第3部 第8話







 けろけろけろっぴと胃の内容物を吐き出したコンラートは、ほどなくして意識を取り戻した。状況を瞬時に理解した彼はユーリの気配を辿って件の部屋に辿り着くと、鍵穴から言い争うガイバルトとクリムヒルデの様子を見て取ってから、剣をふるって扉を斬り倒した。

『なんて事を…っ!』

 目の前の光景に、ざ…っと全身の血の気が引く一方で、噴き上げるような怒りが脳天を突く。引き裂かれた衣服の無惨な様子に(容赦ない平手打ちを喰らって鼻血が出ているクリムヒルデは、悪いが視界には入っていなかった)、コンラートは剥き身の刀身をガイバルトの喉元に突きつけた。

「ひ…っ!」
「…覚悟は、よろしいか?」

 《殺す》…

 明確な意志を叩きつけられて、ガイバルトは全身の毛穴からどうっと汗を噴きだしていた。

「いや…これは、その…っ!」

 見苦しく弁明しようとするガイバルトだったが、縮こまっているとはいえ、股間を露出させた状態ではどんな言い訳もきくまい。何とか肉塊だけでも隠そうと焦ったのが拙かったのだろう。
 ジョリ…っ!と勢い良く上げたチャックが…。

 ズン…っと肉塊に食い込んだ。

 
 ぎゃぁああああ……っ!
 ブシュゥウウウ………っ!!


 鉄製の雑巾を引き裂くような絶叫と、あらぬ場所から噴き出す血飛沫の音が、夜の静寂に鳴り響いた…。



*  *  * 




 フォンロシュフォール卿ガイバルトは、衛兵に突き出されることなく医療機関に搬送されていった。治癒後も、正式な罪状で訴えを起こす予定はない。未遂であったこともあるが、目覚めたユーリに与えるショックが慮られたというのが最大の理由だ。

 ただ、ガイバルト自身は二度とそのような行状に及ぶことは出来ないだろう。性器を勢い良くチャックに巻き込んでしまった折、そこから雑菌が侵入したのか、結局切断を余儀なくされたのである。尿道は何とか保持されたものの、精管伝いに両側の精巣炎も起きたことから、陰嚢の摘出手術も行われた。これにより、ガイバルトは男としての生殖機能を全て失うことになった。

 同時に、全てを十貴族の有力者であり、コンラートの兄弟でもあるグウェンダルやヴォルフラムに見られたことも自覚している以上、流石に厚顔無恥な男とはいえ、大臣の座に固執することは出来なかった。

 更に後日、彼は有形無形の《懲罰》を我が身に受けて、身を持ち崩していく。
 事を秘したはいえ、双黒の大賢者が気付かないはずもないのだから…。筆舌に尽くしがたい苦痛をもって後悔の日々を送ることは、当然の事と言えよう。

 ただ、それが現実のものになるのは後日のことであり、眠り続けるユーリを見守るコンラートに予見の力は無い。

『あんな男に、触れさせてしまうなんて…!』

 コンラートは自分自身の身が無事であったことがどういう意味を持つかなど、この時には考える余裕も無かった。昏々と眠り続けるユーリの頬を掌で撫でつけ、そのまま着替えさせた寝間着の胸元へと指を伝わせる。

『穢れなき君の身体を、他の男が蹂躙するところだったのか…!』

 狂おしく指を這わせ、震える唇を押しつけてもユーリは反応を示さない。コンラートと同じように嘔吐させれば多少は目覚めも早くなるのだが、《眠り茸》の作用自体はとにかく眠り続けることと、多少発熱するくらいなものだから、無理に嘔吐させることで身体に掛かる負担の方が大きいと判断された。

『ユーリ…君が欲しい……っ!』

 この渇望がどのような心理から来ているのか、理性としては判じることが出来る。ユーリの息づかいも肌触りも全て、《自分のもの》だという実感が欲しいのだ。自分の存在の全てをユーリの身に刻むことで、安心感を得ようと言うのだろう。

『独りよがりな…自己満足だ。ユーリの為などではなく、ただ己の安寧の為だけに、恐ろしい目に遭うところだったユーリを、欲しているのか俺は…っ!』 

 自責と渇望の渦巻く思念は、臓腑を焼き尽くすような熱さで責め立ててくる。
 コンラートの深い呻吟は、翌日の昼過ぎになってユーリが目覚める頃になっても続いた。



*  *  *




「ん…コンラッド?」
「おはよう…ユーリ」
「どうしたの?なんか、顔わるいよ?」

 《顔色だろう》と突っ込む気にもなれなかった。実際、心境を繕うことなく反映した顔は、憔悴しきってさぞかし不細工だろうと思うし。

「何でも…ないんだ」

 真実を伝えることなど出来ない。だが、心を鎧う事もできなくて、コンラートは切なげな眼差しでユーリを見つめた。

「ユーリ、キスして良い?」
「んん?」

 きょとんと小首を傾げるユーリにの唇へと噛みつくようなキスをすると、特に抵抗はしなかったが、吃驚したように目を見開いていた。

『この唇が、舌が、唾液が…汚されていたかも知れない』

 その焦りと怒りが反映されるのか、コンラートは何時になく容赦ない所作でユーリの咥内を翻弄していく。息をすることも覚束ないユーリは、危うく窒息しそうになっていた。

「こ…コンラッド…はぅ。息…できな…」
「御免…止められない」
「ん…っ…」

 寝間着の合わせ目をはだけて手を忍ばせていくと、胸元の滑らかな肌を指の腹で伝い、コリっとした肉粒にくりくりと指先を引っかける。

「コン…ラッ…そこ、だ、だめ…」
「…」

 返答する余裕もなくて、硬く痼り始めたそこを肉眼視しようと寝間着を完全にはだけてしまう。透き通るような白い肌がシーツの上に映え、窓から差し込む陽光を浴びて愛らしく輝く。微かに膨らんだ胸にちょこんと載る肉粒は、珊瑚色の色合いを湛えて浅く上下していた。

「ぁ…っ!」

 熱い舌を這わせれば、柔らかな粘膜が硬く痼る尖りを捕らえた。



*  *  * 




『どどど…どうしちゃったんだろう!?』

 何時になく切羽詰まった雰囲気のコンラートに、ユーリは目を白黒させて動揺していた。今までも何かの折りに迫られることはあったが、今は何かに傷ついているかのように切なげな眼差しをしている。
 それを何とか包んであげたくて、ユーリは羞恥と戸惑いを声に出さないようにして腕を伸ばした。

「コンラッド…今、エッチしたい気分なの?」
「君が欲しくて…堪らないんだ。どうか…君に触れることを赦して欲しい…!」

 絞り出すような声は、普段のコンラートとは違いすぎる。今までも性欲が極まった時には、肉体的な欲望と、渋谷家との約束との板挟みで苦しげにはしていたが、その様子にはどこかおかしみさえあった。だが…今のコンラートには、冷やかすような隙さえない。息が詰まるような緊張感が、彼の全身を覆っているのだ。

 一体何がコンラートはここまで追い詰めているのか、その事が気がかりだった。

『あれ…?そういえば俺、昨日の夜どうしてたんだっけ?』

 昨日は楽しく宴のひとときを過ごしていたのだけれど、不意に尿意を覚えてトイレに向かった。
 《ついて行く》とコンラートは言ったけれど、おならも出そうだったのが恥ずかしくて《ついて来ないで》と懇願して、トイレでぷっぷくぷーと出してすっきりして。そして…帰り道、急に眠たくなってしまった。
 如何ともしがたい睡魔をいなすことが出来ずに、一体どうしていたのだろうか?

 コンラートがここまで連れてきてくれたのは間違いない。けれど、もしかして…彼の手に保護される前に、ユーリは他の誰かに触れられたのだろうか?
 懸命にコンラートが触れることを戒めているこの身体に、誰が…?

 急に背筋がぞくりと震えた。

「おれ…おれ、だれかに…エッチなことされたの?」
「…っ!違う…っ!そうじゃない…ユーリ…っ!」
「だって、そうでなきゃ…あんたがこんなに追い詰められるはずないもん…っ!」

 断定すれば、コンラートの瞳は泣きそうに歪められる。
 あれほど我慢強い人がこんな表情をするのだ。ただ事である筈がないではないか。

「ごめん…おれがユダンしてたから…あ、あんたにあんなにガマンさせてたのに…。へ、へんなこと…だれかに……」

 ユーリも泣き出しそうになって顔をくしゃりと歪めていると、コンラートは力強い腕で抱き寄せてきた。これ以上秘密にし続けることは余計に誤解を深めるだけと悟ったのか、掠れる声で苦しげに状況を説明してくれる。

「何もされてはいないよ。ただ、未遂とはいえ…ガイバルトに強姦されそうになったのは確かだ。クリムヒルデが騒ぎを起こしてくれなければ、あるいは…俺も間に合わなかったかも知れない」

 ガイバルト…確か、悪い噂のある大臣だったはずだ。クリムヒルデとは同門の出であったはずだが、彼女は混血に対する敵愾心よりも正道を重んじてくれたのだろうか?

「そうなんだ…」
「すまない、ユーリ。余計に君を不安にさせてしまった。可能性があったというだけで、君自身が汚されたわけではないというのに、それでも俺は…耐えられなかった…っ!」
「そっか、じゃあまだなんかされた訳じゃないんだね?」

 少し安堵したものの、本当にそうなのかやっぱり不安になってしまう。ユーリは寝間着を勢い良く脱いでいくと、下着も脱いでちょこんと寝台の上に正座をした。

「えと…コンラッド、念のため…確認してくれる?」
「確認…?」
「うん。おれのカラダ、その…さわったり、なめたりして…変なトコがないか確認してくれる?そんで、変なトコとかあったら…あんたの手で、キレイにしてくんない?」
「…っ!」
「ヘンタイのおっさんに、ちょっとくらいさわられても、き、きらいになったりしないよね?」

 うるりと瞳を滲ませて問えば、《当たり前だ》と言わんばかりの勢いで口づけられた。

「嫌いになんか…どうしてなれる!?こんなにも、狂おしいほどに愛しているのに…っ!」
「コンラッド…。おれをあんたのものにしてよ」

 両親との約束を破ることに躊躇はあるが、この場合はどうか赦して欲しい。欲望に負けたわけではなくて、今の自分たちには何か《確かなもの》が必要なのだ。身体を繋ぐことが絶対的な絆になどなるわけではないと知っているけれど、それでも、可能な限りの方法でコンラートを確かめておきたかった。

 剥き出しの腕を伸ばしてコンラートの首根っこにしがみつけば、さらりとした質感の髪が二の腕に触れて、泣きそうな顔をしたコンラートが間近に迫る。

「ユーリ…ユーリ……っ!」
「コンラッド…大好きだよ。おれのぜんぶで、あんたを…あ、あいしてるから、だから…」

 《抱いて》。

 男の身から出す言葉としてはかなり恥ずかしくて、真っ赤になってしまったけど…コンラートは熱烈に応えてくれた。



*  *  * 


 

 存在を確かめるように、掌と指に分布する全ての神経を集中させて丁寧に触れていく。
 細い首筋、くっきりとした鎖骨、淡く隆起した胸板とほっそりとした腰…そして、下肢を開けさせて明るい陽光のもとに恥ずかしい部分をさらけ出す。

『何も、されていない』

 状況から分かってはいたけれど、明瞭に視覚で確認すると心から安堵できた。同時に、真っ赤になった顔を両手で覆っているユーリに堪らない愛おしさも感じる。

『こんな姿を見ることが出来るのは、この世界に俺だけだ』

 本来は男色の気など微塵も持たないユーリが、《抱かれる》という形で二人の関係を容認したのは意外なことではあった。コンラート自身、女性はともかくとして男性に言い寄られる場合は、《抱いて》というより《抱かせてくれ》と請われることが多かったから、ユーリもまたそうなのではないかと考えていたこともあった。

 どういう形で結びつくかについて検討したことはないが、ユーリが自然とこのような関係を選んでくれたのは、多分にコンラートを思いやってのことなのではないだろうか。

『ユーリは俺に、全てを与えるつもりなんだ』

 奪うより、与えることを望むこの子だから、そのような選択をしてくれたのだろう。

『愛おしい…俺のユーリ』

 コンラートに様々な夢や欲望を委ねてくる者は多くいるけれど、こんなにも全てを与えようとしてくれる者がいたろうか?コンラートに何かをして貰うことではなく、してあげたいと望む者が…。

「肌寒くない?」
「へいき。熱い…くらい」

 震える声は怯えているわけではないようで、恥ずかしさに揺れているだけだと分かる。 コンラートは身につけていた衣服を全て脱ぎ去ると、ユーリの脇を抱え上げて、ぴたりと密着させる形で自分の上に載せる。

「コンラッド…おれ、あんたのフトンみたい」
「それは良いね。君に、包み込まれてるみたいだ。肌の全部に君が感じられて…とても、気持ちいいよ」
「うん…」

 とくん…とくんと拍動を刻む二つの心臓が、互いの存在感を伝え合う。焦れたように揺れる背中や腰にするすると手を回して撫で回していけば、熱さを纏う肉体が強く擦り合わされる。

「濡れてるね」
「あんたも…」
 
 ゆっくりと、感じる肉体が変化していく。首筋や鎖骨、耳朶へと熱い舌を伝わせていけば、浅く上下する胸板がコンラートのそれに擦り合わされる。こりりとした互いの尖りが交差して、二人の谷間で淡く色づいていく。

 もどかしいような刺激に、ユーリは自ら腰を蠢かせ始めていた。

 


【ご注意】


 約束破りなコンユ、パパとママに内緒の初体験であります。
 それほど吃驚するような展開ではなく、互いの存在を確かめ合うようにじっくりと(ある意味もどかしく)、でも最後までやっちゃいます。

 長い禁欲生活の果ての試練に辛抱堪らなくなったコンラッドの、青臭いエッチを見てみたい方は別缶の方に自力で行って下さい。

 その間の話は別に良いやと思われた方は、 第10話 にお進み下さい。