第2部 第31話 濛々と立ち込める砂塵の中を、一個大隊にも満たない軍勢が進んでいく。 元々は白を基調とする華麗な装備を誇っていた聖騎士団員達も、殆どの者が《持ち馬と剣を持ち出せただけマシ》という程度の出で立ちであった。 何もかもが不揃いで、足並みも乱れがちである。実際、幾人もの脱落者が出ており、中には意図的に逃走を図る者も居たが、もはや一軍を率いる指揮官にも留め立てする事は出来なかった。 そもそもその人物が指揮官であるかどうかも、かなり流動的な事態推移から推し量るほかないのである。 …というのも、彼らを率いる長こそ大教主マルコリーニ・ピアザと決まっているものの、それ以外の指揮系統が多分に混乱しているのだ。何故かと言えば、彼らは元々一つの大隊だったわけではなく、各部隊の中から《呼びかけ》に応えたに過ぎないからだ。 彼らは迷いを抱えながらも、ウィリバルトではなくマルコリーニを選択した。あるいは、直接繋がりのない大教主よりも、彼に就くことを明示した聖騎士団第2大隊の長であるソアラ・オードイルへの忠誠によって、自らの去就を決めたのかも知れない。 「父上、お疲れではないですか?」 「なに…まぁ…それはみんな同じだろうさ」 養子であるバルトンは同乗している父を気遣うが、更に気に掛けてやらねばならないのは愛馬の方だろう。岩砂漠を越えていく内に、水も飼い葉も底をつき始めた。馬は先程からぜいぜいと荒い息をつき、ゆるゆると進むことしかできなくなっている。 彼らがこうして困窮する切っ掛けとなったのは、皮肉なことにバルトンの行為によるところが大きい。 スヴェレラから聖都に戻ったバルトンは、マルコリーニを初めとする大聖教の有力者達に双黒の王太子の人となり、そして魔族達が噂で伝えられるような悪逆非道の種族ではないことを伝えた。 『今こそ我々は魔族と手を携え、《禁忌の箱》を滅ぼすべきです!』 当然のように非難が囂々と浴びせられたが、マルコリーニと数人の穏健派はバルトンの意見に賛成してくれた。 これが…聖都を分断する内乱に繋がるのである。 * * * 神父会の場では不穏な空気を漂わせながらも、明確な意見を示さなかった神父長ヨヒアム・ウィリバルトだったが、一週間前の夜更けに突如として、子飼いの兵を率いてマルコリーニの寝所を襲った。この第一波は《此在る》を予測して布陣していたバルトンが凌いだものの、真の恐怖が訪れたのは明けて翌日のことであった。 何と、ウィリバルトは聖騎士団長や主要な師団長をも取り込んでいたのである。殆どの兵は詳細を知らされていなかったものの、基本的に上官命令が絶対の軍隊組織にあって、個々の兵が持論を展開するのは極めて困難であった。 よって、聖都の中央広場に於いて《魔族と通じた大教主マルコリーニを血祭りに上げよ!》とウィリバルトが宣言し、聖騎士団長並びに師団長達が鬨(とき)の声を上げると、一般兵達はその狂騒に煽られるかのように共鳴していった。 『裏切り者に死を!』 『悪魔と通じた大教主とその息子に、相応しい地獄を見せてやれっ!!』 血に飢えた獣のように叫ぶ軍団の中にあって、バルトンの親友であるソアラ・オードイルが反論の異を唱えたのは、多分に無謀な行為であったろう。 『お待ち下さい。ウィリバルト様、どのような権限をもってマルコリーニ猊下を処刑なさるおつもりですか?マルコリーニ猊下が正式に罷免され、更に処刑までされるとなれば神父会による議決が必要になります』 『なに?』 よもやこの状況下で反論など起こる筈がないと高を括っていたらしいウィリバルトは、かつて性的な蹂躙を加えていた稚児からの意見に、顔色をどす黒く変色させて怒りを露わにした。 『ソアラ・オードイル…愚か者めっ!貴様の目は節穴か?長く敵であった魔族と通じようとしているマルコリーニを、何故人がましい法でもって処さねばならぬ?』 『個人的な感情を拠り所とされるのであれば、法は依って立つところを失います』 『貴様…貴様ぁああ……っ!!』 オードイルの最大の功績は、この時ウィリバルトの怒りを公衆の面前で爆発させたことかもしれない。 多くの人々が見守る中…ウィリバルトは怪物めいた動きを見せると、うねる触手を放ってオードイルを捕らえようとした。 『この…この…っ!妬れ者の稚児がっ!お前は男の陰茎を銜え込んで喘いでおれば良いのだ!豚のように喚き、女のように尻穴を濡らして叫べぇえええ……っ!!』 ウィリバルトの劣情をそのまま示したかのような触手は、よく見ると先端が淫らな男性器の形をしていた。ぬめぬめと濡れながらオードイルを捕らえようとした触手だったが、オードイルに仕える忠実な部下の剣で断ち切られた。 そこに、高らかなオードイルの声が響き渡った。 『心在る者達よ、正道に還れ…っ!仰ぐべき者を誤れば、我々に待つのは輝ける展開ではなく、阿鼻叫喚の地獄となろうぞ…っ!私に続き、大教主マルコリーニ様を守護しつつこの場を離脱せよ…っ!!』 オードイルの叫びに呼応した兵達は、仲間達を振り切って駆け出した。 《もしもの時には、私に味方してくれ》…そう約定を取り交わしていたオードイルは見事にそれを果たすと、示し合わせていた場所に引き抜いてきた聖騎士団員達を導いてくれたのである。 一個大隊にも満たない、整備不十分な軍隊はまこと心細いものではあったが…それでも、一縷の望みを掛けて進軍していく。 向かう先はスヴェレラ…聖都の民同様に、かつては魔族を敵対視していた国だが、今では双黒の王太子と、コンラート率いるルッテンベルク師団によって様相を異にしている。あそこで体勢の立て直しを図る他あるまい。 * * * ドサ……っ… また一騎、馬が倒れた。 乾きと飢えが限界まで達しつつあるのだ。 倒れた馬は素早く解体されて、食料として運ばれる。つい先程まで戦友であった生物を食すのは心苦しいが…彼らが生きて目的を果たす為には、致し方ないことであった。 ふらふらと這うような足取りで、疲れ切った軍勢は岩砂漠を横切っていった。 * * * 岩砂漠の向こうから単騎向かってくる影を見つけた時、マルコリーニ派の兵士達には緊張感が漲った。ウィリバルト派か、彼らと連なっていると思われる大シマロンの兵ではないかと疑ったのだ。 ただ、兵士の中には《この際、それでも良い》と思い始めている者さえいた。 聖都から脱出した当初こそ、《怪物めいたウィリバルトについて行くよりも、オードイル閣下の方が余程従うに足りる》と思っていた連中であっても、限度を越えた飢えと乾き、そして疲労に疲弊しきっていた。 いっそのこと捕まって、捕虜の身となっても良いから死ぬ前に何かを口にしたい…。惨めな心地でそう思っていた兵達だが、どのような苦難の中であっても精神の支柱を失わない者もいる。 離脱大隊と騎影の間に割り込むようにして立った男は、バルトン・ピアザとソアラ・オードイルであった。 瞬間的には怒りすら覚えた兵士達も、凛と立つ二人の姿に考えを戒める。 この男達を信じてここまでついてきたのは、自分達の能動的な選択だったではないか。決して強要されたわけではない。 それに、敵は悪魔的な意志と力を展開するウィリバルトなのだ…降伏したところで許されるはずもない。 ならば最後まで意志を貫こうではないか。 覚悟を決めて兵士達が居住まいを正した時…思いがけない状況が生まれた。 馬から降りた長身の男は軽やかな動きで駆け寄ると、どすんとバルトンの胸を小突いたのである。 「よお、大層な有様じゃないか」 にやっと人好きのする笑みを浮かべて見せたのは、鮮やかな蜜柑色の頭髪を持つ男であった。 「ヨザック殿!これは…我々、予想外にスヴェレラの近くまで来ていたのだろうか?」 「いやいや、スヴェレラからは随分と離れているぜ?」 「では、どうしてあなたが…」 「俺は斥候隊さ。アリスティア公国を包囲する聖騎士団…」 そこまで言って、ヨザックはばりばりと頭を掻いた。 「ちょいとあんた達とは袂を分かった連中を、ルッテンベルク軍で一蹴する為にやってきたのさ」 「……っ!」 バルトンの瞳はこれ以上ないほどに開大していた。 * * * 『信じられない…』 オードイルについて離脱してきた聖騎士団の一人、昨年入団したばかりのポルプ・ホートンは虚脱した状態で身を伸ばした。 『《フロ》というのは…こんなにも心地よいものなのか?』 ふへー…とポルプが身体を伸ばしているのは、正確には風呂そのものではない。飢えと乾きに憔悴した身体にいきなりの入浴は拙かろうと、暖かい岩盤の上に横たえられたのである。所謂、岩盤浴というやつらしい。 離脱聖騎士団員達はヨザックの案内によってルッテンベルク軍本隊に合流すると、魔族に対する戸惑いを感じる間もなく甲斐甲斐しい世話を受け、地熱で温泉が湧くという地に導かれた。ここは資源も水源もない岩砂漠として見捨てられた大地だった筈なのだが、進軍の途上で魔族の優秀な水脈探知者が見つけ出したのだそうだ。 『何とかここで身体を回復させて、オードイル様についていきたい…。明日の朝までに、回復するんだ…』 まだ鍛え切れていない身体は岩盤にへばりついたまま身じろぐことしかできないが、それでも与えられた消化の良い食事と、何より新鮮な泉水が若いポルプの身体を回復させつつある。 いや、彼らを急速に回復させているものは、食べ物や飲み物、温泉だけではないだろう。 「さーさ、またすこし水をのんで?」 水を入れた革袋を背中に背負い、脇部分の栓を開けては兵士達に水を配っているのは、なんと…双黒の王太子である。 なんとも容儀の軽いこの少年は、完全に武装を解いているとはいえ先日まで敵対勢力であった聖騎士団員達に対して、実に甲斐甲斐しく世話を施してくれる。 「はい、お水」 「あ…ありがとうございます……」 恐縮するやら、どうして良いのか分からないやらで最初の内は挨拶もままならなかった面々も、こう度々お粥だ水だと施されると、だんだん慣れてくるから不思議だ。 「つかれ、少しはとれた?」 「はい、おかげさまで…」 年頃が近いせいか、有利は特にポルプのことを気に掛けているらしい。初めてお粥を口にした時、がっついて吐きそうになった折にも背中を撫でて貰った。 『ちいさくて、気持ちの良い手だった…』 思い返しながらゆっくりと水を飲んでいくと、有利も動いて喉が渇いたのか、腰ひもにくくりつけていたコップに水を注いで飲んでいく。そして、ポルプにほど近い岩盤に身を横たえていたのだが…少し不満そうに唇を尖らせた。 「あーあ…おれも早く温泉入りたいなぁ…」 「まだお入りになっておられないのですか?」 「うん。コンラッドがダメだって言うんだ」 「ああ…それはそれは……」 ポルプは少し半笑いになって頷いた。 魔族というのは不思議な種族で、男色についても清々しいほど肯定的な見方をするものらしい。王太子と《ルッテンベルクの獅子》も隠す気などこれっぽっちもなさそうな様子でイチャコラしてくれたので、彼らがどういう関係であるのかは一兵卒でもよく知っていた。 どうも王太子の方は自分の容姿について軽々しく考えている節があるから、コンラートの方は幾ら心配しても、し足りないという心地に違いない。 この可憐な少年が裸体を男達の前に晒すとあっては、生きた心地がしないだろう。 そんなことを考えていたら、オードイルを伴ったコンラートがやってきた。 流石に長年鍛えている上に、特段に強靱な精神力を持つオードイルは二度の食事と水分補給によってしっかりとした足取りを取り戻している。一見すると繊弱な印象さえあるが、このような状況でこそ真価を発揮する人物だ。 『俺を救って下さったお方だ。何としてもついていきたい…っ!』 ポルプの眼差しは熱く、真摯な強さを持っていた。 可愛らしい顔立ちをしたポルプは聖騎士団に入る前、神父を目指して修行する学徒であったが、神学校に通っている時期に教職の神父に目を付けられ、危うく性的暴行を受けるところだった。しかし、用事で神学校を訪問していたオードイルは異変に気付くと、神父を殴り飛ばしてポルプを救い出したくれた。 この時…開き直った神父はオードイルを悪し様に罵った。 『ウィルバルトの肉人形が、随分と偉くなったものだなっ!』 オードイルは静かに冷笑すると、硬い軍靴で神父の股間を蹴りつけて失神させたが、それ以降は興味を失ったように、指導官に通報すると神学校を後にした。 ポルプはこのとき直接声を掛けられたわけではないが、受けた恩義を忘れることはなかった。 聖騎士団に入ってから、神父の罵倒が必ずしも根拠を持たぬものではないと知ったが、同時に、ウィリバルトから度重なる性的暴行を受けながらもオードイルが希望を失うことなく、切磋琢磨して聖騎士団大隊長の座に就いたことも知った。 決して恵まれた家柄とは言えない彼が若くしてその座につけたのは、噂で言うようなウィリバルトの後ろ盾によるものではなかった。寧ろ不名誉な噂を跳ね返す為に、彼は常人には耐え難いであろう苦痛を越えてきたのだ。 その代わり、オードイルは悪意を持つ者だけでなく好意を持つ者に対しても頑なな部分があった。 少年時代を無惨に踏みにじられ、嫉妬めいた悪意や、侮蔑に満ちた性欲を向けられていればそれも無理はあるまい。 今も律動的な歩様を見せているのは、完全に回復したからと言うよりは人前で情けない姿を見せたくないという矜持から来ているような気がする。 どこか痛々しい姿を気遣いながらも、誇り高いオードイルの心を慮って声を掛けることも出来ないポルプであった。 * * * 『これからは、この男の指揮下に入ることになるのだろうか?』 ルッテンベルク軍に合流したことで餓死寸前だった離脱聖騎士団は救われたものの、もはや軍隊としての様相を呈していない軍を見られることは、オードイルにとって恥辱以上の何ものでもなかった。 そのせいか、《救われた》という安堵よりも《情けない》という自戒の念の方が先に立つ。 『私が築き上げてきたものは、所詮この程度のものだったのだろうか?』 確かに糧食等を積み込んでいる時間は無かった。だが、ここまで軍を疲弊させてしまったのは離脱軍の中で最高位の役職にあったオードイルの責任だろう。 この事実は出世の軌道から逸れたこと以上に、オードイルを打ちのめしていた。 『この男は、私をどう思っているのだろうか?』 フォンウェラー卿コンラート…目にするのは初めてだが、噂だけは殆ど伝説のような形で大陸にも伝えられていた。 当代魔王と、かつて大陸の覇者であったウェラー王家の末裔の間に生まれた男子。二つの王家の血を引きながら、彼は波乱の人生を生きてきた。《混血》という偏見の眼差しを跳ね返し、何人も非難できぬ功績を挙げてきた男…。 『これほどの男から見れば、私など木っ端程度にしか映らないのだろうな…』 またしても落ち込んできたオードイルの袖口を、ちょいちょいと引っ張る者がいた。 「つかれてる?」 「いえ…」 振り返れば、至近距離にある双黒に軽くびくついてしまう。バルトンから優れた人となりについて聞いてはいたものの、やはり漆黒をその身に帯びた少年を間近にすると驚きを隠せない。思わず、問いかけられた内容の意図を十分に汲み取らないまま否定してしまった。 あるいは、ただ単に生来の負けず嫌いが表に出て、疲労感を認めたくなかったのかも知れない。 「つかれてない?じゃあ…ちょっとだけコロンとすると良いよ。ほら、お水のんで、コロン」 「は…」 くいくいと袖を引っ張って踏みとどまられると、流石に抵抗しきることも出来ない。しかも、横でコンラートが《そういえば、俺も疲れたなぁ…》とあっさり疲労を認めて岩場に腰を掛けてしまったのだから、そのまま一人で歩いていける雰囲気ではなくなった。 「それでは、失礼する…」 不承不承腰を降ろすと、そのままぐいぐいと上体を押されて岩盤の斜面に横たえられてしまう。ある程度角度があるから、いざというときに立ち上がれないほどではないが…それにしても、何故こうも双黒の王太子はオードイルを横たえたがるのだろうか? 「はい、お水のんで」 「ありがとうございます」 冷ました鉱泉は多少独特の匂いを感じるが、澄んだ水を口に含むとじんわりとした滋味がある。背中に伝わる柔らかな熱とも相まって、辺りの兵士達はすっかり緊張を解いているようだった。 静かに凭れていると、若い兵士が声を掛けてきた。確か、まだ聖騎士団に入ってから間もないポルプという少年兵の筈だ。 「オードイル様、この岩場はとても心地よいですね」 「そうだな」 何と返して良いのか分からなくて簡潔な返事を寄越すと、ポルプの方も何を言って良いのか分からないようで口籠もってしまう。一方、双黒の王太子は全く屈託を感じないのか、一緒に腰を降ろすところんころんと岩盤浴を楽しみ、気さくに声を掛けてきた。 「オードイルさん、もっとらくにして?ころん、ころんてすると気持ちいい」 「はい」 無邪気な少年の様子に、自分でも《疲れを取る為にも、一時的に緊張を解いた方が良いのでは…》と思うのだが、緊張を維持することに馴れた身体は意図的に緩めることが出来なくなっていた。 思えば、何の恐れもなく全ての緊張を解いていた記憶など、今となっては思い出せないほどに遠い昔のことだ。おそらく…ウィリバルトの辱めを受けた時、《誰にも相談できない》と絶望したあの時から、隙を見せること自体が罪であるかのように思えたのだろう。 すると、横からコンラートがそっと手を伸ばしてくる。軽く肩が震えたのを指摘することもなく、彼はやさしく…掌を目元に掛けた。 「少し、目を瞑っていると良い。自然に力は抜けるよ」 「……はい…」 今までなら、きっと《冗談ではない》と拒否していた筈だ。ルッテンベルク軍に庇護されているという今の状況を考えても、力づくでそうされていたら惨殺覚悟で抵抗していたことだろう。 だが…そうするにはコンラートの手はあまりにも心地よく、囁かれる声は慈愛に満ちすぎていた。《高潔な人物》と見せかけて薄汚れた本性を持つ男達を大勢見てきたからこそ、オードイルは数少ない廉潔の士を見極めることが出来たのかも知れない。 掌の間から滲む陽光は、砂漠とは思えないくらいにやわらかくて…すぅっと身体から力が抜けていく。岩盤から染みこんでくる暖かさにも包まれながら、オードイルは何時しか健やかな寝息を立てていた。 意識を失う直前、ちいさくコンラートの声が響いた。 誰かとオードイルのことを話しているらしい。伸びやかな声が、優しく紡がれる。 『オードイル殿は、優れた武人だね』 どうしよう…嬉しいっ! ふくふくした幸せに包まれながら、オードイルは何十年ぶりかの安眠を味わった。 * * * 『凄い…!』 ポルプは信じられないものを見るような目でコンラートを見やった。 高潔であるがゆえに頑なで、バルトン以外には笑顔を見せることも少なかったオードイルから、この男はちいさな子どもでもあやすみたいにして緊張を取り除いてしまったのである。 寝息を立てたのを確認してから取り除かれた掌の下には、疲れ切ったオードイルの顔があった。やはり、立っているのがやっとというくらいに彼は疲弊しきっていたのだろう。精神の力だけで己を奮い立たせていた彼は立派ではあるが、それはいつか限界が来た瞬間、一気に瓦解する可能性を孕んでいたはずだ。 『ああ…オードイル様が、力を抜いて眠っておられる』 それが嬉しくて嬉しくて…ポルプは空色の瞳に涙を滲ませた。 「オードイル殿は、優れた武人だね。こんなになるまで何事もないような顔をして耐えてこられるとは…」 コンラートが痛ましげに琥珀色の瞳を眇めると、双黒の王太子が岩盤をコロコロと転がって、ぺとりと引っ付く。 「この人、あんたにそっくり」 「そうかなぁ?」 「うん。自分についてきてくれる人たちを安心させるためなら、どんなムチャでもやっちゃうところとか、すごいにてる」 《だから、ほっとけない感じがした》と、双黒の王太子ははにかむように囁く。だからこそ、強引なくらいに岩盤浴を勧めたのだろう。 コンラートは似ていると言われて、少々不本意げだ。 「……俺はそんな、無茶なんか…」 「してるよぅ。でも…だから、みんなついてきてくれるんだよね。この人もきっとそう。こんなにしたってくれてる人たちがいるんだもん」 「そうだね…」 囁き交わされる言葉に、ポルプは《そうだ、そうなんだ》と心中に強い同意を感じながら頷いた。 オードイルを認めてくれる人がいる。 極めて優秀であるにもかかわらず、世の中を上手く渡っていくことにかけてはえらく不器用なこの男を、そのまま認めてくれている。 ああ…それは、彼についてきたポルプ達をも認める事と同意だ。 『ありがとう…』 誰もが、静かに頷いていた。 迷い、一時は恨みもした自分の選択が、決して誤りなどではなかったのだとの確信を噛みしめながら。 |