虹越え5−7−3 「コンラッド…あんた今…凄く情けない顔してるだろ?」 「…っ!」 コンラートは息を呑んで有利を見つめた後、何かに気付いて息を吐いた。 「そうでした…あなたに目隠しをしても、俺の様子は伝わってしまうんでしたね…」 「そーだよ!」 有利は明るくそう言い、ぽて…とコンラートの胸に背を預けた。 「なぁ…コンラッド。俺の夢、聞いてくれる?」 「夢…ですか?」 「うん、俺は…眞魔国に帰って、第27代眞魔国魔王になる」 「ええ…そうですね」 《シブヤ・ユーリ》は…コンラートの仕えるべき、唯一人の王…。 その身に相応しい地位に、王は戻られるのだ。 それがどれほどコンラートの個人的な寂しさを引き起こそうとも…。 そう…ただ、寂しいだけなのだ。 遠く隔てられた愛しいこの人に会うために、命がけの旅をしてやってきたこの世界で、コンラートは想像することもでなかったほどの幸福に満たされた。 コンラートは、《渋谷有利》を手に入れたのだ。 だがそれは第27代眞魔国魔王たる彼を手に入れることと同義ではない。 彼が国に戻ればグウェンダルやギュンターは全力で支えてくれるだろうし、余程不測の事態が起こって政情が不安定にでもなっていない限り、《救国の王》の帰還に対しては頭の固い十貴族もそう目立った苦言は呈すまい。 だが…その《恋人》に対してはどうだろう? 確かにヴォルフラムは身を引き、彼との婚約関係は解消されただろう。だが、帰還した魔王がすぐにその兄と婚約、結婚というのはあまりにも外聞が悪くはないか? しかも…その兄というのは…… 『混血…なのだ』 こんな時ほどこの身を流れる血を恨めしく思うことはない。 決して父を疎んじているわけではないが、眞魔国においてどれ程の功績を挙げようとも、やはりこの差別意識は完全に払拭されることは出来なのだと…こんな時は痛切に思うのだ。 何より、自分と共にあることで有利が口さがない連中から何を言われるかと思うと…その事が狂おしいほどにコンラートを懊悩させる。 今更手放すことなど出来ない。 だが、表だって関係を誇らしく告げることは出来ない。 二人の関係は…宵闇の中でしか続けることは叶わないかも知れないのだ。 多くを望むこと自体が間違っている…とも思う。 そもそもが、望んではならない関係だったのだ。 それを望外な幸運によって手に入れたことで、自分は酷く欲張りになっているのだと思う。 コンラートの沈黙をどう思ったのだろうか。有利は静謐(しず)かに微笑むと、こう告げたのだった。 「…そして俺は、眞魔国最後の王になる」 「…っ!?」 瞬間…言われた意味が捉えきれなかった。 今、さらりと…何の気負いもなく語られたその言葉が何を意味するか…有利は本当に分かっているのだろうか? しかし…抱き込んだ身体を横から覗き込んでも、白い布地に覆われた(啼かせてしまったせいで幾らか塗れている…)目元からは、十分な情報を得ることは出来なかった。 「眞魔国でずっと王様を決めてたのは眞王だった…だけど、彼はもう力を失っているし、なによりやる気も失ってる。実際、四千年も長いこと眞王はこの国を護ってきたんだ。もう…眞魔国に住む人達自体が色んな事を決めて、やっていかなくちゃならない時代に入ってるんだと思う」 「民主主義を眞魔国で試行するということですか?しかしユーリ…それは…っ!」 「うん…貴族連中とかの反発も強いだろうな。いや…逆に、貴族連中が政権を握ろうとするかもしんない。ううん…今すぐにやったらそれこそ、そうにしかなんないよね?だって、今の政治や軍事、教育のトップクラスには貴族しかいないんだもん。それに、他の王政を敷いてる国々だって黙っちゃいない…この辺はさ、小池っちの世界史でよく言われるんだ」 《小池っち》とはその授業内容で絶大な人気を誇る世界史の教員で、ある事件の背景にあるもの、その変革が起こるべくして起こった原因は何なのか、その結果世界にどんな影響があったのか…などなどを膨大な資料の裏付けを元にダイナミックに展開していく事で定評があり、有利も珍しく良い成績を修めている教科だ。 「だから、凄く時間がかかると思う。まずはグウェンダルやギュンターなんかの協力してくれそうな人達に、何のために、どうしてそうしたいのか理解して貰う事から始まるよね。そんで、教育や軍事…とにかく国の舵取りに必要なジャンルで身分を問わず優秀な人材が育つように養成システムを変えていく必要があるよね?奨学金制度の充実とかさ。そんで何より大事なのが…眞魔国の人達自体が、自分から《この国を動かしていきたい》って思って貰えるようにしなくちゃいけないんだと思う。そうじゃないと、どんなに俺が焦って民主主義の形だけ取り入れても、上手くいかなくなったら《あーあ、やっぱり王政の方がいいじゃん》って言って元通りになると思うんだ」 「…そうでしょうね。舵取りというのは基本的に面倒くさくて大変な手間のかかることですから、絶対的な王が善政を敷いてくれるのならそれが一番楽ですからね」 「そうだよね。俺だって誰かがずっと完璧な政治をやっててくれるんなら安心して野球三昧の日々を過ごすよ?それはもう日がな一日!でもさ…それは誰だってそうなんだよ。みんながそう思ったりして、王様だけ好きにさせておいたら、王様が妙な気を起こした時には…誰も止められないんだよ?」 「そうですね…」 コンラートの中に蘇ってくるのは…死んでいった仲間達のことなのか、スザナ・ジュリアのことなのか…苦い想いが眉根を顰めさせる。 「民主主義にしたら絶対上手くいくなんて思ってるわけじゃない…。実際やってみる時には眞魔国近辺の世情に合わせて少し違う形態になるかもしんない。だけど、俺はやってみたい。眞魔国が差別のない…国民みんなで国を支えていって…支えているからにはみんな仲間なんだ!って普通に言えるような国になるように、やってみたいんだ…コンラッド」 「ユーリ…」 火照りの残る肢体はまだ艶めかしく力を失っているというのに、何故こんなにもこの人は…熱く夢を語れるのだろう。 コンラートが望み…けれど、叶うことはないと諦めてしまうその夢の先を、大きなキャンパスの上に鮮やかに描いてみせるのだろう。 「いつか…それが叶ったら、俺は唯の野球…うーん……中年か老人かになってると思うんだけど、それでも…王様じゃなくなっても、俺と一緒にいてくれマスカ?」 きゅるん…と愛らしく小首を傾げる有利は、中年になっても老人になっても可愛らしいのだろうと、コンラートは確信を込めて思う。 「勿論です…眞魔国の王でなくとも、あなたは俺の使えるべき方…そして、恋人でしょう?」 「恋人だけ?」 悪戯っぽく、有利が笑う。 その表情を余すところなく見つめたくて…コンラートは漸く有利の目元から白い布地をとり去った。 無粋な布の下から現れた双瞳は鮮やかな漆黒をなして…まっすぐにコンラートを見つめていた。 『ああ…ずっと、ずっと…その瞳で俺を見つめていてくれたんですね?』 胸が…熱くなる。 この人の想いは何処までもまっすぐで、どこまでも曇りがない。 唯一心に…ひとすじに…想う相手を見つめているのだ。 「俺の…コンラート・ウェラーの……妻になって下さいますか?」 「妻かー…」 「…………夫が良いですか?」 「うん、まぁ…その辺の呼称には拘んないことにしとこうよ。そーだなぁ…俺が高校卒業したら、眞魔国でささやかで良いんで結婚式やろうよ。身内だけ呼んでさ。国民のミナサンにはシンニチで報じて貰えばいいだろ?」 「ウェディングドレスは白が良いですか?黒が良いですか?」 「…………いや、だから……そこが嫌だから《妻》に抵抗があるんじゃん!?二人ともタキシードで良いじゃんよっ!」 「俺は、あなたがお好きな白い第一級軍装を着ましょうか?」 「はぅっ!あれ着てくれんの!?あー、それはなんか良いなっ!」 「俺が思うのもその感想と一緒ですよユーリ。折角一生に一度のことですから、艶姿を拝ませて頂けませんか?」 「晴れ姿だろ!?」 「良いじゃありませんか。どうせ身内だけ呼ぶんでしょう?お色直しをして、二人ともタキシードを着てるヤツだけシンニチに渡せばいいじゃないですか」 「うーん…うーん…………」 「有利は何を着ても可愛いですが、やはり一生に一度の姿となると…見ておかなくては生涯の悔いになりそうです。それでなくともあなたの小さい頃の超絶愛らしい姿を見損ねているのですから!」 「超絶愛らしいってあんた…」 「写真で見てあんなに可愛いんですから、生で見たらどんなにか可愛かったろうと…ああ…その分、生の花嫁さんをとっくりと見つめて幸せ気分を味わいたいな……」 これが先程まで《望んではいけない関係》を眞魔国の人々に知らせることが出来ないと落ち込んでいた男の言うことだろうか? 彼は確かに、幸せを味わえば何処までも欲張りになる気質のようであった。 「んん〜……」 「じゃあ、返事は卒業してからで良いですよ。それより…」 そろりと大腿を撫で上げる指先に、有利の悲鳴が上がる。 「ゃ…もぅ、無理だってっ!」 「身体に負担がかからないようにしますから…ね?」 甘く耳元で囁かれれば、びくりと若鮎のように跳ねる肢体は抵抗など考えられなくなってしまう。 「ん……ちょっとだけに……しようよっ」 「ええ…ちょっとだけ……」 その《ちょっとだけ》が何を基準としての《ちょっと》であったのか…。 それを知るものは宵闇と二人だけである。 |