第2部 第5話






 ファンファーレが高らかに鳴り響くと、冷たく澄んだ大気がキィン…と反響するようだ。広々とした薄蒼の天空からは陽光が眩しい程に降り注ぎ、磨き抜かれた鎧の群れが魚鱗のようにきらきらと反射する。

 華麗に武装した十一貴族軍は、それぞれの地域特性を感じさせる装いで血盟城前の大広場に整列していった。領土の広域を雪に閉ざされた地方には毛皮のマント、比較的南方の地方は鎧も全面を覆うものではなく、要所の他には鎖帷子や布地を使っているのだが、こちらは真冬の王都では少々寒そうに見える。

 また、軍内での部隊構成も様々異なっていた。一応、眞魔国軍規定により全種類の部隊を備えることは義務づけられているのだが、配備数の詳細は軍司令官である十一貴族当主に任せられているからだ。
 弓兵が多い軍では騎馬の数は少なく、その代わり遠距離用の強弓部隊、近距離で数をこなす部隊では短い矢を大きな矢筒二つに入れて背に負うているし、槍兵の多い軍、長剣の多い軍と様々である。

 それらは見ている分には華々しく特色豊かで面白いのだが、全軍の長所短所を弁えて運用しなければ、単独軍では作戦行動に行き詰まるのではないか…と、一定以上の能力を持つ指揮官であれば懸念したことだろう。

 また、他国に比べてもう一つ独特なのが軍服の仕様だ。

 大シマロンや小シマロンのような大国であってもその中で諸侯が強い独自性を発することはないから、基本的に人間の国家では正規軍は統一された軍服を纏っている。これは国としての纏まりを、強制的にでも演出する必要に駆られてのことだ。

 各々領土の気質に合わせた装備は、眞魔国特有のものであろう。他国と違って、眞王という絶対的な権威が存在するために、各領土が独自性の高い文化を発展させられる余裕があったのだ。

 それぞれの特色を有機的に結合させる事の出来る王の元では、激甚な力を発揮する《軍団》として機能しようし、そうでない王の元では…纏まりを欠いた《烏合の衆》として各個撃破の対象となる恐れもある。

 まこと、王たる者の力量が問われる陣容だ。

 だが、見守る観衆の中にはそこまで深い洞察を持つ者など殆ど居なかったことだろう。大半の人々は眩いばかりの軍装に酔いしれ、己の国が如何に強大な国家であるのかを誇らしく感じて、熱狂的な歓声を上げていた。

 その中でも、特に熱い声援を受ける一軍がある。

「来た…」
「ルッテンベルク軍だ…!」

 わぁああ…っ!!

 初めて閲兵式に参加するルッテンベルク軍は、そのドラマチックな経緯もあってか、民の間には前々から登場を待ちわびる声があった。

 そしていよいよ現れた一軍には、民を十分に満足させるだけの威風があった。

 旧十貴族軍はこのような場では、装飾の美麗の度を競うように些か実用的とは思われないほど重厚な装甲を身につけていた。これは兵も馬も同様であったから、式の終盤になると人はともかく馬が疲れ果てて、ばたりと泡を吹いて倒れる者もいたくらいだ。

 しかし、ルッテンベルク軍の装甲はそれらと一線を画したものであった。

 金属製の装甲を身につけているのは急所となる数カ所のみであり、後は精緻な紋様を焼き込んだ革製品である。律動的な動きと基礎代謝の高さは真冬の王都でも適度な熱産生を促すのか、同じく軽装の南方軍とは異なり、見苦しく震えている者など皆無であった。
 彼らは如何にも剽悍であり、何よりルッテンベルク軍の真骨頂とも言える騎兵隊が生き生きとしていることが、彼らが戦場で矢のように野を貫くであろうとがまざまざと想像された。

 特に、集団陣形の中で巧みな馬術をみせる軍団長コンラートは、悠然とした美貌に民の歓声を集めていた。

「きゃぁああ〜っ!」
「コンラート様ぁーっっ!!」

 女性達を主体とした黄色い声に混ざって野太く茶色い男性陣の声も迸るが、コンラートは美しい笑みを浮かべると丁寧に手を振った。
 口元から白い歯の輝きがきらきらと零れていきそうだ。

『いや〜…とてもち○ぽ丸出しにして寝ちゃってた事があるなんて、信じられないよね〜…』

 血盟城のバルコニーから眼下を臨む有利は、魔王ツェツィーリエの横で口元を覆った。そうしていないと、変なニヤニヤ笑いが込みあげてしょうがないのだ。

 強か酔っていたせいもあるのだろうが…等身大の若者らしい失敗に、呆れるよりも愛おしさが増していくのを感じる。

『もうもう…なんちゅー可愛い奴なんだろ?』

 ふくく…っと堪えきれない笑い声をあげたら、ツェツィーリエが不思議そうに囁きかけてきた。

「あら…とっても楽しそうだこと。ユーリちゃんはそんなに閲兵式がお好きかしら?」

 《息子さんのちん○の件で、個人的に大受けでした》とは言えない。

「え…あ、えと…はい。せんそうはイヤでも、こういう《おひろめ》、きれい」
「そうねぇ…。本当に私もそう思うわ!」

 確かに、眼下に広がる勇壮な武装集団は、誰も血を流すのでなければ素晴らしく華麗で、胸躍る光景である。

「本当にそう…!彼らの誰一人として、戦場で散るのでなければ…こんなに素敵な光景はないわ」
「ツェリ様…」

 しんみりと語るツェツィーリエの中には様々な想いがあるに違いない。
 
「ご免なさい…私にこんな事を語る権利は無いのかも知れないわね。かつて行われたシマロンとの大戦で、私は最高権力者であるにも関わらず…何一つ知らず、知ろうともしなかったのだもの…」
「でも、ツェリ様はいま、知ろうってしてる。それは、すごいこと。せんそうしない、きめるのかんたん。でも…まもるのはむつかしい。だれがしても、きっとむつかしい…」
「そう…そう、ね…」

 多くを知っていたとしても、同じ光景を目にした男達はその殆どが、この強大な武力を《どう使うか》ということしか考えないのではないだろうか?
 勇壮な様を愛でて、《綺麗だねぇ》等と鑑賞するなど、金の掛かる趣味でしかない。

 だが、今後有利が魔王に就任したとしても、この戦力を大幅に削減することは出来ないのだと思う。大幅に国際情勢が改善されない限り、他国の侵入を防ぐための防衛力はどうしても必要になるからだ。

『だけど…せめて、こっちからは攻めずに済むようにしたい。よその国が、攻めようなんて気を起こさないでくれる国にしたい…』

 その為に、根っこの所での信念を共有してくれる現役魔王ツェツィーリエの存在は、とてつもなく大きなものなのだと思う。彼女を支えて実質的な政治を行う摂政ロドレストも、極めて心強い味方だ。

「ツェリ様せんそうきらい。おれ、すごくうれしい。こころづよい!」
「まぁ…ユーリちゃん…!」

 豊満な胸に抱き寄せられるのは、小柄な青少年にとっては嬉しい反面…常に窒息の危険と隣り合わせだ。

 

*  *  * 




 ルッテンベルク軍が王都を出立する朝、天候は明るい日差しと淡雪が降り注ぐ《お天気雪》だった。予報官によれば雪はもうじき止むそうだから、中継地であるマードナー平原にも夕刻には到着できるだろう。

 閲兵式を終えた十一貴族の面々も、時期は多少前後するがそれぞれ旅団級の軍勢に護られて帰路に就く。このため旅立ちの直前には、豊富な物資量を誇る王都の商店街は平常時の5倍という量の土産物を用意して、街路に溢れんばかりに広げたワゴンの上に敷き詰める。それでも人気の高い品物はあっという間に売り切れてしまうから、郷里の妻や子ども達に土産を頼まれた兵士達は、目の色を変えて街に繰り出すのだ。

 この時期に王都にやってくることなど初めてであるウェラー領の兵士は、凄まじい賑わいと競争力に呆気にとられるばかりであった。色あざやかな包装紙の群れが、無彩色の雪景色の中で余計に鮮烈に見える。

「あ〜あ…ウルトケ名物の辛口ワインを買ってこいって言われてたんだけどなぁ…」

 アリアズナ・カナートがぼやけば、ケイル・ポーが淡々と応える。

「買ったところでどのみち、土産にはならないでしょう?どうせ途上で呑んじゃうんだから」
「ああ…まあ、な…」

 ぽりぽりと顎を掻くと、アリアズナは頼みになりそうな男を捜した。
 目先の利いた連中は王都に到着したその日の内に土産物を買っており、たっぷりと自分の馬や荷馬車に積み込んでいるが、流石に部下の品物を巻き上げたのでは寝覚めが悪い。そうなれば、上官を狙うしかない。

「よーう、コンラート!ウェラー領に戻ったら何本か酒瓶分けてくんない?」
「瓶だけならな」

 中身はくれないのか。

「そんなつれない事を言うかな…」

 そうは言いつつも、《どうせねだったらくれるんだろ?》と信じて疑わない。
 ひとこと言っておいたので、すっかり安心したアリアズナは馬車に乗り込む有利を見やった。

「ユーリ、あんたは馬には乗んないのかい?」
「うま、すき。でも…じぶんでのるの、できない」

 あどけない口調が何とも可愛らしいが、馬を愛するウェラーの民にはちょっと聞き捨てならない台詞だ。

「おい、コンラート…教えてやれよ。なんなら、相乗りしてさ」
「そうだな。忙しくて手が回らなかったが…馬に乗れるようになっておくことは、いざというときに大事だろうな」

 《いざというとき》がどんなときなのかは敢えて追求しなかったが、当然、コンラートも大陸に渡ったときを想定しているのだろう。有利が一人きりでも、駆け通しに駆けて行かなくてはならないときが来るかもしれない。
 その時、《のるの、できない》なんて言っている余裕はないのだ。

 有利にもその辺の機微は伝わったのだろう。真剣な顔になってこくこくと頷いた。

「コンラッド、おしえて?おれ、おぼえたい」
「良いよ。ユーリ…おいで?」

 コンラートはノーカンティーの背に有利を誘うと、自分は背後に座って手綱捌きや身体のバランスなどを教えてやった。
 その横に愛馬で併走しながら、アリアズナは紅い目を細める。

『幸せそうな顔してんなぁ…』

 《コンラートが十一貴族に就任し、ルッテンベルク師団は軍団に昇格する》…ウェラー領で白鳩便の知らせを目にしたときには、ウェラー領の混血を一網打尽にする罠か、呪われた託宣が下される以前の手紙が、時間を越えて配達されたのではないかと疑ったものだ。

 信じ難い幸福を我が目で確認し、コンラートと共にこうして帰路につけるなんて…幸せな夢を見ているようだ。

 王都に滞在している間に色んな情報誌に目を通したり、当事者であるコンラート達にも聞いた話では、やはりこの可愛らしい少年が全ての鍵を握っていたらしい。

『グウェンダル閣下との約束通り、この子の首を落として帰還していたとして…果たしてこんな幸せに包まれていたかな?』

 おそらく、無理だろう。

 小シマロンによる《地の果て》開放実験は惨劇の舞台を世界に広げ、呼応した三つの箱さえも開放を促されたかも知れない。何しろ、眞王でさえ《禁忌の箱》から溢れる力に絡め取られて正気を失っていたというのだ…。世界が闇に包まれ、崩壊に向かっていたのだとすれば、コンラート一人が小さな功を誇ったところで何の意味があったろう?

 しかもコンラートの性格から言って、《少年を殺した》ことを功にできるなどとても思われない。どんな事情があったにせよ、この世界のことを何一つ知らず…コンラートを唯一人の救い主として慕ってきた少年を殺していたら、その瞬間に彼の心は壊れていたのではないか。

『良かった…本当に、良かった…』

 この少年がコンラートを愛してくれて…コンラートも、少年を愛してくれて…本当に良かった。

『大陸での任務も、絶対にこいつらを護り通さねえとな』

 ひゅう…っと風に乗った雪の粒が頬を撫でると、睫の先についた氷の結晶が視界を煌めかせていく。それが仲睦まじく乗馬するコンラートと有利の姿をきらきらと輝かせるから、アリアズナはますます幸せそうに微笑むのだった。



*  *  * 




 荘厳な造りの宮殿は小シマロン特産のクリーム色をした大理石に包まれており、美しさと同時にどこか血の通わぬ冷たさを感じさせた。重厚なステンドグラスも、冬の陽を受けて部屋に投げかける色彩にはどこか現実感が無い。 
 朧気な不安を感じさせる、夢の光景…そのように映る。

 大ぶりな玉座に居る華奢な少年も、人間にしては恐ろしく整った顔立ちが、人形めいた無機質さを呈していた。

 手元には眞魔国からの正式な書簡があり、既に議会にも降ろして承認を得ている。
 今からおよそ一月の後、カロリアでは小シマロンと眞魔国共同開催による大規模な《歌謡祭》が行われ、その席には近隣諸国の要人も招待される運びだ。
 それまでに、小シマロンに徴兵していた男達もカロリアに返す手筈になっている。

 サラレギーは臣下達の反対を抑え込む形でこの決定を下した。彼らの間には今でも魔族に対して根強い嫌悪が渦巻いているだろうが、それは全く構わない。サラレギーの思うように動いてくれれば、何の問題もないのだ。

「双黒の王太子殿下というのは、随分とおめでたい人なんだねぇ…。ふふ、是非お会いしたいな」
「ご油断召されるな、サラレギー陛下」

 影のように少年に寄り添っているのは、長身痩躯の男性であった。ただ、痩せ形とはいってもその体躯は限界まで無駄な物を削ぎ落とし、必要な筋肉だけを鍛え上げたとの印象が強い。繊弱さはどこにもなく、計算し尽くされた武器の形状が美しいように、この男にはひっそりと気配を殺しているにも関わらず、一度目にすると見惚れずにはいられない力があった。

 繊細な硝子細工にも似た主君と並べば、その美麗さは純血魔族にも肩を並べるであろう。

 だが、あいにくと鑑賞者はいない。もしもこの場に臣下が踏み込んできたとしても、長身の男はそれこそ影のように姿を潜めたことだろう。
 別段、見つかっても立場的に問題があるわけではない。彼は正式にサラレギーの護衛として、小シマロンの組織体系に収まってはいるのである。

 ただ…その役割は隠密行動を主体としており、サラレギーの影響力を底部分で支えるものである。だからこそ、サラレギーもこの《ベリエス》という男にだけは素の部分の自分を晒していた。
 生まれ育ちは不明ながら、サラレギーが幼少のみぎりに父が護衛役にと配属してくれた日から、どこか彼には他の者にはない親しみを感じていた。

 冷たい容貌が笑みを浮かべたことはないのだが、追従の作り笑いよりは余程良いと思う。何より、彼はサラレギーを心から心配して諫言をしてくれる。だからこそ、甘えるようにして本心を漏らすのだ。

「分かっているさ…ベリエス。そのおめでたい気質に、凄まじい魔力を伴っているんだ。何しろ大陸で絶大な魔力を発揮して《地の果て》を制御したばかりか、噂によれば眞魔国内で完全な昇華に成功したって言うんだからね」

 この件について、人間世界では半信半疑である国が多い。《実は未だに所持していて、武器として利用する機会を狙っているのでは…》というのが多くの国の見解であった。
 だが、サラレギーはそうは思わない。

「そんな嘘をついたところで、眞魔国に益はないもの。おそらく、本当なんだろうね」

 ふぅ…っと漏らした溜息に、長く色素の薄い髪がさらりと肩から落ちた。
 物憂げな瞳は色硝子越しに窓の外を見やり、渡り鳥の軌跡を見るともなしに追う。

「さぁて…どうしようかな?王太子にはもれなく、恋人のフォンウェラー卿もついてくるんだよね?ああ…困ったな、色んな考えが浮かんできて迷ってしまうよ」

 くすくすと零れるような笑みが形良い唇から漏れ、しどけなく伸ばされた上体にしゃらりと飾り紐が揺れる。華麗な結い髪には少女のような簪が差され、そこから降り注ぐような吊り飾りが、霞のように顔を覆う。

 奇妙なことに、恐るべき企てをしているときに限ってサラレギーの人形めいた頬には生気が宿る。おそらくは、それが彼にとっては息をするように自然なことなのだろう。

「楽しみだ…」

 うっとりと夢見るように瞼を伏せる少年が腹黒い陰謀を企てているなど…何も知らぬ者には察することも出来まい。



*  *  * 




「カロリア支援の…《歌謡祭》ですって?それに…私を正式な領主として認めると…」

 銀色の髪をきつく束ねた美女、フリン・ギルビットは《通達》の真意を測りかねて眉根を潜めた。
 手にしているのはサラレギー王からの親書なのだが、その文言を明瞭に読むには部屋が薄暗すぎ、二枚目を捲ろうとする手も悴(かじか)んで上手く動かない。室内だというのに吐く息が白く染まってしまうこの部屋には火の気はなく、もこもこと着こんだ衣服だけが熱源を保つ唯一のものであった。

 つい先程、小シマロンの兵士がこの文を持って現れたときには、《とうとう来たのか》という恐怖と共に、焦らされるようにギリギリまで首を締め付けていた縄が一気に引かれたかのような、奇妙な安堵も感じていた。

 予測していたのは正式な権利を持たぬ領主フリンが、とうとう領主館から強制退去させられ、最悪の場合は身柄を《処分》されられるだろうということだった。認めたくはないのだが、《これでもうカロリアの全てを背負わなくて済む》という想いが、安堵という感情を抱かせたのだ。

 だが、現実の方はそう簡単にフリンを開放してはくれないらしい。より複雑な状況が降って湧いたように出現して困惑させることになった。

 小シマロンの兵士がいる間はさも感謝しているように礼儀正しく対応したものの、彼らが姿を消すと短い文面の書類に食い入るような視線を向けて、眉根に深い皺を寄せる。

『やだわ…これ以上皺が増えたらどうしてくれるのよ』

 心に呟くのが幾ばくかの救いをもたらす。まだ、そんな軽口が思い浮かぶくらいには冷静であるのだろう。

『そうよ…へこたれていてどうするの?私はカロリアの領主…どのような裏があろうとも、こうして宗主国の王が認めたことは大きな意義を持つわ』

 どんな状況にもしたたかに対応してやる。泥臭くても見苦しくても、食らいついて諦めなければきっと陽が昇る日が来る。今回のことだって、悪い面ばかり考えていては運を逃してしまうかも知れない。
 実際問題、胡散臭いからといって全てを拒絶していたら、カロリアの民はこの冬の間に全滅していたはずだ。

 年の暮れに、《このままでは飢え死にを待つばかりです》と訴状に訪れた村長達に囲まれ、領主館の倉庫にはもう何も残ってはいないのだと説明している最中、突然大量の物資が商人の手によって運び込まれた。穏やかな容姿の商人が言うには、《さるお方のご厚意による、支援物資です》とのことで、既に支払いは済まされているという。

 村長達には《心当たりがない》といったものの、実のところフリンには確信があった。

『エリオル…これは、あなたなのね?』

 その確信の元となったのは、物資に添えられていた一枚のカードだった。署名はなかったが、そこに書かれていた《全ての希望が断たれたかに見えた時、貴女が示された友情に今こそ報いたい》という一文が、ウルヴァルト卿エリオルの存在を示していた。

『あの時…私は結局あの子を救えたわけではなかったのに…』

 部屋で一人きりになったとき、フリンはカードを握りしめて泣いた。
 この物資は春までカロリアの民を救うだろう。そして、村長達に追い込まれていたフリンの身をも救うことになるだろう。

 村長達はフリンの亡き夫に忠誠を誓っていた者もいたが、困窮する状況から抜け出す手だてを求めて、正式な領主ではないフリンを吊し上げることで小シマロンの歓心を得ようとしていた者がいると噂されていた。

『人間ですら、追い詰められた時には今までの恩義も何もかも振り捨てて保身に走るのに、魔族であるあなたが…どうしてこんなにも清い真心を示してくれるの?』 

彼の心を知る術はなく、村長や民に対してエリオルの誠意を示すことも出来ない。彼の真心による行為を認識しながらも、《魔族と通じた女》の名を冠することが怖かったからだ。

 しかし、エリオルは更なる形で働きかけてくれた。一体どうやったのかは分からないが、彼は眞魔国と小シマロン中枢を動かしてカロリア復興のための《歌謡祭》を開こうとしているのだ。

 フリンは彼の好意を利用すべきなのか、フリンが何らかの目的で彼に利用されているのか…。領主として全てを欺いていた年月の長さが、反射的に病んだ計算式を立てようとするのに、心の奥に残された純粋な部分がこう囁きかけてくるのだ。

『計算なんかしなくて良いの。信じるのよ…あの子を』

 《どうかしている》…苦笑しながらフリンは瞼を伏せる。
 身近な人間の誰よりも、あの子を信じたいと願う気持ちがおかしかったのだ。

「どんな不測の事態が起こっても、生き延びる…。民を、生き残らせる…それが私の使命だわ」

 自分に言い聞かせてフリンは文を卓上に置くと、薄暗い部屋の中で目を凝らして別の書面を手に取った。小さな蝋燭の明かりだけを頼りに、フリンは今宵も戦い続けるのであった。

 カロリアを、護るために。







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