だ。先は知れているさ…』

 そんな言葉を漏れ聞くたびに濃灰色うさぎは血が沸騰するような怒りを覚えましたが、第一王位後継者である彼であっても、その差別を根底から退けることは出来なかったのです。

 ですから…今回の戦争でも、結局力になることは出来ませんでした。

そんな苦境の中を彼らは戦い抜き…残忍な大鼬の群れを殲滅したのです。

 しかも、茶うさぎは少ない部隊を巧みな用兵と勇敢な指揮によって勝利へと導き、傷だらけの身体で…敵の首領であるノロイを打ち倒したのです。

 そのことで、もう茶うさぎを軽んじる者はいなくなりました。

 少なくとも、正面から軽んじることの出来るうさぎはいなくなりました。

 もしもそんなうさぎがまだいるとしたら…濃灰色うさぎは決してそのうさぎを許すことはないでしょう。

濃灰色うさぎはもう二度と…弟を悲しい目に遭わせたくはないと思いました。

 けれど、やっぱりどうして良いのか分かりませんでした。

 ですから…この時もただ頷くことしかできなかったのです。

 本当は、《身体をいとえよ》とか、《連絡だけは定期的によこせよ》とか…色んな事を言いたかったのですが、どれも口にすることが出来ませんでした。



 濃灰色うさぎは生まれて初めて…自分の不器用さを恨んで悲しい気持ちになりました。





*  *  *





 茶うさぎはうさぎ族の証である耳を隠すためにターバンを巻き、マントを深く被って旅をしました。

 そうしないと、珍しいうさぎ族は人間の好事家に狙われることが多いのです。

 人間の全てがそういう手合いばかりというわけではありません。ですが、酷い人間の中にはうさぎ族を捕まえて見せ物にしたり、慰み者にしたりすると聞きます。

 だからこそ、そんな人間とうさぎ族との間に生まれた《雑種》は酷い差別を受けるのです。

 茶うさぎ自身…そのことをどこかで《仕方ない》と思うほどでした。

 今回の戦争におけるルッテンベルク師団と茶うさぎの働きによって、《雑種》への見方も変わるだろうと濃灰色うさぎは言いましたが、それも一時のことでしょう。また平和が訪れて眞魔国森が安定してきたら…また元に戻るに違いありません。

『結局の所…俺の全部をひっくるめて好きでいてくれるうさぎなどいやしないんだ』

 茶うさぎはとてもモテましたが、娘うさぎ達は決まって同じ事を言うのです。

『あなたが雑種でも、愛しているわ』

 うっとりとそう言われるたびに、茶うさぎの背筋には虫唾が奔りました。

 何故って、わざわざそう言うということは《雑種》であること自体は忌み嫌っているということだと思ったのです。

『《雑種》であることはとても嫌だけど、それでも愛している私の愛の強さを感じて…』

 そう誇示されているような気持ちになるのです。

 ですから、茶うさぎはどんな娘うさぎともあまり長続きしたことがありません。

 

*  *  *





 茶うさぎの旅は長く続きました。

 いくつかの季節を巡り、幾つかの国々を抜けていく間におおよそ2年の時が流れました。

剣の腕は上がり、随分と旅慣れて色々なことも知りましたが…茶うさぎの心はいつも渇いていました。

 

 そう…寒い冬の日に迎えた、《運命の日》までは……



 それは雪が降り始めた12月頃のことでした。

 山々は淡く雪化粧を施され、棘々とした針葉樹の葉と硬い樹皮の肌だけが暗い色彩で景色を飾っています。

 山道を歩いていた茶うさぎは、遠くから響いてくる…荒々しい人間達の声と気配とを察知すると、古木のうろにそっと身を忍ばせました。

 どうも嫌な予感がしたからです。

 案の定、木々が開けた場所で野営の準備を始めた5人の男達は揃いも揃って如何にも下卑た顔立ちをしており、始終品の悪いニヤニヤ笑いを浮かべていました。

「よぅ、あの黒いうさぎっ仔はどうしたよ」

「やっと大人しくなったぜ。泣き疲れて眠ったみたいだ」

「全く…あいつにゃ往生したぜ!あんなにちっこいくせに噛みつくは蹴りつけるは!檻にぶち込んでやっても板や柵を噛みやがるからよ、手足を縛ってやったのにまだじたばたしてやがった」

「ああ、あのままじゃ折角の顔に傷が入ると思ってよ…腹の所に蹴りつけてやったのさ」

 途端に、どっと男達は笑い転げました。

「何が泣き疲れただ!優しい親父みたいなことを言いやがってよぅ!お前が蹴ったから気絶したんじゃねぇのか?」

「おいおい、腹でも傷は残らねぇようにしたんだろうな?」 

「勿論だともさ。何しろあいつは幻のチキューノクロウサギだ。食べれば不老不死になるっていう霊験あらたかな希少品だからな、お大臣達が浴びるほどの金貨や宝石と引き替えにしてでも手に入れたいって代物だぜ?その辺はぬかりねぇさ」

「しかもあんだけ上玉と来ちゃあ…喰うまでにもイロイロお楽しみ出来るってもんだからな。ヒヒヒ…あの小せぇケツの穴に俺のデカ物をぶち込んでやりてぇよ!」

「馬鹿言え!俺たちのお手つきと知れりゃあ値段が一気に下がるってもんだ。ハツモノ好きの変態連中に高く売りつけるんだからな!」

「じゃあよぅ…口はどうだよ?」

「ふふん…そりゃあ、良いかもな…今なら暴れる力も残ってねぇだろうしな…」

 男達の目は情欲に濡れ…闇の中で焚き火の光を浴びてぬめぬめと光ります。

「へっへぇ…俺達のミルクを黒うさちゃんにたらふく飲ませてやろうぜぇ!」

 聞くに堪えない…見るに堪えない男達の様子に、茶うさぎはゆらりと木のうろから姿を現しました。

「な…なんだ手前ぇ!?」

 罵声を上げた男達は、相手が唯一人と知ると肩の力を抜きかけました。けれど…腰の剣に掛けようとした手はそのまま強張って動かすことが出来ません。

 灰色のマントから覗く双眸の…凍てつくようなその色に、背筋が震えて仕方がないのです。

 男達は様々な危険と隣り合わせで生きてきた裏社会の住人達でしたが、それでも…迸るような茶うさぎの殺気に、腹の底が凍えるような心地を味わったのです。

「俺が誰かなど…知る必要はない。お前達はただ祈っていればいいのだ…お前達の奉ずる神に…な」

 宵闇の中…月光を弾く白刃が、ぎらりと鮮烈な輝きを放ちました。  

 

*  *  *




 黒うさぎの心は闇に呑まれそうになっていました。

 頭の中に、ぐるぐると恐ろしくて大きな人間達の銅鑼声が響きます。

『大人しくしてやがれ!』

『お前がどうなるかだって?お前はこれからペットとして飼われてよぅ…飽きられたら喰われちまうのさ!』 

 《飼う》ってどういうことでしょう?

 《喰われ》たら、黒うさぎはどうなってしまうのでしょう?

 身体も心もみしみしと痛みます。

 それもこれも全て…黒うさぎが無鉄砲だったせいです。

 地球森の向こうの山に、この季節には珍しい綺麗な花が咲いているのが見えたので、飛び出していったのがいけませんでした。

人間達の仕掛けた罠に引っかかって、網の中に捉えられてしまったのです。

 そして…



 頬をぶたれて、口の中が血の味で一杯になりました。

 大切な耳を乱暴に掴まれ、振り回されました。

 お腹を思いっきり蹴り飛ばされて、気を失いました…。



 怖い…

 苦しい……

 悲しい………



 真っ暗な気持ちが頭や胸の中にあふれかえって、溺れてしまいそうです。



『あっちに行け!』

『こっちに来るな!!』



 黒うさぎの心は真っ当な状態に戻ろうとして、懸命にその《真っ暗》なものをはね除けようとしました。

 そして…はね除けすぎてしまったのでしょうか?

 黒うさぎは…今までにあった全てのことを忘れてしまいました。




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 あとがき

 新シリーズ始まりましたー…とか言いつつ、ストーリーの方は既に他のシリーズで昔話として語ったものを詳しくやるだけなのです。

 ちょっと暗めのシリーズではありますが、これが後々とろけるチーズもびっくりな甘々生活に結びつくのだと思えば微笑ましい…カモしれません。

 そしてなんと言っても…今回の挿絵は初出…濃灰色うさぎデス…。
 うわぁ…何というか…前回の『格好いいつもりのうさぎ飛びコンラッド』並に痛々しいことに…。
 しかもコンユの絵が入ってないし…。
 
 次回は『一目あったその日から、恋の花咲くこともある』な感じのコンユ話デス。
 呆れずに見守って下さい…。