虹越え5−2−2 「…で?あなたは約束をしてしまったと…」 「ご…ゴメン……コンラッド……」 その日の夕刻、食卓の席で事の経緯を打ち明けた有利は、話し始めた時から目に見えて不機嫌になってしまったコンラートに、身を縮めて対峙することになった。 「全く…あの男には気をつけてくださいと言ったでしょう」 「だからゴメンってば…それにさ、先生が呼びたいのは俺じゃなくてコンラッドな訳だし!俺はおまけみたいなもんでぇ……」 「……あなたって人は…何でそうも人が良いんですか?」 コンラッドは左手で頬を撫でると、そのまま顔の下半分を覆って嘆息した。 「明らかにあの男はあなたに対して含むものがありますよ。初めて会ったときだって、あなたと握手を交わしながら意味ありげな眼差しを送っていたんですよ?」 「気にしすぎじゃねぇの?コンラッドって結構、嫉妬深いところあるからさぁ…。黒瀬とか会澤なんかと喋ってても《接触が多すぎます》とか何とか言ってくるじゃん?」 『あの連中なんて…あからさまに含むものアリアリでしょうにっ!』 あのレベルで《気にしすぎ》と判別する危機感のなさに、コンラートはますます地面にめり込みそうになる。確かに、もともとがストレートな性向の連中だし、有利に対する友情は確かなようだから…そうそう無理強い等という事態には陥らないかもしれないが、学校生活にはタイミングというものがある。 授業中は賑やかなあの教室が、ガランと空虚に感じられる放課後のひととき…柑橘色に染まった部屋の中で二人きりになんかなった日には、何らかのイベントが発生そうな予感がギュンギュンするではないか(…て、それはギャルゲーのワンシーンとかではないかという突っ込みはさておき)。 「とにかく…相手は一応教員ですし、約束をしてしまった以上は仕方ありません。訪問する際は絶対に俺の傍から離れないようにお願いしますよ?」 「うん!絶対離れないからっ!」 コンラートは元気に約束してくれる有利を不安げに見つめる。 この人は、安請け合いというわけではないのだが…確かに、約束してくれた瞬間にはそうと自分でも信じているのだろうが、どうにもこういった約束については信頼性に乏しい場合が多い。 本人も気をつけてはいるのだろうが、気がつくと目の前の事態に集中しすぎて注意を忘れてしまうのだ。好奇心の強い高校2年生男子としては、致し方ない事ではあるのだろうが…。コンラートにとっては頭の痛い事である。 * * * 4月の第3土曜日…その日は朝から街中に霧がかかり、それは山間部にあるというエルンストの自宅に近づくにつれてその深さを更に濃密なものにしていった。 道は次第に郊外へと外れ、桜や楓、ナナカマドといった木々には鮮やかな若葉が茂り、それが霧に霞んでけぶるような色彩を呈している。 「先生、随分奥まったところに住んでるんだねぇ。通勤とか大変じゃない?」 「ドライブは好きだからね。1時間くらいなものだし、特に気にはならないよ」 確かにハンドルを操る手つきは危なげのないもので、滑らかなハンドリングのせいかS字カーブが連続してもそれほど横方向の重圧を感じない。 「それにしても…凄い絵ずらだねぇ……」 「本当にねぇ…隊長と同じ顔が線対称で存在するってのは、どうも妙な感じがしますねぇ…」 後部座席で村田健が眼鏡を引き上げながら呟くと、すかさずヨザックが陽気な声で合いの手を打つ。彼らはコンラートに声をかけられて同行する事になったのだ。 最近の村田の言動に不安なものを感じている有利としては、果たして村田が素直に応じてくれるかと思ったものだが、ひょっとするとコンラート以上にエルンストをマークしているのかもしれない村田は、短い返答で同意した。その際、自分の護衛としてヨザックを指名したのである。村田曰く、 『筋肉だけはたっぷりあるんだから、弾避けくらいにはなるだろう?』 との事であったが、ヨザックの方はいつもの飄々とした笑みを浮かべつつ恭しい礼を決めた。 そんなわけで、現在アウディに乗り込んで本革のシートに身を沈めているのは、運転席に陣取るエルンストと、後部座席に並ぶ有利、村田、ヨザック…そして、助手席に端然と座るコンラートであった(なお、ヨザックについては《狭い!》と、村田に散々嫌みを言われていた)。 コンラートとエルンストとは運転席と助手席に並んでいるだけでも奇妙なのだが、これがまた…二人とも申し合わせたように似たような服装をしている。身を包むのはブルーグレーのスーツ…細目のストライプシャツに、濃紺のネクタイという組み合わせまでが合致してしまっている。しかも…おそらくは故意にであろう…エルンストは散髪しており、髪の丈までがそっくりになっている。違いと言えば、銀縁の眼鏡をかけているかいないかという程度だ。 すれ違う車の窓から覗く顔は頻繁に驚きの表情を浮かべており、《凄い美形の外人兄弟》とでも噂しているのか、運転がしばし怪しくなって蛇行気味に走っていく。 「……」 次第に濃くなっていく霧が全ての風景を同じ色調に変えていくのを、村田は眼鏡を指先で押し上げながら横目で確認していく。 「村田、どうしたんだよ」 「君は感じないのかな?この辺りは…奇妙な感じがするよ」 言われて、有利も微妙な表情を示す。 「…ん、なんか…風景だけじゃなくて…周りのものの気配まで凄く薄く感じるよな。霧のせいかな?」 「それだけ…かな?」 囁き交わす声を聞いているのかいないのか…エルンストは端正な面に柔らかい笑みを浮かべて、人々にある方向を示した。 「ああ…着いたよ。あそこが私の家だ」 家と表現するには何かと語弊があるだろう…それは明らかに館と呼べるものであった。こんな奥まった場所に存在するとは俄には信じがたいその館は、大きな門を抜けて内庭を暫く走行してから漸く精細にその外装を見て取る事が出来た。 漆喰の壁に黒っぽい木材を配した堅牢な作りはいかにもドイツ的な重厚さを呈しており、所々に配された石膏の彫刻が幾ばくか瀟洒な印象を加える。 「うへぇ…すっごい豪邸!先生、こんなトコに住んでんだったら非常勤講師とかやんなくても十分食ってけるんじゃないの?」 「そうだね。教職はまぁ…趣味でやってるようなものかな?君のように楽しい生徒に会う機会があるというのは得難いものだからね」 ドングリ目を見開いて驚く有利にエルンストがくすくすと笑みを零す。 その様子に、有利の傍らにいるコンラートは涼やかな笑みを浮かべた。 「良いご趣味ですね。しかし…いままでは、特定の生徒に干渉しすぎて問題視された事はないのですか?」 「そのような事はなかったね。何しろ、こんなに可愛らしいと感じた生徒は初めてだから…いままで、こんな風に自宅にまで誘った事もなかったしね」 さらりと返すエルンストに、村田が眼鏡を光らせる。 「ふーん…それじゃあ、今回が初めてって訳ですか?それが教職生活最後のエピソードにならなければいいですけどね」 「おや?村田君もそう祈ってくれるのかい?」 「ええ…僕は渋谷に何事もなければそれで良いんですからね。本当に…心の底から祈っていますよ…」 ヨザックはしとつく霧のためだけではない寒気にぶるりと震え、怯えたキツネリスのように有利にしがみついた。 「坊ちゃん…っ!グリエ怖いっ!!」 「え?何が?」 「………」 きょろきょろと辺りを物珍しそうに見回して、同行者達の様子にいっかな気づいていないこの少年が一番恐るべき人物なのではないかと…ヨザックは沈黙の中に一人思った。 「さぁ…こちらにどうぞ、我が家の姫君がお待ちかねだ」 エルンストに促されて大きな両開きの扉が開かれると、ずらりと居並ぶメイドと執事が、恭しいお辞儀で出迎ててくれる。 市松模様に配された大理石の床…赤い天鵞絨の敷かれた広々とした中央階段…吹き抜けになった天井には煌めくシャンデリア…《なんじゃこりゃ》とつっこみたくなるほど豪華な内装だが、有利はもう慣れてきたのかあまり気にもとめずにエルンストの誘導に従った。 豪華も限度を超えてくると、血盟城と同レベルに感じ出すのだ。 * * * 通された場所は広い温室であった。館の南に配されたその温室に入った途端、有利の目を見開かせたのは…眼前に広がる幻想的な光景であった。 「うわぁ…桜!?」 それも、大きな…一般的な桜に比べると2、3倍になんなんとする巨大な桜の木が、その黒々とした幹から天を覆うほどの枝を張り、上空からふわりふわりと…淡いピンク色をした花弁を散らしているのである。 「凄い…立派な桜の木……」 流石の村田も感嘆の吐息を漏らす。樹齢は優に1000年を越えているだろうか?高さも枝張りも30mになんなんとする見事な古木である。ただ…やはり命の限界に近づいているのだろうか…腕をもがれたように大きな枝が落ち、捩るようにして絡み合う太い幹の付け根から細い枝が伸びては花を咲かしている。これは痛みを抱えた桜の特徴である。 それでも…傷つきながらもなおも己の美しさを誇示しようとするのか…桜は命の限りを尽くして美しい花弁を開いていた。 そして、この桜を護るために作られたのだろう温室は、その名の示すイメージとは異なり、3月下旬を思わせる肌寒い温度に保たれていた。 「あ…」 有利は桜から少し離れた場所で、天蓋つきの小さな寝所に横たえられた少女の姿に気づいた。 ふわふわの白いレースが幾重にも折り重なっていて、何処までが寝間着で、何処までが寝具なのか見分けがつかないほどだ。その中で、絹のレースよりもなお白い面が、艶やかな黒髪に覆われて枕に伏していた。 「起こしちゃまずいかな?」 「大丈夫だよ」 有利が気遣わしげにエルンストを見上げると、彼は事も無げに首を振った。 「彼女が目覚める事はない…君が手伝ってくれない限りね…」 「え?」 「ユーリ!」 にこやかで穏やかな雰囲気はそのままに、含むものを感じさせる言い回しで語るエルンストに、コンラートは次の動きを待つことなく己の懐に有利の身体を抱き寄せた…が、エルンストは《それがどうした》と言いたげに余裕のある笑みを浮かべ続ける。 「どうしたんだい?ウェラー君。そんなに渋谷君が大切かい?」 「…」 「答える気もないか…ふむ……君達は一体何者なんだろうね?常の人間とも思われないが、かといって妖力を持っているわけでもない…だのに、渋谷君はかなりの力を持った《水》《風》《火》の妖怪を従えている。実に不思議だよ」 「先生…?先生は一体……」 「私が何者か聞きたいかい?そこの村田君は大体察しがついているようだけどね」 「村田?」 感情の読めない無表情を決め込んだ村田は、エルンストの促しに従うには気が乗らない様子だったが、困惑している有利に見つめられれば嘆息混じりに口を開かざるを得ない。 「先生は…《土》の要素に関わりのある妖力をお持ちなんでしょう?だから危険とは知りつつも、渋谷を止めずにここまで同行したんです。事と次第によっては、彼の望む道を拓く可能性がありましたからね。ただ…あなたがどういった計算で渋谷に声をかけてきたのは正確には推し量れませんね。おそらくは…この桜と、あの娘さんに関わりがあるのだということくらいしか…」 「流石は進学校の青嵐で英才の名を恣にしている生徒さんは違うね…良い読みだ。まぁ…それ以上の何かが君の中には存在しそうだがね。見てくれは少年だが、内包している精神はこの桜よりも長い年月を閲していそうだ」 「先生…言葉遊びはこの辺にしませんか?僕はあなたがお持ちの力に興味がある。正確に言えば、渋谷に協力する気があるかないかを確かめたい。あなたの望みが渋谷にとって無害なものであれば、手を取る事も可能かと思われますが?」 「取引という訳か。いいね、それではこの辺でお互い腹蔵を明らかにしようか?まずは自己紹介から始めよう。私の本質は…村田君がお察しの通り、土の性質を持つ種族だ。100年ほど前にこの国に渡った折り、美しい桜の精霊…朧月と恋に落ち…この国に帰化した…」 * * * 朧月が具現化した姿を顕し、情を交わす事が出来るのは…一番目の蕾が開いてから、最後の花弁が風に散る瞬間までであった。 蕾の時期に小さな童女姿で現れ、娘盛りまで育つと以前の記憶を取り戻してエルンストと情をかわし、散る花弁を惜しみながらその姿を霧散させる。 指折り数えられるほどのその短い逢瀬だけを楽しみに、長い月日を待つ辛さに…耐えられなくなったのはエルンストの方であった。 『何とかしてもっと長い間、朧月と共にいられぬものか…』 土の精霊であるエルンストはもてる限りの力を土壌に注ぎこみ、大地から得た貴金属・宝石の類を換金して得た財力も駆使して温室を設えたりもした。 だが…それでも伸びた日数はほんの数日だけ…。次第に焦れたエルンストは強行手段に出た。 強い力を持つ妖を屠り朧月にその血を吸わせる事で、古木の持つ霊力を強めようとしたのである。 当初、この方法は上手くいったかに思われた。血を吸わせた途端に桜は一斉に花をつけ、数ヶ月に渡って咲き乱れていたのである。しかし…その間姿を現す朧月は、少しずつ様子がおかしくなっていった。 エルンストが話しかけてもぼうっとしている事が多くなり、傍にいるのに心が虚ろなっていくようだった。 そして…数年前から、朧月はその姿を童女から少女以上に育てる事が出来なくなってきた。しかも、以前の記憶はすっかり虚ろになりはてて、殆どの時間を眠って過ごすようになり…今では実体化しても花開いている間中、眠り続けている。 * * * 「…と、いうわけでね。渋谷君…君に、私の最愛の女性を救ってもらいたいんだよ」 「そりゃあ出来るもんならそうしてあげたいけど…どうやって良いのかわからないよ」 「ユーリに害のあるような手法ならお引き受けする事は出来ません」 力ある妖を生け贄にしたという話に嫌悪感と懸念を強くしたのか、コンラートはますます強く有利の身体を自分の腕の中に閉じこめてしまう。 「大体…先生のやり方は実に拙策に過ぎる気がしますね。穢れなき華の精霊に妖怪の血を捧げるだなんて、どう考えたってそれは桜の精のトラウマになっているとしか思えませんね。それで渋谷の力を借りたいなんて…先生、どんな手管を使うおつもりですか?」 軽いしゃべり口調ながら、村田がどれほどエルンストを警戒しているのか背後で控えているヨザックには手に取るように伝わってきた。当人も、もはや隠す必要もなしと感じているのかもしれない。 「大丈夫…私は渋谷君に強要する事は出来ない。村田君、君も知っているのではないかな?たとえ私の力が強くとも、渋谷君自身が望んで身を委ねてくれない限り…正式に契約を交わさない限り…私は渋谷君の力を好きに使う事は出来ないのだよ」 「確かに…だけど僕としては、先生のその訳知り顔が気になりますね。これは言っても良いのかなぁ…先生、僕はその何もかも自分の掌中に収めていると言いたげな似非くさい笑顔が大嫌いなんですよ」 《きゅらーん》と、殊更効果音が鳴らんばかりに愛らしく微笑む村田健。 「それは奇遇だね。私も君のその…先祖代々煮詰めたような腹黒さを無邪気な笑顔で隠そうとしている様子が鼻について仕方がないよ」 《ははは…》と、殊更のびの良い声で爽やかな笑い声をあげるエルンスト・フォーゲル。 「凄ぇ…俺、口の悪さで村田と張り合う人初めて見たよ!」 「しっ…見ちゃいけませんユーリ!根性の悪さが感染(うつ)りますよ!?」 素直に感心する有利と窘めるコンラートの掛け合いに《お前が言うか》と独りごちたヨザックは、素早い踵落としを足の甲に喰らった。 「さぁ…無駄話は置いておいて、今度は君達の話をしてくれないか?」 エルンストの問いかけに対しては、村田が意外なほど率直に眞魔国の話や有利、村田、コンラート、ヨザックの身の上などについて語った。はぐらかしても無駄に時間を消耗するだけだと判断したのだろう。 「なるほど…渋谷君の望みはとにかくその眞魔国に帰る事だと…それも、後は土の要素が揃えば可能だと言うんだね?」 「多分…」 あくまでも眞王がそう予測しただけなので確証はないのだが、その言葉を頼りにここまでやってきた有利としては頷くほかない。 「そうか…分かった。渋谷君が可能な限りの力を尽くして朧月を覚醒させてくれれば、私も助力しよう」 あっさりと快諾された事で村田などは眉を顰めていたが、有利の方は実に素直な反応を見せた。 「先生!」 「おっと…」 感激のあまり勢いよく抱きついてきた有利に、エルンストは一瞬戸惑ったような表情を見せたが…すぐに余裕の笑みを浮かべると、有利のほっそりとした腰を抱き込んで囁きかけた。 「嬉しいのは分かるけど、オーバーアクションもほどほどにしないと大変だよ?ほら…君の恋人がおかんむりだ」 「こ…恋人って…っ!」 振り返った先に目が据わっているコンラートを発見してしまい背筋をふるわせるが、それ以上に《恋人》という形容に顔が赤くなってしまう。 「わ…分かっちゃう?」 「それはもう…それはそれは愛おしそうな眼差しでお互いを見やっているからね。羨ましいな…と、思うよ。私と朧月もそうだったからね…」 切なげに伏せられた睫が白皙の頬に淡い影を落とすと、有利はエルンストの腕を掴んで励ました。 「好きな人が目の前にいるのに言葉も交わせないなんて辛すぎるよね…。俺、頑張るから…っ!あのさ、具体的には何やればいいのかな?」 「あそこで眠っている朧月に語りかけて欲しいんだ。君が持っている力を集中させて…彼女の深い眠りが解けるようにね。どうしても必要ならキスまではしてもいいから」 『してもいいから…?』 ぴくりとコンラートのこめかみが疼くが、有利の切望する《土》の力が必要とあっては動く事も出来ない。必死の思いで脚に制動を掛けると、生ける彫像のように大地に立つ。 有利は促されるまま、朧月と呼ばれる美しい少女の元に向かった。 ベットには天蓋が掛けられてはいるものの壁は設けられておらず、淡い色をした桜の花びらがふわふわとした質感でレースの寝間着や上掛けに降り積もり、少女が随分長い間ここで同じ姿勢を保っているのだという事を伝えてくる。 ただ、少女の容貌は決して色褪せる事はなく、頬はふっくらとした適度なふくらみと共に生き生きとした薔薇色を呈しているし、ちっとも窶れているという印象はない。寧ろ、唇が塗ったように紅い様などは見ていて不思議なくらいだ。 『写真で見せてもらったときにはもっと淡い…水族館のお土産で見た珊瑚みたいな色だったのにな…』 淡い…柑橘色と桜色を混ぜたような色彩はとても清楚でこの少女に似合っていたのに、いまはそこだけがどこか毒々しいまでの鮮紅色を呈している。 その色が動脈から溢れる血色に似ている…とまでは、有利には発想できなかった。 「朧月ちゃん…ね、目を覚まして?君の大好きな先生…エルンストさんが待ってるよ?」 小さな手を握ると、血色の割にひんやりとした体温に少し戸惑ってしまう。爪の色は唇に似た紅い色をしているのに、皮膚温は氷のように冷たい。 「朧月ちゃん…結構冷え性?」 思わず手を両手で包み込んでこすり、はぁー…っと息を吹きかけてやるが、いっかな暖まる気配はない。 「目を覚まして、身体動かそうよ。そうだ、目が覚めたらキャッチボールやんない?楽しいよ?あー…それより、まずは先生と抱き合わないとね!まだ身体がちっちゃいから本当に抱っこだけだろうけど…でも、身体が大きくなったら、そのぅ…好きな人と一緒に寝るのって楽しいよね!?」 無駄に想像して勝手に頬が染まり、手のぬくもりも上昇してしまう。この状況的には多少は良い事なのだが…いかんせん、有利ばかりがぬくもって、朧月にはいまいち伝わっていない。 焦りそうになる心を奮起して、有利は懸命に意識を集中させた。 『ヨザックの気配を感じて引き寄せた時みたいに…意識を集中させて…呼びかけるんだ』 『おいで…おいで……朧月……』 呼びかけてどのくらいの時間がたったのか…急にちかりと反応を示す気配に触れた。 しかし…その気配はどこか奇妙なものであった。 とても弱くて柔らかい気配と とてつもなく強くて、そして… 邪悪な気配…… 「…っ!」 後者から感じられるあまりのおぞましさに戦慄して、弾かれたように身を離す有利であったが…その動きは素早い動きで封じられた。 華奢な体格の少女…朧月が、先ほどまで微動だにしなかったとは信じられないほどの動きを見せて有利の手首を拘束すると、そのままベットに縫い止めるような勢いで押し倒すと覆い被さってきた。 「おぼろ……」 呼びかけようとしてあげた目線の先で…少女が微笑む。 異様に紅いと感じたその唇はついぃ…っと顔に似合わぬ邪艶さで引き上げられ…長い睫の陰から現れた瞳は…… 虹彩も強膜も全てが鮮やかな…朱、一色であった。 「……っ!」 尋常ではない状況に喉が絶叫を放とうとするのだが、これほど切羽詰まった状況だというのに、何故が意識が絡め取られるようにして副交感神経優位の生体状況に引き込まれていく。 紅い瞳から…目を離す事が出来ない。 しかし、こんな時に限って、普段は神速の勢いで駆けつけてくれる男が何故か現れてくれなかった。 「コン…ラッ……」 助けを呼ぼうと向けた視線の先はしかし…濃い靄に覆われて何一つ見て取る事が出来ない。 なんて濃い…そして淫らに絡みついてくる靄なのか。 ねっとりと…じわりと…身も心も浸食するように絡みつく。 意識の奥へと………有利を誘う… 何もかも…紅い目に見られてしまう。 そんな不安を感じながら、有利は意識を手放した。 |