「こんにちは、赤ちゃん」−2








 赤ちゃんが生まれた。

 想像していたあらゆる感覚から逸脱する《何とも言えぬ奇妙な痛み》を乗り越え、有利は必死のぱっちで赤ちゃん…リヒトを生み出したのである。

「ユーリ…ユーリ…ああ、頑張りましたねっ!よく…本当によく頑張りましたねっ!」

 コンラートは有利が産気づいた辺りからおろおろうろうろしていたのだが(そして別室に連れて行かれてギーゼラの怒号を受けていたらしい)、陣痛の激しくなった有利が切なげに悲鳴をあげたりすると、彼の方が出産しているかのように《ああっ!》とか《ううっ!》とか叫び出した。

『コンラッドがアルノルドでお腹切られたのに比べれば、大したことないって』

 有利は汗びっしょりになりながらも健気に笑ってみせ…そして次の瞬間には陣痛の波に浚われて悲鳴を上げるのを繰り返していた。

 陣痛の痛みは一般に、《男が同じ苦しみを受けたら死ぬ》と言われるくらいのものだから、腹部を切り裂かれて腸が出たというコンラートと良い勝負であったのかも知れない。

 とにかく、そんなこんなで有利は頑張った。

 そして、頑張った報償の中で最大のものは…降り注ぐように与えられる夫からのキス、ではなく…。

「リヒト…っ!」

 勿論、この時ばかりは産湯につかったばかりの赤ちゃんとのご対面である。

「ちっちゃい…。それに、白いなぁ…。赤ちゃんってもっと赤いんじゃなかったっけ?」

 リヒトの肌は全体的に透明感のある白で、踵や指先などが部分的に綺麗なピンク色をしている。確かに、生まれたての赤ちゃんとしてはちょっと意外な印象だが、多少の違いはよくあることなのだという。

 有利も事前に説明は受けているのだが、何しろ何もかもが初めての体験なため、ちょっとしたことが気になってしまう。

「少し予定よりも後になっての出産だったから、お腹の中で十分に育っていたのかも知れませんね」

 幼弱な赤ちゃんだと皮膚が薄くてより赤く見えたりする。また、出産時には白くても生後一ヶ月くらいの間は新生児黄疸(切れた臍の緒から入った母胎側の血液によって、赤血球が幾らか壊れる)が出るかも知れないが、有利とリヒトの血液型は一卵性双生児並みに同じなので、比較的起こりにくい筈だ。

「リヒトちゃんはとっても元気な赤ちゃんですよ。完璧な健康体です」

 ギーゼラが太鼓判を押すように言ってくれた。

「そっか、ならいいや」

 ほぅ…っと安堵の息を吐くと、有利はギーゼラから渡されたリヒトをおそるおそる抱き上げた。
 リヒトの産声はとっても元気だったが、身を清めて貰って産着を着せられると、ちょっと人心地ついたように泣きやんできょとんとした顔をしている。

「リーヒト?パパだよ〜」

 ドキドキした顔をして有利が囁きかけると、コンラートは少々困惑した顔をする。
 おそらく、自分は何者だとリヒトに名乗るべきか考え込んでいるに違いない。

「ええと…パパですよ〜」

 一瞬考えたものの思いつかなかったのか、力一杯二番煎じである。
 
「二人ともパパだと混乱しないかな?」
「しょうがありませんねぇ…じゃあ、ママでいきます」
「いや…あんた明らかにママって風体じゃないだろ。リヒトが大きくなってもその呼び方定着してたらどうすんだよ。あ、そーだ!パパの呼び名はコンラッドに譲るよ」
「え、良いんですか?では…ユーリがママ?」

 有利は女体となってリヒトを生むことを決断はしたものの、自分が女の子みたいに扱われることには未だに抵抗を覚えるから、コンラートは正直なところこの申し出を意外に感じた。

「ううん、俺は父ちゃんって呼んで貰うの」
「……そう、ですか」

 別に構わない。
 構わないのだが…

『それは余計にリヒトの混乱を招くんじゃないだろうか?』

 コンラートはそう思ったが、敢えて口にはしなかった。
 今はそんな細かい話より、有利を休ませることの方が大切だし…

『まあ、ユーリにそっくりに育つんであれば、きっとそんな細かいことは気にしないおおらかな子になるだろう』

 親馬鹿思考は健在である。

「さあ、リヒトは俺が抱っこしておきますからユーリは身体を休めてください」
「でも…もーちょっと抱っこしときたいな。ほら…ぷにゅってして、やーらかくてちっちゃくて、凄く不思議…。こんなのが、俺の腹から生まれたんたぜ?」

 不思議な命の固まりを、抱いて実感していないとふわふわと綿雲のように消えていきそうとでも思っているのかも知れない。

「そうですか…では、あと少しだけですよ?」
「うん…」

 にっこりと微笑むと、ユーリはリヒトを抱き寄せてちいさな命の脈動を感じる。
 
 あのまま放っておけば、衰弱して崩壊を迎えただろう魂…。
 それが瓶の中から解放されたとたん、創主の手からも逃れて飛来して…有利の中に飛び込んできたのだ。

『産んで、良かった…』

 今こうして、手の中にある命を抱きしめているとより強くそれを感じることが出来た。
 そして…やさしく見守るコンラートの瞳を感じていれば、それはいっそう強いものになっていくのだった。

『リヒト…俺たちはパパでも父ちゃんでもどんな呼び方でもいいからさ、お前の《親》になるからね?そりゃ…初めてのことだし、失敗することもあるかも知れないけど…愛情だけはいっぱいあるからな?これからよろしく頼むぜ?』

 心を通じ合わせるように額をこつんと会わせると、偶然かも知れないが…リヒトは《ほにゃ…》と笑ったように見えたのだった。 


 《ここちらこそよろしく!》…とでも言っているみたいに。




おしまい






あとがき

 如何でしたでしょうか〜。
 消化不良感ばっちりな感じですが…実は出産前後のネタってあまり思いつけませんでした。
 どう書いても生々しくなってオチが付かなかったんですよ〜。

 なので、子どもネタは後のちょっと大きくなったからの話でしっかり描いていこうと思います。