虹越え5−5−2 「お、次は紅組男子の応援だぜ?」 駆け足で女子が退場門に向かうと、入場門からは艶やか(?)なピンクのセーラー服を着込んだ男子生徒がばらつきのある足並みで駆け込んでくる。 白組に比べると平均的に可愛らしい容貌の生徒が揃っているのだが、いかんせん…羞恥心をぬぐいきれないせいか動きが悪く、声にも張りがない。観客の方も入場時こそ《わーっ!》と盛り上がったものの、後はくすくす笑いが響くだけで大きな驚きは見られない演技となった。 踊りの方も一人元気にリーディングをしているヨザックの動きで、《ああ、こういう踊りなんだ》と分かる程度の代物である。 「ふぅん…まぁ、こんなもんだよな」 観客席で鼻で笑っているのは大久保…有利に応援団員を代わってもらった青嵐の生徒である。 「色モノってすぐ飽きちゃうよな。だいたい女子が合同なんだからさ、男子もいっぺんにすましちゃえばいいのに、なんでわざわざ分けるかね?」 同じく青嵐の生徒が2、3人よりあって醒めた笑いを頬に浮かべていた。 青嵐の体育祭にしてみたところでそれほど工夫を凝らした演目があったわけではないのだが、今はとにかくこの高校に対する悪感情が先に立ってしまって、見るもの全てが陳腐に見えてしまうようだ。 「次は白組かぁ…、大久保の代わりに立候補してくれた女装好きの奴が出るんだろ?応援してやれよ」 くっくっと喉奥で嘲笑するように笑う友人に、大久保はほんの一瞬…奇妙な表情を浮かべた。 「ん?どーしたよ大久保」 「や…なんでもねぇよ……」 「ふぅん?それにしてもさぁ、こんな行事サボっちまえばよかったのに、なんで来ようなんて言ったんだよー。俺らまで誘ってさぁ…」 「…別に良いだろ?お前らだってそれなりに楽しんでたじゃねぇか」 「そりゃあ、結構可愛めの女子との二人三脚は美味しかったけどさ」 ぶつぶつとまだ何か言っている友人の言葉を遠くに感じながら、大久保は昨日の夕方のことを思い出していた。 昨日まで、大久保も体育祭にわざわざ出てくる気などなかった。 それよりも、家か図書館で単語の一つも覚えている方が有益だと思っていたのだ。 だが、そんな彼を呼び止めた少年がいた。 勿論…と言うべきだろうか、お節介で…自分から応援団員なんて買って出てくれた、渋谷有利だった。 『よぉ!明日の体育祭、楽しもうなっ!』 そういう彼の笑顔が不思議なほど鮮やかで…きらきらと輝くように眩しく感じたものだから、皮肉屋の大久保ともあろうものが、ついうっかり… 『お…おう……』 などと、肯定的な発言を返してしまったのだった。 あまつさえ、一緒にさぼろうと言ってくる友人達まで尤もらしい理由をつけて体育祭に誘ってしまった。 『どうなってんだよ、俺……』 ぐにゅりと頬が変な形に歪むのを感じていると、紅組男子が逃げるように退場門へと向かい、代わりに白組男子が一斉に入ってくるかと思っていたのだが…一人グランドに残っていたヨザックが身を屈ませ膝をつくと、凄まじい速度で駆けてきた二人の少年が… …飛んだ! 「おおっ!?」 思わず場内から歓声が上がる。 なんと、ヨザックの肩を踏み台にした有利と、もう一人の体操部の男子とが綺麗に線対称となる動きで高く宙にジャンプすると(その動きに合わせて、絶妙なタイミングでヨザックが立ち上がったのも功を奏している)、そのまま見事な空中3回転を決めて見せたのである。 「うわぁぁっ!凄げぇ!」 「よくやる…っ!」 これには競技特性をよく知る体操部の生徒が真っ先に感嘆した。 幾ら体操部員とはいえ(有利に至っては部員ですらない)、マットのない硬いグランドの上で複数回の宙返りを行うことがどれほど勇気がいるか知れない。しかも、マット上でやったにしても見事といえるほどそのジャンプは高く、回転は綺麗な円を描いていた。ここまで精度を高めるには相当な練習が必要だったはずだ。 しかし、彼らの驚きはこれだけにとどまらなかった。 軽快なリズムに乗って他のチアリーダー達も入場してきたのだが、これまた側転ととんぼ返りを絡めたアクロバティックな動きを見せていたのである。 白組は筋肉質な生徒が多く、ただそこに立っていただけなら色物でしかないメンバーが揃っているのだが、実はその筋肉量に見合った運動神経の持ち主ばかりが集まっていたのである。 「せいっ!」 野太い号令がかかると、今度は観客席にむかって先端を向ける円錐状の立ち位置となり、手に持っていた金色のボンボンをリズミカルに動かしてダンスが始まる。これがまた動きが完璧で勢いが良いものだから、ついつい見ている生徒達までつられて踊り出してしまう。 「ッヘイ!ッヘイ!ッヘイ!ッヘイ!」 「ッゴー!ッゴー!ッゴー!ッゴー!」 円錐の先端に有利が出てきて観客席に誘いかけると、ますます生徒達は盛り上がって肩を揺らし、膝でリズムをとり、腕を突き上げては歓声を上げた。 踊りの方も実に工夫されたもので、先程の入場で見せたダイナミックな動きから一転してコミカルな仕草も交え、高く脚を上げ下げするカンカン踊りを披露したかと思うと、くるりと観客席に尻を向け、クイックイッとボンボンごと振ってみせたりする。 「きゃはは!良い動き!キレが良いわぁ!!」 「黒瀬ー!お前、援団にいるときよりも生き生きしてんぞーっ!」 「渋谷くーん!可愛いーっっ!」 冷やかしの声も、馬鹿にしたようなものより素直に腹の底から込み上げる笑いが感じられる。 さて、その一方で一人だけ眉根を寄せ、気遣わしげに見守っている人物もいた。 『ああ…ユーリ!そんな扇情的に可愛らしく尻を振ったりしたら、《むしゃぶりつきたい》などという欲望に駆られる獣がいるに違いありませんよ!?その前の脚上げにしたって、いくら下にスパッツを穿いているとはいえ、ぎりぎりまで白く柔らかな太股を危険な連中に見せつけるなんて…っ!』 とりあえず、今ここにいるコンラート自身が《欲望に駆られる》《危険な》獣であることは間違いない。 コンラートの心配をよそに、ユーリはくるりと身を翻すと、微かにはにかみながら唇に2本の指を添え、しなやかな動きで観客席に向かって投げキッスを飛ばすと、実に愛らしい表情でウインクを決めて見せた。 これにはコンラートだけでなく、相当量の男子があり得ない衝撃に胸を震わせてしまった。 『ヤバイ…俺、マジでヤバイ……っ!』 『何であいつあんなに可愛いんだよ!?うわぁぁぁっ!俺はストレートだ……ストレートなんだよぉぉぉっ!』 そんな観客席の動揺など知るよしもなく、いよいよ演技は佳境に差し掛かる。 アメフトのスクラムのような勢いで《ガッ!ガッ!》と音を立てて土台の生徒が腕と肩を組み合うと、その上に3人の生徒が駆け上がり、また土台を組む。そしてまたその上に2人の生徒が駆け上がり…その山に背中を預けるようにして、きゅ…と胸の前で腕を組んだ有利が少年達に引き上げられていく。 これがまた…恰幅のよい少年達の汗ばんだ太い腕に捕まれ、いかにも華奢な体躯の有利が引き上げられていくものだから…見ている者…ことにコンラートなどは脳血管が切れそうな勢いで不安を感じてしまう。 『ああーっ!あんなに強引に掴んだりしたらユーリの肩が外れるじゃないか!俺ならもっとソフトに、ユーリに掴まれているという感じさえ味合わせず宙に舞わすものをっ!』 しかし、この演技に参加するためにはチア女装が必須なのである。 …そういった方面への羞恥心を持ち合わせていない友人が、こんなにも羨ましいと思ったのは初めてである。 コンラートの心の動揺や葛藤をよそに、有利は最段上に送り込まれると脚を踏ん張り…両手に持ったボンボンを高々と上げて観客席にアピールした。 そして見守る人々の中にコンラートの姿もあるのを確認すると、ふわりと華が綻ぶように柔らかな笑顔を浮かべたのだった。 『………っっっ!』 この笑顔に撃沈された生徒の実数を把握することは難しいであろう。 おそらく…男女を問わず、殆どの者が(教員も含めて)頬を染めていたのは間違いない。 そしてくるりと有利が身を翻し…段の前の空間に後ろ向きに身を投げると、そういう演技なのだと分かっていても観客席から悲鳴が上がる。万が一にも有利が地面に叩きつけられて怪我でもしようものなら、耐えられないような気持ちになっていたのである。 間違いなくそんな気持ちで凝り固まっているコンラートなど、絶叫の形で口を強張らせていた。実際に声が出なかったのは恥ずかしかったからではなく…怖すぎたからである。 しかし、その想いは台になっている生徒達にしても同様であった。 スタンツと呼ばれるこの演技を組み込んだとき…有利が何度か地面に叩きつけられ青痣を作ったものだから、会澤や黒瀬などは強く反対したものだった。 しかし、当の有利自身が強くこの技を推奨したのである。 『やっぱこれって目玉になると思うんだよ。しっかり練習したら絶対出来るから!なぁ…お願い…っ!』 唇を引き結び、潤んだ瞳で上目遣いにお願いされて耐えられるようなら、彼らはこんな人生行路を歩んだりはしていないのである…。結局押し切られる形でスタンツを認めたものの、その分、自分たちの動きにどれだけの責任がかかっているかは重々承知していた。 『絶対に…これ以上渋谷に怪我なんかさせねぇ!』 『有利は俺が守る!』 各自勝手な理由ではあるが意欲を燃やし、見事受け止めてみせると… おおーっ!! 怒号のような勢いで歓声が沸き上がった。 「凄ぇ!」 「体育祭の色物応援とは思えないような出来だぜ!」 「良かったぞーっ!」 割れんばかりの拍手と歓声に包まれながら、有利は観客席の中で憮然としながらも…ぱちぱちと手を叩いている大久保の姿を発見して、ふわ…と微笑んだのだった。 白組応援団は2校の生徒達からの惜しみない拍手を浴びながら、元気よく走って退場していった。 * * * 「さて…次は私たちだね、ウェラー君」 背後から声を掛けられ、コンラートは眉の端を微かに上げた。 エルンスト・フォーゲル…腹立たしいほど自分と似通った容貌の男が一体何を企んでいるのか…今は判別することは難しい。 ただ、後れをとることだけはないように、コンラートは己の精神をきりりと引き締めた。 ザッ…… 二人の男がグランドに脚を踏み入れると、ほぅ…とため息のような声が漏れる。 ここまでの三部で展開された陽気な応援合戦とは、明らかに異なる雰囲気…それも、どこか緊張感さえ孕んだ気配に、大気が震えるようであった。 折しも強く吹き始めた疾風が長い学ランの裾と、互いの頭部に巻かれた鉢巻きとを靡かせていく。 「ウェラー君…」 「…なにか?」 グランドの真ん中で2メートル程度の距離を隔てて対峙する男達の声は、小さな囁きであればとても観客席に伝わるようなものではない。 「君にとって、王とはどういう存在だい?」 「唐突な質問だな」 それも、このような場で問われるようなものとは思えない。 「《渋谷有利》は君の王なのだろう?何故彼に従おうと思ったか聞いてみたいんだよ」 エルンストはその質問を引っ込めるつもりはないらしく、重ねて問うてきた。 「単純なところでは、既に主従関係が決められていたというところだろうが…君は一度、渋谷君よりも更に上位の存在に命令されて彼の元を出奔しているのだろう?何故、その命令に従った?そして何故、命令に逆らってまで彼の元に帰ろうとした?」 先だっての戦いで記憶を読んだのだろう。 事実は事実として知っているようだが、それにまつわる細かな感情までは読み切れていないらしい。 「……答える義務はないと思うが?」 「彼の、王としての力量を説明することが出来ないかね?」 エルンストの持つ艶(あで)やかな鞘から、すらりと白刃が抜かれると…明らかに何らかの《霊力》を湛えているとおぼしき刀身が淡く燐光を放った。 コンラートもまた剣を抜くと、こちらも凍気を纏う刃先がぎらりと陽光をはねる。 「説明するまでもない。彼は…ユーリは、俺の考え得る最高の王だ」 「最高の王…か……」 何故か苦いものでも噛んだかのように表情を歪めると、エルンストは《くっ…》と喉奥で嘲笑ってみせた。 「最高の王とは、なんなのだろうな……」 眼差しはどこか遠くをのぞむようで…コンラートは何故かその表情に見覚えを感じていた。 酷く懐かしいのだが…マイナス方向の記憶を刺激されるようなその表情がいつ見たものだったのかは判別としなかった。 それを思い出す間もなく…斬戟が向かってきたからである。 ギィンっ……! 「え……?」 「うわ…何だよあれ……ああいう効果なわけ?」 観客席で見守る人々が息を呑む。 無理もない…コンラートとエルンストの斬戟が組み合わされ、衝撃が弾けた瞬間に蒼と紅のオーラのような色彩が人々の目に明らかになったばかりか、どう…っと大気を揺るがす波動までが伝わってきたのである。 「…!」 コンラートは眉を顰めて剣を払うと、鋭い突きを繰り返した。しかしその姿勢はどこか消極的で、先程の力比べのような組合いから考えると意外なように見える。 その一方でエルンストの方には欠片程の遠慮も見受けられず、寧ろ積極的に剣と剣が波動をぶつけ合うことを望んでいるような斬戟を見せる。 「なんのつもりだ…。こんな場所で魔剣同士が力をぶつけ合えば、波及効果が観客席にまで及ぶぞ!?」 かといってコンラートが剣を納めれば、エルンストは更に遠慮容赦なく斬りかかってくるだろう。何処で身につけたものやら、エルンストの技量はコンラートが易々と打ち倒すには困難な程度のものであったし、手に持つ魔剣は凍鬼に匹敵する霊力…それも、丁度拮抗するような《火》の力をもつもののようだ。 「それこそが狙いさ。渋谷君の大切な君…そして学校の生徒達が危険に晒されたとき、彼がどういう行動がとるのか実に興味があるのさ」 「何…っ!?」 剣は否応なしにぶつかってくると、コンラートは凍鬼に命じて冷気を弱めた…が、力の拮抗が崩れると波動に押されて刀身が弾かれそうになる。所持者が卓越した技量を持つコンラートでなければ、剣は砕けていたに違いない。 「猊下…まずくないですかい?あの変態センセイの剣…相当な魔剣ですよ。隊長が後れをとるとは思えないですが、ありゃあ…結構な勢いで周囲に波及効果が行きますぜ?」 ヨザックは魔力と法力の応酬による凄惨な戦いというものを見たことがある。 辺りにあるもの全てを…敵も味方も…ただそこに居合わせただけの一般民衆も見境なく薙払い、飲み込む力というものが、どれほど罪深く悲惨な戦場を作り出すか…。 それを、有利が愛してやまないこの高校で展開しようというのだろうか? 「ああ…分かってる。渋谷!」 「な、何!?」 はらはらと事の成り行きを見守っていた有利は、突然強い口調で呼びかけられて声を裏返していた。 「3つの要素をいつでも使えるように召還するんだ」 「え?」 「早く!」 「あ、ああ…」 強い口調で促され、有利が額に意識を集中させると…要素達が嬉々として集まってきた。 『我の力が必要か?久しぶりの呼び出しじゃの…有利』 『来たぜ…何か仕事かい?』 『我らの力…存分にお使い下さい』 ちゃんと場面に合わせて人としての姿はとらず、淡い色彩の波動としてくるりと有利の周りを旋回する3つの要素。 「いざとなったら力をふるい、あの先生を倒すんだ」 「そんな…でも、みんなの前で力なんか使ったら…」 物陰になっているいまの場所から一撃で仕留めることが出来れば別だが、何回かに渡って力を使うとなれば周囲に丸わかりだろう。 「そうならないためには…あの先生を抹殺しておくべきだったね」 「そんなの出来ないよ!」 「そうだね、君にはそういうことは出来ない。だが…あの先生が一体何を考えているか正確なところは分からないが…今の状況から察するに、彼は生徒達に被害が出ることを分かっていてあの戦いを展開しているよ?」 「…っ!」 「さあ…決断するんだ渋谷有利」 「だって…村田だって、俺が力使うのに反対してたじゃないか!」 「以前は《土》の要素が手にはいるという保証がなかったからさ。だが、今は状況が違う。あの先生を倒し服従させれば、君は眞魔国に帰るだけの力を持つことが出来る…この世界に留まっている必要はなくなるんだ。魔女狩りみたいな目に遭いそうになっても、地球に帰ってこなければいい話だからね」 「そんな…」 「決めるのは君だ…強制はしない。君に、この学校の生徒や青嵐の連中を見捨てることが出来るのならね」 「…っ!」 『出来るはずがないだろう?』 暗にそう臭わせる言い回しに、有利は唇を噛んだ。 村田には分かっている。 ひょっとしたら…エルンストもまた同じ事を考えているのではないか。 『俺の性格を見越して…俺を、試してる?』 いったい何のために? 「うわぁぁっ!」 観客席から上がった悲鳴にはっと我に返ると、1年生とおぼしき小柄な少年が一人、頬を押さえて蹲っていた。頬からは血が流れ…エルンストの持つ剣の波動が流れ弾のように彼を傷つけたのだと知れる。 「あの野郎…隊長が幾らか中和はしましたが、はなっから観客席めがけて剣の力をぶつけて来やがった!」 見ればコンラートの顔色が変わっている。 す…と、眼光が鋭くなったかと思うと、今まで見たこともない険しい表情でエルンストを睨め付け、剣に力を蘇らせる。 「隊長…本気なっちまいましたね。ありゃー、殺す決意…固めちゃった顔ですよ」 「コンラッド!」 今この状況でエルンストを斬り殺せばどうなるか…エルンストの妖力が世間には分からない以上、コンラートだけが責められ、殺人罪で起訴されることは間違いない。 だが、これ以上被害を出させないために…コンラートは決断してしまったのだ。 全ては、有利のために…。 「くそぉ!」 『コンラッドに貧乏くじ引かすわけにはいかない!』 有利は強く瞼を閉じるとグランドに向かって駆けだしていった。 もう、力が学校中に知れてしまうとか…そんなのはどうでも良い。 自分とって大切な人達を守りたい。 その一心で駆けていくと、エルンストがにやりと笑って剣を大地に突き立てた。 「我が眷属よ、今こそ…その力を解き放てっ!」 剣の力だけではない…エルンスト自身が持つ《土》の要素に呼応して、大地が鳴動した。 「くっ!」 有利の足下で大地が割れて地中に向かって飲み込もうとするが、すかさず風の力を使って身を浮かすと今度は身体を捻りざまエルンストへと向き直って《火》の蝶達に命ずる。 「蝶、頼む!あの先生を足止めしてくれ!!」 凍鬼を捕らえたときのようにつかず離れずのところで蝶に責め立てさせ、その熱量でギブアップさせようとしたのだが…エルンストはあざ笑うように唇を歪めると、大地につきた立てていた剣を再び引き抜いて蝶を向かい入れた。 「来い…蝶ども!この剣こそがお前らの本体だろう!?」 「え…!?」 刀身に鮮やかな紅の蝶が透かし彫りのように浮かび上がると、抗い切れにない力に引き寄せられるようにして蝶達は剣に吸い込まれ…エルンストの持つその剣が力を増したことが分かる。 「君の力を受けたときに気づいたんだよ…君の《火》の要素はどこかに本体があって、そこから放たれているものだとね…。土の眷属どもを駆使して、今日のために手に入れておいたのだよ!さぁ、これでお互い持つ要素は2つ…良い勝負になりそうだね」 「く…っ!白狼族のみんな、あの先生の身体を地面から離してくれ!」 「その手はもう食わぬよ!」 コンラートに釣り上げられてかなりの羞恥を強いられたエルンストは、手に入れた蝶を剣から放つと、疾風の中に身を潜めていた白狼族に絡みつかせてその毛皮に火を放った。「上様、助けてあげてっ!」 有利が今度は水蛇の上様に頼んで水を放とうとするが、その水に合わせて土塊がぼこぼこと大地から伸び上がってくいと、音を立てて水分を吸い上げ…大地へと運び去ってしまう。 「渋谷君…君の戦い方は実に消極的だね。ウェラー君にしてもそうだが、戦いと言うより、捕縛を第一義としているようだね」 「だってしょうがないじゃないか!俺…先生に怪我なんかさせられないよっ!」 「…まだ、私のことを先生と呼んでくれるんだね。私が何をしても…そう呼んでくれるのかな?」 エルンストは微笑むと、す…と手を観客席に翳した。 「土塊どもよ…我が眷属よ……礫となりてあの連中を殴打せよ」 大地が盛り上がり…何本もの円柱になったかと思うと、突然空中でばらけて生徒達に襲いかかった。 「駄目だーっ!」 有利は持てる集中力の全てを使って、初めて試みる技を使った。 水の膜を広範囲に張り巡らし、生徒達の前に巨大なドームを作って礫を防いだのである。 「く…ぅう……」 信じられないほどの痛みが全身に襲いかかり、有利は苦鳴をあげた。 あまりにも広い範囲に力を巡らせたことと…そこに襲いかかってきた《土》の要素との激突によって凄まじい痛覚が有利の身体を劈いていた。 「あれ…3年の渋谷先輩だよね……」 「なに…この水の膜って…渋谷君が出してんの?」 ざわざわと囁き合う生徒達の声が聞こえてくる。 その声は今や恐怖に震えており…エルンストは勿論、有利に対しても異質な者を見るような眼差しが注がれていた。 『化け物…』 誰が言ったのかは分からない。 だが、明瞭に響いたその一言に…有利の心は挫滅しそうになった。 『もう…俺、ここにはいられない?』 コンラートを失い、絶望していても…何故か通っていたこの学校…。 ちょっと面倒くさいけれど…奇妙なほどの活気に満ちたこの校舎の中に、小さいながらも自分の場所を見つけることで…有利は息をしていた。 それぞれが色んな意識と願いを持って生活しているこの空間が、好きだったから…。 絶望の中で、励ましてくれた人々がいたから…ここまでやってこれたけれど…。 渋谷有利はもう、ここにいてはいけないのだろうか? 心が痛くて…引き裂かれそうな想いに意識が途切れそうになったとき、聞き覚えのある声があらん限りの力で絶叫してきた。 「渋谷ぁぁぁっっ!!」 普段は少し斜に構えていて…つんっとすました顔をしているけれど、本当は侠気があって情熱的な女の子…篠原楓が、泣きそうな顔で…いや、目一杯に涙を浮かべて叫んでいた。 「渋谷、渋谷っっ!もう止めな!この膜張ってんの、あんた…辛いんでしょ?あたしらはあたしらで身を守るから…だから、この膜解きなよっ!あたしだってやってやる!あんたにこんな苦しい思いさせてんのがあの先生なら、あたしだってぶん殴ってやるわ!!」 普段のクールな外見をかなぐり捨てて、篠原は喉も張り裂けんばかりの勢いで叫ぶと、水の膜に取りすがってくる。 「あんた一人で…そんなに頑張んないでよ…っ!」 「篠…原……」 その時、放送席からも声が響いてきた。 「とうとう正体を見せた悪漢エルンスト・フォーゲル!これに立ち向かうは白組応援団に咲いた一輪の華…美少年戦士、渋谷有利!!泣き叫ぶ女子生徒の声援を受けて、立ち上がれ渋谷有利っ!!」 声の主は…正直コンラートの演舞になど興味がない上、第五部に出場予定の黒瀬健吾であった。長ランを着込んで声を張ると応援団仕込みの銅鑼声は、拡声器越しということもあってグランド中に響き渡った。 「さぁ、皆さん…チア戦士ユーリンに熱い声援を送って下さい!この日のために仕込んだ特殊効果の数々…いやいや、極悪教員エルンスト・フォーゲルの魔手に立ち向かうユーリンは、皆さんの声援によって力を得ます!!」 わざとらしい程の言い回しが、《これは予定されていた演目です》と主張している。 「黒瀬…」 有利の事情を詳しく聞いている篠原はともかく、黒瀬にはこの状況の意味が完全に分かっているはずはない。 しかし、黒瀬は有利に向かって《にかっ!》と笑うと、力強くゴーサインを出した。 「行け、ユーリン!戦え、ユーリン!君は俺たちの希望の星だ!!」 正直《ユーリン》という愛称だけは止めてくれと思いつつも…有利の四肢には確かな力がわき上がってくる。 友人達の声が、有利に力を与えてくれる。 「戦いは…これからだ!」 |