「こんにちは、赤ちゃん」−1








 こんっにっちは〜あっかちゃん♪
 わったし〜がー…

「パパなんだけどねー…」

 渋谷有利は妊娠後期に入った大きなお腹を撫でつけながら、微妙な笑みを浮かべた。
 自ら選んだこととはいえ、男子高校生であるはずの自分のお腹がぷっくらと膨らんでいるのは何とも珍妙な感じがする。

 この中に、赤ちゃんが入っているのだ。
 自分が女の子であったとしても、やっぱり不思議に感じたのではないかと思う。

 有利ほどではないにしても、世の中のお母さん…ことに、初めてお母さんになった人はきっと同じように不思議な感慨を抱いているのではなかろうか?

 赤ちゃんとはいえ、ここに入っているのは別個の命を持つ《個人》なのだ。
 有利から生まれてくるリヒトは全く同じDNAを持っていると言うが、それでも一卵性の双生児だって異なる性格を持つのだから、きっと有利とは違う考えを持つ子どもになるのだろう。

「ユーリはお腹が大きくても可愛いですねぇ…」
「今更だけど、あんたの親馬鹿ぶりも大概だよな」

 目の端をへにゃりととろかしながら微笑む男は、《ルッテンベルクの獅子》の異名を持つ英雄閣下である。
 だが、今は軍服の上に若草色のエプロン(可愛いひよこちゃんが卵の殻を割って出てくるイラスト付き)を身につけ、甲斐甲斐しく家事の全てを取り仕切っている。
 
 二人だけで住む離宮には外出するたびにコンラートが買ってきたり、来訪する家族友人の面々が差し入れる赤ちゃんグッズがずんずん溜まっている。

 防ダニ加工が施された大きな編みぐるみは動物園が作れそうなほどたくさんの動物たちが揃っており、その中に有利が埋もれていると、コンラートがやはり瞳をとろかして《可愛い》を連発する。

 その他、編みかごの中には鈴のついた握り人形や色とりどりのスタイ、お人形さんが着るようなちいさな靴下に、肌に優しそうなパステルカラーの肌着、それよりは少し色合いのはっきりしたロンパース等々…。
 
 見ているだけで、赤ちゃんを迎えようと浮き立つ気持ちが伝わってきそうな光景である。
 
 勿論、壁材や装飾もすっかりパステルカラーで統一されており、楽しげなポップ調のイラストが壁面を覆っている。

「ユーリ、リヒトは動いていますか?」
「あんたの声を聞くと結構動くんだよ。何か歌ってみる?」
「では一曲…」
 
 コンラートは有利の座るソファの前に跪くと、伸びやかな声で歌いかける。
 ちなみに、選曲は「それ行け!アンパン○ン」「ドラ○もんの歌」などであり、村田に吹き込まれたのかNASA製装置に刷り込まれたのか本人にもよく分からないらしい。

「ん…っ…動いた。ぎゅーってお腹押してる」
「おや、これは握り拳かな?あんよかな?」

 《ちっちゃいでちゅねぇ〜》なんて言いながら、コンラートはにぎにぎとお腹のでっぱり部分を撫でつける。
 この辺り、あの兄にしてこの弟ありと言うところだ。

「でも、ちょっと痛いな…」
「すみませんユーリ。そうですよね…子宮壁を引っ張られるんですもんね?」

 はっと表情を変えると、コンラートは淡いブルーのタオルドレスに包まれた有利のお腹にちゅっちゅっとキスの雨を降らせる。
 そんなことで痛みが消えるはずもないのだが…どうしでだか気持ちが浮き立って楽になるから不思議だ。

「横になりますか?抱っこして寝台にお連れしましょう」
「ううん、あんたが作ってくれるご飯食べたいし、あんたが作ってるの見るの好きだもん」

 ふりふりっと首を振って有利が言うと、コンラートは唇にもキスを寄越して困ったように眉根を寄せた。

「そんなに可愛い事を言われては困ります。バードキスだけで止められないじゃないですか」
「止めなきゃ良いのに…」
「駄目ですってば。俺があなたに関しては堪え性ないの知っているでしょう?」

 堂々と言うようなことでもないのだろうが…それは歴然とした事実であった。
 以前、妊娠中にもかかわらず激しい夜を過ごしてしまった二人は、しこたまギーゼラのお説教を食らったのだ。

「うー…俺だって堪え性ないもん…。もうずっとあんたと深いキスしてないんだぜ?」

 涙目で訴えると、コンラートは身を捩るようにして身体を引きはがした。

「だ…駄目ですっ!あなたの身体に万一のことがあったら、俺は生きていけません…っ!!」
「コンラッド…」
「ユーリ…」



*  *  *




「ああ…またやってるよ……良く飽きないもんだ」

 見つめ合う二人を前にして、実は同じ部屋にいた村田はバリバリと脇を掻いた。
 《コンラッドの作る飯って凄い旨いんだぜ?一度食いに来いよ》等と誘われて、うっかり付いてきたのが運の尽き…先程から村田とヨザックの二人は当てられっぱなしなのである。

「ああ、痒い痒い…」
「いや〜…見事な無視っぷりですね。俺たちなんて超アウトオブ眼中みたいな?」
「みたいっていうか、視界に入ってないだろ…あれは。精神的視野狭窄ってやつだね。ちょっとグリ江ちゃん…何とかしてよ」
「えぇ〜?双黒の大賢者様にどうにもできないものを、俺に一体どうしろと…」

 全くだ。
 バカップルにつける薬などないのだ。

 ただ、万が一アニシナの実験などで何かの拍子にそんな薬が出来たりして、礼節を重んじてベタベタと触れあったりしない遠慮がちな二人になられても、それはそれて寂しいと感じる自分が一番嫌なわけだが(この痒みが変な快感に繋がっているのか…)。

 何はともあれ、有利が幸せでいてくれたらそれで村田も幸せなので、結局の所愚痴を零すだけで終わってしまうのである。

「ちょっとウェラー卿、僕たちを飢え死にさせる気?」

 せめて、小舅みたいな事でも言ってみるかと発言するものの、すぐに後悔させられることになる。

「これは申し訳ありません!すぐご用意しますので…」
「俺、手伝う」
「何を言っておられるのです!揚げ物をするんですよ?ユーリのすべやかなお肌に傷でも付いたら…っ!」
「コンラッド…」
「ユーリ…」
「あーはいはい、もう好きにして?」

 いい加減見つめ合う二人に突っ込むのも疲れてきたらしく、村田は諦めてローストピーナッツの入った缶を開けた。ぽりぽりおやつでも食べていないことには、とてもお腹が持ちそうになかったのだ。

 揚げ物なんて胸やけで食べられない気もするし。

「ねえグリ江ちゃん、これ食べたら帰ろうか?」
「そうですねぇ…猊下のお食事は俺が作って差し上げます。まだまだ隊長には負けませんよ?」
「楽しみだな」

 何時の間にやらなしくずしに同居生活など始めている村田とヨザックは、ちょこんと肩を寄せ合って仲良くピーナッツを口に運んだ。

 どうしてどうして…端から見ていれば、こちらも十分に熱々なカップルなのであった。
 

 

→次へ