「獅子執事」−11








 ガ…
 カカ…っ!

 複数の蹄が崖にも似た傾斜を蹴り、訓練された馬たちは嘶くことなく主の命に従って、規律正しく移動していく。
 ルッテンベルクの一味最大の拠点であるトルパの地は険しい峰々の狭間にあり、人目に付きにくい。その分、物資や兵の移動、ことに馬による移動には適さないのだが、手練れの者ともなると馬を鹿か何かのように駆って、器用に岩場を越えていく。

 シュピッツヴェーグ軍は相変わらず国境を目指しているようだが、やはりコンラートの勧告を受けた兵達の間には動揺が広がっているらしい。有形無形の妨害も生じ始め、進軍速度は落ちているとの報告がある。
 これを受け、ルッテンベルクは久方ぶりに《一味》から《軍》へとランクアップすべく、騎兵集団としての訓練を続けている。見ている有利にはよく分からないが、おそらく、いつでも出撃できるレベルにまで達しているのだろう。また、これまでにない規模で出撃する為に糧食を馬車に積んでいる部隊もある。兵士達の間で交わされる会話の雰囲気から、この状況が近年稀な事態であるのだと知れた。今まではどちらかというと、混血魔族が生きていく為の手段として維持されてきた組織が今、コンラートという旗印を得たことで再び眞魔国という国家組織の中に立ち位置を見つけ出そうとしている。

 当のコンラートはというと、やはり地球でのブランクを感じさせない技量を見せている。兵も馬も自然とコンラートを信頼しているのか、彼が辿った道筋を辿るようにして走っていた。

 トン…っと馬脚が宙を飛んで平地に到達すると、そのまま悠然とした足取りでトルパの門扉をくぐる。気が付けば柑橘色の夕陽が景色を染め上げているから、今日の訓練は終わりなのだろう。

『明日からは…もう、訓練じゃないんだよね?』

 ゾクリと胸の奥で疼くのは、たとえようもない不安であった。
 村田やヨザック、コンラート達との作戦会議では、明日の正午には軍を率いてシュピッツヴェーグ軍の近くに位置する予定になっている。場合によっては、シュピッツヴェーグ軍とボルシュデリア国との戦況に食い込んでいくつもりなのだ。
コンラートの兄が指揮するヴォルテール軍と連動して動くことが理想で、実際、機動力のある密使がフォンヴォルテール卿グウェンダルのもとに向かっていると言うが、彼がこちらが望む形で応えてくれるかどうかは分からない。

『本当なら、コンラッドが直接お兄さんのところに行けたら良いんだろうけどな…』

 それはどうも、距離的に難しいらしい。コンラートが現れたという情報は《白鳩便》と呼ばれる方法でヴォルテール領にいる仲間へと伝えられたそうだが、コンラートが直にその地へ赴くことになれば、その間に国境での戦況は決定づけられてしまうそうだ。
 ルッテンベルクの一味は個々の兵力としては精強ながら、やはり根本的に規模が小さい。特に、騎兵による奇襲作戦を得意としたコンラートの能力無しには、国家規模の戦闘で有効な力を発揮することは出来ないのだという。

 《買いかぶりすぎなんですよ》とコンラートは嘆息するが、20年ものあいだ自分たちだけで組織を維持してきた男達がそこまで断言するのだ。やはりコンラートの能力は特異なものなのだと思う。

「ユーリ、わざわざお迎え頂くなんて恐縮です」
「キョーシュクとかいうなよ」

 戻ってきたコンラートは、手早く配下に指示を出して解散させると、にこにこと相好を崩して有利の元に駆け寄る。その様子は明らかに訓練中とは異なっているのか、馴れない兵士達は目を丸くしていた。訓練中は一体どういう態度だったのだろう?

 配下達の思惑など気に掛けた風もなく、コンラートは馬を厩番に任せると、自然な動作で有利の背を促す。あくまでも有利の身を第一としているのが、細やかな所作からも周囲に知れた。

 まだ何の実績もないのに、《坊ちゃまは最高の魔王におなりですよ》と太鼓判を押して、ひたすらに尽くしてくれる執事は、盲愛ともいえるほどの忠義を示してくれる。本気で目に鱗千枚くらい填め込んでる可能性もあるが。

 それなのに、ここ最近どうしてだか有利は執事に対して苛立たしい気持ちを抱いていた。一体何故こんなにもモヤモヤするのか、理由の方は明確でないのだけど。(だからこそモヤモヤするわけだが)

 タタタタ…っ

 トルパに戻ってくる騎兵達の姿を受けて、建物の中から何人か駆け寄っていく。その中に、有利と同じくらいの背丈をした少年がいた。

『またあいつか』
 
 わふわふと駆けてくる麦わら色の髪に、有利はツクンと胸の内が刺激されるのを感じた。トルパの地に身を寄せている人間の少年、カールだ。彼が同性であるアリアズナに肉欲満点な希望をぶつけているらしいということは、流石に鈍い有利も知っている。この風変わりな少年には、《恥じらい》という言葉が欠けているようなのだ。眞魔国では同性カップルも珍しくないとは聞いたが、こんなにあけっぴろげな求愛は今のところここでしか見ていない。

「アリアリさーん!抱いてーっ!!」
「テメェ…っ!」

 ぴょーんっとカエルのように飛びついてきた身体を抱き留めながらも、コンラート達と共に馬でトルパに戻ってきたアリアズナは、パカンと間の抜けた音を立ててカールの頭を叩く。
 ドヤ顔の時には危険な香りさえ漂わせるアリアズナだが、今は軽く頬を染めて恥ずかしそうだ。意外とこの男、常識人であるらしい。

「いい加減にしろよっ!?俺ぁガキの…それも、男のケツなんざ掘る趣味はねぇと何遍言えば分かるんだ!テメェの頭の中に詰まってんのは麦わらか?あぁんっ!?」
「スゴむ顔も格好イイや、アリアリさん。大好き〜」
「絡みつくな!」

 《ふんぎぎぎ》と引き剥がそうとしながらも、手酷く殴ったりはしない。すげなく罵倒しながらも、にこにこ顔で引っ付いてくる少年を本当の意味で無碍にすることは出来ないのだろう。とはいえ、受け入れる気も無さそうだが。

『カールもカールだよな。あんだけはっきり拒否られてるんだから、普通に可愛がられる立場に落ちついときゃ良いのに』

 そうすればアリアズナだってもっと穏やかに応対してくれるだろうし、困らせることだってない。

『可能性のない恋なんて、自分にとっても相手にとっても面倒なもんだろうにさ』

 ツクン。
 また、胸の中を何かが突く。
 ごく常識的なことを考えたつもりなのだが、それは決して有利を納得させているとは言えなかった。

 ちろりとコンラートの様子を伺うと、微笑ましそうな顔をして旧友と少年の遣り取りを眺めている。

「カールの奴、めげないよな〜」
「一途ですよね。あのまっしぐらなところは見ていて楽しいな」
「…そう?」
「ええ、ちょっとユーリにも似てません?勿論、ユーリほど可愛い子ではありませんけどね」
「似てねーよ。つか、俺が一番カワイイとか思ってんのも、あんた親の欲目的なアレだから」

 ぷくんと唇を尖らせてしまうと、如何にも拗ねているようで恥ずかしい。実際問題として、自分が何に対して不満で、拗ねているのかよく分からないのだけど、カールと比べられると二種類の意味で《不本意》であるらしい。

 ひとつは、勿論《俺はあいつみたいに可能性のない恋にしがみついて、見苦しい真似なんかしてない》ということなのだが、もう一つの意味は…どうも明確には掴めない。

『なんだってんだろうな』

 それこそ、普段はカール以上に直情型と認識している有利だからこそ、こんなにも不明瞭な感情でモヤモヤしている状態が居たたまれなかった。



*  *  * 




 夕食をとってから屋外に出ようとすると、コンラートがついて行くと言ったのだが、《ちょっと一人になりたいから》と言ったらえらくしょんぼりしてしまった。《すぐに戻るから!》とあわあわしながら言えばすぐにニッコリと笑っていたので、多分有利をからかっているのだろう。

『人の気も知らないでさ』

 などと一人ごちてはみたものの、そういえば自分でも分かっていない《気》などコンラートに分かるはずもないだろう。

 屋内に残っていてもコンラートは有利の気配を辿っているだろうから、約束通り建物からは離れずに空を見上げてみた。無用に心配させたいわけではないのだ。

「綺麗…」

 降り注ぐような星空は、日本で見たものとは違っているようだ。当たり前だが、今の有利は地球とは全く違う世界にいるのだ。それに、明かりが少ないせいか怖いくらい星々の光が目に染みる。畏怖さえ感じさせる美しさに、有利の手は無意識に傍らの空間を掻いてしまって軽く頬を染める。つい癖で、《怖いくらい綺麗だね、コンラッド》と口にするところだった。意識して離れてきたというのに、こっぱずかしい事だ。

「あ、ユーリ様ー。こんばんはー」
「様はいらないよ、カール」

 さらりと返しながらも内心ドキンとしてしまう。ときめきというわけではなく(当たり前だ)、見ていると色々な感情が噴き出してくる相手だからだ。
 星明かりの中を馴れた足取りでふわふわと歩く姿は、どこか浮世離れしている。それほど美少年というわけではないのだが、いつもニコニコしているせいか何とも言えない愛嬌の持ち主だ。

「どこか行かれるんですかぁ?」
「ううん…。ちょっと、星見てただけ」
「コンラート様と見たらいいのに」

 思わずむっとしたような顔になったのに気付いたのか、カールは不思議そうに小首を傾げている。

「ケンカしたの?」

 早速敬語は忘れているらしい。別に良いけども。

「違うよ。ちょっと一人になりたかっただけ」
「そっか」

 そのまま営舎の方に向かっていくカールに、止せばいいのに声を掛けてしまった。

「アリアズナのとこ行くのか?」
「うん。出迎えの時に《ちったー恥じらいを持て!》って怒られたから、今度はしっぽり寝込みをおそうのー」
「襲っちゃうのかよ…」

 その時点で《しっぽり》要素は皆無だろう。

 呆れたように眉根を寄せると、《はあ…》っと溜息をつきながらカールの両肩を掴む。有利も線が細い方だが、カールはそれ以上にガリガリで、心配になるくらいだ。頬にはそれなりに肉があるからこの地で食べさせて貰っていないわけではないと思うので、成長期に栄養が取れなかったせいなのかなと思う。
 
「あのな?そーゆーのって逆効果じゃね?」
「でもさーアリアリさん、オトナだからさー。おれから行かないと、もっと可能性ナイんだもん」

 カールは悪びれた風もなく唇を尖らせる。

「そうだよ、オトナのヒトなんだよ。しかも男好きじゃないんだ。可能性ないんだから、諦めろよ」
「あきらめたら可能性なくなっちゃうじゃーん」

 噛み合わない。
 分かってはいたが、全く噛み合わない。

「…………あの人、変に迫らなかったら優しいんだろ?だったら困らせないであげた方が良いんじゃない?」
「でも、おれはあの人が大スキなんだ。そういう意味でスキって知ってるのに、ガマンするのはヤダよ」

 思いっ切り我が儘な主張だと思うのだが、澄み切った春の空みたいな目で言われると、どうしてだかそれ以上言えなくなる。あまりにも純粋な気持ち相手には、色んな計算など色が薄れてしまうのだろうか。

 それをどこかで《羨ましい》と感じてしまう自分が、不思議だった。

『ナニが羨ましいんだよ』

 苛立たしさに唇を噛んでいると、心配そうにカールが肩を撫でてきた。

「だいじょうぶ?」
「…なにが?」
「おれ、悪いコトいった?ユーリ様、泣きそう」
「泣いてなんか…」

 目を擦っても涙など別に出てはいない。ただ、鼻の奥がツンとする感覚は、確かに泣きそうな時に似ていた。
 カールは困ったように小首を傾げていたけれども、自分の中から何とかして言葉をひりだしてきたように、ぽつらぽつらと不器用な言葉で話しかけてくる。 

「あのさ、あとさき考えずにぶつかってくのって、コドモの方からやんないとイケナイこともあると思うんだ」
「…相手に迷惑でも?」
「本気でメイワクだって思ったら、おれだってさすがにやめてる」

 にしゃりと笑う顔は意外と男くさくて、この少年が《空気を読めない》からこそ体当たりを続けているわけではないと教えていた。

「アリアリさんはすごくやさしいよ。おれが人間の軍で身体中の孔っていう孔をボロボロにされてんの知ってて、すっごい怒ってくれた。そんで…泣いてくれた。すっごいすっごい…やさしい人だ。でも、おれはあの人にこそ抱いてほしい。そのことをちゃんと知っててほしい。おれが、あの人をほしいんだって知っててほしい。ホントに分かってくれるまで、やめない」

 そう告げたカールの瞳は普段の茫洋とした様子を払拭して、澄み切った存在感を見せていた。そんな相手に説教を続けるほど、有利は無粋ではなかった。

「そう…」

 優しくて、誰よりも親切にしてくれて、自分を欲望の目で見ない人。それに無条件に包み込まれる幸せよりも、本当に欲しいものを手に入れる為に向かっていくのか。
 
『本当に、欲しいもの』

 それが手に入れば、もうこんなにモヤモヤしたりしないのだろうか?
 欲しいもの。
 そう、欲しいもの…。

『そうか、俺…コンラッドが欲しいんだ』

 既にこれ以上ないほど手に入れているみたいだったから気づかなかったけれど、これはやはり欲求なのだろう。図々しいほどのカールの態度を見ていて、初めて気付いた。

『欲しい…』

 魔王としてではなく、仕えるべき主としてではなく、無条件に愛すべき養育対象としてではなく、ただひとりの渋谷有利として愛して欲しい。

 有利が、コンラートを愛しているように。

 ストンと胸の中に落ちてきた感情に、ぽろりと目から零れるものがあった。カールは《ああ〜…》と少し慌てたようだが、有利がぽろぽろと涙を零しながらも満足そうに笑っていたせいか、安心したようにまた歩き出した。

「じゃあ、行くねぇ?」
「うん」

 こっくりと頷いた有利に手を振ると、カールはまた軽やかな足取りで去っていった。
 ぽぅんぽぅんと宵闇の上で弾むような足は、星空の中を渡るようだった。



*  *  * 




「ユーリ、どうしたんです?何だかスッキリした顔をしておられますね」
「うん、ちょっとね」

 宿の扉を開けてコンラートが迎え入れてくれると、暖かな洋燈の光を受けた姿が柔らかな描線を描いて有利の胸に沁みる。背の高いシルエットが映えて、その存在をくっきりと心の中に際だたせていた。

 好き。
 大好き。

『ああ、この人が俺の好きな人だ』

 やっと気付いた、本当の気持ち。
 出会った日からずっと続いていたはずの《大好き》なのに、いま抱いている《大好き》は、明確に違うものだった。
 いや、抱くことは抱いていたのだろうけれど、その違いが分からなくてずっとモヤモヤし続けていたのだ。

「コンラッド…!」

 腕を伸ばしてコンラートに抱きついていくと、優しく抱きしめ返してくれた。くすくすと零れる笑い声は実に楽しそうで、有利の様子に何の違和感も覚えないらしい。

「おや、甘えたさんですね」

 性的なものを何も感じさせない、《家族》としての動作に胸が微かに痛んだけれど、それは仕方のないことだ。

 有利から発信しなければコンラートは一生涯、こんな風に抱きしめてくれるのだろう。それを失う可能性を考えてぶるりと背が震えたが、有利は意を決して顔を上げた。

「コンラッド…俺、ね。コンラッドのこと…大好きだよ?」
「嬉しいな、ユーリ。俺も大好きです」
「うん…うん」

 最初から《大好き》な者同士だから、余計にややこしい関係の自分たちが、新しい《大好き》同士になれるだろうか?踏み出すことで、以前の《大好き》にヒビが入る可能性の方が高いだろうか?

 けれど、気付いた以上は踏みとどまれない。有利はそういう生き物なのだ。今なら、同じ生き物なのだろうカールの気持ちがよく分かる。

「コンラッド…。俺の《好き》は、もっと欲張りだ。あんたを誰よりも自分のものにしたいんだ」

 濡れた瞳で見上げれば、微かにコンラートの口角が緊張するのが分かる。優しい琥珀色の瞳には、どこか怯えたような色さえ混じっていた。全てを余裕で受け止める彼の、こんな表情を見たのは初めてのことだ。

「ゴメンね?」

 するりとコンラートの頬に掌を寄せていけば、ふわりと瞼が伏せられる。意外と長い睫が、洋燈の光を受けてけぶるようなオレンジ色に見えた。

「何故…謝るのです?」
「俺、多分カール並にしつこいよ?しかもコンラッドのことだから、アリアズナみたいに力一杯拒否とかできないもんね。それが分かっててつけ込むみたいで悪いけど…俺、もう遠慮とかしないから、覚悟して?」

 挑むように…それでいて、止めることの出来ない震えを帯びながら、辿々しい仕草で背伸びをして、コンラートの薄い唇に自分のそれを重ねてみた。冷たくて滑らかな感触に、脳内で何かが《ぱふーっ!》と蒸気音を立てる。脳内血管が沸いたのだろうか?

 数秒の後、ちゅ…っと濡れた音を立てて唇を離した有利は、固く閉じていた瞼をゆっくりと開いていった。コンラートがどんな顔をしているのか知るのか怖かったのだが、上目遣いに確認した彼の目は、初めて見るような形態をしていた。

 点。

 それが最も的確な表現だろう。
 コンラートの瞳は漫画みたいな点目になって、身体の動きが完全に止まっていた。

『う…。そ、そういう反応は無いんじゃないか?今までは《親愛のキスです》とかいって、俺が嫌がってもちゅーちゅーほっぺとかにキスしてきたくせにっ!』

 いくら唇が特別な場所とはいえ、可愛がっていた有利がしているのだからもーちょっと《微笑ましい》くらいには思ってくれないだろうか?
 あ、いや…その微笑ましいような親子臭さから脱却する為に思い切った行動に出ているのだから、作戦の成果としては正しいのか?

「…ちょっとは分かった?あの…俺、こういう意味であんたのこと好きなんだぜ?」
「ええと…その、ユーリ?ユーリですよね?本当にユーリですよね?」

 コンラートはやっとのことで点目を脱したものの、今度はえらく心配そうな顔をして有利の頬を撫で回したり鼻筋を指で辿ったり、額に手を当てたりしている。誰かが化けているとでも思っているのだろうか?

「そーだよ、ユーリだよっ!間違いなくそーですっ!!なんだよ畜生っ!そこまで俺のこと対象外にしてんのかよーっ!!」

 いい加減腹が立ってきて、コンラートのシャツをはだけて鎖骨の内端にガブリと噛みつけば、白い肌に映える丸い痕にちょっと満足する。

「へへ。どーだ!」

 にしゃりと満足そうに笑った顔はまるっきり子供っぽいものだったのだろうけど、コンラートの生肌に齧り付くという獣じみた行為に興奮していたせいか、有利としてはこの上なく大人っぽいことをしたような気がしていた。

 おまけにちろりと噛み痕を舌先で辿り、もう一度コンラートの目を見上げてみたら…今度は、有利の方が絶句することになった。

「……ユーリ、本気だって…信じて良いんですか?」

 なんですかこの人。
 有利は思わずぽかんと口を開いて惚けてしまった。

 なんて、なんて…。

『なんて色っぽい顔してんのアンタ…っ!?』

 それは度肝を抜かれるほどに艶かしい表情だった。まだ感情を押し殺すような頑なさを残しながらも、琥珀色の瞳の奥にちらついているのは、有利にもそうと知れるほどに淫らな焔だった。それが匂やかにコンラートの肌身から立ち上って、えもいえぬ色香を漂わせている。

「ほほほほほほほほほほ…ほ、本気デスともさっ!」

 反射的に口角が引きつって、何だか高笑いみたいな声になってしまったがそれはしょうがない。自分でも背伸びしている自覚はアリアリなのだから、せめて覚悟くらいは必死にアピールせねばならなかった。少なくとも、これだけ頑張って意思表明をしておけば、冗談でこんなお誘いが出来る男でないことくらいは、コンラートも察してくれるだろう(と、期待したい)。

「本当?」
「ホントホント」

 こっくこっくと振り子人形みたいに頷き続けていたら、コンラートから立ち上る色香はますます強くなり、今や遠慮容赦なく(?)濡れた眼差しは陶然として有利を見つめている。これはもう、何処からどの角度で見ても《子供を相手にした真っ当な大人の男》ではない。

 明確に、コンラートは雄としての情欲を示していた。
 そりゃあもう、意を決して告白したはずの有利が、ついつい腰を引かせてしまうくらいに。

「嬉しい…」
「ま、マジでぇっ!?」

 うっとりととろけるような声音に、思わずビビったような声を上げてしまう。

『いや…だって、ちょ…っ!こ、こんな思い切りよく陥落してくれるとか思わないし…っ!』

 ここ数日アリアズナとカールの遣り取りを見ていたせいか、長丁場でコンラートを攻略していく気満々だったのだ。なかなか有利の本気を分かってくれない《優しいお兄さん》相手を、ちょっと大胆な方法で陥落していくのだと…。

 だってだって。鋼鉄の意志を持つと言わる剣聖が、拙いキス一つで誘惑完了なんてお安い相手の筈が無いではないかっ!
 熱を孕んだ琥珀色の瞳に見据えられ、耳朶に注ぎ込まれる声にぶるりと震えてしまう。それでなくとも甘く響きの良い声が、殆ど殺人的なまでの魔力で若い性を高ぶらせる。

「好きと言うより、俺は愛していますよ…ユーリ」

 何かに向かって《詐欺だ!》と叫んでしまったのは、情熱的に腰を引かれて部屋の中に連れ込まれ、後頭部をがっしりと片手で固定された状態で、とろけるようなキスを受けた後だった。










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