第3部 第2話
感涙の中で迎えられているヴォルテール筋の出会劇とは異なり、仏頂面を付き合わせたまま、どうしたものか分からないような有様の再会劇も繰り広げられている。
「…」
「……」
グランツ家の当主たるユールヴァスと、王太子の指導官として血盟城勤務が決まっているアレクシスは、自分たちの前にずかずかとやってきたアーダルベルトに対して、何と言ったものやら判じかねていた。
言いたいことがないわけでは決してない。寧ろ、ありすぎて何から言って良いものやら分からないのだ。
焦れたように眉根を寄せたアーダルベルトは、不意に口を開いた。
「親父、あんたの跡取りはそこのアレクシスにしときな」
「…久方ぶりに会った父に対して、最初に言うべき言葉がそれか?次代当主の座は勿論のこと、貴様の籍など既に抹消している。言われずとも、私はアレクシスを次代の当主として養成するつもりだ」
「へえ、そうかい。じゃあ…わざわざ言いに来て無駄になったな」
元から十貴族の跡取りとしては荒々しすぎる言葉遣いではあったが、長い放浪生活のせいか、アーダルベルトは優雅さとはほど遠い所作を見せて、皮肉げに口の端をあげる。
「俺の方は眞魔国に対しても、グランツ家に対しても何の未練もない。すぐに船を見つけて大陸に…」
「アーダルベルトのバカ…っ!」
ぽか…っ!
マントを靡かせてくるりと父達に背を向けた瞬間、真っ正面からアーダルベルトは額を叩かれた。相手は、背伸びをして腕を思いっ切り挙上した王太子殿下だ。
「ユーリ…お前、ナニしやがるっ!」
「それはこっちのセリフだよっ!バカかあんたはっ!わざわざ何週間もかけて帰ってきたのに、苦労かけたお父さんにひどいこというなっ!ちゃんとあやまれ…っ!」
「こ…このバカ殿下がっ!」
思いがけない《バカ》の応酬に、生真面目なユールヴァスもアレクシスも完全に固まっていた。《王太子に暴言》…《グランツ家はもう終わりだ》…二人の脳裏をぐるぐると絶望という名の黒い翼が行き交うが、漆黒の髪と瞳を持つ美貌の王太子は、最終宣告など突きつけたりはしなかった。
代わりに、申し訳なさそうに…アーダルベルトの裾を引っ張りながら頭を下げているではないか。
「ユールヴァス、アレクシス…ゴメンね?この人もちゃんと船の中では、よっぱらったときとかに《めいわくかけた》とか、《何て言ってあやまって良いのか、かいもくケントーがつかねぇ》…とか、ぶつぶつぶつぶつぐちぐちぐちぐち言ってたんだよ?なのに、いざ二人を前にしたら、はずかしくて口にできなくなったみたい」
「お前なぁ…っ!」
無理矢理口を塞ごうとするアーダルベルトに対して、アレクシスが素早く背後に回り込むと、がっしりとホールドを掛けた。拘束術に長けている為、大柄なアーダルベルトもぴくりと動けなくなってしまう。
「アレク…っ!て、てめぇ…っ!」
「まだ…その名で呼んで下さるのですね?」
苦笑しながら耳元に囁くアレクシスに、アーダルベルトはばつの悪そうな顔をしてぶつぶつと愚痴る。それは、共にグランツ領で学んだ時代に親しみを込めて呼んでくれた名だった。
「何だよ…悪いかよ」
「いいえ、ちっとも」
「じゃあ離せよ」
「呼び名と拘束は別です。王太子殿下の発言を妨げることは許されませんので、しばらく大人しくして頂きます」
「このぉ〜言うようになったな、アレクっ!」
心なしか、アーダルベルトの声が嬉しそうなのは気のせいだろうか?
「お前がユーリの指導官に任命されたと聞いたときには、ちっと心配してたのさ。グランツ家の立場を考えりゃあ、他の十貴族…今は十一か?まあ、そういう奴らは勿論のこと、他の連中だってお前を軽んじる…。きっと、くそ真面目なお前のことだから、無駄に悩んでぐるぐるしてるだろう…ってな」
「ご心配なく、それなりに…やっていけますから」
「そうか…」
そんな遣り取りをする間にも、有利は旅の間に上達してきた眞魔国語を駆使して、精一杯にアーダルベルトの想いをユールヴァスに伝えていた。
「《あとをつぎたくない》っていうより、《つぐべきでない》って思ったんだよ。だから、気もちよくアレクシスがあとをつげるようにって、眞魔国までかえってきたのに…ほら、ムスコさん、すなおじゃないでしょ?」
「申し訳ありませぬ。私の養育が至らぬせいで…」
「ユールヴァスはりっぱだよ?おれ、すごいなって思うこといっぱいあるもん」
「お心遣い、ありがとうございます」
「ただねー…グランツの人ってマジメな人が多いから、自分たちのことせめすぎてるのは心配だよ。おれ、魔王さまにも相談して、このじょーきょーを何とかしたいの!」
むん…っと両の拳に力を入れる有利は、本当にグランツ領のことを心配してくれているらしい。
「アーダルベルトもね、その為に眞魔国に帰ってきたんだよ?」
「そう…なのですか?」
「うん、なのにとっとと帰ろうとするから、つかまえたんだけどね」
アーダルベルトは自分が眞魔国国境を侵した罪を正式に謝罪し、賠償金を支払うつもりでいるらしい。悪しき金も含まれているのだろうし、それで全て彼の罪が償われるわけではないにしても、継続して眞魔国に敵対し続けていることを考えれば、目覚ましい状況の改善といえる。
「殿下が…説得してくだすったのですか?」
「ううん、おれは…ちょっとだけ考えてみてって言っただけ」
それを、《説得した》というのではないだろうか?はにかむように微笑む有利を見やりながら、アレクシスは初めて顔を合わせて、血盟城で語ったときのことを思い出していた。
有利は《対話によって領土間の協調を促し、人間の国家に対しても友好の輪を拡げていく》と言い、アレクシスは過去の事例を引き合いに出して、純血・混血ですら深い溝がある眞魔国の現状を訴えて、話は平行線を辿り続けていた。この甘い見立ての少年と分かり合うことなど到底不可能だと思っていたのに…彼は人間の国家との友和と、それに基づく《禁忌の箱》の昇華という、堂々たる成果を上げて帰還してきた。
しかも、何十年も前に眞魔国を出奔して仇為し続けていたアーダルベルトを改心させるとは…。
もはや、アレクシスの狭小な視野で推し量るべき人物で無いことは確かだろう。
『それに、あのコンラート閣下が深く愛しておいでのお方なのだ』
出会ったばかりの頃には、とかくその美貌にばかり目が行って、コンラートもそこに魅了されたのだとばかり思っていた。だが…今では、それは要因の一つに過ぎないのではないかと思っている。
『このお心在るからこそ、王太子殿下はこれほどまでに輝き、コンラート閣下もまた、どうしようもないほどに惹かれてしまわれるのかもしれない』
その事をもっと深く知るためにも、アレクシスはあれほど厭うていた指導官生活を、今では心待ちにするようになっていた。
* * *
ニコラを伴ったグリーセラ卿は、別経路を辿って故郷に戻っていくことになった。驚いたことに、夫妻は魔族と結ばれた他の女性達についても《当面の世話をさせて欲しい》と言ってくれた。これは、ニコラと親しくなっていた女性達の心情を慮ってのことだろう。
一方、指導官を含む十一貴族の面々は、殆どがそのまま血盟城に向かうことになった。旅路は基本的に馬車か大型の荷馬車である。
ガタタン
ゴトトン…
たくさんの対面に疲れたのだろう、グレタは有利の肩に頬を寄せると、そのまま眠ってしまった。有利はその身体をずらして、色とりどりのクッションの中に半ば埋もれさせてやる。その姿は、まるでお人形さんのように可愛らしかった。
ちいさな子どもが眠ると、話は自然とこれまで言いにくかった話題に寄っていく。
「グウェン…ヴォルフラムの姿が見えませんでしたね」
ビーレフェルトの一団には、苦虫を噛みつぶしたような表情のヴァルトラーナはいたが、弟の姿は見えなかった。幾らコンラートや有利に対して隔意があろうとも、彼が指導官としての任命を受けている以上、これは考えられないことだった。彼自身に、気分だけではない何かが起こっている。そう考えるほかないだろう。
「体調不良でしょうか?」
コンラートの問いに対して、グウェンダルは頭(かぶり)を振った。
「そうであればそのまま伝えてこよう。私も、2週間前からヴァルトラーナに問いただしているのだが…珍しく歯切れが悪い」
万一我が儘を言ってヴォルフラムが出てこないのだとしても、それならそれで理由を付けて、まるでこちらが悪いみたいに胸を張ってくるはずだ。それが、何とも煮え切らぬ語調で明言を避けているところから見ると…ビーレフェルト家におかしなことが起こっているとしか思えない。
「どうしたんだろ?せっかく、気あい入れてたのにね!」
有利も肩すかしをくらったせいで、何やら不満げに唇を尖らせている。
「ああ…」
コンラートにはなんら具体策があったわけではないのだが、それでも顔を見られなかったのはかなりの肩すかしであった。やはり、直接会って言葉を交わさないことには、良い方向にも悪い方向にも物事は動きはしない。
変化がない…というのは、何とももどかしいものだ。
「じゃあさ、行ってみる?」
「え…?」
有利がぽぅんと口にした案に、コンラートはぱちくりと目を見開いてしまった。それは…直接、ビーレフェルト領に行くと言うことだろうか?
「血盟城にいくまでに、ビーレフェルトにとまる日があったよね?あの時に、こっそり家に行ってみようよ」
「だが…ヴァルトラーナが言を濁すくらいだ。素直に行かせてくれるとは思えないが…」
「じゃあ、変そうして行こうか?」
「変装?」
なるほど、それはひとつの手かも知れない。
「そうだな…」
秘められたビーレフェルトの館にこっそりと忍んでいく…それは、なかなかにスリリングな思いつきであった。
しかし、見つかったときには色々と面倒かと思って、有利の傍らに腰掛けていた村田に視線を送ったのだが、意外なことに、彼は反対しなかった。
「渋谷の案も良いんじゃない?ああいう良くも悪くも一本気な連中が口を濁すって時には、大抵ろくでもないことが多い。公開されたときには手遅れ…なんてことも考えられるからね。多少無理をしたところで、《理由も言わずに逼塞しているのが心配だった》で押し通せばさほど大きな問題にはならないよ。なんせ、こちらは指導官の教え子となる王太子殿下と、兄君なわけだからね。心配する相手として不足はないだろ?」
「村田もいっしょに行く?」
「いや、僕は遠慮しとこう。君が姿をくらましている間に誤魔化さないといけないからね。それに、正直隠密行動には自信がない」
末尾部分が一番の動機という気がする。そういえば、頭脳明晰な村田も運動神経の方はからっきしなのだ。
「よぉーし、村田の分までがんばってくるよっ!」
こうして、話は具体的な方策へと移っていった。
* * *
カッカッカッ…
苛立たしげな靴音を響かせて、ヴァルトラーナは領主館に入った。早駆けをして単騎ビーレフェルト領に入ったのだが、固まって進行しつつある集団も、馬脚の速い者であれば明日には領内に入ってしまうことだろう。
「くそ…っ…」
ヴォルフラムのことを誤魔化し切れるだろうか?
《感染力の強い疾患にかかっている》と言い逃れをすれば、これは疾患について細かく問われたり、領民への感染拡大ということで無用の混乱を招く懸念がある。また、《大怪我で面会謝絶》となれば、回復した後の誤魔化しが難しい。
かといって、《指導官として血盟城勤めをすることを嫌がっている》というのでは、如何に我が儘を許されている魔王の三男坊とはいえ、次代の当主としての資質を問われることだろう。
『ああ…全く!』
《資質》…その点に関して言えば、今回の件が明らかにされれば間違いなく追求を受けるだろう。
知られてはならない。なんとしても秘密を守り抜き、その間に《解決》してしまうのだ。具体的な解決方法を思えば、伯父として強く胸は痛むのだけど…。
知られるわけにはいかない。
ヴォルフラムの為にも、ビーレフェルト家の為にも…。
* * *
「コンラッド、これでおかしくない?」
「うーん…問題があるとすれば、可愛すぎるって事かな?」
「えー?」
ぷく…っと頬を膨らませる有利は、くりくりとした栗色の巻髪を緩く左右でお下げにして、大粒の瞳には色硝子を入れている。身につけている服は薄い水色の作業服で、ズボンはもんぺのようになっている。それだけで普通なら見窄らしくなるはずなのだが、有利の場合はどうにも、おにぎりにして転がしたいような可愛らしさが漂う。
仕方がないので三角巾を目深に被らせてみたら、少し目元が隠れて何とか目立ちにくくなってきた。
コンラートの方はと言うと、こちらは隠密行動を数え切れないくらいこなしている身なので、同系色の作業服をざっくりと着込んで、体型も平凡な形に誤魔化している。背を少し丸めただけで随分と違ってみえるものだ。
ここに、ルッテンベルク軍と併走していたヨザックも、コンラートと同様の服装で混じって貰う。彼は既にビーレフェルト家に渡りをつけていて、庭師として中庭の剪定をすることになっていた。屋敷の中に有利とコンラートが潜り込んでいる間、ヨザックは中庭で様子を見続け、場合によっては状況を誤魔化すように頼んでいる。
彼らは早駆けしてビーレフェルト領に入っており、グウェンダルと村田には有利たちが同じ馬車に乗っているように振る舞って貰い、明日の昼頃に到着予定である。
既に昼過ぎだから、ほぼ一日という時間がヴォルフラムの探索となっている。
「ここがビーレフェルトのおやしきかぁ〜。リッパなもんだね」
「この家系は代々、芸術性を尊ぶしね」
眞魔国という国は領土ごとに多種多様な気質・文化をもっており、それが特に顕著であるのは軍隊と貴族の邸宅であろうか。《贅を尽くした》という印象はシュピッツヴェーグの方が強いが《意趣を凝らした》という風情はビーレフェルトの方が強い。特に、庭木の剪定や段差を組んだ花壇と花々の調和はまことに見事なものだ。広大な庭には所々低木に囲まれた庵のような場所があって、そこでお茶を飲むのも楽しそうだ。
庭に囲まれた邸宅にも優れた建築技術が用いられており、柱の一本一本が同一の紋様を刻まれていると同時に、屋根に近い場所では全て異なる動植物が造形されていて、見ているだけでも楽しい。サンルームのような場所に通じる扉の意匠も巧みで、色硝子や宝石を使っているから、おそらくは陽光の具合によって、床の上か壁に動植物や人の像が浮かび上がるのだと思う。
ただ…こんなにも美しい場所だというのに、どうしてだか人々の気配は重く沈みがちだった。行き交う使用人達は口数が少なく、どこかぴりぴりとした空気が立ち込めている。ヴォルフラムやヴァルトラーナも会うたびにこんな顔はしていたが、それにしたって自分たちの領土でまで怒ってばかりいるわけではないだろう。
「やっぱ、このおやしきで何かあるのかな?」
「ヴォルフラムに何もなければいいのだけど…」
ちいさく呟くコンラートは、狂おしげに拳を握る。
今ではつんけんしているヴォルフラムも、幼い頃には《ちっちゃな兄上》と呼んで慕ってくれたと言うから、きっとコンラートの方では今でも幼い頃の印象が抜けないのだろうし、やはり大切な弟なのだと思う。
『何とか、仲をとりもてないかな?』
だが、まずは彼が今一体どうしているかを尋ねるべきだろう。有利たちは慎重に庭木の手入れを行い(驚いたことに、コンラートとヨザックは上手に鋏を使いこなし、そつなく剪定を進めている。多芸なものだ…)、抱えた枝を捨てに行く振りをしてこっそり屋敷の中に入っていった。衛兵達の行動範囲等は既にヨザックからコンラートが引き継ぎをしているので完璧だ。
* * *
『あそこか…?』
ヴォルフラムがいると思われる部屋は屋敷の離れになっていて、高い塔の上に住んでいるらしい。まるで、お伽噺のお姫様のようだ。
コンラートがあたりをつけていた領域に入っていくと、ぴくん…っと有利の肩が震えた。
「どうしたの?」
「ん…なんだろ、ヘンな感じがした」
「変?」
「うん…。ほら、ここ…ゆがんでるみたい」
言われて目を凝らすが、何があるのか分からない。コンラートの目には単なる廊下としか映らないのだが、有利には何かが見えているのだろうか?
「これって火の要素なのかな?ゆげみたいなのがゆらゆらして、あっちに行かせないようにしてるみたい」
「なんだって?」
基本的に火の要素は攻撃性が高いが、場合によっては防御として使われる場合もある。ただ…それは戦闘に際してであるし、日常生活で一般的に使い続けることは、酷く術者を消耗させるはずだ。
「おねがい…コンラッドの弟がいるなら、ここを通して?」
有利が両手を合わせて拝むと、コンラートの目にも何かがゆらら…っと動いたのが分かった。そして…ふわっと空気が晴れたのも。
「…っ!?」
「いこう、コンラッド」
なんてことないような顔をしてコンラッドの手を引く有利だったが、やはりこの子の力は凄いと思う。彼の持つ要素は水であるのに、今まで土や風に対してもそうであったように、持ち主以外には極めて攻撃的な火の要素を、驚くほど簡単に従わせてしまった。そもそも、彼の力の本体は上様という別人格であるはずなのに、最近では《お願い》という形であらゆる要素を従わせるのだ。
いや…従わせようなどという意図がないからこそ、こんなにも易々と通してくれるのかもしれない。火は押さえ込めば返って盛んに燃えたつが、ふぅ…っと柔らかい息で吹きかけただけで思う方向に動くこともある。有利が本心からヴォルフラムのことを思いやってくれたからこそ、火も大人しく従ったのだろうか?
振り返る有利の表情に、コンラートは微笑みを浮かべながら手を握り返した。
この子と一緒なら、もしかするとあの頑なな弟とも分かり合えるのではないかと思いながら…。
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