虹越え5−6−1







 篠原の言葉に従い、水の膜を一時解除した有利は攻勢に転じた。

 しかし、エルンストに向かって行く有利の足下が不規則に盛り上がったかと思うと…太さ10pはあろうかという茨(いばら)が何十本と突きだして有利の行く手を阻んだ。

「う…わ……っ!」

 以前、コンラートとのピロートーク…というより、ロドリゲスの催眠学習機による妙なエロ話を思い出して、有利の背筋はぞくりと震えた。

 まさかとは思うが…これに手足を絡めとられた上に服を剥がされて全校生徒の前で羞恥プレイ…とかいう展開ではないだろうな……。

 エルンストにそんな知識と嗜好がないことを祈る(そもそも、捕獲されないように気をつけないといけないわけだが)。

「ユーリ!」
「坊ちゃん!」

 そんな有利の元に駆けつけたのはコンラートとヨザックであった。

 コンラートは凍鬼の力を存分にふるって茨を凍らせ、動きを鈍らせたところで次々に両断していくし、ヨザックの方も茨の隙間からエルンストを狙って、かなりの精度でナイフを撃ち込んでいく。エルンストはナイフをことごとく打ち返しはしたものの、この動作で術を出すのが遅れて次の展開を自分の思うように進めることが出来なくなった。

 そこへ、更に援軍が駆けつける。

「有利!」
「鋼さんっ!」

 風の中から躍り出てきたのは高柳鋼だった。

 大きな白狼の姿は無惨に焼かれ…所々地肌が露出しているところもあるのだが、鋼は有利に背中に乗るよう促すと茨を素早く飛び越えてエルンストへと向かっていった。

「鋼さん、あの先生の丁度真上に行くように飛んで!」
「おうよ!…て、しかし。あれが先生やってんのかい?世の末だねー。ぶるる…それにしてもコンラートの旦那にそっくりじゃあないか。やだねー…やっぱりあの顔はド変態の顔なんだな。有利、触手に捕まらないように気をつけろよ!エロいコトされるかも知れねぇぞ!?」
「……鋼さん、触手エロの知識あるんだ……」
「………ソコは追求するな」   

 緊張感のないやりとりを展開しながらも、鋼はやることはやってくれた。 

 丁度エルンストの真上に飛び上がると、真っ青な大空を背景とし…初夏の太陽を背にした有利はエルンストに向かって鋭い水柱を叩きつけた。

「く…っ!」

 目が眩んだのか、エルンストは水柱を跳ね返すことが出来ずに取り囲まれてしまった。

「今だ!コンラッド!!」
「はいっ!」

 心得たとばかりにコンラートが凍鬼の波動を放つと、過(あやま)たず冷気は水柱を氷結させ、エルンストを氷の檻に閉じこめてしまう。

「やった…」

 叫びかけた有利であったが…地面に着地した鋼ごと、その身体は新たな茨に絡め取られてしまう。鋼は蝶に焼かれた傷に茨の棘をこれでもかと言うほど食い込まされて地面に貼り付けられた。

 有利の方は両の手首を頭上で固定された上で空中高く釣り上げられ、左右の足首もそれぞれ茨の蔦に絡め取られて拘束されてしまう。

「ぎゃーっっ!!先生、触手はまずいです!!18禁になっちゃうからっ!!」
「……何が18金なんだね?この状況で貴金属の話かい?」

 氷柱に取り囲まれる瞬間に火の蝶を使ったのだろう。全身濡れ鼠になったエルンストが苦笑している。

「あー、良かった…先生そういう趣味まではないんだ…て、そーじゃないーっ!これ外してーっ!!」

 じたじたと暴れるが当然拘束は解けず、茨の棘が体重の乗る手首に食い込んで血を流し始めた。

 それに…こんな状況では本っ当ーにそれどころではないとは思うのだが…正直、剥き出しのつるつる腋窩が恥ずかしくてしょうがない。

「面白い子だね、渋谷君は…この状況で離してあげる馬鹿がいると思うかい?」
「……いません…ね」  

 ごもっともな指摘に有利は冷や汗を垂らした。

 ポジティブになればそれだけで勝てるほど、戦いは甘くはなかったと言うことか。

『いやいや…なんか方法があるはず……』

 何とかとどめを刺されるのを食い止めて、周囲の様子を落ち着いて見ていればヒントは必ずある筈…。
 ふと…有利は目に留まったものにヒントを得て、エルンストに話しかけた。

「先…せぇ…」

 語尾を甘えたような鼻声にして…しなやかな身をくねらせ、潤んだ黒瞳でじぃ…とエルンストを見やる。足首の拘束は比較的緩いのを感じると、ゆっくりと膝を寄せて…エルンストからスカートの中が見えるか見えないかというところで止めてみせる。

 ぴくり…と、エルンストの眉が動いたのが分かった。

「これ…痛いよ。先生…どうして、俺にこんなコトするの?」

 泣きそうな声で(我ながら気持ち悪いと有利は思うのだが)、出来るだけ可愛らしく聞こえるように呟いてみせる。

「…君の………王としての資質を………」

 なんだか尤もらしいようなことを言っているが、エルンストの瞳はえらく正直に…チラチラと眼前に晒される有利のすべらかな白い腿に釘付けになっていた。

 この男…たまたま触手ネタは知らないようだが、そもそもの根本はかなりのエロ男と見た。何しろ、朧月と年中肉体的に触れあいたいがために無茶をした男だ。

 ただ、有利のお色気作戦が何処まで通用するかは不分明だったのだが……。

『ひ…引っかかってる…………』

 それも見事に。
 引っかけようとしている有利自身が衝撃を覚えるほどに!

『……やっぱ、あの顔って……実はエロ仕様なのかな……』

 エルンストはすっかり有利の艶姿(?)を見るのに夢中になり、周囲への注意力が損なわれていた。相手を空中に絡め取ったことで絶対的な優位に立っていると信じ込んでいるせいもあるだろうが。

 どっこい、こちらは一人ではない。

 エルンストの背後では、気づかれないようにこっそりと…コンラートとヨザックとが茨を乗り越えて接近しつつあるのだ。  

 ただ…二人の目もついでに有利に引き寄せられているのが少々気がかりではあるが…。

『コンラッド…ヨザック……あんたらまで引っかかるなよ………』

 ちょっと心の中で涙してしまう。
 色仕掛けを覚えてしまった自分が言うのも何だが………情けない。

「あ…痛っ!」

 びくりと震えて膝を離せば、隠されていたスカート下のスパッツが露わになる。
 ぐぐ…と目に見えて前のめりになっている大人の人達に、一言もの申したい有利であった。

『……さっきの応援で思いっきりカンカンダンスやってたのに、何故いまこのスパッツにソコまで反応する?』

 隠されているとそれだけエロっぽく見えるというのは心理面の問題なのだろうか。

「…っ何!?」

 エルンストが手首に強い衝撃を受けて振り返ったときには…既に剣はヨザックの手中に収まっていた。

「やーい、まぬけーっ!」

 分かり易すぎる罵倒も、今のエルンストにとっては反論の良さのない現状を示したものであり…だからこそ尚一層怒りが込み上げてくる。

「おのれ…っ!」

 今や本来持っている《土》の要素だけが頼みだが、それだけでもこの男はかなりの力を持っているらしい。

 勢いよく手を一閃させたかと思うと、土塊が次々と大きな傀儡人形(ゴーレム)になりコンラートとヨザックに襲いかかった。

「コンラッド!ヨザック!」
「やられるかってのっ!」

 叫ぶ有利に余裕の笑みを返しつつ、ヨザックとコンラートは剣を鞘走らせてゴーレムを叩き伏せる。そして、コンラートはあまり迅速には動けないゴーレムの隙間をひょいひょいとすり抜けて行くと、茨に捕らえられていた有利を救い出すことに成功した。

「茨に閉じこめられてしまうなんて…スリーピング・ビューティーのようですね」
「阿呆な事いってないで…」

 言いかけた有利のもとに、大きな力の塊が押し寄せてくる。

「く…っ!」

 咄嗟にコンラートを背後に庇い、有利は持てる力…《水》と《風》をコントロールして《土》の波動と拮抗させた。

「蝶々のみんな…うちの陛下を手伝ってあげて下さいよっ!」

 《火》の剣にヨザックが呼びかければ、不本意なエルンストの束縛から自由の身になった蝶達が嬉々として有利の元に駆けつける。

「い…けーっっ!」

 もはや勝敗は決した。

 3つの要素の集中砲火を浴びてエルンストの力はその本体ごと吹き飛び、大地に叩きつけられると…不意にその身体の輪郭がおぼろげになっていった。

「え…?」

 まだ乱れたままの息で喘ぐように有利が呟くと、傍に村田が駆け寄ってきた。

「今だ、渋谷!《土》の要素を取り込むんだ!」
「え…て、どうやって!?」
「今、あの男は力を弾かれて存在自体が朧になりかけてる。人型をとるだけの集約力が無くなってるのさ。だから今の内に傍に行って、君の3つの要素を集中させれば自ずと《土》の要素は君に擦りついてくる。濃度勾配に従う液体のようにね」
「それじゃあ…先生はどうなんの?」
「君にとられちゃうわけだから、力を失うだろうね。意識体として存続出来るかどうかも怪しいが…良いじゃないか。君が受けた被害を考えればそのくらいのことは当然だろう?」

 村田は《考えるまでもない》とでも言いたげに、眼鏡をくい…と引き上げる。

「で…き、ないよ……」
「じゃあどうする気だい?助けるとでもいうのかい?あの男は既に一度君に手を掛けようとして失敗し、君に容赦されたにもかかわらずもう一度手出しをしてきたんだよ?ああいう男は何度でも裏切るんだ!君のお人好しが通じるような相手じゃない…根性がドドメ色なんだよ?」
「根性が佃煮色でも柴漬け色でも…俺、やっぱり出来ない…っ!あの先生を…《自分》として存在出来なくなる状態にするなんて出来ないよ!」

 だ…っと駆け出した有利はエルンストの傍に跪くと、もはや背景に溶け込みかけている手を取り…彼の精神の在処を探索した。

『奥の方に…潜っちゃってる……。本当に自我を保てなくなってるんだ……!』

「止めろ渋谷!ウェラー卿、君も止めるんだ!この馬鹿……あの男の精神を捕まえに行くつもりだっ!向こうがそれを拒否すればまだ良いが、一蓮托生を狙って絡みつかれたりしたら戻って来れなくなるぞ!?」

 村田の声が随分と遠くで響いているように感じる。

「何をしてる!?」

 らしくもない激高ぶりに、村田がどれほどこの状況を危険視しているかが分かる…が、コンラートは有利の傍に跪くと、そぅ…と彼の手に自分のそれを重ね、祈るように瞑目した。

「俺にも…この男は信じられません。ですが、有利は信じると言った。俺は…その言葉を信じます」
「……くそぉ……っ!この、バカップルがっ!!」

 そんな遣り取りを最後に、有利は外界の実在世界で起こっている音から引き離されてしまった。



*  *  *




『どこ…ここ?』
 

 ぼんやりとした世界に、色々な風景と場面とがほわりほわりと海月(クラゲ)のように漂っている。

 場面に出てくる人々や時代背景は様々であったが、殆どが白人…それも、中世のヨーロッパ風の服装の人々だった。

 その中でも特に映像として多く現れている人物に注意を向けると、ふぅ…とその映像が有利を取り巻き、少し薄ぼんやりとした立体映像として動き始めた。

「エルンスト…俺はこの国を変えられると思うか?」
   
『意味が…分かる?』

 何やら不思議な感じだ。

 映像の登場人物が口にしている言葉は、耳にはいると硬い発音の耳慣れないフレーズなのだが、その意味は脳で処理されて取り込まれていく。


 幼さをまだ面に残した金髪の青年が、石造りのベランダから夜空に向かって語りかけている。するとその後背から声がした。

 落ち着いた響きの良い声は…有利がよく知るものであった。

「勿論です、オーギュスト様。あなたのほかに誰がこの国を是することが出来ましょうか」


 振り返っても姿が見えない…けれど声はする。
 ふと、有利はこれがエルンストから見た過去の光景なのだと悟った。

『だから意味が分かるのかな?先生の記憶の中の話なんだ…』

 エルンストの声は誇らしげに…そして愛おしげに響く。

 腹蔵に隠したものなど何もない、赤裸々な強い思いだけが伝わってくるその声は、本当の意味でコンラートと近いように感じられた。

『先生…この人が凄く大切で、尊敬してる人なんだ…』

 どうやら彼らがいたのは東欧辺りの国であったらしい。

 小さな国同士が国盗り合戦をやっているような時代の、そのまた小さな国内で行われていた勢力争い…その中で、エルンストは幼い頃から教育指南などをしてきた第8王子…とても英明であったらしい…に入れ込み、王位継承権からいえばとてものこと次代の王にはなり得ないような地位の彼に王位を授けるべく、ありとあらゆる策謀を行ったらしい。

 これがまた…とても褒められるような行状ではない。
 人を騙し、策謀で貶め、時には死なせたりもしていた。
 けれどエルンストは嬉々としてその作業に熱中し、至極素直にオーギュストなる人物を王にすべく活動していた。

「王よ…我が王よ」

 即位する前から二人きりの時には慕わしげにそう呼び、彼に使えることの出来た幸福を噛みしめているようだった。

 だが…場面が急に暗転した。

 エルンストの視点が異常に低くなり、オーギュストを見上げている。どうやら何人かの衛兵に、力づくで取り押さえられているらしい。

 オーギュストは秀麗な容貌と壮健な体躯をもつ青年に成長していたが、その面は不快げに引きつり、蔑むような眼差しでエルンストを見ていた。

「何故…何故です陛下!何故この私を裏切り者などと…っ!」
「カンギュス卿が言っていたのだ。お前が俺を陥れ、弟の誰かを即位させようとしているとな」
「そんな…っ!そのような曖昧な情報でこの私を処断なさると仰るのですか!?誰よりも忠実にあなたにお仕えした私を!?」
「忠実…?お前が忠義の男だと言いたいのか?俺のためとは言いながらも、お前のやり口は貴族間でも評判だったぞ。人を陥れるためにはどんな手でも使う奸計の男だと…な」
「それは全て陛下の恩為を思って…っ!」

 それは、真実の想いだった。
 どんなに汚い手を使っても。
 どんなに人を陥れても。

 エルンストはこのオーギュストだけは裏切るつもりなど無かったのだ。
 それが…エルンスト自身の思いだからこそなのか、切々と有利の胸に響いてきた。

 首を斬り落とされる直前にエルンストは《土》の要素を使ってその場を逃れ…そして、その後はオーギュストの行う政(まつりごと)を見守っていた。

 オーギュストはエルンストが信じたとおり、民衆に対しては良き王であったようだ。
 平民からも才ある者は登用し、国庫を開いて農地を開墾し、橋や水路を整備していった…。
 だが、彼は完璧主義であり、とにかくまず自分の才能というものを一番だと認識していたらしい。

 全てを自分でやりたがり、その裁量に従わない者は事の優劣を問わず処断していった。
 その結果、彼は臣下に反乱を起こされ…暗殺され、后と王子も全て斬首の憂き目を見るはずだった。

 しかし…エルンストはその中から最も小さな王子…オーギュストによく似た面差しの男の子を救い出すと、手ずから教育を施し、再び彼を王位につけるべく尽力した。

 だが、この王子もまた王位を手に入れた途端、エルンストを処分しようとした。
 エルンストは再び逃げると…そのまま何十年も…何百年も人と関わらないまま彷徨った。

 そして日本に渡ってきた折りに朧月と出会い…愛し合い…その心を癒やしてくれる存在に甘え…もたれかかり……そして、死なせてしまった。

「何がいけなかったのだろう……」

 はっとして有利が振り返ると、エルンストが茫洋とした眼差しで多くの記憶映像を眺めていた。
 どうやら、微かに残るエルンストの意識体であるらしい。

「俺は…彼らに尽くした……彼らには、そうするだけの価値があると思ったのだ。王として、誰よりも輝かしい治世を成すだろう…その助力となることが私の誉れだと……」
「先生…」
「だが、彼らは二人とも私を裏切り者呼ばわりして切り捨てようとした」

 エルンストの意識体が、ぐにゃりと歪んだように感じた。

「俺は…間違っていたのか?」
「先生、ずっと昔のことだろう…?先生は、あの人達と暮らしてたのより、ずっと長い時間を生きているんだろう?」
「そうだ…何百年…何千年と生きてきた……だが、たったの数十年程度の彼らとの日々が…今でも私の存在意義を歪めさせる」
「そんだけ…好きだったんだね」
「好き…?彼らを…私は、愛していたというのか?」

 ぐにゃ…どろ……

 輪郭がますます歪み…じわりと有利の足下にとろけてくる。
 有利は生理的な嫌悪感に背筋を震わせたが、踝に絡みついてくる《エルンストだったもの》を振り払おうとはしなかった。

「どういう好きだったのかは分からないけど…朧月さんに対する気持ちとはまた違った意味で、先生はあの人達が好きだったんだと思う。あのね…コンラッドが言ってたことがあるんだ…。俺を《恋人》として愛しているけど、それとはまた別のベクトルで《王》としてケイアイしてるんだ…って。先生は《仕えるべき人》として、あの人達をケイアイしてたんだよね。確かに酷い仕打ちを受けたんだと思うけど…それで仕えてた時の気持ちまで《間違い》にしちゃったら、それこそ先生は立つ瀬がないよね。分かってもらえなくても、先生が、あの人達を王様として支えていこうって思ってた気持ちは本物だろ?俺は…分かるよ」
「分かる…分かる、だと……?」

 ドロドロが有利を取り巻き、首筋にまで絡みついて蛇のように締め付けてくる。

「お前に何が分かる?お前のような者に、王の何が分かる。仕える者の想いが分かる?」
「分かるよ。俺は…王様だもん」
「王と呼ばれただけでは…その位についただけでは王とは認めない。現に、私が王位につけてやった連中はどうだ?確かに善政は敷いたかも知れないが、あれほど尽くした私にした仕打ちはどうだ!?」
「じゃあ先生、見届けてよ」
「……なに?」
「俺が、先生にとって本当に王と呼べる存在になれるかどうか…見届けてよ。俺は自他共に認めるへなちょこ王で、治世能力とか権謀術策とか難しいことは分かんないし、どういうのが凄い王様なのかも分かんないけど…でも、民にとっても仕えてくれる人達にとっても、良い王でありたいと思う。今は…その国にさえ戻ることが出来ない有様だけどさ。なぁ…先生、こんな寂しいところで思い出に浸ってるより、俺の将来に掛けてみなよ」

『意外とお買い得かもしんないよ?』

 悪戯っぽく舌を出して肩を竦めると、絡みついていたドロドロがしゅるりと解け…エルンストの姿が幾らか朧気ながらもその形を取り戻した。

「そうだ…私は……君を試したかった。『王』と呼ばれる君が、どれ程の存在なのか知りたかった…。そして同時に、問いたかったのかも知れない……。王たる君に…私の想いを……蔑ろにされ、踏みつけにされた想いを伝えたかった…」
「…俺は、先生に起こったことをどうこう言うことは出来ないよ。先生があの時代に周りにやったことだって随分と酷いことだったし、されたことだって酷いことだと思う。それが正しいとか間違ってるとかいう事は出来ない。だけど…少なくとも俺はああいう形じゃない国を作りたい。綺麗事だって言われるかも知れないけど、先生も…他の臣下の人達にもにあんな酷いコトして欲しくないし、俺は…絶対に先生達を裏切りたくない」

 漆黒の眼差しが力強く前を見据え、露出度満点なチア服に包まれながらも…その姿は気高く、威風堂々たる迫力を備えていた。

『王だ…この子は……王なのだ』

 今までエルンストが見てきた王達とは全く違うのに、何故かそう確信した。

 言っていることは本人も言うとおりの綺麗事で、極めて裏付けのない希望に過ぎないというのに…何故だろう?彼ならばそれを貫くだろうという確信が持てる。

 世界の中でその想いを遂げるには並々ならぬ苦労があろうし、十中八九成功しない可能性の方が高いだろうに…彼は、少なくとも彼自身は何時までも変わらずにその夢を追いかけるのだろうという気がした。

 何時までも、何処までも…野放図な夢を描いて、駆けていく…。
 虹の向こうにあるものを一心に目指して…駆けていくのだろう。

『ああ…そうか……だからあの男達はこの子に賭けてみようと思うのだ』

 成功の確率計算など放り出して尽くしたくなる…強烈な誘因力。
 それこそが、この少年の持つ『王』としての力なのだ。

 そしてもう一つ持っているのが、この少年ならば決して自分を裏切らないだろうという確信だろう。
 どんなに事情が変わっても、この少年は一度信じた者を頑ななまでに…周りから見れば愚かしいと思われるほどに信じ抜くのだろう。

 だから…エルンストはこの少年に惹かれたのかも知れない。

 以前仕えた王以上の誘因力を持ち、それ以上に《信頼》という得難いものをくれるかも知れないこの少年に、絡み、試し…手に入れようと画策した。
 だが、この少年は…渋谷有利は…エルンストを大きく越える器でもってその試練を全て突破して見せた上で、手をさしのべてくれるのだ。

 胸が…熱い……。

 もう忘れかけていたような情熱が、身体の奥津方から込み上げてくるのが分かった。

『お仕えしたい…』
『私の持てる力の全てをかけて、この方にお仕えしたい……』

 その思いがわき上がってくると同時に…ふぅ……っと視界が晴れた。






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