「獅子執事」−13 「何度言ったら分かるのだっ!」 ドォン…っ!と臓腑に響くような怒気を受ければ、大抵の者が数秒間は息をつくことも出来なくなる。昭和の雷親父も吃驚な怒声の持ち主は眞魔国宰相閣下。第27代魔王ユーリ陛下の覚えもめでたきフォンヴォルテール卿グウェンダル閣下である。 怒られている相手は数年前までは双黒の魔王陛下であったのだが、ここ最近は怒鳴られる回数は激減しており、この時もビクビクと肩を震わせてはいたものの、彼が怒られているわけではなかった。 「あ、あの…グウェン。もう習慣になってるんだし、もうそんなに目くじら立てなくたって…」 「甘い!陛下がそんな風だからこの男がつけ上がるのです!」 「ふぇっ!」 矛先が自分に向かってくると、有利は目元を潤ませてぴょんっと小さくジャンプしてしまう。 「グウェン、ユーリをそんなに苛めないで下さいよ」 「だったらお前がその格好をどうにかしろっ!!」 へろっとした顔で窘めてくるコンラートに、グウェンダルは《ビシィっ!》という空気音が聞こえそうな勢いで指を突きつける。コンラートはくすくすと笑うと、その指先を悪戯っぽくぺろりと舐めた。 「ほぐわっ!」 「ははは、グウェン。そんなにカッカしてると脳血管が切れちゃうよ?」 「一体誰のせいで恒常的に血圧が高いと…っ!」 赤黒い顔色でぷるぷると震えるグウェンダルだったが、兄の心弟知らず。というか、知ってても気にしない弟は、魔王陛下の婿殿下となって久しいにもかかわらず、ぴっちりと執事服に身を包んでいるのだ。何も知らない異国の使者などが来ると、堂に入った執事ぶりに疑うことなく横柄な態度を取ったりする。こっそり死者の真価を見極める為には有効なような気もするが、その度にグウェンダルは苛々させられるのだ。 「なー、コンラッド。たまには言うこと聞いてあげなよ。グウェンってば、あんたが使者如きに軽んじられるのが悔しくてしょうがないんだもん」 「…っ!」 助け船を出されているはずなのだが、隠している心情を暴かれたせいか、頬は相変わらず赤黒いままだ。 「ですが、偉そうな格好をしているとそれなりの所作をしなくちゃいけませんからねぇ。ユーリと正式に結婚出来ると言うから婿入りもしましたけど、その為の仕事でユーリのお側を離れるようなことはしないと申し上げたでしょう?」 「出張には出さないけどさー、せめて格好くらい何とかなんない?」 男の魔王に婿が入るというのはかなり異例な事態ではあるが、過去の事例から言うと、先代魔王のもとに婿に入った三人の男達のうち、二人は真面目に外交活動を行っていた。ちなみに、不真面目だった(そもそも、あまり国内自体にいなかった)一人とはコンラートの父ダンヒーリーである。きっちり親の背を見て育ったコンラートは、実に伸び伸びと有利一人に尽くしていた。 一応、国が危急の折には活躍出来るように鍛え続けてはいるし、いざというときには救国の獅子として奮迅の働きを見せることは、誰もが疑っていない。 ただ、現在の国際事情では血生臭い戦場に赴く機会はとんと無い。軍人として功績を挙げたい面々にとっては不遇な時代だが、のんびりと有利の傍で仕えていたいコンラートや、大抵の一般市民にとっては天国のような時代だ。 第27代魔王就任から10年が経過した今、世界状況は大きく変化している。 コンラートが大シマロン王ベラールを生け捕りにしたおかげで、大シマロン内にもともと燻っていた旧ウェラー王国時代の勢力が息を吹き返し、数々の属国も自治を打ち出してシマロン傘下から離脱していったことで、大陸は規模の小さな国々に分裂していった。そのまま放置していれば群雄割拠の戦国時代に突入したかも知れないが、有利が精力的に国々を回って友好活動を展開したおかげで、少しずつ…しかし確実に友好国の輪は広がっており、ちいさな領土争いの紛争はあっても、大きな規模の会戦が開かれたことはない。 ベラールから聞き出した情報や古文書の解析、眞王の記憶を紐解いて《禁忌の箱》を無力化することに成功したのも大きく影響しているだろう。《禁忌の箱》が無くなったことで制約から解かれた自然界も、次第に豊かさを取り戻している。その分、各国が平和な時代の間に国力を付けていくと、またぞろ野心に駆られる国家が出現してくるだろうが、今のところその気配はない。…というか、出現しそうになると双黒の大賢者村田が芽潰しに奔走している。 そんなわけで、コンラートとしては余生を過ごすご隠居さんのような心境で、有利愛護のみに全身全霊を傾けている。まことに幸せな魔族生と言えよう。 「執事服も似合うけどさ、コンラッドってば正装も似合うじゃん?ほら、金モールのついた白い礼装とか俺、大好きだよ?」 「嬉しいです、ユーリ」 ちゅっと良い音を立てて頬にキスを送られると、くすぐったそうに有利は肩を竦める。しかし昔のように過剰に騒ぎ立てることはなくて、いちいちトマトみたいになっていた頬も淡く上気するくらいである。 「ね…俺の為に、会見の間だけでも礼装してくれない?」 「ユーリがそこまで言われるのでしたら、俺としても拒否は出来ませんね」 《お願い》というように両手を合わせて上目遣いに見上げる眼差しは、この10年ですっかり艶っぽくなってきた。容姿自体は人間年齢でいうところの20歳程度なのだが、さらりとした黒髪を肩口くらいまで伸ばしたせいか、随分と大人っぽく見える。 「その代わり、今宵はたっぷりと御奉仕させて下さいね?」 「ん…それはグウェン次第かな〜?」 抱き合わんばかりの距離感でくすくすと笑む二人に、グウェンダルはがくりと肩を押した。外交活動が盛んになった眞魔国では、10年前に比べて魔王が目を通さねばならない書類が山ほどある。だが、宰相が必死のパッチで頑張れば、確かに半日分くらいの時間を捻出できないことはない。その代わり、宰相の自由時間は限りなく抹消されてしまうわけだが…。 「お願い出来ますか?グウェン」 にっこりと微笑む幸せそうな弟に、《嫌》と言えていたらグウェンダルの目尻の皺はもっと少なくて済んだだろう。 「……………半日だ。それ以上はまからんぞ」 「嬉しい。大好きですよ、兄上」 「グウェンは優しいねー」 「…っ!」 小悪魔な弟と魔王な陛下のラブリンビームを喰らった宰相閣下は、今日も深い溜息をつく。ただし、大きな掌に隠された口元が、ひっそりと微笑んでいることなど二人にはお見通しである。 『ふん…嬉しそうな顔をしおって』 口に出さずに毒づく言葉さえもが、自然と甘みを帯びるのが甚だ不本意だ。こんなにも柔らかな気持ちで仕事をするなど、昔の自分であれば明確な堕落と受け止めていたに違いない。 それが今は、こんなにも心地よい。 『全く…』 適温の紅茶を口に含みながら、グウェンダルは微笑んだ。 この微笑みは、紅茶の香気に対する賛嘆であるのだと、周囲と自分に言い聞かせるように。 おしまい 気楽につるつる書いていくつもりが、うっかり国境戦線の話なんか持ち出したせいで色々と整合性が無くなって困ったことに…(汗) 無計画な話を一週間刻みで連載するとろくなことにならないという見本みたいなシリーズと相成りました。 有利以外のことが本っ当ーにどうでも良い次男というのはある意味楽しいのですが、お話としては殆ど葛藤が無さ過ぎて、「ストーリー的にどうなのさ」というのも自問自答してみたり。 とはいえ、何かが吹っ切れたような腹黒系次男をそれなりに楽しんで頂けると幸いです。 ちなみに、アリアズナとカールのカップルは数年後にカール鶏ガラ体型から脱出した頃に何とかなったんだと思います。見てて《可哀想》な体型の間は、やっぱり躊躇しちゃうかなと。 途中に出てきた遊び人の女貴族さんとも、その後再会してちゃんとお礼をしたと思います。大陸では国家体系が変わって色々と動乱があったから、家が乗っ取られたりするような危機の時に有利やコンラートが活躍して覆し、「ここにおわしますは第27代魔王シブヤ・ユーリ陛下であらせられる!」みたいな展開をそっと想像してみたり。(似たような話を書いた覚えがあるので、もう書きませんが) これからは無計画でも何とかなるお話をぽろぽろ書いていきます(←計画立てろよ…) |