「獅子執事」−12









 ウェラー卿コンラートには自制心がある。

 それはもう、悪逆な環境下でキレもせずに80年近く軍隊生活を送っていたところから見て、それは間違いないだろう。
 地球に来て日々美味しそうに成長していく有利と同居していても、男としての警戒心を抱かせるような行動には出なかったし、何をオカズにしてオナっているかを伺わせたことなど無い。そもそもオナっていることも相当精力絶倫であることも、有利には全く気取らせなかったし。

 だから、全てが終わった朝に有利が抱いた感想の何%かには、やはり《詐欺だ…》との印象が含まれていた。
 


*  *  * 




「こ…コンラッド…あの、マジで…俺のこと、好き?」
「おや、まだお疑いでしたら出立の時間までたっぷりと教えて差し上げましょうか?」

 《また気絶しないで下されば…ですけど》と、くすくす耳朶に注がれる甘い声に、ぞくりと腰骨が震える。その奥で疼く感覚が、有利に《もうコドモじゃなくなったよ♪》と教えていた。

 そりゃあもう一夜にして色々エロエロと教えて頂いた有利は、豪快に大人の階段を駆け上ってしまった。正直、吃驚している間に開発されすぎて、羞恥と驚愕と歓喜のどこにポイントを置いて良いのか分からなくなっている。

「いやいやいやいや…そ、そうだよな。あんなに…コンラッドもなってたんだもんな?」

 口にすればどうしても夜間の出来事を思い出してしまい、かぁあああ…っと全身が火照ってしまう。お風呂出来ていた時にも感嘆していた逸物が、膨張するとギャラクティカマグナムになってしまうとか、ウェラー家奥義の必殺技(?)が色んな意味で凄いとか、そりゃそうすっかりコンラート通になってしまった。

 それに…からかうようにエッチなことを口にすることはあっても、何段も上手の大人として有利を包み込んでいた人が、あんなにも《ちゃんと》有利を求めてくれるとは思わなかった。

 そう思ったらふつふつと何かが込みあげてきて、有利はぱふりと枕に埋めた顔を、ゆっくりとコンラートに向けていく。

「うん……なんか、しあわせ…」

 はふぅと熱い息を吐く唇を、思いがけないほどの真剣さで塞がれた。夜の間は欲情に濡れていた瞳が、今はどこか真摯な色を込めて有利を見つめていた。だから、堪らなくなって精一杯腕を伸ばせば、逞しい腕が背を抱き寄せてくれる。普段は体温の低い人なのに、同じ布団にくるまれてぴったりと寄り添っているせいか、随分と暖かく感じた。

 

*  *  * 




『それはこちらの台詞ですよ』

 心から湧き出すように、素直な声が《幸せ》と告げてくれる。
 求めてはならない人だと思っていたのに。
 いつまでも純粋な子供のままで、コンラートの汚れた欲望など知らずに、いつか素敵な女性と家庭を築くものとばかり思っていた少年だったのに…。

『とっても美味しく頂いてしまうことになろうとは…』

 コンラートは本来、自制心が強い性質だ。
 ただ、目の前に餌がぶら下がっている状態で《どうぞ》と言われた時まで、無駄に我慢する性質でないのも確かだった。

 もしかすると、眞魔国でストイックに軍人生活を続けていればもうちょっと違った判断を下したかも知れないのだが、コンラートは10年の地球生活の中で素晴らしい教えを受け、すっかり気質が変わってしまっていた。

 その教えとは、《据え膳喰わぬは武士の恥》というものだった。
 《武士は喰わねど高楊枝》との言葉もあるようだが、そちらは眞魔国で死ぬほど味わってきた心理状況だったので特に感銘も受けなかったのだが、《据え膳〜》の方はそりゃもう衝撃だった。

 相手の為を思っていたとしても、下手に我慢しすぎると互いの為にならない。だったら、OKサインを匂わせた段階で遠慮無く頂いてしまった方が良い。

 我慢に我慢を重ねてきたコンラートの鉄の自制心は、有利の送った拙いキスひとつで凄まじい発破を喰らい、瞬時に瓦解したのである。
 当然、今も後悔はしていない。

「俺も幸せです。これは、意地でも生きて帰らなくてはなりませんね」
「当たり前だよっ!」

 物騒な発言に歯を剥いている有利の鼻面に、コンラートは満足そうにキスを贈る。
 彼はきっと知らないだろう。昨日までのコンラートならば、有利の為に命を擲つことなど平気だったことなど。

『今はどんな手を使ってでも生き延びねばならないと思っていますよ』

 10年傍で見守っていれば、セックスは勿論のこと真剣な恋をしたのもコンラートが初めてだと分かっている。そんな相手と結ばれた途端に死なれたりしたら、トラウマになって今後の人生に支障を来してしまうに違いない。

 なので、コンラートは有利と自分の身を同じくらい大切にすることにした。
 これからは、(他の誰を足蹴にしても)二人の幸せを築いていこう。



*  *  *  




 翌朝、特急赤鳩便によってトルパの地は眞魔国よりもたらされた報告により、全員が飛び上がることになる。

「本気かなぁ…?」

 特に村田は信じがたいらしく、不審げに眉根を寄せていた。
 だが、《そいつ》がこのトルパの地を正確に割り出していたこと自体が、ある意味ではこの事実に信憑性を持たせてもいる。

『双黒の少年、ユーリ陛下を第27代魔王に指名する』

 その勅令は眞王廟から発せられ、真っ直ぐこのトルパの地にもたらされた。これが真実の勅令であれば、同じ報告が血盟城にも伝えられているのだろう。

「一体どういうつもりでこんな勅令を公布してきたんだ?」

 頭を捻る村田に、有利は妙にスッキリとした顔で答えた。
 固唾を呑んで、勅令書を食い入るように眺めていたヨザック達も、自然と有利の発言に注目する。

「村田がいま与えられてる情報で分からないって言うなら、多分、どれだけ考えても分からないと思う。それよか、この勅令書ってやつ自体は信じられるものなのかな?」
「それは間違いないね。この眞王印は複製出来るものじゃない。法廷に提出したとしても確固たる根拠になり得るよ」

 少し調子を取り戻してきたらしい村田がにやりと笑うと、有利の方は屈託のない笑顔で頷いた。

「うん、じゃあ俺たちは王都に向かおう。一刻も早く」

 眞王にどんな思惑があるにせよ、このタイミングで魔王として認めてくれたことは最大限に利用せねばなるまい。シュピッツヴェーグの暴走を止めて、国境を安んじるのだ。



*  *  * 




「あの方は、何だか雰囲気変わりましたねぇ」
「本来の輝きだ」

 出立の準備を見守りながら、ヨザックは少し離れた場所から有利の横顔を見やりながら口の端を上げた。答えるコンラートの方は実に満足そうな笑顔である。

「いつもあんたの陰に隠れて、おどおどしている感じだったのにな。今日はえらく自信ありげだ」

 ちらりとコンラートを見やる眼差しは、どこか悪戯めいた色も滲ませている。

「…というか、艶を帯びてるみたいな?」
「それは俺が磨いて差し上げた」

「…存外飄々としてるな。てっきり、禁忌にしてるのかと思ったのによ」

 《こいつも変わったな》と、ヨザックは多少複雑な面持ちになる。かつてのコンラートは欲しい物であればあるほど一歩引いて構え、《欲しい》という感情自体を否定しているような所があったのだが、今は手に入れたことも、それによる感情もまるで否定しない。《しなやかになった》と、言うべきなのだろうか?

 どちらかというと、《図々しくなった》という印象もあるのだが…。
 まあ、悪いことではないと苦笑した。
 英雄的な崇高さとはほど遠いかも知れないが、やはり友人としては個人としての幸せも追求して欲しい。

「まあな。俺から求めることは確かに考えていなかったが…あの方が俺を求めて下さるのであれば、我慢しても意味はないだろう?」
「ふぅん」

 主君とのお付き合いを、存外伸び伸びと楽しんでいる友人に苦笑していると、こちらはあまり状況の変わっていない友人が、麦わら色の髪をした少年といつものど付き合い(?)を繰り広げていた。

「アリアリさん〜。おれも一線こえたい〜」
「俺《も》ってなんだよっ!?」
「ユーリ様とコンラート様はらぶらぶみたいだよ〜?おれもー、おれもー!」
「う・る・せ・え!人は人、うちはうちだ!」

 《マモル君ちはDS3もう持ってんだぜ〜》と子供に強請られたお母さん宜しく、カールを引っ付けたまま走り回っているアリアズナは、当分色っぽい関係にはなりそうにもなかった。自分たちが国の英雄と魔王様の間を取り持ったことなど知らぬまま、二人は周囲の生暖かい眼差しの中でいつもの遣り取りを繰り広げた。



*  *  * 




 勅令を受けた日の内に出立した有利たち一団は、早馬を駆けさせて数日の後には王都入りすると、十貴族会議を招集するという名目でシュトッフェルを帰還命令を出した。ところが、シュットッフェルは公然とこの命令に背いた。無理な出征を強行したばかりか、何の功績も立てずに帰還したとあっては国庫を無駄に疲弊させたとして糾弾されるとみたのか、《報告が信憑性に欠ける》と頭から否定すると、そのまま国境に向けて進軍しようとした。

 村田はこの状況に困惑するどころか、嬉々として人事刷新の口実にした。また、この際だからシュトッフェルが政治権力を私物化して、やりたい放題していたこと明白にすることにした。彼が牛耳っていた血盟城の一角を全てをひっくり返して、少々手荒い方法も交えて《証拠》を固めてしまうと、横領、暗殺教唆、その他諸々の罪状で訴え、本人不在の十貴族会議でとっとと摂政職からの罷免を決定してしまった。

 同胞と見なされていたフォンビーレフェルト卿ヴァルトラーナも、村田の鮮やかな手並みに加え、シュトッフェルの能力をそろそろ見限っていたせいか、取りあえず会議の席では目立った抵抗は示さなかった。ただ、純血貴族として高い矜持を持つ男だけに、今後も大人しくしている保証はないから、継続して警戒は必要だろう。

 村田は眞王廟にも探りを入れると、ここで驚くべきことが分かった。眞王廟で大きな権限を持つ巫女ウルリーケが深々と感謝の意を示しながら語ったところによると、有利たちは眞王の恩人と見なされているらしい。球場での事件によって、勢いでフルボッコにしてしまったとばかり思っていたのだが、実際には、あの事件によって眞王は創主の拘束を断ち切ることが出来たのだという。

 創主の拘束が強くなった要因は、小シマロンによる《地の果て》開放実験によるものだった。溢れ出てきた法力を眞王は食い止めたが、既に実体を失って数千年の間に不安定になっていた眞王は、創主とがぶり四つに組んだ状態の中で次第に自我を失っていた。記憶も浸食されて、何時の日か《禁忌の箱》を全て始末するつもりで仕込んだ最強の魔王、有利の存在も創主の知るところとなってしまった。

 有利が眞魔国にやってきて魔力に目覚めてしまう前にと、コンラートは巫女達の手で地球に行く直前に襲撃を受けて危うく命を落とすところだった。しかし、この時はすんでのところでウルリーケが機転を利かせ、血盟城の泉からコンラートを地球に送った。予定した移動ではなかったからかなり一か八かの賭であったらしいが、幸いにしてジャストミートな形で有利とは出会えたわけである。

 その後地球で10年、眞魔国で20年が経過する間に眞王は益々浸食され放題となり、様々な形で有利を眞魔国に誘き寄せようとした。村田が受けた念夢も、おそらくはその範疇だったのだろう。上手く行かなくて幸いである。
 最終的には空間を繋ぐ究極魔法まで創主に悪用されて、球場で有利を襲うという体たらくになってしまったわけだが、これも有利と村田が力を調和させることで、能動的に眞魔国へと移動させることになった。

 偶然の力も大きいが、幾つかの必然が絡み合うことで有利は運を手繰り寄せたのである。

 そんなこんなで、眞王廟のバックアップは信頼出来ると分かると、有利の願いを受けて村田はもう一つ工作をした。ウェラー卿コンラートとルッテンベルクの立場をこの上なく華やかに《修飾》したのである。

『ウェラー卿コンラートは次代の魔王陛下の御身を護る為に、この20年間命を顧みず、恐るべき敵の数々から護り続けてきた。ルッテンベルクの一団もまた眞魔国を抜け、秘密裏に任務を遂行していたのである』

 有利の意図をも越えて、美々しい詩歌と賞賛の言葉でコンラートとルッテンベルクは讃えられた。これを更に裏打ちしたのは他ならん、コンラート達自身であった。

 万が一の事態に向けてシュピッツヴェーグ軍の動向を見計らっていたコンラート達は、案の定大シマロン連合軍に壊滅させられかけたシュピッツヴェーグを助けて…というか、利用して、国境戦線の崩壊を防いだ。大シマロン軍が掃討戦に入ったと油断して軍を直線化したとみるや、横合いから突撃をかけたコンラートが矢のような速度で本陣を突き、大シマロン王ベラールを捕虜にしたのである。

 当初の予定としては、とにかく連合軍が調子づいて本土内に入り込み、略奪の限りを尽くすことがないように足止めするのが目的だったので、この事態はまるっきり棚からぼた餅的な展開であった。

 なにはともあれ、これで大シマロン連合軍は一気に崩壊した。

 まだ予備戦力から言えば眞魔国軍よりも遙かに大勢力を維持していたはずなのだが、コンラートが巧みに騎馬兵を用いて実際の兵力より大きく見せていたことが幸いしたし、この時、もう一つ大きな《幸い》がルッテンベルクを護った。

 彼らも認識していなかった方角から、眞魔国軍が現れたのである。それはグウェンダルの指揮するヴォルテール軍と、ヴォルフラムの指揮するビーレフェルト軍であった。これは有利と村田からのサプライズ的な派兵であり、本人達が不審に思うほど実は兵力としては小さかった。急拵えで大兵力の補給線など維持出来るはずがないから、各自がせいぜい一個小隊程度の兵しか伴ってはいなかったのである。
 しかし、混乱している連合軍からすれば狙い澄ましたようなタイミングで2つの主力軍旗が見えただけで恐慌状態に陥ってしまった。まさかそれぞれ一個小隊であるなどと看破することはできず、てっきり自分たちの情報が事前に漏れていて、眞魔国の包囲網に囲まれたと感じたのだろう。連合軍は一気に散開すると、這々の体で逃げ出したのである。それは呆れるほどに秩序を失った逃走であり、掃討戦など行わずとも勝手に自滅していった。



*  *  * 




「お久しぶりです。兄上、ヴォルフ」
「……」
「……」

 にっこりと微笑むコンラートに対して、グウェンダルもヴォルフラムもどういう顔をして良いのか分からないようで、揃って能面のような表情になってしまっていた。背後に居揃った配下の前で感情を露わにすることに羞恥を覚えてもいたし、無難な表情を浮かべるには驚愕が大きすぎたのである。

 以前のコンラートであれば、そんな表情を浮かべた兄弟を前にして、頑なな態度を貫いてしまっただろう。殊更仕事と割り切った態度で必要事項だけを伝え、直接目線を交わすこともなく離れてしまったに違いない。

 だが、今の彼には確固たる《自信》と、兄弟と仲良くなっておくべき《理由》があった。
 自信とは、有利という最愛の存在に愛されていることから来るの。理由もやはり有利にまつわるもので、彼の治世を安んじる為には有力貴族である二人を、感情面からも取り込んでおくことが必要なのである。

 コンラートは逃げる隙を与えずに歩み寄ると、並ぶ兄弟の間にするりと入り込んで、がっしりと腕を二人の肩に両腕を回して強く抱き寄せた。そして兄の肩口に顔を寄せると、ちいさく震えながら涙を零したのである。

「…会いたかった……っ!」
「…っ!」

 絞り出すような声音が熱い感情を迸らせ、そのまま滴が軍服わ濡らしていく。《ズズ…》っと周囲の副官達が目頭を熱くして啜り泣くと、グウェンダルもヴォルフラムも抗しきることが出来なくなった。

「心配…させおって…っ!」
「全くだ…っ!幾ら眞王陛下の御命令とはいえ、こんなに長い間、便り一つ寄越さないとは…っ!!」

 一度決壊してしまえば後は済し崩しと言うことなのか、二人とも目を真っ赤に泣きはらして啜り泣くと、自分たちがどれほどコンラートの死を悼み、傷ついていたかを切々と語り始めた。それはもう、《え?ホントに?》と聞いているコンラートの方が焦ってしまうくらいに二人の言葉は熱く、最初は演技のつもりで気分を盛り上げていたコンラートも、気が付けば本気で涙を溢れさせていた。

『俺は…まだ、兄弟の為にちゃんと泣くことが出来るんだな』

 ぽろぽろと流れていく涙は、その一滴ごとに心を洗っていくようだった。不器用な言葉をぶつけるようにして涙を流す兄弟にも、はにかむように笑いながらキスを送ることが出来た。

「馬鹿もの…っ!しん…ぱ…か、けて…っ!このっ…このっ!」
「ゴメンね、ヴォルフ。大好きだよ?」
「くぅうう〜っ!」

 顔を真っ赤にして泣く弟は、伯父ヴァルトラーナの教育のせいで混血であるコンラートを侮蔑していたはずだったが、真摯な言葉と態度で真っ直ぐに愛情を注いでやると、素直な気質が堪えきれずに露呈してしまったのか、とうとうくぐもるような声で《僕だって…嫌いじゃない》と呟いた。今までの経過から考えたら奇跡的な発言である。

 グウェンダルの方は明確な発言にはならなかったが、こちらは意外と弟以上に感情が豊かな男だから、ぎゅうぎゅうとコンラートを押し潰しそうな勢いで抱きしめることで、その気持ちを表していた。

『こんな日が、来るなんてな…』

 コンラートも兄弟も、そして、見守るルッテンベルクの人々も、感涙の中で鼻を啜っていた。








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