第3部 第19話







「どうかしたの?」
「え?」

 コンラートにそっと囁かれて、ユーリはぴくんと肩を揺らした。気もそぞろな恋人を咎めるように、感じやすい場所を囓られたからだ。

 初体験後に《ダメ魔族》の烙印を押されそうなくらい耽溺していた頃よりは落ち着いてきたものの、コンラートと過ごす夜は必ずと言っていいほど肌を合わせていた。その度に新鮮で、恥ずかしさと喜びを感じていたのだけれど…どうしたものか、今日は集中できていない。気が付くと、大シマロン北朝のことを考えていた。

 ライオネルは会議の席では多少表現を緩めて国土の荒廃について語り、各国の理解と支援とを求めていたが、連合国として他の国を引き入れるという気配はなかった。おそらく、既に身内の中でも戦争終結後の領土分配などで揉めている中、新たに参入する国が出てくると、余計に足並みが乱れると考えているのだろう。

 だが、実際問題として秋の借り入れ時期を直撃した戦闘は互いの国を酷く疲弊させている。ヨザック達お庭番衆が集めてきた情報は、ライオネルが伝えた内容より更に悲惨な実体を伝えていた。

「えっとね?ライオネルって人と今日、話して…」
「ふぅん…」

 カリリ…
 きゅうぅ…っ

「あぁっ!や、やめてっ!そこ、ゃ…ゃあ…っ!」
「こんな時に、他の男の話をするからだよ?」

 意地悪な愛撫を受けて飛び跳ねると、思考が甘く溶けそうになってしまうけれど、コンラートの首に腕を回していたら…ふと、夫を失った妻…父を喪った子どものことを想像して、ほろりと涙が零れてしまった。

「…っ!ユーリ、痛かったかい?」
「ちが…んっ!」

 血の色を滲ませる胸の尖りを舐めあげられると余計に身体が跳ねてしまうが、ユーリは涙を止めることが出来ずに、顔を両手で覆ってしまった。

「すまない。大シマロンのことが、そんなに心配なのかい?」

 分かってやってたのか。そういえば夕刻にオードイルと手合わせをしたと言っていたから、彼からライオネルとの会話が伝えられたのかも知れない。

「ん…。コンラッドは、どう?」

 聞いたところでは、コンラートもまた控え室で休んでいるところに、例の参謀ハインツ・バーデスがやってきたらしい。相変わらず王になることを望む彼を、コンラート自身は突っぱねたそうだが、《錦の御旗》を求める民はやはり多いようだ。

「大シマロンの民が苦しんでいるのに、俺達はこんなに幸せにしているってことに、忸怩たるものを感じているの?」
「そう…かも。こうしてる間にも、沢山の人が死んでるんじゃないかって…。ゴメンね、こんな風に考えること自体、ゴーマンなんだろうなって思う。だって、地球にいるときには誰かがうえたり、戦争で死んだりしてるって聞いても、《タイヘンだなぁ》としか思わなかったのに、いま、こんなふうに感じるのは…きっと、《自分ならもっとうまくやる》なんて、チョーシにのってるんだよね?」
「それはユーリが優しいから…」
「ちがうよ…そんなんじゃない。コンラッドまで、そんなふうにおれをもちあげないで…っ!」

 ぽろぽろと涙を流しながら啜り泣けば、コンラートの舌は優しく頬を舐めあげてくれた。その仕草に、はっとユーリは思い出す。

 かつてカルナスの地で、ユーリがヨザックに殺され掛けたとき…ユーリは自分が双黒であるがゆえに、人々から忌み嫌われているのだと気付いた。当時、コンラートはもっと事情に通じていて、自分たちが世界の全てを敵に回しているのだと知っていた。

 それでも彼はユーリを赦し、愛してくれた。
 唯一人味方をしてくれた兄まで裏切ることになると分かっていても、ひたすらに無力なユーリを護ってくれた。

「ごめ…っ!コンラッドは、いつだっておれの味方、してくれるのに…。おれ…あんたに当たって…こんな、ゴメン…」

 ユーリの価値が最低の時も、最高の時も、決して変わらなかったコンラートを信じられなくなったらおしまいだ。

「コンラッドは…ずっと、そのままのおれを、見てくれてたのに」
「そうだよ。だから、俺を信じなさい…ユーリ。そして、どうしたいのか素直に言ってごらん?」

 ちゅ…っと優しいキスをくれるコンラートに甘えて、ユーリは温もりを求める仔猫のようにすりついていった。そして、自分の中でも解決出来ていないゴチャゴチャした願いを、徒然なるままに語り聞かせたのだった。その間中、粘り強くコンラートは耳を傾けてくれた。
  
「けっきょくおれ、子どもだったんだ。とにかく《禁忌の箱》を全部なんとかしたら、ゲームみたいにハッピーエンドになるもんだって、どこかで思ってたんだ。後はみんなで幸せになるための話し合いをしたら、何もかもうまく行くなんて思ってた。地球でだって上手く行ってないことが多いのに、こっちの世界でそうなる保証なんてなかったのに…」

 ぐすぐすと鼻を鳴らして泣く姿はさぞかし子どもっぽくてみっともないだろうと思うのに、コンラートは呆れた顔ひとつせずに聞いてくれる。

「ユーリ、ちゃんと上手く行くよ。そうやって、泣いてしまうくらい一生懸命に想っていることは、必ず伝わる。今までだって、そうだったろう?君は不可能を可能にしてきたじゃないか」
「だって…おれのそーゆーのって、考えてもみたらぜんぶ、しりしよくなんだもんっ!」
「自分のことばっかり考えてたって?嘘ばっかり!」

 コンラートがくすくすと笑うから、ユーリも意地になって言い張った。

「ウソじゃないよ!だっておれは、あんたが幸せになるにはどうしたら良いかって考えるときだけ、ちゃんと頭がはたらいたんだもん。それが、《世界のみんな》なんてバクゼンとしたものに変わったとたんに、急にビジョンがボア〜っとして、どうして良いのか分からなくなってきたんだっ!」
「…ふぅん」

 熱烈な愛の告白によってコンラートがニヤニヤ笑いをしているなんて気付かず、ユーリは《自分にあきれちゃうんだ》とぼやき続けた。

「どうしたら良いのかなぁ…?」
「じゃあ、俺がしたいことを言っても良い?」
「あ…うん!そうだねっ!コンラッドがどうしたいか分かったら、ちょっとはこの頭も働くかもっ!!」
「うん」

 コンラートは柔らかく微笑みながら、驚くべき告白をした。



*  *  * 




 数日の後、晴れ渡る秋空のもとで武闘大会の華、長剣部門の決勝が行われた。
 コンラート最大の敵と目される、小シマロン代表の二刀流剣士ベリエスとのカードとあって、観客は大いに盛り上がった。

 人々が固唾を呑んで見守る中、張りつめた大気を最初に切り裂いたのがどちらの剣光であったのか、熟練者以外に判別できた者は居ない。あまりの剣速に、大抵の観客には抜刀から打ち込みまでの軌跡を辿れなかったのである。

 キィン…っ!
 カ……っ!!

 わぁああ…っ!!

 撃ち交わされる斬撃になってから、人々は《いつの間に!?》と囁き交わしながら二人の闘いを見守ることになった。

 ベリエスの濃紺色の長髪が空を舞い、コンラートの剣によって一部を裂かれたかと思えば、コンラートの肩口を微かにベリエスの刃が掠めていく。それも、やはり軌跡を辿ることは出来ずに、人々は闘技場の宙に舞う髪片と、傷ついた軍服の生地によって《いつの間に!?》と気付くような有様であった。

「凄まじい闘いだなぁ…」
「あのベリエスつて奴も、えらい使い手だぞ!?」

 観客達の声援は何時しか、眞魔国側が用意した小シマロンサポーターの枠を越え、英雄コンラートと同格の剣技を見せるベリエスに、《敵ながら天晴れ》という賛嘆の声が注がれる。

 《当然だ!》と、誇らしげに胸を張っているのは小シマロン王サラレギー。母はまだ病床から起きることが出来ずにいるが、後で詳細を報告してやろうと思った。自分の権利を何もかも放棄して、母とサラレギーの為に尽くしてきた男が、輝かしい声援を浴びていたのだと聞けば、きっと喜んでくれるだろう。

「行け…っ!ベリエス…っ!!そこだっ!!」

 柄にもなく熱くなったサラレギーが腕を振り上げて応援すれば、それまでは《公平に》と心がけて口を閉じていたユーリも我慢など出来なくなった。

「コンラッドぉぉお…っ!!」

 声の限りに叫ぶ声が聞こえたのかどうか…熟達者の目にも止まらぬ、神速とも言える剣がベリエスの手にした二本の剣を同時に弾いた。

 円の動きを描いてコンラートの剣がベリエスの首筋に当てられたとき、同時に宙をくるくると舞っていた二本の剣が、ザクリと床に突き刺さった。その音で、観客達はやっと勝負の行方に気付いたのだった。

「わ…」
「わあぁぁああ……っ!!」
「コンラート閣下万歳…っ!」
「ルッテンベルクの獅子万歳…っ!」

 ベリエスの健闘を称える声も多く聞かれたが、珍しく表情を変えて悔しげに唇を噛む彼に聞こえたかどうかは不明である。

 コンラートは健闘を称えるようにベリエスと礼を交わすと、地鳴りにも似た声援へと手を翳して礼をしていく。ことに、ユーリが両腕を振っている方に向き直ると、剣を翳して優雅な所作で騎士の礼をとった。

『この勝利を、貴方に捧げる』

 声は聞こえなかったけれど、全ての者がその意を感じ取っているようだった。

 

*  *  * 




「全く…人外も良いトコだね、君の彼氏は」
「だって、コンラッドは剣聖だもん」

 誇らしげに胸を張るユーリに、村田はどこか思わしげな眼差しを送る。ただ嬉しそうなだけではない、何らかの感情を友人の中に読み取ったからだ。

「渋谷、君…フォンウェラー卿と何か妙な決断をしてるんじゃないだろうね?」
「さすがは大賢者サマ、おさっしが良い」
「茶化さないでよ」
「ん…あとで、聞いてくれる?」
「ああ…」

 妙な不安を覚えながらもその場は引いた村田だったが、その夜、部屋に招かれてユーリとコンラートの考えを聞いた。



*  *  *


 
 
『あーあ、全くもう…』

 昔の村田なら、おそらく机をひっくり返して《馬鹿か君達は!》と激怒していたかも知れないが、眉根を寄せながらも暫し沈黙し、ふぅ…と重い溜息を吐いた。
 久し振りにコンラートも交えず、今夜は二人きりで語り合うつもりで、懐かしい日本語を使って会話していた。大きな寝台の上に転がる二人の少年だけ見ていると《楽しいパジャマパーティー》という風情だが、彼らの表情には重さと切なさがある。

「…本気なんだね?」
「うん」
「君達だけの考えでは通らないよ?根回しや、周辺国の理解がどうしても必要になる。下手をすれば、親切心の逆効果ってことにもなりかねない」
「うん…それも考えた。だけど、コンラッドが考えてくれたことだもん」

 おそらく、コンラートはユーリの為に考えたのだろう。ユーリにもそれは分かっているのだろうが、敢えて乗ったと言うことは、コンラート自身が《そうしたい》と、やはり思っているには違いないのだろう。

「どうしてそう、茨の道を行こうとするのかな…。《禁忌の箱》を昇華させたことで、君が世界からして貰ったことより、してやったことのほうが貸し出し超過だろうにさ」
「ううん…そんな事ないよ」

 ふるる…っと首を振って、ユーリは友人の考えに訂正を促す。

「俺…一杯して貰った。助けて貰って、信じて貰って…そんで、《禁忌の箱》をどうにかできた。だから、これは恩返しみたいなもんだよ」
「君もさ…地球では、そこまで博愛主義じゃなかったろう?」
「うん、それは俺も思ったよ。だけど…コンラッドはこう言ってくれた。《自分が無力な子どもだと思っている時と、大きな影響力を持つと知っている今とでは、状況が違うだろう?》って」
「まぁ…ね」
「とは言っても、コンラッドの負担の方がずっと大きいんだけどさ」
「君だって、色んなものを諦めざるを得なくなるだろう?」
「ん…。それは、しょうがないよ。コンラッドと一緒にいたいのと天秤に掛けちゃうと、俺が高校卒業しなくっても、いいかなって…」
「家族と過ごす時間が、後ほんの数日になっても?」

 村田の指摘を受けて、流石にユーリの眼差しが揺れた。

「…元々、高校を卒業したら《眞魔国に就職するつもりで送り出してね》って言ってたし、今生の別れって訳じゃないし…」
「危険の無い場所だと思ってるわけ?」
「どこに行ったって、絶対無事ってことはないだろう?それに、コンラッドは《誰一人死なせない計画を立てる》って、言ってくれてるもん」

 他人事なら、《馬鹿な奴だ》の一言で済ませられるのだけど、村田としてはそうもいかない。地球に残してきた家族をユーリがどれほど思っているか知っているからこそ、村田はそれ以上は言わなかった。

「たくさん、怒ってもらいな」
「うん。勝利に殴られるのも覚悟してるよ」
「一番覚悟しなくちゃいけないのは、美子さんに泣かれることだろうよ」
「お袋は分かってくれるよ。勝利だって、親父だって…。ああ、そうだ、あっちにいる期間は短いだろうけど、ダイデライオンズのメンバーや、クラスの連中にも会っときたいな…!」

 細められる眼差しは切なげではあったけれど、同時に、それらが懐かしい思い出に変わろうとしていることを伝えてもいた。コンラートと共に、この世界で生きていくために、ユーリは地球での生活を清算しようとしているのだ。

『全く…僕がこのまま、地球で暮らすなんて考えてるんじゃないだろうね?』

 今はまだ言わないけれど、村田もまた地球に戻ったらあちらでの暮らしを清算する気になっていた。渋谷家と違って、殆ど事情を伝えていない両親には、何と言ったものやら困ってしまうが。

『いざとなったらボブに協力させて、スイス留学とかなんとか体裁をつけた方が良いかも知れないな』

 ユーリの覚悟に村田が付き合わなければならないという法はないし、実際の所、村田は直接ユーリ達に帯同しようとは思っていない。それでは足手まといになるだけだろうから、村田の能力を最大限に発揮して、後方射撃をしてやった方が効果的だろう。

『僕は君に、人生を預けたんだ。今更、地球で幸せになんてなれないんだよ』

 地球での暮らしが無意気であったなんて決して思わないし、両親のことも村田なりに愛している。《天秤に掛ける》とはあまり良い言葉ではないが、それでもやはり、村田はユーリ達眞魔国の存在をより深く愛していた。

『あいつだって、放ってはおけないしね』

 苦笑しながら思い出すのは、鮮やかなオレンジ色の髪をした男のことだった。彼は大シマロンの現状を誰よりも詳しく調べながら、その地で求められているコンラートの存在に、何を感じながら眞魔国へと報告を寄越していたのだろうか?

『当分、直接会うことは出来ないだろうけどね』

 どうしてだか、彼が村田に何の挨拶もなく死ぬとは思えなかった。

 それに、コンラートは滅多に大言造語するようなことはなく、口に出すとすれば、それは必ず遵守する。《誰一人死なせない計画を立てる》…彼が明確に口にしたのだとすれば、それは決して妄想などではないだろう。

 かつて己の無力を嘆きながらも、心折ることなく知識を求め続けてきたコンラート。その姿勢が今、こんな形で華開こうとするとは思わなかった。

『知識を与えたのは僕だ。だったら責任持って、最期まで見届けてやろうじゃないか』

 友人は、一足先にすぅすぅと寝息立て始めた。どんなに思い悩んでも、ちゃんと眠ることの出来る彼の健やかさには畏れ入りながら、村田も次第に瞼を閉じていった。



*  *  *




 《万国博覧会》の席で、眞魔国側からもたらされた提案は多くの国々を驚愕させた。事前に根回しを受けていた大シマロン北朝も、果たしてこれが参加国の全てに承認されるかどうかの確信はなかったのだが、話し合いの結果、正式な国際条約が取り交われることになった。

 その根底にあったのは、やはり博覧会の期間を通じて相互理解の取り組みが続けられたこと、魔族という存在が条理を無視した無軌道な存在などではないと、深く各国要人に理解させた結果であろう。

 しかし、理解はしても溜息を漏らさざるを得ない者もいる。

『どうしてこう…この子達は、自分の悦びを最優先しないのかしら?』

 常に最優先させてきた身としては、忸怩たるものを感じずにはおられないのは、言うまでもなくフォンシュピッツヴェーグ卿ツェツィーリエであった。コンラートとユーリ、そして補足する形で為された村田の説明は、確かに大シマロンの民を貧困と飢餓、ことに、戦乱による死から救うと思われる。けれど実施は困難を極め、本当にコンラートが言うように、《誰一人死なせない》ままで成功することが出来るのだろうか?

 その答えは、人間が…大シマロンの民が握っていると、北朝の指導者ライオネル・ドスは重々しく語った。

『我らは、二度とウェラー家を裏切ることはないと、魂をかけて誓います…!』

 物静かなライオネルは多くの言葉は語らなかった。だが、コンラート達の提案を受けて発したその言葉には、深い想いが込められていた。眦に光るものを滲ませて、ライオネルは騎士の誓いを立てた。この約定が断たれれば、命を奪って欲しいと願う、剣を捧げる誓いである。

「ゴメンなさい、ツェリ様…。まだしばらく、魔王をやっててもらうことになります」
「ええ、それは気にしないで頂戴な。どうせ直接的な仕事はロドレストがやってくれてますもの。それに…ユーリ殿下と共に学んできた指導官達は、この一年で随分と力をつけてきていますわ」

 《万国博覧会》で自らの領土を国際的にアピールしていく取り組みは、確かに狭い領域に固まっていた貴族達に、外との繋がりを意識させるという意味でも大きな意義があった。

 特に、誇り高き淑女フォンロシュフォール卿クリムヒルデの働きは特筆すべきものがあったろう。これまでは頑なに貴族社会のあり方を押しつけてくる向きがあった彼女だが、今回は良い意味で貴族の在りようを提示出来ていた。貴族というものが単に平民から税を吸い上げるという存在ではなく、自らを鍛え上げて領土の民を護る義務があることをしたためた書籍が爆発的な売れ行きを見せたのである。
 
 その中には勝手にコンラート達も実名で登場させられ、どうも合間に挿入された実話によって大受けしているのではないかとの見方もあったが、眞魔国内に留まらず、他国からの来訪者達にも眞魔国貴族社会の美点と課題について広く知らしめたという点では、やはり特筆すべきものがあっただろう。

 また、コンラートに叶わぬ恋をしているフォンギレンフォール卿サーディンも頑張っていた。領土内にある鉱山から巨大な琥珀石を切り出し、サーディン本人が彫り上げたコンラートの彫像も評判を得ていたし、これまでは一族の中だけで伝えられてきた危険性の少ない鉱山作業についてのマニュアルも、思い切って外部に提示していた。この刺激によって、ギレンフォール家のパビリオンでは各国からの鉱山関係者が集い、結果的にはギレンフォール家にとっても有益な情報が多数集まったのである。

 地味ではあるが重要な働きをしたのは、フォングランツ卿アレクシスであった。武闘派で知られるグランツ家からは武闘大会にも参加があったが、それ以上に、警備面で骨身を惜しまない取り組みをしてくれた。おかげで、これほど大規模な催しであったにもかかわらず、また、国際大会の応援という、異なる国々の民同士で諍いが起こり易い環境であったにも関わらず、一人の重傷者を出すことなく最終日を迎えることが出来た。

 他にも、様々な形で眞魔国の領土間、参加国の間で刺激が交わされ、若い層に主催責任を任せたこともあって、多くの人材が育っていた。

「ずっとずっと、私たちの為に苦労を掛けてきたのですもの。コンラートがしたいというのなら、何だって叶えてあげたいわ」
「ツェリ様…」
「《世界を平和に》っていう、ユーリ殿下の思いに応えたいというのもあるかもしれないけれど、やっぱりコンラートにとって、ダンヒーリーの故郷のことは、どこかで引っかかっていたでしょうしね」

 遠くを見やるようなツェツィーリエの眼差しを見やりながら、ユーリは地球で過ごした日々のことを思い出していた。父であるダンヒーリーに連れられて、幼いコンラートがベルトラン平原を臨んでいた時の事を話してくれた。

 《父がどのような想いで故郷を想っていたのか考えてしまう》というコンラートに、ユーリは拙い言葉で思いを伝えた。

『俺は思うんだよ、コンラッド…。《どっちが大事か》っていうのは、時として《どっちにとって、自分がより切実に必要か》ってことで選ばれるんじゃないかな?お父さんの場合は、きっとシマロンよりも奥さんやコンラッド、それに、ウェラー領の人たちの方が必要としてるって思ったんだよ』

 同じ事が、今回だって言えると思う。
 決してウェラー王家の血筋に拘って、あの国に戻りたいなどと思っているわけではなく、コンラートが本当に愛しているのが眞魔国なのだとしても、今現在最もコンラートの存在を必要としているのがあの国だから、彼は決断したのだ。

 自分には出来ると分かっていて、自分だけの幸せを追うことが出来ない性分なのは、きっとコンラートも同じなのだろう。

 だからコンラートは行くのだ。
 そしてコンラートが行くなら、ユーリも行くのだ。


 それだけは、決して譲れない。


 

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