第3部 第18話








 晴れ渡る秋空は薄青く澄み、鱗雲によく似た群雲が棚引いている。
 じっとしていると肌寒いが、動くと丁度良い爽やかな大気は、大規模な催し物に最適であった。

 眞魔国沿海州の地で大々的に開催された《万国博覧会》は連日、大賑わいを見せていた。これまで、人間の国家からすれば殆どが謎に包まれていた魔族の生活習慣、優れた文物が紹介されると、訪れた人々は瞠目して感嘆の吐息を漏らした。

 魔族が《豊かな暮らしをしているらしい》とは聞いていたものの、それらは何か超常的な力の働きによって得られていると信じられていた。更に迷信深い地域では、呪わしい手妻さえ絡んでいるのではないかと思われていたほどだ。それがこれほど科学的な裏打ちのもとに行われているとは、目の前で説明されたり、己の手で触れてみなければ、とても信じられるものではなかった。

 同時に、規模としては小さいものの、人間の友好国によるパビリオンでも様々な文化工芸品が紹介され、古文献の豊富さではアリスティア公国、薄く透き通るような綾織り物への刺繍加工ではスヴェレラ、海産物加工品の味わいではカロリア自治区が絶賛されていた。人間達は心から感嘆の声をあげる魔族に、《我々も捨てたものではない》と、密かに胸を撫で下ろしていたという。

 先日、最後に残された呪われた箱《凍土の劫火》が聖砂国から持ち込まれ、鍵であるフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムや、王太子ユーリの働きで昇華されたことは既に眞魔国中に知れ渡っていたから、民も参加者達も安心しきって、目の前の展示物を愉しむことが出来た。

 何しろ、以前カロリアで歌謡祭が行われたときには、最も盛り上がっている折りに大シマロンが送り込んだ《風の終わり》が襲いかかってきたことがあったので、今回も招待を蹴って、彼らがどのような企みをしているか懸念している者も多かったのである。しかし、最後に残された《禁忌の箱》が昇華された以上、大シマロンが自力でとんでもない武器を開発しない限り、大規模な襲撃は難しいだろう。少数精鋭の暗殺者についてはまだまだ警戒が必要だが、これは超常的な力ではない分、丁寧な警備で防ぐことが出来ると思われる。

 また、開会式の翌日からは、お待ちかねの武闘・舞踏大会も始まった。

「強弓部門は第3闘技場だっけか?」
「ああ、そうさ。だが、急がないと第1競技場でフォンウェラー卿の試合が始まるぜ?」
「ふんっ!俺は券を買い損ねたんだよ!」
「え〜?気追いこんで、徹夜までしたのにか?」
「しょうがないだろう?抽選に外れたんだから!お前は良いよなぁ…聖都のサポーターなんだろ?」
「まあね」

 券を持っている男は、ちょっと得意げに胸を反らす。

「ルッテンベルクの獅子が相手となりゃ、黄色い声援を跳ね返すのが大変だろうから、俺らだけでもしっかり応援してやるよ」

 がやがやとざわめく観衆達の間では、こんな悲喜こもごもの会話が交わされている。

 4つある屋外闘技場には大勢の観客が詰めかけ、トーナメント方式で複数の競技が行われている。観客は眞魔国全土はもとより、他国からも大勢詰めかけており、料金の値段設定は良心的なものの、人気の高い競技や対戦では抽選により観覧者が決められていた。よって、希望すれば必ず見られるという保証はない。
 ただ、眞魔国で設定したサポーターについては優先的にチケットが配られており、どの国の選手であっても、孤立無援で戦うことは無かった。

 それでも選手によっては、どうしても贔屓が偏ってしまうのは多少致し方ないところだろう。特に、《ルッテンベルクの獅子》フォンウェラー卿コンラートと当たってしまった場合、対戦選手は英雄との手合わせに心躍らせつつも、《自分への応援はかなり少ないだろうな…》と、覚悟しなければならなかった。眞魔国出身選手の場合には特に、観客みんなが遠慮容赦なくコンラートを応援してしまうため、淋しいことこの上ないから、寧ろ異国の選手の方が意識してサポーターが応援をしてくれる分、マシとも言えた。



*  *  * 




 聖都の代表選手ソアラ・オードイルは、3回戦でコンラートと対戦することになった。コンラートが2回戦までに対戦した相手はいずれも最初の一瞬で勝負が決まっていたのだから、激しい剣戟の音を立てて5合に渡って競り合うことの出来たオードイルは、誇って良いのかも知れない。

 キィン…っ!

 弾かれた剣がくるくると宙を舞い、喉元に一分の隙もない剣先が添えられる様に、オードイルは悔しさよりも強い感嘆の念を感じていた。

『やはり、桁違いだな』

 もしも戦場でまみえていたら、更に早く勝負はついていたかも知れない。今でも優美と評したいほど美しい軌跡を描く剣に、オードイルは見惚れてしまったが、きっと命の掛かった闘いであれば、更に迅速で容赦のない斬撃が行われたことだろう。

「参りました」
 
 その一言を口にするのにも、自尊心を傷つけられることはなかった。
 ただ、まだ3つしか試合をしていないのが勿体ない気はした。出来れば、もう少し剣を交わしていたい。特にコンラートの剣技は横で見ているだけで胸躍るから、このまま終わりたくないという気持ちがふつふつと高まってくる。

 そこで、思い切っておねだりしてみた。

「コンラート殿、次の対戦までに時間がありましたら、訓練がてら手合わせを願えまいか?」
「良いですとも」

 にっこりと微笑むコンラートは実に優しげで、見惚れるのと同時に、《この男の眼差しを鋭くさせるくらいの使い手になりたいものだ》と思わずにはいられない。

「コンラート殿!私も手合わせ願えまいか!?」
「では、俺もお願いしたいっ!!」

 オードイルの願いが叶えられると見るや、わらわらと手合わせ希望者が殺到してしまい、結局コンラートとの手合わせに抽選券がつく始末になった。



*  *  * 




『早く言ってみるものだなぁ…』

 常日頃は運が悪い方だと思っていたオードイルだったが、今回については《最初に声を掛けてくれたわけだし》とコンラートが言ってくれたおかげもあり、無事手合わせの約束を取り交わすことが出来た。あと一つ試合をこなしたら、夕刻に剣を交えてくれるそうだ。
 微笑みを浮かべながら歩いていくと、横合いから子連れの女性に声を掛けられた。

「あらあらあなた、先日はお世話になりました!」

 ぴこんと頭を下げる女性は愛嬌のあるくりくりとした顔立ちで、よちよち歩きの男の子も元気そうに《うだー》と挨拶をしてくれる。

「おや、あなたは…」
「先日は名乗りもせずに失礼しました。私、グリーセラ家の嫁で、ニコラと申します」
「こちらこそ、名乗っておりませんでしたね。私は聖都から参りました、ソアラ・オードイルと申します」

 《あの男性とは、話がつきましたか?》と聞いてみようかとも思ったが、あまり踏み込んだことを聞くのも悪いかと躊躇する。しかし、ニコラの方は至って屈託無く事情を証してくれた。

「実は、こないだの人がこの子の父親なんです!訳あって仮面の衛兵さんになってたんですけど、観念して帰ってきてくれることになったんですよ〜」
「そ…それは良かったですね…」

 何やら色々と修羅場を越えてきたらしいが、ニコラの方はケロリとしている。《母は強し》と言うところだろうか?
 
「それで、王太子殿下のところにお礼を申し上げに行くところなんです」
「殿下に?それでは、ご一緒してもよろしいでしょうか?」

 ユーリはコンラートの試合を見たがっていたのだが、試合と会議を別日程にしてしまうと各国要人の拘束時間が長くなってしまうため、泣く泣くそちらに参加しているらしい。《決勝戦だけは見られるみたいだから、意地でも負けられないんだよ》と、コンラートが教えてくれた。

 折角だから、恩義あるユーリにコンラートの剣技は本当に素晴らしかったと、感想を伝えておこう。

 ぽてぽてと幼児連れで歩いていくと、丁度会議室から出てきたユーリが駆け寄ろうとしてくれたが、衛兵が慌てて止めている。コンラートがいない分、余計に警戒が激しいのだろうと察して、オードイルは帯剣を自ら外して衛兵に手渡し、快く身体検査にも応じた。

「しょうたい選手に身体けんさなんかしてゴメンね?」
「いえいえ、間近でお話させて頂けるだけでも光栄ですよ」

 申し訳なさそうにしているユーリは、相変わらず可愛らしい。
 岩砂漠で乾き、飢えきっていながら矜持を捨てきれず、意地を張っていたオードイルをそっと癒してくれた雰囲気は、ちっとも変わっていない。

『嬉しいな…』

 権力の座につくと変わってしまう者は多いのに、この少年は本当に、どこにいても等身大のままなのだ。ほっとするような心持ちでいると、《危険はありません》と衛兵に太鼓判を貰って、ユーリに勧められるままお茶を頂くことになった。次の会議までの半刻を同席させて貰えるようだ。



*  *  * 




『この人も、随分と印象が変わったなぁ…』

 ユーリはお茶を飲む合間にソアラ・オードイルの様子を眺めると、ふとそんな感慨を浮かべた。初めて出会った時、彼は憔悴しきった聖騎士団員達を指揮して、岩砂漠を彷徨っていた。とても責任感の強い人だとは分かったが、それがリラックスして良い時まで彼を縛り付けているように見えて、しんどくはないかと心配したこともあった。
 けれど、今の彼は充実した生活を送っているのか、随分と表情が柔らかくなったように思う。それがとても嬉しかった。どうしてだか、彼のことは気に掛かっていたから…。

『多分、最初の頃のこの人って、出会った頃のコンラッドにちょっと似てたんだよね』

 コンラートも無表情で、世界の不幸を一身に背負ったような顔をしていた。実際、彼は大袈裟ではなく、重すぎる災禍に背骨を折られそうになりながらも、凛と顔を上げて生きていた。切ないくらい、直向(ひたむ)きに…。

 そんな、一本気な人こそが幸せになれる世界になったら良いのにと、あの頃にはただ祈ることしかできなかったけれど、今のユーリには大きな影響を及ぼせるだけの力がある。現在も眞魔国という大国の王太子だが、あと数年の後には魔王に就任することがほぼ決定事項となっているのだ。

 《凍土の劫火》を昇華した事が分かると、現王ツェツィーリエなどは諸手をあげて《じゃあ、今日からユーリ殿下が陛下ねっ!》と小躍りしていたが、鬼ごっこではないのだ、そんなに《はい、タッチ》とばかりに勢いよく世代交代など出来ない。

 ユーリはまだ魔王としての勉学が中途であるというのもあるし、地球での生活だって中途で断ち切ったままなのだ。やはり一度帰って身辺整理をし、友人や家族との別れを経てからこちらの世界に正式採用して頂きたい。

『魔王…か』

 やはり王太子と王では、責任の大きさが違うだろう。今回の会議でもある程度発言はしたのだが、やはり国王や摂政級の人々が語る内容について行くには、基礎知識が足りないなと痛感したし、それでいて、優秀そうな人達に全てを任せていたらとても楽だけれども、ユーリが《こうしたい》と思う世界にはならないのだとも分かった。

 国を代表してくれば、どうしたって国益を最優先して発言することになる。それは決して間違いではないだろうが、全ての国が自分の権利と誇りだけを主張していたら、結局話し合いにはならないのだ。
 酷い場合には、《話にならぬ》と椅子を蹴って退席しようとする者までいた。何とか議長のフォンシュピッツヴェーグ卿ロドレストが取りなして事なきを得たが、あのまま帰国してしまったら、この会議が戦乱の火種のなっていたかもしれない。

『俺は、戦争をせずに世界を平和にしたい』

 それはきっと、《禁忌の箱》を滅ぼすよりもずっと困難な事なのだと思う。箱はとにかく頑張れば何とかなったが、利害関係が絡む時には人間も魔族も、同様に妖しく絡み合った心理になるらしい。その複雑さは、ある面では《禁忌の箱》より呪わしいと感じることさえある。

 ことに、現在の大シマロンを巡る状況は予想以上に深刻だった。国力が疲弊していた上、南北朝に分裂した国土は千々に乱れているという。ベラール率いる南朝では戦費を稼ぐ為にこれまで以上の過酷な課税、徴兵が行われている。一方の北朝も、固まって戦うか、個々の領土が国として独立を目指すかで混乱が続いているという。

 このような混乱に巻き込まれて大きな被害を受けるのは常に民だ。収穫の秋だというのに、富裕な穀倉地帯を巡る戦役によって略奪や焼き討ちが横行し、折角《禁忌の箱》が昇華されたことで自然の力を蘇らせつつある大地も、人間の手によって衰弱させられているような有様だ。

『難しいのは分かってる。だけど…何か方法がある筈だ』

 眼差しを中空に向けて思案していたら、ふとオードイルが感嘆したような表情でユーリを見ているのを感じた。

「あ、ごめんなさい…ぼーっとしてた」
「いえ、凛々しい横顔でしたよ。どこか、コンラート閣下と似ておられるな…と感じました」
「えー?」

 あの端正な男前と似ていると言われたのは初めてのことで、何だか頬を赤らめて挙動不審になってしまう。危うく、褒められた端から子どものようにお茶を零しそうになったくらいだ。
 《からかってるのかな?》なんて疑ったりもするが、オードイルの方は至って真面目な顔をして、自分がどうしてそのように感じたのか説明してくれた。そういえば、この人はくそ真面目ともいえるくらい一本気な人なのだから、思ってもいない追従やからかいなど、決して口にしないだろう。

「世界を見据える勇者とは、自ずとそのような表情を得るのでしょうか?人々を率いる獅子の横顔…そのように、見受けました」
「いやいや、そんなごタイソーなもんでは…」

 オードイルが真面目なだけに気恥ずかしくて、わたわたと手を振って照れ隠しをしようとするのだが、今日は褒め殺しされる日であるらしく、会話を漏れ聞いた他国の指導者までがやってきて、賞賛の言葉を口にしてくれた。

 その中の一人は、オードイルともお馴染みの大教主マルコリーニ・ピアザだった。

「本当に、ユーリ殿下やコンラート閣下為さりようを拝見していると、僅かに残った我が教団古来の教えが、建前ではなく実践可能なのだと感じることが出来ますよ」

 笑い皺の中に埋まってしまいそうな目をなお細めて、マルコリーニは微笑んでいた。

「《一人の友に灯火を掲げる者は、世界を照らす》…ですか?」

 即答したオードイルも、どうやらこの言葉が気に入っているらしい。響きの良い声で大切に奏でられる音は、確かにとても素敵な言葉だった。

「ああ。長い年月を掛けて、神父にとって都合の良いように改竄されてきた教義ではあるが、儂はこの教えだけは古来そのままの姿で残ってきたのだと信じておるよ。まさに…まことの言葉だとは思わんかね?」
「ええ…私もそう思います」
「とはいえ貴い言葉故に、実際為すこともまた困難な場面もある。だが、ユーリ殿下もコンラート閣下も、どれほど追い込まれた場に於いても、この言葉通りの行動を示してこられた」

 立派な人達にこんなに手放しに褒め称えられては、どうも腰の辺りがふんがふんがしてしまう。それに…ユーリ自身は果たして、自分が全ての場面に於いて《一人の友に灯火を掲げる》なんてことを実践してきたかと問われれば、《そんなことはない》と思うのだ。

『俺だって…利己的なトコとかあるんだけどな』

 《禁忌の箱》を昇華させるという派手な仕事ぶりで、まるで世界有数の聖者の如く褒め称えられているが、中身の方はまだまだ国際会議の内容についていくのもやっとな高校生だ。

『そうだよ、《国際平和》とか、《絶対戦争させない》とか言ってるけど、俺…魔王になる前にいったん地球に戻って、高校卒業したいとか考えてるし』

 将来的にはこの世界で暮らすつもりでいるのに、地球に戻って高校生活を満喫したいなんて、多分自己満足的な我が儘に過ぎないだろう。

 それに…もっと大きな《我が儘》で、ユーリは大シマロンに関する《何とかしなくては》という選択肢を狭めている。

 ちらりと見やった先には大シマロン北朝の指導者ライオネル・ドスがいて、ユーリの眼差しに気付いたのか、静かに会釈してくれた。
 彼は品の良い老紳士という印象で、物腰の穏やかな態度は、とても大国を二分する争いの中で凌ぎを削っているようには見えない。国内情勢も穏やかならざる中、危険を推して眞魔国に来てくれたのは、この国際会議に大きな期待を寄せていてくれるからだと思う。

 この人物に関して、ユーリは少しだけ不安めいたものを覚えていた。それは彼の人格に関することではなく、彼の参謀として働いているハインツ・バーデスが、かつてコンラートに向かって《シマロンの王となって頂きたい》と熱く誘いかけた事があったからだ。
 噂によれば、ハインツは未だにその望みを失っていないとも聞く。旗頭であるライオネル・ドスにしても、ハインツが異国の軍人を王として切望していることに反感を覚えるどころか、賛同するような向きもあるという。

『もしかして、今回眞魔国に来てくれたのって、スカウトの為じゃないのかな?』

 現在、大陸内で最も混乱が続いている大シマロン領域には、眞魔国も多くのお庭番衆を派遣して情報収集に当たらせている。

 その調査内容によると、北朝が健闘しながらも南朝に組する領土を引き入れられなかったり、北朝内部でも不協和音を奏でてしまう最大の理由は、やはり血筋としての大義名分が無いことであるらしい。かつてウェラー王朝がベラール家に転覆させられた時には、とにかく血筋を根絶やしにするべく徹底的な粛正の嵐が吹き荒れたが、北朝軍はそのやり方を《悪》と罵倒している分、どうしても戦い方が《お上品》になってしまう。

 それにどれほど《義》を唱えても、やはり身内で利害が一致しないと、《結局権力を得るのはお前達だろう》と糾弾されて、内部分裂とまではいかないものの、意思統一が図れないことが多々あるようだ。

 実際問題として、ライオネルには仲間から糾弾されるような権力志向はない。だが、そうであるが故に、強烈な誘因力を帯びることが出来ないように見える。彼らは副官や臣下としては一線級の能力を持っているが、頭に立つ器ではなく、そのことを本人達も重々承知している。ある意味、下克上を起こすのに一番向いていない控えめな男達なのである。

 だから、コンラートの持つウェラー王家の血筋と同時に、強いカリスマ性を喉から手が出るほどに切望しているのだろう。

 そんなわけでユーリが少し緊張した面持ちで会話していると、ライオネルはツェツィーリエとユーリに、《コンラート閣下とお会いすることは出来るでしょうか?》と訊ねてきた。ドキン…っと鼓動が弾んだ様子は、きっとライオネルには丸分かりだったのだろう。くすりと苦笑すると、どこか申し訳なさそうに頭を下げた。

「誤解しないで頂きたい。私は裾に取り縋ったり、奸計を用いてコンラート閣下を大シマロンにお連れしたいわけではないのです。寧ろ、シマロンの民として、ウェラー王家の末裔にお詫び申し上げたく存じます」
「わび…?」

 思いがけない言葉に、ユーリは意図を計りかねて口籠もってしまう。

「ツェツィーリエ陛下はよくご存じでしょう。コンラート閣下のお父君と祖父殿に、我らシマロンの民がどのような処遇をしたのか…」

 ユーリとは対照的に、流石にツェツィーリエの方には大人の女が持つ余裕があった。

「ふふ…私が知っていることなんて、ダンヒーリーがとても魅力的な人だったということだけですわ。あの人は、故郷を懐かしみはしても、恨むような男ではなかった。だから、私が惚れたのですわ」

 愛の狩人ツェツィーリエが認める佳い男ダンヒーリー。流石はコンラートの父と言うところか。

「そう言って頂けると、幾分胸の痛みが和らぎます」

 ツェツィーリエの美貌を眩しそうに見やりながら、ライオネルはユーリに向き直った。

「恨むような男では無かった…確かにそうでしょう。それだけの偉大な資質を持つ方だったのでしょうな。現在のコンラート閣下を見ていても分かります。故に、私はハインツ・バーデスがコンラート閣下に惚れ込み、《王に》と求める気持ちを咎めたりは出来ぬのですよ。確かに獅子王の系譜を継ぐかの英雄は、王としてこの上なく相応しい」
「…っ!」

 《やっぱり連れて行きたいんじゃん!》と言いたげに頬を膨らませ、心持ち涙目になっているユーリに、ライオネルはまた困ったように微笑んだ。

「ユーリ殿下、コンラート閣下は王に相応しい。ですが…我らシマロンの民は、そのように光輝燦たる王を戴くには罪深すぎるのですよ」
「え…?」
「百年以上も昔の事ゆえ、もはやその時代を知る者も生き残ってはおりませぬが、それでも隠された歴史の中に、ウェラー王家の栄光の歴史がどのようであったのか、そして…最期がどのようであったのかは、口伝により語り継がれております。私はベラール王家によって隠蔽されていたそれらの歴史を、この度の戦によって幾つか紐解くことが出来ました。その中で感じたのは、ウェラー王家に対して尊崇を捧げながらも、シマロンの民は心の何処かでかの王家を、《魔族に連なる者》として見ていた。それがベラールの台頭を赦したのであれば、やはり歴史は繰り返すであろうと思えるのです」

 現在の困窮した場では《おお、我が王よ!》と賛嘆して歓迎しても、いざ国力が増して内政が安定してくれば、またベラールのような者の蠢動を許しかねない。そういう国民性だと言うことだろうか?

「じゃあ…ライオネルさんは、コンラートを王様にしたいわけじゃないの?」
「先程申し上げたとおりです。問題はコンラート閣下にはあらず、我らの方にあります」

 では、コンラートが自ら望めば喜んで最高指導者の座を明け渡すというのか?とはいえ、コンラートがそんなことを望むはずがないことも、彼は熟知しているようだった。

「我らが現実問題として眞魔国に望むことは、大シマロン北朝・南朝の戦闘に際して、《禁忌の箱》のような超常的な武器が使用されないこと、民に対して人の道に外れた所行が発生した場合は、その日を糾弾して頂きたいという点です」
「それは…モチロン、ぜったい許しませんけど…」

 《それだけで本当に良いの?》という質問は、大シマロンの半分を統括するライオネルに対して向けるのはあまりに失礼というものだろう。彼は自分がコンラートほどの資質を持たないと知っていながら、敢えて縋ることなく解決しようとしている。きっと時間は掛かることだろう。その間に多くの犠牲も出ることだろうが…。

「おうえんします。おれたちにできること、考えながら」

 《頑張って》と言いかけて、ユーリは発言内容を変えた。
 既にライオネルは彼がなし得る範囲一杯の力で頑張っているのだろう。その彼に対して掛けられる言葉は、やはり、この人が一人ではないことを知って貰うことだけだった。

「心強いです、殿下」

 ライオネルは丁寧な所作で一礼してくれた。
 この人は、尊敬に値する男だ。決して派手さはないのだが、《何とか、助けになるようなことを出来ないかな?》そう願わずにはおられないような人物であった。


 




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