「獅子執事」−2








 主人が出て行ってからぴったり1分後、執事はそっと主人の後を追った。主人の命令に思いっ切り違反しているが、執事たる者の役割を考えれば問題はない。(←そうか?)
 執事は型どおりの忠誠などより、実質的な守護を重んじていた。

 執事が主人を何よりも大切に想っているのは揺るぎない事実である。だから、そこにブレがなければ何をしても赦される。(←そ…そうか?)
 主人が生まれる前から大切に想っていたが、10年前に再会してから、それは絶対的な誓いになっていた。

 逆に、例え大事な主人のお願いであっても、そのことによって自分が利するようなことはあってはならないとも思っている。最近は主人から求められても一緒にお風呂にはいるのを避けているのは、この自戒の一環である。
 強すぎるほどの自戒の念が何から来ているのか、執事は熟知している。それは有利が密かに疑っているようなドM体質から来ているのではなく(気質的にはドSの方だと思うし)、執事があまりにも罪深い存在であるからだ。

 そう、執事は主人に対して罪を償うべき身の上である。

『俺のせいで、あの子は家族を失った』

 主人に言えば即座に否定されるだろうが、そうとしか執事には考えられない。
 7年前の交通事故は、執事が同席していれば回避し得たはずだ。それが出来なかったのは、珍しく執事が高熱など出したせいだ。

 その日は朝から発熱の徴候など全く表には出していなかったはずなのに、執事の変調には異様に敏感な主人が、ベッドで寝ているように申しつけたのである。しかも、《みんなと一緒に行って下さい》と頼んだのに、主人は《かんびょうするの!》と張り切って、氷嚢やらなにやら整えて、かかりつけの医者まで手際よく呼んでくれた。

 法事に出かけた両親と兄はその日、反対車線から突っ込んできた居眠り運転のトラックと激突して、全員が即死した。執事が一緒に乗っていれば、怪我はともかくとして死なせることはなかった筈だ。瞬時にシートベルトと天板を切り裂いて、家族全員を抱えて飛ぶ自信はあった。鉄鋼さえ切り裂く愛刀は、常に指輪の形で携帯していたからだ。

 執事は、主人の家族を救えなかった。
 そう考える脳裏にふと、掠める嗤い。

『救えなかったことだけが、自戒の種ではないだろう?』

 執事は不意に、自嘲するような笑みを浮かべた。主人の前では決して見せない、口角を歪めた苦い表情だ。

 渋谷家の人々を、執事は愛していた。小生意気な長男の勝利に対してすら愛着のようなものは持っていたはずだし、主人の誕生に際して、執事が運んだ魂を受け入れてくれた両親にも深い感謝と友情を感じていた。

 なのに、家族を失ってしがみつく主人のぬくもりを感じた時、一瞬とはいえども…自分は確かに歓喜した。

『俺だけのユーリ…っ!』

 呪われる。
 こんな歪んだ悦びを感じる者は、すべからく世を統べる存在から懲罰を受ける。

 そう確信しながらも、執事は哀しみと悦びのカオスの中で気が狂いそうだった。

 超越者たる《眞王》から託された魂。それを受けて生まれた主人は、それまで抱えていた拘りや苦しみを、一瞬にして消し去ってくれた。生まれたてのあの子どもを目にした時、かつては親友のものであった命が、全く異なる存在に変わった。晴れやかで、澄んだ生命体がそこにいた。それは執事にとって、これまでの価値観を大きく変えるような出来事だったのである。

 ただ、その時には自分の中で何かが浄化されるような感覚を味わい、《命とはこうして巡っていくのだ》という感慨を覚えたに過ぎない。

 本当の意味で衝撃を受けたのは、やはり10年前に再会した時だった。

 穢れ無き幼児を目にして、すぐにあの赤子が成長した姿だと気付いた。嬉しくて、懐かしくて、思わず伸ばした手はしかし、自分自身と敵の血にまみれて汚れきっていた。

 あれは、人殺しの手だった。
 どんな理由があるにせよ、生命を奪う者の汚れた手だった。

 じわじわと広がっていく赤黒い染みに、執事は恐怖した。触れた場所から主人が穢れに染まっていくようで、酷く恐ろしかった。あんなに怖い思いをしたのは、多分生まれて初めてだと思う。

 なのに、主人は執事の抵抗など押しのけて、暖かい幼児の体温を押しつけると、《大丈夫》と何度も繰り返してくれた。

 執事が何に苦しんでいるのか、本当の意味では知らなかったはずなのに。彼は荒れた大地に埋め込まれた《痛み》をそっと掌で掬い上げて、優しく包み込んでくれた。

 意味など知らずとも、感じることが出来る子だから。
 方法など知らずとも、癒すことの出来る子だから。
 堪らなく、欲しいと思った。

 あの日から、執事は罪人として生きている。

『…なーんて、あんまり凹んでいてもしょうがないか』

 無駄に長生きな執事は、いつものダーク思考を一通り愉しむと思考を立て直した。多少《ドM説》に同意しないでもないのは、こういう闇い思考を敢えて愉しんでしまう性癖があるからだ。その痛みさえもが、主人を愛しているからこそ心を締め付けるのだと思うと、ちょっと…いや、かなり愉しい。

 我ながら変態臭いとは自覚している。

『一種の病気だな。これは』

 精神疾患についても造詣の深い執事は、薄く微笑みながら歩を進めていく。視線の先には元気そうな主人の後ろ姿が見えた。
 毎日毎日飽きもせず主人を追い続ける執事に、街の住人達が(生)暖かい眼差しを送ってくれるのも相変わらずだ。

 八百屋の親父が《お疲れさん》と笑いながら手を振るのに、《しぃっ》と唇に人差し指を添えて微笑めば、通りすがりの女子中学生達が《きゃあ!》と黄色い歓声を上げる。

 中には、いつも拝むようにして両手を合わせてくれる老人や、深い感謝を込めた眼差しで深々と一礼してくれる学生もいた。いずれも、かつて執事が主人を送るついでに救った人々だ。おかげで、この街の犯罪や登下校の際の事故死は激減している。その度に送られる感謝状は主人の手で額縁に飾られ、仰々しく廊下に連ねられていた。何故その時間帯にあんな場所を歩いていたかについては時々追求されるけども、《うふふ》と笑って誤魔化している。

 ちなみに、執事は街の人々の感謝が欲しくてやっているというわけではなく、単に主人のトラウマを刺激しないようにしているだけである。突然の事故で家族を失った主人の傍で、不慮の事故など起こさせるものかと心に誓っているのだ。

 大変利己的というか、利主人(りあるじ)的な発想に基づく行動なのだが、それが街の平和にも繋がっているなら、まあ結果オーライだろう。

 主人が今日も無事校門に入ったのを見送ると、執事は一度家に戻った。
 いつもなら、もう一度学校に近づくのは下校時だが、今日は昼過ぎにまたやってくる。

『甘いんですよ、坊ちゃん』

 くすりと微笑む瞳は、主人には普段向けない妖しさを帯びている。
 主人は上手く隠したつもりでいるが、執事は知っているのだ。

 今日は公然と主人の学校生活を覗き見…いや、観察できる、参観日であるのだと。



*  *  * 




 執事が作ってくれたお弁当を美味しく戴いてご馳走様をしたら、小学校から同じクラスになることの多い米原がふと問うてきた。

「渋谷んちの執事って、今年も参観くんの?」

 そう、本日は5、6限が参観授業となっていて、気の早い親などはもう到着している。小学校時分に比べると格段にやってくる保護者は少ないのだが、PTA会議があるので役員に填っている親は来ざるを得ないらしい。

「来ねーよ!」

 有利は憮然として唇を尖らせた。そう、絶対に来ない筈だ。今年こそはと気合いを入れて、情報が伝わらないように気を付けたのだ。中学までは積極的にPTA活動に参加していた執事を遠ざける為に、役員就任を依頼するプリントも処分した。《高校ではそういう活動はないらしい》と言ったのを、何処まで信用しているかは分からないが。

『大体、参観日に親父の方が来ただけでも《珍しい〜》とか噂になんのに、あいつってばあの顔であの若さだし。おまけに、執事服のままで来るもんな…』

 ひょっとすると形からはいるタイプなのかも知れないが、自らを執事と定めたその日から、彼は判でついたように執事服を身につけている。寝ている間くらいは流石にパジャマを着ているのだろうが、実は着ているところを一度も見た覚えがない。健康的な生活習慣が身に付いている有利は10時には就寝するので、宵っ張りな執事が風呂にはいるところも寝るところも見ていないのである。

「執事ってナニ?渋谷君って、実はお金持ち?」

 会話を聞きつけたゴシップ好きの女の子達が、瞳を輝かせて集まってくる。そもそも、執事という響きだけでカフェが出来るくらいだから、女の子の多くは執事萌え因子を所持しているのだろう。

「そっかー、来ないか。良かったな、今年は騒ぎにならなくて」

 米原は胸を撫で下ろすように、明らかに安堵した声を漏らす。そういえば、わりと仲の良い彼は執事にとっての《ちょっと不審な相手》カテゴリーに入っていた。不用意な言動や行動があると、背筋がゾクリとするような視線を送られるのだという。

 有利に親友と呼べる友人が居ないのは、絶対執事のせいだ。

『まあ、コンラッド以上にツーカーの相手なんか居ないってのもあるけどさ』

 悔しくてもあまり執事を責め立てられないのは、有利がちゃんとその事を知っているからだ。

「ええ〜見たかったぁー」
「噂の執事サマ、来ないの!?渋谷君が中学一緒だった子が噂してたから、楽しみにしてたのに〜」

 有利と同じ中学から来た生徒にでも聞いたのだろう。高校で初めて会った女の子達が、見るからに落胆した顔をしていた。一体どれだけ期待していたのか。そこに、執事を見たことのある生徒が自慢げに鼻を高くする。

「すっごい背が高くて、プロポーション抜群の美形さんなんだよ?しかもしかも、色白の外人さんなのよぉ〜っ!」
「金髪碧眼?」
「アンタ、昭和のオッサン?金髪ばっかが外人さんの有り難みじゃないわよっ!ダークブラウンの綺麗な髪で、襟足は短いけど、前髪が少し長いのを緩くオールバックにしてんの」
「銀縁眼鏡は?」
「ああっ!確かにそれがないのは残念っ!渋谷君、執事さんに眼鏡買ってあげてっ!」

 有利はうんざりしたように前髪を掻き上げると、《勝手なコト言うなよお前ら…》と呟くが、女の子達は聞いちゃあいない。今度は《瞳が琥珀色なのよ》とか、《銀色のきらきらした星みたいな輝きが散るのよ》とか、《いや、そりゃアンタ少女漫画の読み過ぎなんじゃないのさ》とか言い合って、きゃあきゃあとはしゃいでいた。

「…たく」

 勝手にわいわいと騒いだりがっかりしたりしている女の子達の会話をスルーして、有利はちいさく溜息をついた。こういう子達に騒がれるから、来て欲しくないのだ。それが恥ずかしいくらいの独占欲であるとは、認めたくないところである。

「つか、マジであの執事って何者なの?全然トシくわねぇしさ」

 米原はまだ執事について聞いてくる。よほどトラウマになっているのか。
 ただ、その後続けようとした言葉を米原は意識的に飲み込んだ。
 かつて執事が桁外れの身体能力を見せた時、彼は《化け物》という表現を使った。有利は米原を冷たく睨み付けて、その後一週間口をきかなかった。そのせいか、彼は言いかけても決して口にはしない。空気は読める男なのだ。

 それでも《言いかけてしまう》という辺りが、米原がどんなに良い奴に思えても親友にはなり得ない所以でもある。

「若作りなだけだよ。あと、同じ服だからじゃね?」
「そっかー?でも笑っても目尻に皺とか出来ないし、ちょっと渋谷にちょっかい出しただけでパネェ殺気送ってくるしさ」
「殺気に年は関係ないだろうよ…」

 うんざりしたように目を眇めていると、米原は一年生にしては大きな手で有利の頬を包み込んだ。剣道部期待の新人である彼は誰にでも親切で、特に有利に対してはよく構いつける。6人兄弟の長男であることと、幼い頃に無惨な事故で家族を失った時、クラスメイトだったから何かと気になるのかも知れない。

「渋谷は、いつまで執事と一緒に暮らすんだ?」
「分かんねーよ」

 むっつりと押し黙ってそっぽを向くが、米原の手は頬から外されない。結構精悍な顔立ちをした米原は、雰囲気を出すと大人びた陰影によってイイ男に見えるから、有利との絡みを見て、女の子達の何人かはニヤニヤと意味深な笑いを浮かべるのだった。
 それが有利はちょっと苦手だった。もっと苦手なのは、こんな先のことを考えさせる問いかけであったけれど。

 有利は執事の生い立ちを何一つ知らない。
 執事がこれからどう生きていくつもりなのかも。

 過去も未来も、問うたところで明確な答えなど返っては来ないともう知ってしまっているから、仕方なく有利は現在だけを楽しんでいる。なのに、米原は時折その欺瞞を突き崩そうとする。だから苦手だ。

「親代わりの後見人って言ったってさ、恋人でも出来て渋谷が独立すれば、流石に新婚家庭にまでは入ってこないよな?まあ、あの美形さんだから、あっちの方が先に結婚相手見つけちゃう可能性の方が高いか」
「知らねーってば。そんなの、コンラッドの自由だし。そん時になったら考えるよ」

 《突きつけるなよ、そんなことを》と、苛立たしく思う。そんなこと誰より有利が一番分かっていて、何よりも不安に思っているのだから。あの大切な人との暮らしを、何時まで続けられるかなんて、今更他人に言われたくない。

 ゴゥ…っ

 その時、不意に教室内の気温が3度程度低くなったような気がした。

「…っ!」

 米原の手が硬直して、視線は後方を見つめたまま固まっている。これは、もしかして…。掠めた予感を、女の子達の歓声が裏打ちした。

「きゃああっ!」
「超美形執事ーっ!!」

 《執事》でなくとも、《超美形》だけで存在を予測してしまう相手だ。ダブルと来ればもう間違いない。その執事の名は《セバスチャン》とか《グレイスン》とかではなく、《コンラート・ウェラー》であるに違いない。

「もう…」

 振り返った先では、やはりにっこりと微笑む執事が手を振っている。いつもの執事服に身を包んだ彼は、ちゃっかり一番有利の姿が目に入りやすい位置をキープしていた。 



*  *  * 




『うちの坊ちゃんが一番可愛い』

 主人を中心とした視野の中でクラス全体を見渡しながら、当然のことだが再認識して内心にんまりとする。
 目障りな連中には後で釘を刺しておく必要があるが、今はひとまず主人の学習ぶりを眺めておこう。

 お世辞にも出来が良いとは言えないが、基本が真面目な主人は執事が教えると素直に学ぶ。おかげで、それなりのレベルで高校にも合格した。それ故に、授業についていくのも大変な筈だが、教師に当てられた問題でもどうにか正答を出せた。《よし》と頷く教師を見た後、くるんと反射的に執事を見やった顔がどうしようもなく可愛かった。
 《解けたよ?》と誇らしげに瞳を輝かせておいてから、急に《そういえば、こいつが来ないように画策してたんだった!》と、思い出して仏頂面になっている。何と表情豊かなのだろう?
 
 今すぐ抱きしめて、キスの雨を降らせたい。
 絶叫されるだろうからしないけど。

『昔は良かったな…』

 執事はしみじみと、噛みしめるように思い出す。

 執事の容姿が分かりやすく《外人然》としていたこともあり、小学生の主人にキスの雨を降らしても、周囲は微笑ましく思うだけで違和感は抱かなかった。外国人特有の大袈裟なボディランゲージ程度に捉えてくれたのである。《くすぐったいよぉ〜》とは言いつつ、主人も笑顔を浮かべていた。

 ところが、中学生にもなるとそうはいかない。体育祭の徒競走で一番になった時に駆け寄って抱きしめ、頬や額にキスをしたらバチーンっと平手打ちを喰らってしまった。主人は真っ赤に熟れた林檎みたいな顔をしていて、それはそれで可愛かったけれども、拒絶されたのは痛かった。

 家に帰ってから、涙に濡れた上目遣いで《もう人前であんなコトしちゃダメだぜ?コンラッドが変態扱いされるんだからな?》と噛んで含めるように言われたのも痛かった。
 自分が変態であることは自覚しているので別に良いのだが(←気にしろよ)、主人にそんな心配をさせる執事は拙いだろう。

 だから、一生懸命我慢している。
 執事なりに(←当社比)

 

*  *  * 




 授業が終わると、にこにこ顔の執事が近づいてきた。来てしまったものはもうどうしようもないので、有利は多少ぎこちないながらも笑顔を浮かべた。

「もう…。どこから聞きつけて来ちゃうのかな?」
「すみません、ユーリ。どうしてもユーリの成長ぶりを見たかったものですから」

 こんな時だけは間違えずに《ユーリ》と口にするのだから、家での遣り取りはやはり確信的な犯行なのだろう。

「今日は一緒に帰っても宜しいですか?」
「良いけど…」

 《手は握るなよ?》と念押しすると、《はい》なんて良いお返事をする。どうせ、雰囲気によっては簡単に約束を破る癖に。

『ある意味、現実的なんだけどね』

 有利がどんなに意地を張って駄目出しをしても、本当は淋しくて堪らなかったり、苦しかったりすると《俺の我が儘です》と言ってさらりと約束を破る。それは偽悪的な彼独特の優しさなのだと思う。

 自転車を押しながら二人で歩いて帰る道すがら、ふと有利は公園を見やった。微妙に聞き覚えのある声が聞こえてきたのだ。

「あ…」

 華奢な体格の男子高校生が、見るからにヤンキー風な学生3人に囲まれている。絡まれている方は、中学時代に同じクラスにいた村田健ではないだろうか?絡んでいる方も、多分元クラスメイトだ。あのアホ系凶悪面には見覚えがある。

「あいつら、なにやってんだ!」
 
 そいつらは卒業してから一ヶ月程度でアホさに磨きが掛かっているようで、進学校のブレザーを着た村田に激しく突っかかっている。金でも巻き上げようと言うのか。有利は少し考えたが、やはり自転車を停めると揉め事の渦中に飛び込もうとする。
 しかし、その行く手は長い腕に塞がれた。

「お目汚しですね。始末しましょう。ユーリはここで待っていてくださいね?」

 強請たかりの犯罪性よりも、主人の養育環境に悪い光景であることの方が問題らしい。執事は秀麗な眉根を顰めて、足早に前進していった。

「失礼。友人間であっても、不用意な金銭の譲渡行為は望ましくありませんよ?」
「んだ、テメェ…」

 ヤンキー連中は精一杯の凶悪面を湛えて執事を睨め付けたが、にっこりと優雅に微笑む男は全く臆した風もなく、するりとヤンキー達の前に立ち塞がる。

「あ、こいつ。渋谷んトコの変態執事じゃね?」
「あー、渋谷を好きすぎてチューとかしてくる奴ね」

 かなり不本意な物言いに、《待っていて》と言われたのも忘れて有利はズカズカと駆け寄ってしまう。

「コンラッドのチューは、親愛の情だ!コンラッドは変態なんかじゃないぞっ!!」
「へっ。んなコト言って、夜中は抱かれてあんあん言ってんじゃねーの?お前ら二人暮らしなんだろ?玄関でも台所でも好きなトコで犯れるじゃん。あ、それでいくと《夜まで待てない〜》って、日中から出来るか。羨ましいぃ〜」
「渋谷んちは親いねーもんな。犯りたい放題でマジ羨ましい〜」

 ヤンキー達の物言いはザクリと有利の胸を抉った。下らない連中の言葉で亡くなった家族を汚されたような気がして、目の奥がカッと熱くなる。

「この野郎…っ!」

 しかし掴みかかろうとした手はまたしても、スゥ…っと翳された腕に止められてしまう。同時に、目の前にいたヤンキー達の表情が突然強張ったのが分かった。ちらりと横目で見やれば、執事が氷のような微笑を浮かべている。

 《どんな死に方がしたい?》

 その目は、言葉よりも明確に語っていた。

「わ…」
「うわぁ…っ!」

 本能的な恐怖に煽られた一人が執事に襲いかかろうとするが、その瞬間に懐に入った執事が蛇のような俊敏さでシュルンと指を突き出し、少年の瞳孔直前1ミリのところでピタリと止める。

「私は、暴力は嫌いですよ?」

 普段の一人称は執事にあるまじき《俺》なのだが、人前では《私》と自らを呼ぶ。
 玲瓏たる声音は、更に硬直した少年の耳朶に吹き込むようにして注がれた。

「ですが、大切な主を護る為ならば、行使も吝(やぶさ)かではありません」

 じり…

 ヤンキーの一人は恐怖と共に、何か別の衝動を受けたかのようにオロオロと狼狽え、何故かへっぴり腰になっている。まるで、まっすぐ立っていると色々と困ることがあるみたいに。









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